第二章 その2 癖のあるメイド
その日、ジェンが日課の鍛錬を済ませて、魔獣狩りのメンバーが暮らす屋敷内を歩いていると庭で洗濯物を干しているクヨリの姿が目に入った。
既にクヨリが屋敷で働き始めてから三日が経過している。彼女も子供たちも少しずつ屋敷に馴染んできたようで、他の雇われた人たちとも上手くやっている様子でありジェンも一安心であった。
このまま何事もなくあの家族が平穏に暮らしていけるのならそれが良いと思いながら窓から彼女を眺めていると、廊下の向こうから突然声をかけられた。
「おんやー? そこにいるのはジェンさんじゃないでおじゃるかー」
ジェンは独特の口調で語りかけてきた人物の方へと顔を向ける。
黒髪のおかっぱ頭にヘッドドレスを乗せ、分厚い瓶底の様なメガネをかけたメイド服を着た女性の姿があった。
二十代前半くらいの年齢に見えるメイドさんは片手に金属のバケツを持ち、反対の手にはモップを持って立っている。
そんな彼女に対しジェンが返事をする。
「おっ! ヌローワか、久しぶり。というか相変わらず語尾の癖が凄いな」
「うん。以前仕えていたご主人の趣味でおじゃるからね。すっかり染み付いてしまったのでおじゃるよ」
「世の中には変わった趣味の人がいるもんだな」
「そこを辞めた後、他では中々雇ってもらえなかったので、ここで世話になれて大助かりでおじゃる」
「まあここは普通に働けさえすれば、それ以外は大甘だからな」
「さすがは国営の施設。懐が深いと感心するばかりでおじゃるよ」
やや興奮気味にヌローワが話す。嬉しそうに語りかけてくる彼女の姿をジェンは少し懐かしく思いながら聞いていた。
と、そこでヌローワは何かを思い出したかのように突然疑問を投げかけてきたのである。
「そういえば、この数ヶ月ジェンさんは出張だったそうだけど、どこに行ってたんでおじゃる?」
「知らなかったか? ヌローワにしては珍しいな。実は辺境の城塞都市ドゥハーソンまで行ってたんだ。都市のほど近い場所で災害級の魔獣の目撃報告があって警戒の為に駆り出されてたんだよ」
「おおう、災害級の魔獣でおじゃるか!? いったいどんな奴だったんでおじゃる?」
「いやそれが結局は災害級の魔獣ではなかったんだ。一応Bランクの魔獣が退治されて警戒が解かれた事で四日前に戻ってきたんだが……そういえばヌローワこそ俺が戻ってから姿を見かけなかったけど?」
「こっちもちょっと用があってお出掛けしてたでおじゃる。もちろん内容は乙女の秘密でおじゃるよ」
「……ふーん」
「それよりジェンさんも出張中に色々と疲れたのではないでおじゃるか? 声をかけてくれればマッサージをしてあげるでおじゃるよ?」
何かマッサージの言い方に含みがあった様な気がするが、そこはヌローワの善意だろうと思ったジェンは素直に返事をしておくことにした。
「そうだな、まあ機会があれば」
「おっと、この流れで断るのでおじゃるか! ふぅーん……」
するとヌローワはジェンに向かってスッと近づくと耳元に顔を寄せてきた。
何やら秘密の話かと思ったジェンが耳を向けると、彼女は続けてそのまま小声でそっと囁いたのである。
「(特別料金をいただければ、アオイちゃんに内緒でスペシャルなマッサージもしてあげるでおじゃるよ?)」
角度の関係でメガネの向こう側からヌローワの綺麗な瞳が覗いている。
妙に艶めかしいその物言いに、ジェンは少し照れてしまいヌローワから慌てて距離を取った。
「じょ、冗談がキツイぞ」
「いやいや、冗談なんかじゃないでおじゃるよ? 遠慮せずに何時でもウエルカムでおじゃる」
「何がウエルカム?」
慌てているジェンの背後から透き通った可愛らしい声がした。
声を聞けばそれが誰かすぐに分かる。
ジェンが体勢を変えると、そこには想像通り小首を傾げながらこちらを見るアオイの姿があった。お洒落なフリル付きのブラウスに膝丈くらいまでのズボンを穿いた姿の彼女は興味津々といった面持ちで返事を待っている。
どう答えたものかとジェンが恐る恐る口を開く。
「いやそれは――」
「マッサージでおじゃる」
突然のアオイの登場に少し言いよどんだジェンの発言に被せる様にしてヌローワがすぐさまアオイの疑問に答えた。
するとマッサージという言葉を聞いたアオイの表情がパッと明るく変化する。
「えっ? ヌローワちゃんって、マッサージできるの?」
「できるでおじゃるよ。アオイちゃんが希望するならいつでも」
「そうなんだ。私、最近肩が凝る様になってきてさー、後でお願いしてもいいかな?」
「成長期でおじゃるからな、大っきくなると肩が凝るのでおじゃるよ」
「ヌローワちゃんって物知りなんだね」
「伊達に色々と経験していないでおじゃるからね。それじゃあこの後、掃除が終わったらアオイちゃんの部屋に行くでおじゃる」
「わーやった! それじゃあ待ってるね」
アオイは上機嫌で自分の部屋の方へと戻っていった。
その姿を黙ったまま見送っているジェンに対し再びヌローワが話しかけてくる。
「そうだ、ジェンさん。ちょっと頼みがあるでおじゃるが?」
「頼みって、どんな?」
「実は買い物をお願いしたいのでおじゃる」
「買い物? 何で俺が?」
「だってアオイちゃんのマッサージをする事になって、買い物に行くのが難しくなったでおじゃるもの」
「だから俺? クヨリさんとかじゃダメなのか?」
「クヨリさんには当面の間は屋敷内の仕事を優先的に覚えてもらう事になったでおじゃる。今、彼女を一人で外に出すのは難しいでおじゃるよ。理由はジェンさんが一番分かってるはずだと思うでおじゃるが?」
「ああ、そういう事か……」
ジェンの脳裏には三日前にクヨリ……というよりもリミの巻き起こした騒動が思い浮かんだ。
混血の子供が関わっているだけに、物騒な連中が良からぬ事を企んでいてもおかしくはない。
「無理そうなら別の手段を考えるでおじゃるが?」
「いやいいよ、それなら俺が行ってくる。どうせ今は魔獣狩りの依頼は何もなくて暇だからな」
「助かるでおじゃる。スペシャルマッサージは少し値段をおまけしてあげるでおじゃるよ」
「いらない」
「うん? それじゃ値段一緒でサービスたっぷりじっくりコースでおじゃるか?」
「だからいらないって。ヌローワってさ、余計な事を言うなって言われた事ないか?」
「余計な事? うーん……そういえば、ここに来る前に、とある女神に言われたでおじゃるなあ」
「女神? それってどこの宗教の話だ?」
「あっ! あーっと申し訳ない、よく考えたらそれは夢の話でおじゃったよ」
「夢の話って、なんだそれ……」
「そ、それじゃ、そろそろお掃除しないとダメなので失礼するでおじゃる」
ホホホと片手で口元を押さえながらヌローワは廊下の奥の方へそそくさと歩いて行く。
ジェンはそんな彼女の後ろ姿を見送ろうとして、肝心なことを聞いていなかった事に気が付いた。
「ちょっと待ってくれ、ヌローワ。買い物は何を買えば良いんだ?」
「それならクヨリさんにメモを書くのを頼んでいるから、彼女からそのメモを受け取ってほしいでおじゃる」
「わかった」
ヌローワの言い回しが少し気になったが、とりあえずジェンはいつの間にか洗濯物を干し終えて姿を消していたクヨリを探すことにしたのだった。