(8/8)君は何もわかってない
紗莉菜が『地獄のように気が利く男』について説明してくれた。
『ああー。あのプールの契約書かぁ』
ミツヒコは頭をかかえた。
『恥ずかしかったなぁ。アレ』
当時。彼は新入社員だった。
ほんの3ヶ月前まで大学生で。買い物するのもせいぜい20万とか30万まで。
それが入社していきなり『契約書』と言うのをみせられた。この1枚が百万、一千万、ことによっては億になるのだという。
ミツヒコはすっかりビビった。この1枚を万が一無くしてしまったらオレはどうなるのだろう。菓子折持って、もしかしたら社長と頭を下げにいかなければいけないかもしれない。
契約書は自分が持たされる。折れないように、汚さないように最新の注意を払わなければならない。
そうは言っても『ビニール2重』なんてやりすぎである。わかってはいるが不安を止められなかった。
大丈夫。コッソリいれて、会社に帰ったらコッソリ戻しておけばいいのだ。
炎天下の、プールサイドで、白日の元にさらされるなんて思ってもみなかったのだ。
いやー。知らなかったわー。まさかあの1件で『地獄のように気が利く』なんて評価されてしまったとは。
『オレフツーに生きて当たり前のことをフツーにやってるだけなんだけどなぁ』
フツーと思ってるのはお前だけだ。悲しいかな。人は自分自身のことが1番見えないのである。
◇
紗莉菜の話でミツヒコが爆笑したのは『誕生日にルイヴィトンを貸し切り』の夢の話であった。もう手をたたいて笑っている。
「え!? なにそれ!? ヴィトンを貸し切り!? 君さぁ。オレと同期だったよね!? しかも同じ営業職だよね!? 給料ほぼ同額だよね!? えっ? それで何!? オレらの給料ごときでヴィトンを貸し切れると思ってんの!?」
紗莉菜は小さくなった。借りれるわけないじゃないですか。
ミツヒコのため息を誘ったのは『チンプンカンプンの横文字一流レストラン』の話だ。
「はぁ〜っ」頭を抱えている。
「考えが浅いんだよなー」
何がですか。あ、あなたという人はそういうことをやりかねない人じゃないですか。
「いやー。いいよ。一流レストランね。いいじゃないですか。行きましょう。で、信じられないほど高いワインとか飲めばいいんじゃない? 夢見たいな1日を過ごせると思うよ。でさ。オレの誕生日はどうするの?」
あっ!
「また一流レストラン? まだ20代のオレらにそんな贅沢必要なの? オレらはたまに1000円程度の物をプレゼントし合えばそれでいいんじゃないの? もっと地に足つけて生きようよ」
あああー。いちいちごもっともです。その通りです。この『地獄のように気が利く男』が自分の誕生日にかかる彼女の負担を考えないわけがなかった。
「それとドライブのお菓子ねー。絶対買ってこないで欲しいんだけど」
え!? なんで?
「君さぁ。いっちゃあなんだけど、どうせ『袋入りのポテトチップス』とか買ってくるでしょ? 車のなかでね。袋入りの菓子はだめなんだよ。絶対箱型ね。食べきれなくても袋の口を止める輪ゴムもセロテープもないよ?」
あああっ!
『間違いない』と紗莉菜は思った。アタシなら間違いなくスナック菓子は袋で買う。しかも大入りのやつ。無駄に張り切って買う。
「紗莉菜は何にもわかってないよ。コンビニでさー。『紗莉菜ちゃんこのお菓子好きかなー。こっちがいいかなー。両方買っちゃおうかなー』って考える楽しい時間のこととかさ」
あああああっ!
「『このお店バーゲンだし連れて行ってあげたいなー』とかさ。『2人でランチどこにしようかなぁ』ってホームページを見る楽しさとか何にもわかってない」
いや。だから女子か。いや、王子様なのか。そうだ。彼は『花沢王子様』だったのだ。
ミツヒコが1番考えこんでしまったのは『ハムスターみたいに鈍感で受け取るだけの女』のくだりであった。
「ハムスター……。ハムスターねぇ。ハムスター。なにが悪いの?」
えっ?
「オレハムスター大好きなんだよね。小学生のとき飼ってたからさぁ」
あれは家族で行った北海道旅行の帰りであった。自家用車で羽田空港から山梨の自宅まで帰る道のりにたまたまペットショップがあった。
そこにハムスターが売っていた。旅行の楽しさを引きずる父親が勢いで買ってくれた。
ゲージに収まるハムスターを2匹。胸に抱いて乗る車中の楽しさよ。
「ハムスター可愛かったよ。結構長生きしてくれた。特にあれだ。ひまわりの種を指に挟んでゲージにいれると『ワーイ!』って感じで食べてくれて。『空からエサ降ってきたー!』みたいな。ハムスターはああいうところが可愛いんだよ。『え? エサくれるんですか? ありがとうございます。すみません! 私も代わりにエサもってきます!』みたいなハムスター何が可愛いの?」
「…………」
「ハムスターに、そんなこと求めてないよ。君はさぁ。何にもわかってない。君と付き合う男が『女らしい気遣い』とか求めてくるわけないでしょ? そんなんやってる暇あったらビールを五秒で飲み干して欲しいわ」
もう。力が入らなかった。一々ごもっともである。悲しいかな、人というのはなかなか他人が自分に求める物が理解できない。自分の『ありのまま』を好きだと思ってくれる人間が必ずいるとは信じられない。だって自分で自分の姿を見ることはできないから。他人という『鏡』ごしに自分を見るしかないのだから。
紗莉菜は泣いた。嬉しかったのである。もうほんとミツヒコの気持ちが嬉しかったのである。
自分はずっと『アタシがボクシングでミツヒコはサッカーをやっている。全然かみ合わない』と思っていたが違った。ミツヒコだってちゃんとボクシングをやってくれていたのだ。
ただ、それは『殴り合う』ボクシングではなかった。
ミツヒコはいつもただ、ニコニコして、拳を決して振り上げないで彼女の前に立っていた。
『勝ち負け』を争う競技だと思っていたからグローブを振り回したけど全くヒットしなかった。
当たり前である。このボクシングは殴り合うボクシングじゃなくて『抱き合うボクシング』だったからだ。
最初から、勝ち負けなんかなかったのである。
ミツヒコがそっと泣いている紗莉菜を抱きしめてくれた。
「だから言ったでしょ? 紗莉菜ちゃんはオレにとって『サトー』みたいな人だって」
紗莉菜はミツヒコの胸で泣き続けた。
◇
「まぁ。そうは言っても全く欠点がないわけじゃないよ?」
え?
「紗莉菜のいいところであり悪いところは猪突猛進なところね。まっっったく左右を見てないよね。思い込みが強いんだよね。今回だって一言、オレに『華美な誕生祝いはやめて欲しい』って言えばこんな1ヶ月も悩まなかったんじゃないの?」
紗莉菜はミツヒコから体を離した。
「特にアレね! ドア! 基本ガラスのドアは全部『自動ドア』だと思ってるでしょ? よく自動で開くと思い込んでそのままガラスに激突してるけどあれどーかと思うよ」
完全に涙が渇いた。
ミツヒコはどうしようもなく笑ってしまっている。
「トイレね? ちゃんと流してる!? 自宅も自動水洗。会社も自動水洗。デパートも自動水洗となるとうっかりそのまま何もせず出てない? 絶対確認したほうがいいよ。まだまだ自動水洗じゃないとこいっぱいあるよ。次の人が『ギャーッ』てなるから確認しなよ!」
『もうダメだ』とでも言いたげにひっくり返って爆笑し始めた。手を叩いて足をバタつかせている。
ななななな。何アンタ。何その『超プライベート』なことまで気づいてやがるんだ。『地獄のように気がつく男』怖い。怖すぎる!
「ほんっとーーーにガラスのドアは確認しなよ! その身長でバーーーン!!! と激突する姿さぁ!」
涙を流して笑っているではないか。
「面白すぎるからさあ!!!!!」
ミツヒコは中原紗莉菜に思いっきりひっぱたかれた。
(終)
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☆☆コメディ【その他】日間11位☆☆
【次回作】は『大日本帝国産業本社52期同期21名、パニックになる』
中原さんと花沢くんがお付き合いして丸2年の話。
中原紗莉菜は会社に勤めて4年目。178センチの高身長。勇猛果敢、猪突猛進。前しか見ない左右は見ない当然後ろは見ないそんな女。
彼氏の花沢光彦は165センチ。会社で『地獄のように気が利く男』とあだ名される異様に気が回る男。
13センチも彼女の方が高いけど1年間の片思いを経てのお付き合いは順調です!
でもそろそろ中原さんはオープンに付き合いたい。花沢くんは秘密にしていたい。
2人の関係に徐々に暗雲が立ち込めてしまって……。
最後には同期全員が大パニック!
どうなる!? 大日本帝国産業!!!
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