第1話
夢を見てるとも目覚めているともつかないまどろみの時間。
ここはどこだ。
聞こえてくるのは川のせせらぎとピアノ曲が混ざったヒーリングミュージック。
交錯するスポットライトの光。人いきれ。足音。人々の会話。雑音のカオス。
派手な音響が耳をつんざく。「あなたのオーラは何色ですか?」。
床上5メートル地点からの俯瞰は奇妙な光景だ。
真下にスーツ姿の壮年の男が肘付回転椅子に座っている。男は耳に漆黒の異様なヘッドホンをつけている。
この男は、多分……自分自身ではないか……。
「いかかでしたか」
目を開けると視界がぼんやりしている。
「ご気分は大丈夫ですか」
黒縁の眼鏡をかけたスーツ姿の男。名札に「営業部 田中」。
「まだ頭がぼんやりしてるよ」
私が言う。
「5分くらいたちますと元に戻りますのでご心配なく」
田中が言う。
私はゆっくり立ち上がる。『電脳加油』を頭からはずす。
ジアヨウ有限公司の日本法人ブースは大人気だった。
チャイナドレスに身を包んだイベントコンパニオンの若い女性が通行客にフライヤーを配る。
2コマのブースだったが、向かい側の4コマのオーラ測定器より、集客力がある。
同社新製品、『電脳加油』が無料体験できるとあって、行列ができている。
『電脳加油』はヘッドホンの形状をしており、ブースに2台の肘付回転椅子が並び、二人ずつ腰かけて『電脳加油』を装着する。すると係員が『電脳加油』を起動させる。
東京ビッグサイトの東展示棟は「スピリチャルIT産業2026」を開催していた。
スピリチャル系カルチャーとIT技術を組み合わせた産業の展示会とのことで、占星術AI、オルゴンエネルギー発電機、波動診断装置、ダウジング機器やオーラ測定器など、あやしげな疑似科学の製品が一堂に会していた。
VIP招待券を入手した私は無料で会場に入れたのだが、ジアヨウ社のブースは人気で、『電脳加油』を無料体験するまで行列に並んで10分近く待たされた。
『電脳加油』はヘミシンク効果を利用した音響機器だった。
スマホから専用アプリをダウンロードすれば、ヘミシンク効果がある数十種類のヒーリングミュージックから好きな曲を選んで聴くことができる。
ヘミシンクは米国の超心理学者ロバート・モンローが70年代に開発した技術で、左右の耳に異なる周波数の音を聴かせることで脳を同調させ、ストレス軽減や深いリラックス効果をもたらす。
これにより、不眠症の治療効果があるとフライヤーに書いてあった。
だが『電脳加油』の真の効能はそれだけではない。
もともとモンローは幽体離脱をもたらす技術としてヘミシンクを開発した。ただし学術的にこうした効果が広く認めらてれいるわけではない。
一部のマニアックな信者がヘミシンクのヒーリングミュージックで幽体離脱が可能になると信じているだけだ。
しかしながら先ほど私が『電脳加油』を無料体験した結果、自分を真上から眺める自分がいた。これは私が幽体離脱した証左だろうか。
「本日、無料体験をされたお客様限定で」
ブースから帰ろうとした私に田中が引き留めるように言う。
「特別に20%オフで『電脳加油』販売させていただいております」
「いくらするんだい」
私が言う。
「はい。定価で税別5万4千円のところ、4万3千200円になります」
「幽体離脱だけでこんなもの買ってもしょうがないだろう」
「いや、幽体離脱以外にも『電脳加油』には様々な効能があります」
田中はパンフレットを開いて長々と説明をはじめる。
専用アプリから聴きたい曲を選曲できるが、それぞれの曲の効能がジアヨウ社のサイトから調べられるとのこと。
無料体験で聞いたのは幽体離脱用の曲。この他、予知夢を見る曲、前世を知る曲、健康を増進する曲など多数あるとのこと。
「あまりおすすめしませんが解離性同一性障害、すなわち多重人格を誘発する曲もございます」
「多重人格?そんなものどうして必要なのかな」
「はい、サイトに詳しく説明してございますが、多重人格の便利な使い方もございます。ただしご使用の際は注意事項をよくお読みになってください」
「ところでおたくは中国の会社でしょう」
「はい。弊社のヘッドクォーターは中国の深圳にございます」
「中国かあ。品質は大丈夫なのかなあ」
「今や中国はロボット開発技術をはじめ、AI、半導体、エレクトロニクスなどIT関連は米国を抜いて世界最高水準にございます」
中国が米国を抜いたかどうかはわからないが、少なくとも今の中国がこの分野で日本を追い抜いたのは間違いなさそうだ。
私はカードで支払い、田中からジアヨウ社のロゴが入ったダンボール箱を受け取る。
田中の説明では、ダンボール箱には付属品含めた『電脳加油』一式の他、取扱説明書と保証書が入っているとのことだった。
(つづく)




