公開断罪
昼下がりの王立学院は、いつも通り穏やかだった。
芝生の上では令嬢たちが紅茶を飲み、騎士科の学生たちは模擬剣の稽古をしている。
遠くでは魔導科の実験が軽く爆発し、教師が頭を抱えていた。
つまり、平和である。
――その声が響くまでは。
「王立学院の生徒諸君、聞いてくれ!」
突然、中庭に響いたのは、よく通る男の声だった。
生徒たちが一斉に振り向く。
そこに立っていたのは、赤い騎士外套を翻す青年。
カイン・レオンハルト。
レオンハルト公爵家の嫡男。
騎士科の模範生。
誠実で熱血、弱き者を守る正義の騎士として知られている人物。
ただし――
思い込みが激しい。
とても…いやかなり。
「私は今から、この学院に潜む不正を明らかにする!」
中庭がざわめく。
「また始まった……」
「正義イベントだ」
「今日のターゲット誰?」
そのカインの背後には、小さく肩を震わせる少女が立っていた。
リリアーナ。
「カイン様……もうよろしいのです……」
か細い声。
今にも泣きそうな瞳――完璧な弱者の姿だった。
「よくない!」
カインは断言した。
「弱き者を守るのが騎士だ!」
令嬢たちがざわめく。
「素敵……」
「さすがレオンハルト様……」
そしてカインはゆっくりと視線を向けた。
その先にいるのは――本を読んでいる私だった。
エミリア・ヴァレンシュタイン。
私はページをめくる手を止め、静かに顔を上げた。
周囲の空気が、わずかに張りつめる。
「エミリア・ヴァレンシュタイン公爵令嬢」
カインの声は真剣そのものだった。
「君に問いたい」
私は本を閉じる。
「はい」
声は穏やかに。
公爵家の令嬢として、礼儀は崩さない。
カインは言った。
「君は図書館で、リリアーナ嬢の本を奪ったのか?」
中庭が静まり返る。
私は少しだけ考えた。
そして答えた。
「いいえ」
あまりにもあっさりした返答だった。
カインの眉が寄る。
「だが彼女は泣いていた!」
私は穏やかに頷いた。
「ええ、泣いていましたね」
「ならば!」
カインの声が強くなる。
「君が何かしたのではないのか!」
私は静かに言った。
「いいえ」
その声は落ち着いていた。
感情も怒りもない。
ただ事実を述べるような声。
「レオンハルト様」
「何だ」
「確認してもよろしいでしょうか」
私はポケットから紙を取り出した。
ひらり、と風に揺れる。
図書館の貸出票。
「この本の貸出記録です」
そこにははっきりと書かれている。
貸出者:エミリア・ヴァレンシュタイン
三日前の日付。
ざわめきが広がる。
「え?」
「本人の本じゃない?」
カインの表情が止まる。
「……それがどうした」
どうもこの人は『こう!』と思うと突っ走って視野が狭くなるようだ。
私は落ち着いた声で続けた。
「図書館の棚の前で、リリアーナ様が困っていらしたので」
少しだけ微笑む。
「“その本はこちらです”と教えて差し上げただけです」
沈黙。
カインの思考が止まる。
「そもそも」
私は本を軽く持ち上げた。
「これは上級闇魔導史です」
周囲の生徒たちも気づき始める。
「光魔法を使われるのリリアーナ様には、かなり難しい内容だと思います」
完全な静寂。
カインの拳が握られる。
「……だが」
彼は言った。
「彼女は泣いていた」
私は首をわずかに傾けた。
「はい」
「……」
「ですが」
私は静かに言った。
「泣いている方が、必ず正しいとは限りません」
その瞬間――中庭の空気が変わった。
そのときだった。
「……なるほど」
人混みの奥から声がした。
生徒たちが振り向く。
歩いてきたのは、銀縁眼鏡の青年。
ノア・アルケイン。
彼は手帳を閉じた。
「公開断罪とは、ずいぶん大胆ですね」
カインが眉をひそめる。
「ノア・アルケイン」
ノアは軽く頭を下げる。
「途中から聞いていました」
そして指を一本立てた。
「証拠」
二本。
「貸出記録あり」
三本。
「目撃者ゼロ」
そして静かに言った。
「それで公開断罪ですか」
中庭が凍りつく。
ノアは微笑む。
「レオンハルト卿」
眼鏡を押し上げる。
「あなた、騎士としては優秀ですが」
少し間を置いてから言った。
「推理は壊滅的ですね」
誰かが吹き出した。
「ぶっ」
カインの顔が赤くなる。
ノアは続けた。
「あなたは“泣いた人”を守ろうとしている」
そして静かに言った。
「しかし」
「泣いた人が、真実を語っているとは限りません」
中庭の空気が変わった。
カインは初めて言葉を失う。
そして私は思った。
――この件は、これで終わりではない。
なぜなら。
この学院には。
まだ一人――もっと大きな舞台を用意する人物がいるからだ。
その頃――学院の別棟の窓辺で。
リリアーナ。
彼女は静かに手紙を折っていた。
宛名はアルベルト殿下へ。
リリアーナは微笑む。
「エミリア様」
甘い声で囁いた。
「次は、もっと大きな舞台で泣きましょう」
その瞳は。
泣き虫の少女のものではなかった。
彼女はもっと大きな物語を動かそうとしていた。
――そして、その兆しはすぐに現れた。
翌朝。
王立学院の掲示板の前には、いつも以上の人だかりができていた。
「おい見ろよ」
「え、まじ?」
「これ……」
生徒たちのざわめきが、波のように広がる。
私は人混みの後ろからそれを眺めていた。
少し背伸びをして、掲示板を見る。
そこに貼られていたのは、一枚の告知だった。
『本日午後、王太子殿下による特別聴取を行う』
場所:学院大講堂
対象:エミリア・ヴァレンシュタイン
「……あら」
私は小さく呟いた。
どうやら――思ったより大きな舞台になったらしい。
周囲の生徒たちがざわつく。
「え、エミリア様?」
「王太子殿下が?」
「昨日の件がそんな大事に?」
私は静かに息を吐いた。
レオンハルト様の後は皇太子殿下を出したか…リリアーナ様は必死だねー。
私は心の中で呟いた。
そのとき――後ろから落ち着いた声がした。
「予想より二手ほど早いですね」
振り向く。
そこに立っていたのは、眼鏡の青年。
ノア・アルケイン。
学院でも有名な頭脳派。
そして私にとっては、少しだけ厄介な――先輩だ。
「おはようございます、ノア先輩」
「おはようございます」
彼は掲示板を見る。
そして少し笑った。
「王太子を動かすとは」
「ええ」
私は肩をすくめた。
「リリアーナ様、頑張っていますね」
その名前を出した瞬間。
ノアの目がわずかに細くなる。
リリアーナ。
「彼女は賢い」
ノアは静かに言った。
「だからこそ厄介です」
私は掲示板から目を離す。
「困りましたね」
「何がです?」
「王太子殿下の前で断罪されるのは、さすがに初めてなので」
ノアは一瞬だけ黙った。
そして言った。
「逃げますか?」
私は思わず笑った。
「公爵令嬢が?」
「ええ」
「それはさすがに格好悪いですね」
ノアは少しだけ安心したような顔をした。
「そう言うと思いました」
私は彼を見る。
「ノア先輩」
「はい」
「もし」
私は少しだけ声を落とす。
「今日、本当に断罪されたらどうしましょう」
冗談のつもりで言った。
でも――ノアは真顔で答えた。
「そのときは」
眼鏡を押し上げる。
「私が止めます」
あまりにも即答だった。
私は少し驚く。
「王太子殿下をですか?」
「必要なら」
「大胆ですね」
「ええ」
ノアは平然と言う。
「後輩が冤罪で処刑されるのを見過ごすほど、冷たい人間ではありません」
私は思わず笑った。
「処刑はされませんよ」
「そうですね」
ノアも少し笑う。
それからふと、真面目な声で言った。
「エミリア嬢」
「はい」
「あなた、昨日も今日も」
少し考えてから続ける。
「ずいぶん落ち着いていますね」
私は答える。
「慌てても、状況は良くなりません」
仕方ない……と私は肩を竦めた。
「確かに」
「それに」
私は少しだけ微笑んだ。
「ノア先輩がいますから」
ノアは一瞬、言葉を失った。
それから小さく息を吐く。
「……それは困りますね」
「なぜです?」
「あなたがそう言うと」
彼は言った。
「先輩として、絶対に負けられない気がする」
私はくすっと笑った。
「頼りにしています」
ノアは掲示板をもう一度見る。
そして静かに言った。
「では」
「はい」
「午後の講堂で」
眼鏡の奥の瞳が、わずかに鋭くなる。
「物語をひっくり返しましょう」
その頃――学院の別棟の窓辺。
リリアーナはまたしても手紙を折っていた。
宛先はもちろん――アルベルト
彼女は甘い声で呟く。
「エミリア様」
そして微笑んだ。
「今度こそ」
その瞳は冷たい。
「逃げられませんよ」
学院の鐘が鳴る。
午後――王太子による公開聴取が始まろうとしていた。




