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そして元の世界に

――目が覚めたとき。

 最初に思ったのは。


――うるさい。


 だった。

 鳥の声、車の音、ご近所さんの井戸は会議の話し声。

 これは全部、私の現実世界の音。

 あの世界みたいに“意味のある静けさ”じゃない。

 ただの、生活音。

 私はゆっくり瞬きをした。

 白い天井。

 見慣れているはずの部屋。

 スマートフォン、カーテン、テーブル

 ――全部、元の世界。


 

「……戻ってきたんだ」


 

 ぽつりと呟く。

 夢じゃない。

 分かってる。

 だって。

 あんなに面倒で、あんなに騒がしくて、あんなに――


 

……まあ、悪くなかった。


 

 思い出す。

 理屈で喋る男。

 報告してくる男。

 効率がどうとか言いながら、

 一番非効率なことをする男。


……ノア先輩


 

 名前を思い出した瞬間。

 胸の奥が、少しだけざわついた。

 

 ――やめる。


 考えると面倒。

 私は布団から起き上がった。


 

「会社、行かないと」


 

 現実は待ってくれない。

 世界を救ったあとでも、普通に遅刻は遅刻だ。

 理不尽。

 でもまあ、そんなもんだ。

 スーツに着替えて、髪を整えて、いつも通り家を出る。

 空気は少し冷たい。

 季節は秋。

 なんかタイミングいいな、と思う。

 物語が終わったあとに、ちょうどいい季節。


 ほんと、終わりまで出来すぎ。


 そんなことを考えながら歩いていると。

 ――ぶつかった。


 

「すみません」


 

 反射的に言う。

 相手も同時に口を開く。


 

「失礼しました」


 

 低い声。

 落ち着いた声。

 聞き慣れた――

 いや、違う……はず。

 私は顔を上げる。

 そして。

 固まった。


……は?


 そこにいたのは。

 ――ノア先輩だった。

 いや、違う。

 違うはず……。

 服が違う。

 髪型も少し違う。

 雰囲気も、ほんの少しだけ柔らかい。

 でも――顔は、同じ。

 完全一致。


いや待って


ちょっと待って


そんなことある?


 思考が止まる。

 完全に。

 男は、少しだけ首を傾げた。


 

「……大丈夫ですか」


 

「……え」


 

「顔色が優れません」


 

 その言い方。

 その間。

 その“無駄のない確認”。

 ――同じだ。

 

いやいやいやいや……。


 私は一歩下がる。

 距離を取る。

 とりあえず距離。


 距離――大事!


 

「……あの」


 

「はい」


 

「初対面、ですよね」


 

 確認。

 重要。

 ここ大事!

 男は少し考えてから、答えた。


 

「はい。記憶上は」


 

“記憶上は”って何!?


 変なワード出てきた。

 ちょっと待って。

 怖い。


 

「……そう、ですよね」


 

 私はこめかみを押さえる。


 落ち着けー!


 似てるだけ。

 ただのそっくりさん。

 よくある。

 ……たぶん。


 

「では、失礼します」


 

 男はそう言って、通り過ぎようとする。

 その瞬間。


 

「――待ってください」


 

 口が勝手に動いた。


 何やってんの私!


 男が止まる。

 振り向く。


 

「何でしょう」


 

 私は一瞬迷って。

 でも――聞かずにはいられなかった。


 

「……あなた」


 

 一瞬声が喉に詰まった。


 

「効率、とか気にするタイプですか」


 

 何聞いてんの。

 ほんとに。

 

 でも……


 男は――ほんの少しだけ考えて。


 

「はい」


 

 と答えた。


 

「行動の最適化は、常に意識しています」


 

 ――確定。


 アウト!


これ完全にアウトでしょ!?


似てるとかじゃないでしょもう!


 私は頭を抱えた。

 現実、どうなってるの。

 チートか何か?

 男は続ける。


 

「ですが」


 

「最近、例外が発生しています」


 

 嫌な予感しかしない。

 ほんとに。


 

「……どんな」


 

「特定の対象と接触した際」


 

「思考効率が低下します」

 

 ――はい来た。


 完全に来た。


 聞いたことあるやつ。


 知ってるやつ。


 やめてほしいやつ。


 

「原因は未解明ですが」


 

 男は私を見る。

 真っ直ぐに――。


 

「あなたを見た瞬間、同様の傾向が確認されました」


 

 沈黙。

 完全沈黙。

 いや待って。

 待って。

 展開が早い。

 心の準備ゼロ。


いや無理無理無理

 

 私は顔を逸らした。

 無理。

 これは無理。

 でも――胸の奥が。

 少しだけ、熱い。

 

……最悪


 嬉しいとか思った今の自分、

 本気でどうかしてる。


 

「……あの」


 

 私は言う。

 できるだけ冷静に。


 

「それ、よくあるんですか」


 

「いえ」


 

 即答。


 

「初めてです」


 

 あっさり。

 迷いなし。

 ――ずるい。


ほんと、こういうとこだよね

 私は小さく息を吐いた。

 そして、ちらっと男を見る。

 やっぱり、違う。

 あのノアより、少しだけ人間っぽい。

 少しだけ、柔らかい。

 でも――核心は、同じ。


……別人


 でも


同じじゃないのに


なんでこんなに――


 私は目を細めた。

 そして、言う。


 

「……時間、ありますか」


 

 男が少しだけ目を見開く。

 あの人だったら、珍しい反応。

 でもすぐに戻る。


 

「はい」


 

「では」


 

 私は肩をすくめた。


 

「検証、しましょうか」


 

 お決まりの間。


 

「あなたのその“例外”が、何なのか」


 

 男は頷く。


 

「合理的です」


 

 ――いや全然合理的じゃない。


 

でもまあ、いいか。


 私は男性に手を差し出した。



「私は、門倉美咲です。あなたは?」



 私の差し出した手を見て。

 男性の目が瞬く。


 まぁ、そりゃそうだろ。


 いきなり握手を求めての自己紹介なんて……


 私が手を引っ込めようとした瞬間――手のひらにじわりと温度が広がった。

 今度は私が瞬く番。

 男性が、手を握り返して来たのだ。


「青木要です」


 男性が答えた。

 それが、私たちの序章。

 私は歩き出す。

 男も隣に並ぶ。

 少しだけ距離が近い。

 

 でも。


 嫌じゃない。


……ほんと、面倒。


 別人だ。


 分かってる。


 あの人じゃない。


 でも――それでも。

 もう一度、始まる気がした。

 理屈じゃない何かが。

 この現実で――ゆっくりと。

 確実に。

 動き出していた。

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