悪役令嬢の勝利
ノア先輩の冗談とも取れない発言が落ちた瞬間だった。
――どさり。
鈍い音が、石畳に響いた。
広場中の視線が、一斉にそこへ集まる。
リリアーナだった。
王太子アルベルト殿下の隣で、膝から崩れ落ちている。
白いドレスの裾が広がり、石畳に涙がぽたぽたと落ちていた。
「……ちが……」
震える声。
「違うんです……私は……」
その声は、今まで何度も聞いたものだった。
守りたくなる声。
可哀想に思える声。
誰かが怒り、誰かが庇う声。
――でも。
もう遅い。
だって今、空には。
真実が映っている。
温室の中で、悪どく笑うリリアーナ。
『あなたって、本当に便利ね』
その言葉が、もう一度広場に響いた。
ざわ……と、人々の空気が変わる。
同情ではない。
戸惑いでもない。
それは――侮蔑だった。
「……あれが」
「聖女……?」
「嘘だろ……」
さっきまで彼女を守ろうとしていた騎士たちが、目を逸らす。
貴族たちは口元を隠し、ひそひそと囁く。
そして――王太子アルベルト殿下は。
ゆっくりと、リリアーナを見下ろしていた。
その視線は――さっきまでとは、まるで違う。
慈しみでも、庇護でもない。
冷たい軽蔑。
「……殿下……」
リリアーナが震える手で袖を掴もうとする。
だが、アルベルト殿下は、静かにその手を避けた。
触れないように。
汚れを払うみたいに。
「触れるな」
低い声だった。広場が凍る。
「……殿下?」
リリアーナの声が、ひび割れる。
アルベルト殿下は空を見上げた。
そこには、まだ映像が流れている。
笑うリリアーナ。
私を指差して言う。
『大抵、あなたにね』
殿下の拳が、ぎりっと音を立てた。
「……私は」
低い声。
「これを」
視線が、ゆっくり私に向く。
「信じなかった」
私は肩をすくめた。
「そうですね」
「君は」
殿下の声が少し震える。
「ずっと、違うと言っていた」
「言いましたね」
「私は聞かなかった」
「聞きませんでしたね」
ルイスが横で吹き出した。
「エミリア、容赦ないね」
「事実ですので」
私は笑みを絶やさなかった。
その時だった。
「……エミリア」
また別の声。
カイル団長だ。
彼はさっきよりも、ずっと重い顔をしていた。
「俺は」
言葉を飲み込む。
「……貴族の義務だと思っていた」
「何がです?」
「聖女を守ることだ」
私は少し考えた。
「結果として?」
団長は、ゆっくり目を閉じた。
「……間違えた」
沈黙。
広場の空気が、少しだけ変わる。
誰かが呟いた。
「……じゃあ」
「本当に……」
「エミリア様は……」
その時。
ノア先輩が、さらさらとメモを書きながら言った。
「観察結果」
広場が静まり返る。
「世論の転換、確認」
メモを書く。
「興味深い」
私は横目で見た。
「先輩」
「はい」
「今、歴史的瞬間です」
「存じております」
「研究対象扱いやめてください」
「難しいですね」
真顔だった。彼の表情に私は少し吹き出して笑った。
その時。
ルイスがぽつりと言った。
「……エミリア」
「はい?」
「今、学院の空気」
周りを見回す。
「完全に君の味方だよ」
私は、ゆっくり広場を見渡した。さっきまで私を睨んでいた人たちが、今は。
誰も。
私を責めていない。
代わりに、石畳に崩れ落ちた少女を見ている。
侮蔑と、嘲笑と、戸惑いで。
リリアーナは泣いていた。
本当に。
本当に泣いていた。
でも、その涙はもう――世界を動かさない。
その時、ノア先輩が、静かに言った。
「エミリア嬢」
「はい」
「実験結果が出ました」
私は嫌な予感がした。
「何のです?」
ノア先輩は、真顔で言った。
「共感支配」
水晶を軽く振る。
「真実には勝てないようです」
そして、少しだけ微笑んだ。
「非常に興味深いですね」
広場が、三度目の爆発を起こした。
広場のざわめきは、なかなか収まらなかった。
聖女リリアーナは石畳の上で泣いている。
王太子アルベルト殿下は、もう彼女を見ていない。
騎士団長カイルは、剣から手を離したまま動かない。
そして……。
私は断罪台の上で、静かにそれを眺めていた。
……うん。
予定通り。
ただ一つだけ。
予定と違うことがある。
私は隣を見た。
ノア先輩。
さらさら。
まだメモを書いている。
……。
「先輩」
「はい」
「研究ノート、あとでいいと思います」
「そうでしょうか」
「王国の歴史が動いてます」
「はい」
さらさら。
「非常に良いデータです」
この人、ほんとに鋼の精神してるな。
その時だった。
「……エミリア」
低い声。
ルイスだった。
幼なじみのルイスは、いつもの軽い笑みを消していた。
「一つ聞く」
「どうぞ」
「君」
視線が空の映像に向く。
温室の中で笑うリリアーナ。
『皆すぐ信じるんだもの』
「……これだけじゃないだろ。さっきノア先輩が後8件あると言ってた」
私は少しだけ目を細めた。
さすが幼なじみ。
勘がいい。
「そういえば……こんなやり取りがまだ8件あるのか……」
今度はカイル団長。
鋭い視線がこちらに向く。
そして王太子アルベルトも言った。
「……8件……まだ何かあるのか」
私は小さくため息をついた。
しょうがないなぁ。
ここまで来たら。
「あります」
広場が、ざわっと揺れた。
ルイスが呟く。
「やっぱり」
私は隣を見る。
「先輩」
「はい」
「説明お願いします」
ノア先輩は、ゆっくり眼鏡を押し上げた。
その動作だけで、なぜか広場が静まる。
この人、無駄に威厳あるんだよな。
「では」
穏やかな声。
「結論から申し上げます」
広場が、完全に静まり返る。
ノア先輩は、空の映像を指差した。
「聖女リリアーナの能力」
一拍。
「共感支配」
そして。
「――これは、彼女の能力ではありません」
沈黙。
広場の空気が、完全に止まった。
「……は?」
最初に声を出したのはアルベルト殿下だった。
「どういうことだ」
ノア先輩は、淡々と言う。
「正確には」
「世界の補正機構です」
ざわっ。
貴族たちが騒ぎ出す。
「世界……?」
「補正……?」
ノア先輩は説明を続ける。
「この世界には」
さらりと言う。
「物語を維持する力が存在します」
私は横で頷いた。
そう。
これが――最大のバグ。
ノア先輩は言う。
「聖女リリアーナは」
少し視線を落とす。
「その中心点に選ばれた存在です」
「中心点?」
ルイスが眉をひそめる。
ノア先輩は頷いた。
「彼女が悲しめば」
「世界は、原因を作る」
「彼女が恐れれば」
「世界は、敵を作る」
一拍――そして……。
「その役割を押し付けられていたのが」
ノア先輩の視線が、私に向く。
「エミリア・ヴァレンシュタイン嬢です」
広場が揺れた。
「……つまり」
ルイスが呟く。
「エミリアは」
少し苦笑する。
「世界に悪役にされていた?」
「正確です」
ノア先輩は頷いた。
その時だった。
石畳の上で。
「ちが……」
リリアーナが顔を上げる。
涙だらけの顔。
「私は……そんな……」
ノア先輩は彼女を見た。
冷静な視線で。
「ええ」
「あなたに悪意はありません」
広場がざわめく。
「ただし」
ノア先輩は続けた。
「あなたが泣くたび――誰かが悪役になりました」
静かな声。
「大抵は」
視線が私に来る。
「彼女です」
沈黙――そして、ルイスが小さく言った。
「……エミリア」
「はい」
「君」
「はい」
「よくキレなかったね」
私は少し考えた。
ホントのことを言うと何回キレそうになったことか……
しかし私はここでも笑みを作り
「一回だけキレました」
と答えた。
「いつ」
「今です」
ルイスが吹き出した。
その時、ノア先輩が、突然こちらに歩いてきた。
そして――私の隣に立った。
断罪台の上に。
ざわめきが広がる。
「ノア……?」
アルベルト殿下が言う。
「お前は宮廷魔法使いだろう」
ノア先輩は頷いた。
「はい」
「ならば何故」
殿下の声が低くなる。
「被告人の隣に立つ」
あれだけ証拠を見せられて、リリアーナを突き放してもまだ私を被告人にしたいのか?この馬鹿王子は……。
わたしは軽いめまいを覚えた。
広場が静まり返る。
ノア先輩は少し考えた。
本当に、少し。
――そして、言った。
「訂正します」
眼鏡を押し上げる。
「被告ではありません」
一拍。
「被害者です」
広場が爆発した。
ノア先輩は続ける。
「私は研究者です」
「事実を観測します」
そして、私の隣に立ったまま、言った。
「今回の事件」
「最初に被害を受けたのは」
静かな声。
「エミリア嬢です」
そして、少しだけ微笑んだ。
「ですので」
一言。
「彼女の隣に立つのは、当然でしょう。」
その瞬間。
広場の空気が、完全に変わった。
私は小さく息を吐いた。
……ああ。
やっと。
味方が一人、増えた。




