第32話『風の眷属(けんぞく)』
アレクシスがパン、と手を叩く。そして嬉しそうな笑顔を私に向けた。
「聞いてくれて嬉しいよ。ありがとう。今回のお願いには『風の精霊』様と……さらに『精霊王』様までいたからね。断られたらどうしようかと思ったよ」
やはり断るとロクなことにはならないらしい。人間だけじゃなく精霊の相手なぞやってられない。
にっこにこなアレクシスとは逆にヴィクトルは眉にしわを寄せてクインのほうを見る。
「そんなにやべーのか?精霊って」
「えぇ。私ごときでは手も足も出せ……いえ、動かすことすらできませんでした。特に『精霊王』様はお姿を見ることすら叶いませんでしたが、それでもです」
「……へぇ。お前にそこまで言わせるとは」
「私だけではありません。リオナルドもセリナ嬢も動けずにいました。畏怖、畏敬……様々な思いを心に残すだけでした」
「やっぱ神様だな!精霊ってすげーな!」
淡々と、しかししっかりと状況を話すクインの言葉に納得し笑うヴィクトル。
そんな感想になるんだ。それでいいんだ。
そう思うも、誰もなにも言わないのでもうそれでいいのだろうと私も納得した。
「さてさて。それじゃあ次の話に入るよ。まずは『風の精霊』様が言っていた風の眷属についてだね」
アレクシスが話が終わったところでスッと入ってくる。
そしてクインを目でさす。が、クインは少したじろいでいる。
「クイちゃん。諦めなさい」
「………………はい」
にこにこと笑うアレクシスとは対照的に少しうなだれるクイン。
なんの話だろうと思っていると、クインは懐から見覚えのある小さな箱を取り出した。
熾天晶匣。その箱に入るものを回復、保護する魔道具。クインはそれを両手で大切そうに持つと、そっと言葉を投げかけた。
「いいよ。出ておいで」
一瞬のまばゆい光とともに壊れる熾天晶匣。そしてそこから現れたのは両腕で収まるサイズの小さな物体。
紫の美しく柔らかそうな毛、三本のしっぽは細長く、その先には手のひらサイズのもこもこした毛がついている。小さな翼にぺたんと折りたたまれた耳。
全体的なフォルム、四本の足、大きな緑の瞳の中の黒い瞳孔が、猫を思い出させる。
そしてそれは、私たちを一望すると「ニゥ」と鳴き声を上げる。
その姿には見覚えがあった――
「エンシェントスケールキャット……?」
思わずつぶやく。
『古鱗猫龍』と書いてエンシェントスケールキャットと呼ばれる種族。
森の奥に住むことを好み、その力の強大さ故に人間と関わりを持たない優しい種族。
自然を好む彼らは、今日もどこかでひっそりと暮らしているだろう――
読んだ本に書かれていた言葉が頭の中によぎる。しかし、風にかかわる言葉はなにも出てこない。
エンシェントスケールキャットが『東国』……というより、あの『緑の神殿』の近くにいた理由は、風を好む……風の眷属だったから?
そう言われたらなるほどと納得できるが……またしても知らない話だ。自分の知る世界は小さかったと改めて認識する。
「そのちっこいのが風の眷属?そうなのか?」
「そうですよ」
ヴィクトルの疑問の声に、クインは少し上ずった声で返す。
おや……?
「こんなに可愛いのに眷属なんですよ。強いんですよ。すごいですよね。可愛いですよね。素晴らしいですよね。可愛いですね。強いですね。強くて可愛いって最高ですよね。あぁ、エンちゃん素敵」
早口でまくし立て、抱きしめながら頬ずりするクインの姿が、先程までの厳格で口数が少なそうな彼女とはまるで違っていて驚いた。顔には出さなかったのを褒めてもらいたいくらいだ。
それに『エンちゃん』とは……もしかしなくても、その、エンシェントスケールキャットのこと、だよな?
「あぁ、可愛い。なんて可愛いの。強くて可愛い。もうずっとそばに置いておきたい。一緒に戦いたい。そして勝利のポーズを取ってそれを写真に収めたい。は、ハイタッチとか、背中を向けて腕を上げるとか、倒した魔物のそばに座ってピースしたりとか……あぁ、可愛い」
クインの言葉が止まらない。他の者たちもそうだが、アレクシスでも止められないのをわかっているようで、にこにことしながらその様子を見ているだけだ。
この妄想が終わるまで待たなければいけないと言っているのか?ここの空気は?
にこりと『聖女』のような微笑みをしているが、それが崩れるのも時間の問題かもしれない……そう思った時、しわがれたような声が場を制した。
『クカカカッ!どうやら成功したようじゃな』
ビュッ!と一陣の風が部屋を支配する。そしてその風はエンシェントスケールキャットを取り巻き、クインの手を離れ空中へと浮き上がった。
「お待ちしておりました。『風の精霊』様」
『久しぶりの違う世界もまた良いもんじゃのう』
エンシェントスケールキャットの口から聞こえる声。それは紛れもなく『風の精霊』の声だ。あの時の強い圧は感じないが、警鐘が鳴る。油断するな、と。
そして風の眷属が必要だと言った意味が分かった。こうやってエンシェントスケールキャットを器として私の行動を観察するためか。
そんなことができるのか精霊は……!
そうやって警戒する私とは違い、以前『風の精霊』に出会った時とは全く違う脱力するような声で、アレクシスはエンシェントスケールキャットを見て話を続けた。
「私たちをお導きください『風の精霊』様。なにをしたらそのお力を貸していただけるに値する者になれるでしょうか?」
『うむ。ワシから提案してやろう』
エンシェントスケールキャットがビシッ、と器用に指を一つだけ出す。もう片方の手は腰だ。
『他の国へ向かい、他の精霊を篭絡してみせよ。そうすればワシも力を貸してやらんでもない』
他の国の精霊……?
もしかして、先程言っていた四つの国にいて魔法陣と自国を守っているという精霊のことか?
『まずは北へ行け。あやつを口説き落としてみよ。それをワシはこいつを通して観察させてもらうとしようぞ』
「わかりました。北にいる『氷の精霊』様ですね」
『クカカカッ。あやつの『名前』を呼ぶことができるのか、楽しみじゃのうっ』
名前……?名前があるのか精霊に?
それを知ること、呼べるようになることが認められたということ?
もしくは……それが精霊との契約の証……?
混乱する私の前でエンシェントスケールキャットの三本あるしっぽが器用に振られる。
部屋をひと飛びしながら『クカカカッ!』と心底楽しそうな声をその場に残して、風はたちまち収まっていく。
もう……今は気配もなにも感じられない。どうやら勝手に来て勝手に去っていったようだ。迷惑な。
アレクシスは何事もなかったかのように、風で乱れた長い白髪の髪を丁寧に直し、私のほうに向き直った。
「決まったね。セリナちゃんには『北国』にいってもらうよ。よろしくね」
巻き込まれたせいなのか……
またしても、私の意志とは関係なく私の行動は決まってしまったのだった。




