第25話『短剣』
「離せ! はなせええええええええええええ!」
静寂を破ったのは、小汚い叫び声だった。
いや、正確に言えば私の耳に届いていなかった。その証拠に、声が叫びすぎで枯れてきている。
愛らしく可愛い小さな声が勝っていたのだ。
なのに、汚らわしい声が聞こえるということは……打ち勝てる声が、今は、もう、聞こえない……ということ……
「………………」
私は一言も発せなかった。
自分の体なのに動かない。目もどこかを見ているようでなにも見ていない。視界が霞んでいる。
この気持ちはなんなのだろう? この胸の中のものはなんなのだろう?
人間の死などいくらでも立ち会ってきた。いくらでも見てきた。そのたび罵倒され、汚い声も聞いてきた。
何度も味わってきていることじゃないか。なのに、なのにどうしていつものように冷静になれない?
頭が真っ白だ。
なぜ?
――ほら、いつものように『聖女』の祈りをしたらいい。無意識に行ってしまう祈りを。人間が一人死んだだけだ。そうして、あとのことはリオナルドに任せてやることは終えたと帰ればいい。
それだけのことだろう?
「ふざけるな! ふざけるなああああっ! お前! お前だお前! お前が悪い! この偽物め! リアナ様に逆らう『偽物の聖女』め! リアナ様が! ワシに! ワシにしてくれたことが全て台無しだ! おい聞いているのか! ワシを誰だと思っているんだ! 貴様! 早く離せと言っている! ワシに逆らうのはリアナ様に逆らうのと同じだぞ! 反逆罪だ! 貴様が死ねばいいのだ!」
あぁ……うるさい……
私の体が動く。床に転がっていた剣を持って。
その『うるさいもの』を消してしまいたい。
これだから……人間はいなくなってしまえばいいんだ……
『うるさいもの』から私の魔力の糸がなくなっている。私が解除したらしい。だが、恐怖なのか動けないまま汚い尻を床につけたまま後ずさっている。そんな速度、小さな子供でも追いつける。
「なにをする気だ! やめろ! この偽物め! リアナ様が黙っていないぞ! 聞いているのか! やめろ!」
『うるさいもの』に向けて持っている剣を向ける。剣の扱いはそれほどではないがじゅうぶんだろう。
「やめっ――」
私は『うるさいもの』に剣を突き刺し――
「……ダメだ……セリナ……っ!」
すぐ横から声が聞こえた。
それがリオナルドだとわかったのは、剣が『うるさいもの』からそれて床に刺さってしまい、その原因であるぶつかってきたもの――リオナルドに抱きしめられていると認識した時だった。
「セリナ……落ち着いてくれ……」
耳元で聞こえる小さいが力強い声。だが私の両手は剣から離れようとはしない。顔はうつむいたままでリオナルドを見ようともしない。言葉も出てこないようだ。
「あとは私がなんとかする……だから……セリナ……」
あと? あととは?
まえは? ねぇ、まえにはもどれないのですか? リオナルドさま。
「セリナ……私の声が聞こえていたら剣から手を離してくれ……」
剣を持つ両手に力がこもりだした。リオナルドの声は聞こえているのに、私の体は言うことを聞きたくないらしい。
いつもの言葉も思い出せない。なんだっけ? れいせい? せいじょ?
あぁ、なんだか吐きそうだ。体の奥底からなにかがこみ上げる。
部屋に充満している血の匂いのせいか、汚い空気のせいか、それとも……
「セリナ……!」
リオナルドの必死な声だけが澄んでいるように感じる。その声に寄りかかれば楽になれるはずなのに、剣が折れそうなくらい手に力がこもる。吐きそうななにかも止まらない。
頭に血がのぼるっ……!
「リアナぁぁぁああああああああああっ!」
嗚咽のような声が出た。どうしてその言葉なのか、なぜそう叫んだのか、わからないまま。
私がはぁはぁと肩で息をしている。まるで嘔吐したあとのような感覚。だが、まだまだ胸の中に残っていて気持ちが悪い。まだ出る。何度でも出そうだ。
だが、私の体とそれを抱きしめるリオナルドの体温がそれを許さなかった。
荒ぶる息が、少し、また少しと収まっていき、それに比例して剣を持つ力も弱まっていく。
そして手が柄を触っているだけの状態になったとき、リオナルドが優しくゆっくりと私の手を剣から離した。
「……ありがとう、セリナ」
その言葉にずっとうつむいたままだった重たい顔をなんとか上げると……
そこにはもうヴァレスの姿はなかった。やりとりの間に逃げ出したのだろう。
「大丈夫」
リオナルドがそう言って、なにやら小声で言葉を紡ぐ。
………………あぁ……そうだった……
そういえば外に騎士団が待機しているんだった。その者たちになにかを命令しているのかもしれないと、ボーッとした頭で考える。
そして……私は自分の体を支えていたリオナルドを押して、彼から離れた。
「セリナ……」
「もう……大丈夫です。ありがとうございます」
にこりと笑うが、いつもの笑みはできそうにない。まだまだ未熟だ。
ちらりと部屋を見回す。床には数人の倒れた男と……ノエルの遺体。
私はノエルのほうへとゆっくり向かった。そして、その近くに座り……少し考えた末にノエルの腰にある短剣に触れる。
リオナルドの体に緊張が走るのがわかったので、そちらへ向いてにこりと微笑む。
そして再び、ノエルの顔を見る。
胸に光るウサギのネックレス……それにしようかと思ったけど、リオナルドからの贈り物だから持っておきたいだろう。嫌いな私には触れられたくもないかもしれないな。
心の中でそう思い、くすりと笑う。
「短剣をもらっていくね。友達の証。それにもう……必要ないでしょう?」
ノエルにそう一方的に告げ、いつもの『聖女』の祈りをしたあと腰のものと、私に向けて放たれたもの、二本ともちゃんと時空の倉に入れる。
ノエルの足のベルトにもまだ二本短剣はあるが……全て取ってしまっても怒りそうだな。そう思いやめた。
「セリナ……」
私は再びノエルのそばに座り、ノエルの顔についた血を自分の服で拭う。そしてそのままひとりごとのように言葉を口にした。
「知っていますか? かつて存在していた『魔王』って実は人間なんですよ」
リオナルドが再び緊張したのがわかった。でもそんなことは関係ない。私は言葉を続ける。
「一人ぼっちだった『魔王』は『勇者』に滅ぼされました。そして『勇者』の血は受け継がれていく。仲間だった『聖女』とともに」
まるで物語を読んでいるようだな。自分でそう思いながら言葉は続ける。
「今の『中央国』の人間は『勇者』と『聖女』の子孫なんですよ。一番色濃く出ているのが王族なんです。そして、たまに現れる『聖女』は、その力を強く受け継いだ者なんです」
リオナルドの緊張が解けない。無理もない。この話はほとんど知られていないものだ。
『魔王』は魔物で、それを『勇者』が打ち取って平和になった。それ『だけ』が広く知られる話。
「人間で孤独だった『魔王』を殺して繫栄した国……できた人間に価値なんてあるのでしょうか? 私にはあるようには見えません。だから……」
ノエルの顔の血を全て拭き終わったのでリオナルドのほうを向く。
完璧な。いつもの笑顔で。
「みんないなくなってしまえばいいんですよ」
うふふ、と笑う私をリオナルドが真剣な面持ちで見てくる。
リオナルドはなにも言わない。でもいいのだ。ひとりごとのようなものなのだから。
そう――
改めてそう思った、それだけの話なのだから……




