第01話『婚約破棄』
「セリナ・ハイロンド。君がここに呼ばれた理由はすでにわかっているな?」
忙しいところを急に王族の応接間に呼ばれ部屋に通され、彼の目の前にあるイスに座ったとたんにこの言いよう。
さすがは歴史あるステルダート王家のご次男様ですこと。このように威圧なさるとは、貴族としても、王族としても、とても率直でいらっしゃるのですね。
そんな彼――アルベルトの元から鋭い赤の瞳はまっすぐと私を射抜く。敵意を隠していない。それは瞳だけではなく態度もだ。リアナに肩入れしすぎるその態度は王族としてどうなのかとも思うが、彼の美しい銀髪がさらりと風に揺れにこりと笑うだけで大抵の女性は許せてしまうのだから、やはり容姿というのは大事な素質なのだと思う。
「……さぁ。私には心当たりがありません」
睨まれても表情を崩さず一言。この言葉は何度もアルベルトに言っているが伝わらない。
そして、私が産まれた時から教育されてきたものは骨の髄まで染みこんでいて、こんな時でも崩れない。
それが私の性格と合わなくても、だ。こういうものなのだと刻み込まれた。
しゃんと背筋を伸ばし胸を張って美しい姿勢に言葉づかいを使いこなす。
誰もが見惚れる表情に私の青の瞳をまっすぐ相手に向け。
濃い紫の髪を光に当て綺麗に魅せる角度。
庇護欲を掻き立てるような女性らしい体のひねりなどなど……
――なんて。そんな教育も生まれ持った者の前ではただの『偽物』になるわけだけど。
そう思いながら、私は目の前に座るアルベルト・ステルダート第二王太子、そしてその横に座る実の妹、リアナ・ハイロンドをちらりと見る。
「お姉様……」
リアナはアルベルトに寄り添うように悲しそうな顔をしてこちらを見ている。
……相変わらすの仲の良さで。でもわかっているわよね?その横にいるおかたは私の婚約者『だった』おかたなのよ?
淡い赤の瞳。光に当たればキラキラと輝く、グラデーションが美しい腰まであるベビーピンクの髪。幼さと妖艶さがふわふわと漂うような、しなやかで美しい体にその淡い色のドレスがよく似合う。
そんな彼女に涙を浮かべながら寄り添われたら、老若男女問わず虜になってしまう。
その一人がこの第二王太子だった。それだけの話だ。
そんなリアナに篭絡されたアルベルトは、心底呆れた顔を私に向けた。
「……はぁ、セリナ。君には本当に失望したよ。リアナから全て聞いた。自分の職務を放棄してリアナにつらく当たっていたそうじゃないか。リアナからだけじゃない。君の悪行をたくさんの者から聞いた。さすがにもうかばいきれない」
――はて?アルベルトにかばってもらった記憶が私にはないのですが?
なにをしても二言目には『リアナ』という名前を口にしてきた彼が、私のなにをかばっていたのか聞きたいが、おそらく理解できるものではない。なのでなにも聞かない。
心の中で思いながら、無言で紅茶を一口。美味しいと思えるくらいには私の心は鉄で出来ているようだ。というか、こういうことには慣れたと言ったほうが正しいか。
「お姉様、違いますよね?私の気のせいですよね?大切な妹にそんなことしませんわよね?」
「リアナ……君はどこまでも優しいんだ……おい、なにか言ったらどうなんだ?セリナ、リアナに起こった不幸な事件は全て君の仕業なんだろう?」
「………………」
何度この問答を続ければよいのだろうか。
私に言うことはなにもない。リアナの言うことはなにも変わらない。ならばこんなの無意味でしかない。それがアルベルトにはわからないのだろう――と、思っていたのだが……
今回は事情が違っていたことを、次のアルベルトの言葉で知った。
「セリナ・ハイロンド。君から『聖女』の称号を剥奪し、国外追放とする。私との婚約も今この時より白紙とし、私の婚約者はリアナ・ハイロンドとする。あぁ、ハイロンド家からも君をハイロンドの名前を取るとのことだ。以上だ」
――なるほどなるほど。そういうことですか。
カップを音を鳴らさず戻し、心の中でため息をつく。
ようやく本当に婚約者『だった』人に変わったのね。
わかっていたことだ。むしろ。むしろよ。いつ来るのかと思っていたが、リアナが結婚できる十八歳になるこのタイミングを待っていたのか。
リアナの誕生パーティが盛大に開かれ終わったのがつい先月のことだ。
女の結婚適齢期は十八から二十四。リアナにすぐ結婚の話が舞い降り、これは今年中にもなどとささやかれていた。
そしてセリナは行き遅れと言われる二十五歳で放り出される、と。
結婚が女の幸せと言われているこの現代で婚約破棄。まぁ、アルベルトが考えそうなことよね。それに王家が乗っかったのも納得。二人を結婚させて今よりも王族を安泰させたいのでしょう。
そして私は婚約破棄とともに追放、家名をとりあげる……なんの功績も残しておらず『聖女』を産んだからだけでついた『公爵』という貴族の地位と立場を、ずいぶんと高く評価している両親。相変わらずですね、お二人とも。
「聞こえているのか?これはステルダート王家より正式なものなのだ。覆すことはできない」
アルベルトを無視するようにちらりとリアナを見る。目が合ったとたん彼女は、その美しい瞳にさらに涙をため始めた。
「私……お姉様と離れたくない……!嫌なの……!」
「リアナ……だが、これはもう決まったことなのだ」
「嫌……いや……いやっ……!お姉様をせめて私の侍女にすることはできないのですか?離れるなんて考えられない……っ!」
「……それはダメだ。本来は断罪すべきものを、リアナがそう言うから国外追放になったのだ。これ以上は譲歩できない。父上もリアナの意見だから追放で納得したんだ」
リアナの意見で私は処刑から変わったのか。まぁそうよね。
あなたが私を殺したいなんて思うわけないものね。
「そんな……っ!アルベルト様、お願いしますっ。私、お姉様が大切なんです!私、お姉様のことを全て許します!だから……!」
「リアナ……君はなんて心が美しいんだ……」
リアナは頬を濡らし、その綺麗で優しそうな声を震わせながらアルベルトを見上げる。まるで姉を本当に慕う妹のように。しかし私は知っている。彼女のその姿は、誰かを惑わせるただの道具でしかないことを。
……いつまでも見ていられないわ。こんな茶番。
「……わかりました。数日中に国外へ参ります」
二人を遮って私がそう言うと、リアナは絶望の顔をする。そりゃあそうでしょうね。あなたは私に出ていってほしくないものね。
だから私を侍女にしたかったのでしょう?当てが外れて残念だったわね。
そうならないようにあなたをいじめているという噂を私が広めたのだから。
私はあえてリアナと二人きりになる場面を作り出し、わざと相手の被害妄想を煽るような言葉を選んだ。奥でリアナの侍女が聞いているのを知ったうえでだ。
また、リアナの部屋の外に人の気配があることを確認しつつ、リアナのものを『偶然』外にも聞こえるほどの大きな音で壊したりもした。
リアナが『私のものが壊れていたの!』と涙ながらに訴えた時、全員が私を見る。そこでわざと口をつぐめば、周囲は勝手に『セリナがやったのでは?』と疑うようになる。それで『セリナは悪役』の完成だ。
それから、リアナの宝石を盗んで自分の部屋に見つかりやすいように置いておき、誰かが見つけたとき自分も驚いたふりをした。そんな態度を取っても、私が周囲に疑われるくらい疑惑を植えつけたあとで。
他にも地道にやった結果として、リアナや周囲が「いじめられている」と訴える形になり、噂が自然に広まるよう仕向けたのだ。
そしてその噂がさらに噂を呼び、今となってはリアナが私に虐げられていると誰もが思っているだろう。
リアナが泣きつけばなんでもその通りに変わる世界だ。追放だろうが処刑だろうが。
だが、私を奴隷にしたいがためにリアナや国王は処刑などしないと踏んではいた。そしてその通りになった。思っていた通りに。
――そう。私はもうこんな生活からおさらばしたいのだ。死んでもいい。そうじゃなくてもいい。どんな形でもいいから……もう、疲れたのだ……
まぁそれはそれとして、そんな経緯があった中で、私のような危険人物をリアナの近くに置きたいなんて、この第二王太子が考えるわけがないでしょう?
その証拠と言わんばかりに、アルベルトはリアナを優しく支えながら私をにらみつける。本当にわかりやすい態度。
アルベルトは幼少期からリアナと深い交流があり、その信頼と情愛は揺るぎないものだった。さらに、彼女が『聖女』としてより注目されるようになった背景には、アルベルト自身がリアナを支援し、政治的な後押しをしてきたことがあった。そのため、彼女の言葉を疑う余地など最初からなかったのだ。だがその庇護は、リアナに対してのみ向けられていた。
ここにもう一人、先に産まれた『聖女』がいるのにね。
――だからあなたはなにもわかっていない。なにも知らされないのよ。
「数日だと……?お前はずっとそうだっ!ずっと人をイラつかせる……っ!……今日だ。兵士はそこにいる。着の身着のままで出ていけっ!」
「………………わかりました」
心を無にしてそう答えた。これまでの人生で、こうして私は何度も理不尽に耐えてきた。
『聖女』としての役割を押し付けられ、容赦のない訓練を受け、戦場に立たされる日々。その全てを認められることもなく、リアナとは違うという意味の『偽物の聖女』だと蔑まれてきた。
アルベルトごときの言葉など気にも留めない。
そんな私の態度に、アルベルトはますます苛立ちを隠せなでいた。
「……今すぐ出て行け!」
その瞬間、私は心の中で笑みを浮かべた。
「わかりました」
スッと立ち部屋を出ようとする私の背中に声がかかった。可愛らしい声。リアナだ。
「お姉様!まだ間に合います!どうか罪を償って帰ってきてください!」
「リアナ……ダメだ……リアナ……!」
「私……!お姉様がいないとつらくて悲しくて……っ!どうか……どうか……お願いします……っ!」
「リアナ……!君はセリナにあれほどつらい思いをさせられていたと言っていたじゃないか。それなのに……!やはりリアナ、君こそが本当の『聖女』だよ……っ!」
「アルベルト様っ!お願いです考え直してくださいっ!」
「リアナ!セリナあんなやつのことなんて忘れるんだ!忘れさせてやる!大丈夫だ!ずっとそばにいるから……っ!」
おそらく抱き合っているであろう二人を背に構わず歩みを進め、兵士が開けたドアをくぐり――
「アルベルト殿下、そして『聖女』リアナ様」
くるりと向き直ってやはり抱き合っていた二人に完璧な礼をする。
「さようなら」