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『──かの哲学者フランシス=ベーコンは言いました。「真の友を持てないのは全く惨めな孤独である。友人が無ければ世界は荒野に過ぎない」と。私はこのブライス校で、世界が荒野などではなく、美しく実りあふれるものだということを知ったのです。私はこの学校で「友人」というかけがえのないものを得ました。王宮に閉じこもり、勉学に励むだけだったそれまでの人生を大きく変えてくれたのが、ここで出会った様々な友人たちでした……これまでの百年、ブライス校は公立高としての責務を担いながら、多岐多様にわたる優秀な人材を送り出してきました。そしてこれからの百年も同様、このブライス校が次代を担う高校生たちの教育と生活を支え、ひいてはマドリガルの未来を支えていくものだと私は強く信じています』
壇上のローレンスがスピーチを終えると、大ホール中の紳士淑女から拍手喝采を送られた。
この会場の中で、彼ほどタキシード姿が様になっている男はいないだろう。スピーチも立場上数多くこなしているせいか、ウィットに富みながらも呆れるほどそつなくこなしていた。
壁際に立つスーツ姿のクレイグも大きな拍手を送った。汗ばむ手のひらが張り付くようで不快に感じる。
客席に軽く手を上げて応えながら、ローレンスは階段を下りてきた。クレイグの姿を認めると、席には着かずにこちらへとやってきた。
「そこにいたのか。リーラは?」
自分と同じく幹事を務めるリーラの姿が見えないことが気になったようだ。だがクレイグはそれには答えなかった。
「ローレンス、話があるんだけど……ちょっといいかな」
彼は少し驚いていたようだったが、何か感じるものがあったのだろう。静かにうなずいた。
「ああ」
二人は連れ立って大ホールを抜けて廊下へと出た。そして近くにある中会議室へと入る。この部屋は今日は使わない器材置き場として使用されているので、誰かが入ってくる心配もない。
クレイグが先に中に入り窓側へと進み、後にローレンスが続く。さらに彼の護衛も一緒に入ってこようとしたが、ローレンスはそれを遮った。
「彼と二人にしてくれるか。僕の大事な友人なんだ」
護衛はしばらく躊躇していたが、自分を信用してくれたのだろう。軽くうなずくと、二人を会議室に残して静かにドアを閉めた。
「話というのはなんだ?」
答える代わりに、クレイグは胸元にしまっていた物を取り出し、ローレンスに差し向けた。
「……やはり君だったのか」
向けられた銃口を見ても、ローレンスは眉一つ動かさなかった。まるでそうなることがわかっていたかのようだ。
彼は逃げようともせず、片手で銃を構えたクレイグに真っ直ぐ向き合った。
「白々しいな、ローレンス。何故僕が指輪を盗んだ犯人だと皆に言わなかった?」
「犯人が君だとは、正直思いたくなかったんだ」
「フン、滑稽だな。僕だとわかっていて、内心で笑ってたくせに」
「さすがの僕も、友人である君を警察に突き出すような真似はしたくなかった。君が自首してくれればと思っていたんだがな……」
こちらを真っ直ぐに見つめてくるローレンスの視線から逃れるように、クレイグは目を逸らして息を吐いた。
「友人……ね。君は本当にそう思ってたのか?」
クレイグは唇の端をムリヤリ持ち上げて、冷ややかな笑みを浮かべて見せた。
「僕が君と友達になったのは、本当は父の命令だったんだよ。財界でひとまずの成功を収めた父は、王室とのコネクションも欲しがっていたからね」
今でこそ成功者として名を馳せる父であるが、階級制度が根強く残る中で労働階級からのし上がるのは大変な苦労だったようだ。
だからこそ、クレイグにはブライス校で王子や貴族階級の子女との有力なパイプラインを作ることを大いに期待していた。その最たる相手がローレンス王子だったのだ。
「学校も友だちも恋人も……何もかも父の言う通りにしてきたよ。それが父の、そして僕の喜びになると信じて生きてきた。けど僕が唯一、父に背いたのが──ジゼルだった」
ジゼルを好きになったのは、自分のほうが先だったのだ。
けれど体面を、特に相手の家柄を気にした父が、ジゼルと付き合うことなど許してくれるはずもなかった。告白する勇気も持てず悶々と過ごすうちに、ジゼルの心を奪っていったのがローレンスだった。
「……ちょっとしたイタズラのつもりだったんだよ。カメラマンがいない教室に君の指輪が置いてあるのを見て……これがなくなったら、君がどんな顔をするのかが見たかっただけなんだ」
ジゼルとローレンスを繋ぐ最後の絆・カレッジリング。
これをなくしたら──二人の絆は永遠に断ち切られるのだろうか。そんな微かな願望もあったのかもしれない。
「けど君は大騒ぎするわけでもなく、何事もなかったかのようにあの場を去った。君にとってのジゼルはその程度のものだったと、僕は思ったんだ。だから指輪から君の名前を削り、道端のホームレスの前に投げ捨てた」
その指輪が巡り巡ってローレンスとジゼルを引き合わせることになるとは、運命とは何と皮肉なものだろうか。
だがそれは、二人の絆が簡単には断ち切れないほど強固なものだったということを、クレイグに知らしめたのだ。
「アベルは……君が僕の指輪を盗むところを見ていたんだな」
ローレンスの言葉に、クレイグはうなずいて見せた。
「リーラの事務所で、指輪がなくなっていたとわかった後、アベルから電話が来たんだ。指輪を盗んだことをバラされたくなかったら、一万クロル用意しろってね。最初は冗談だと思ったさ。けどヤツは本気だった。金を用意しなかったら、まずは父にバラすって脅してきて……」
「だからアベルを殺したのか」
「あれは僕じゃない!」
初めてクレイグは声を荒らげた。
「あの日あの時間、本当は別の場所で彼と金の受け渡しをする約束をしてたんだ。なのに……なんで……」
あの日、彼は待ち合わせの場所には現れず、全く別の場所で刺殺された。
翌朝彼の死を知らされて、クレイグは思わず安堵してしまった──が、次第に何者かが自分とアベルのことを、ずっと監視していたのではないかという妄想に囚われるようになってきた。
こんな絶妙のタイミングで、アベルが殺されたのだ。犯人は現行犯で捕まったというが、その裏で得体の知れない何かが蠢いているような気がしてならなかった。
あれから人の目が気になりだし、夜も眠れない日が続いた。
ローレンスの、父やリーラの目ですら、自分のしでかしたことを見透かしている気がして──
わかっている。もう既に、自分は正気ではないのだ。
クレイグは改めてローレンスに照準を合わせ、トリガーに指をかけた。それでもローレンスは微動だにせず、むしろこちらが撃つのを待っているかのようだ。
「一度君にちゃんと聞きたかったことがあるんだ」
「何だ?」
「君は……ジゼルを愛してるのか?」
核心に触れる問いかけをしても、相変わらず表情に変化は見られない。
「僕がジゼルに対して抱いている感情が、君の問題に何か関係があるのか?」
「ああ、関係あるよ。僕が願うのはジゼルの幸せだ。ローレンス、君には彼女を幸せにする義務がある」
ローレンスは深く考え込んでいるようだった。時間稼ぎのつもりだろうか。
「答えろ、ローレンス」
イラ立ったクレイグが急かしても、彼はなかなか口を開かない。やはりこの男に期待するだけムダだったか──そう思ってトリガーにかけた指に力をこめた、その瞬間。
「僕は──僕はジゼルのことを」
その先の言葉を聞けなかったのは、幸だったのか不幸だったのか。
彼の答えをかき消したのは、会議室のドアが勢いよく開け放たれた音と。
「ローレンス!」
自分ではなく、ローレンスの名を呼ぶ彼女の声だった。
◇
ジゼルが会議室のドアをぶち破る勢いで開け放つと、クレイグが構えた銃口がこちらを──いや、こちら側にいたローレンスに向いていた。
ジゼルは反射的に拳銃を取り出し、クレイグに向けて構えた。悠然と立つローレンスの様子からして、今のところ彼にケガはないようだ。
「ジゼル……」
クレイグは目を大きく見開いていたが、すぐに微笑むような表情に変わった。
「クレイグ……やめるんだ」
親友だったはずの二人が、何故こんなことに──ジゼルは困惑しながらも、彼をなだめようと極力落ち着いた声で話しかけた。
「なんで……こんなことして、リーラはどうなるんだよ。リーラを愛してたんじゃないのかよ」
「彼女には悪いことをしたと思ってる。僕自身、ずっと自分の心を欺いてきた。彼女はそれに気付いていてなお、僕を愛してくれてたんだ」
「リーラは……リーラはっ、お前のために……」
彼女がクレイグのためにしたことを思うと、喉の奥が詰まったように苦しくなる。ジゼルはグッと歯を食いしばった。
「クレイグ・セヴァリー。銃を下ろすんだ」
会議室の外では、事態に気付いた警護や警備員たちが既に騒ぎ出している。今にもなだれ込みそうな彼らを、ジャックとユージンがドアのところで押さえ込んでくれていた。
緊迫した会議室の中に三人──ふと、それまで黙っていたローレンスが口を開いた。
「僕が死ぬことで、君の問題に答えが出ると言うのなら、撃てばいい」
「ローレンス!」
一体何を考えているのか。ふざけてる──いや、とジゼルは思い直した。
これがローレンスの考えた「友情の証」なのかもしれない。
彼は彼なりに友達のことを思い、クレイグの苦しみを和らげようとしているのかもしれないのだ。
「今更──君を殺したところで、何の解決にもならないことはわかってるよ。どちらにしろ、僕はもう終わりなんだ」
静かに笑っていたクレイグはゆっくりと拳銃を下ろし、ジゼルをじっと見つめた。
「僕は王子に銃を向けた重罪人だ。ジゼル、僕を撃ち殺してくれ。君に撃たれるなら本望だよ」
「そんなことできるわけないだろ!」
彼を無傷で取り押さえようと、一歩踏み出したその時だった。
「そうか、じゃあ」
クレイグは一度は下ろした銃口を、自分のこめかみにピタリと当てた。
「こうするしかないな」
「やめろ!」
ジゼルは硬直し、悲鳴に近い声を上げた。
「君も僕と同じだ。君が死んだところで何の解決にもならない。罪を認めるというのなら、生きて償うべきだ」
ローレンスは相変わらず抑揚のない声だが、それでもクレイグを救おうという気持ちは伝わってくる。
クレイグは首を横に振った。
「リーラに伝えてくれないか──『ありがとう』と」
一人で苦しんで、一人で騒ぎを起こして、一人で覚悟を決めて……クレイグの苦悩に全く気付いてやれなかった、自分の歯がゆさが腹立たしくて、ジゼルは握った拳に力をこめた。
「あんたが何を思ってローレンスの指輪を盗んだのか、指輪を捨てたのか、あたしにはわからない。わかってやれなかった……ごめん」
「君が謝ることじゃないよ」
「クレイグ……あんたは罪を犯した。けど、あたしの友達であることには変わらない。お前だけじゃない、ローレンスもリーラも、みんなあたしの大事な友達なんだよ」
身寄りのないジゼルにとって、「友達」だけが自分が今ここに存在していることを証明してくれる。その大切な人々を守るためにこそ、自分は存在しているのだ。
「だから……死ぬなんて絶対に許さない!」
ジゼルの必死の叫びを、クレイグはただ静かに聞いていた。
これから死のうとしているとは思えない、とても穏やかな笑みを浮かべて。
「ジゼル……君は幸せになってくれ。最後まで迷惑かけて……ごめんな」
やめろ──ジゼルの叫びは声にならなかった。
部屋中に、響き渡る銃声────
その振動は空気と共に、身体をも震わせる。
皆が息を呑み、時間さえも止めてしまったかのようだ。誰もが瞬間動けなかった。
「────クレイグ!」
弾かれたようにローレンスが叫んだ。
痺れるような残響の中、クレイグの手から離れ、床に落ちた拳銃の硬い音が空虚に響く。拳銃はカラカラと音を立てて、ローレンスの足元へと転がった。
「ジ……ゼル……」
その声は、クレイグのものだった。
彼は自分が生きていることが信じられないかのような、愕然とした顔でジゼルを──ジゼルの手元で煙を立ち上らせる拳銃を見つめている。
いつの間に──自分でも気付かないうちに、クレイグの拳銃を弾き飛ばしていたのだ。
「……か、確保だ!」
誰かが叫んだ。ジャックとユージンが堰き止めていた人々が一気になだれ込み、ジゼルの脇をすり抜けてクレイグに押し寄せる。クレイグが警備員に取り押さえられ床に組み敷かれる様を、ジゼルは構えた拳銃もそのままにただ呆然と見つめていた。
「ジゼル」
肩を叩かれて振り返ると、ジャックとユージンが疲れた笑顔を見せていた。そこでやっと、ジゼルは自分がやったことを認識した。
信じられなかった。あんなにニガテで下手くそだったのに──クレイグのこめかみに当てられた拳銃を、この距離でピンポイントで狙うことができたなんて。
「今回ばかりは、オレもダメだと思ったけどな……お前の想いが、ヤツを救ったんだよ」
ジャックの言葉に、未だ震える手をじっと見つめる。ローレンスの言ったとおりだ。
息を吐き、拳銃をしまったところで、ジゼルはつかつかと歩き出した。向かった先はローレンスだ。彼は警護に囲まれていたが、近づくジゼルを見て前を開けてくれた。
「……てめぇっ!」
両手でローレンスの襟首をつかむ。警護が色めき立ったが、ローレンスは「いいんだ」と小声で制した。
「お前も……死ぬなんて簡単に言うんじゃねーよ。あんなの、友情じゃない。陳腐な同情っていうんだ。人の気持ち、もっと考えろよな……お前が死んだら……」
ローレンスの変わらない表情を見ていると、涙が出てきそうになった。思わず顔を逸らす。
「……すまない」
さすがに彼にも伝わるものがあったのだろうか。珍しく謝ってきたので、ジゼルは手を離してやった。
振り返ると、クレイグが警備員によって外へと連れ出されるところだった。これから警察へ引き渡され、事件についての尋問を受けることになるだろう。
引っ張られていたクレイグが、ローレンスの前で頑強に足を止めた。その顔は妙にさっぱりしていた。
「君が僕を『友人』と言ってくれたこと、実は少しうれしかったんだ……さっき聞きそびれた答え、いつか聞かせてくれよな」
「……ああ」
ローレンスが答えると、クレイグは満足したのかまた警備員によって引っ張られていった。何のことかさっぱりわからなかったが、男同士の会話の中に無理に入ることもないだろう。
クレイグが連れ出されるのを見送って、ジゼルは背中越しに言った。
「ローレンス、今からあたしと一緒に来てくれないか」
「……わかった」
どこに行くのかも聞かずに、ローレンスは承諾してくれた。
彼にはきっとわかっているのだろう。今はそれがありがたかった。




