第一話:俺の肩には太古の魔神が憑いている(※嘘です)
人生は舌先三寸で決まる。
少なくとも、貧民街の吹き溜まりで育った俺――シオン・クローデルにとって、世の中は騙すか騙されるかの二択でしかなかった。錆びた鉄くずを「古代竜のウロコから削り出した守り石」と偽り、小金を持ったお上りさんに売りつける。そうやって稼いだ小銭で飲む安酒と硬いパンこそが、俺のちっぽけな世界のすべてだった。
そのはずだったのだ。目の前で、抜身のサーベルをぎらつかせる悪徳憲兵隊長・ギルバートさえ現れなければ。
「おい、ドブネズミ」
ギルバートが薄汚い笑みを浮かべ、路地裏の湿った石畳を踏み鳴らす。
「貴様が無許可で怪しげなガラクタを売っているという通報があってな。大人しく署まで来てもらおうか。……もっとも、手持ちの金を全額ここに置いていくなら、見逃してやらんこともないがな?」
見逃す気など微塵もない目だった。金を奪い、さらに手柄として俺を豚箱に叩き込むつもりだ。日頃から商人たちから賄賂を巻き上げていると噂の男だが、まさか俺のような小悪党のポケットまで狙ってくるとは思わなかった。
逃げ道はない。背後は高いレンガの壁。手持ちの金はゼロ。
絶体絶命の瞬間、俺の頭の中でペテン師の防衛本能が警報を鳴らした。この場を切り抜けるには、相手が怯むような規格外の大嘘をつくしかない。
俺はわざとらしく口端を吊り上げ、鼻で笑ってみせた。
「おいおい、ギルバート隊長。俺に指一本でも触れていいと思ってんのか?」
「……あァ?」
「俺をただの詐欺師だと思ったら大間違いだぜ。俺の肩にはな、太古の魔神にして終焉を呼ぶ黒き神獣が憑いてるんだよ。俺が合図を一つ送れば、貴様が隠し持ってる横領帳簿が白日の下に晒されて、破滅するのは貴様の方だ!」
適当にも程があるデタラメだった。神獣など見たこともないし、帳簿がどこにあるかも知らない。ただのハッタリ。一瞬でも怯んで隙ができれば、その間に脇をすり抜けて逃げる――そのはずだった。
だが、ギルバートは怯むどころか、顔を真っ赤にして唾を飛ばした。
「ハッ! 嘘をつけッ!!」
路地に怒声が響き渡る。
「太古の魔神だァ!? 貧民街の小汚いガキが神獣を従えてるわけねえだろうが! 横領帳簿だと? そんな都合のいい証拠がこの場にあるわけねえだろ、デタラメ抜かすなァ!!」
ギルバートの心底からの全否定。
「絶対にあり得ない」という強烈な疑念が空間を満たした、その瞬間だった。
――ポフン。
俺の右肩に、場違いなほど軽やかな音が響いた。
重みを感じて視線をやると、そこには手のひらサイズの、やたらと目つきの悪い黒猫がふんぞり返っていた。背中には申し訳程度の小さなコウモリの羽。
(……は?)
同時に、ギルバートの軍服の内ポケットが不自然に大きく膨れ上がった。
バツンとボタンが弾け飛び、中から分厚い革表紙のノートがドサリと石畳へ落下する。表紙には金文字でデカデカと刻まれていた。
『憲兵隊長ギルバート・賄賂および横領記録全集』。
路地に静寂が落ちる。
「な……なな、なんだこれはァ!? 俺はこんなもの書いた覚えは――!」
慌ててノートを拾おうとするギルバートの背後から、騒ぎを聞きつけた本隊の憲兵たちと野次馬が路地に雪崩れ込んできた。ノートは運悪く、駆けつけた憲兵副長官の足元へ滑り込んでいく。
「……これは、ギルバート隊長の筆跡だな? 貴様、裏でこれほどの私腹を肥やしていたのか!」
「ち、違う! 罠だ! そのドブネズミが神獣を使って――!」
「言い訳は見苦しいぞ! 貴様を公金横領および職権乱用の容疑で拘束する!」
あっという間に取り押さえられ、引きずられていくギルバート。
残された憲兵たちと街の人々は、路地の奥に立つ俺を見つめ、やがて地鳴りのような大歓声を上げた。
「すげえ……! あの悪徳隊長を罠にハメて、一発で決定的な証拠を暴きやがった!」
「肩のあの黒猫様、ただ者じゃないぞ……まさか伝説の神聖な使い魔か!?」
「英雄だ! 貧民街の救世主が現れたぞ!!」
嵐のような拍手と感謝の嵐。
俺は口を半開きにしたまま、硬直していた。
待て。違う。
俺はただ、相手をビビらせて逃げたかっただけで、街の平和を守る気なんて爪の先ほどもなかった。
茫然自失の俺の耳元で、肩の上の黒猫が低くねっとりとした声で囁いた。
『――おい、ペテン野郎』
「ひっ!?」
『俺の名はベルゼ。お前の薄汚いホラ話から生まれた、お前の罪の結晶だ。……それにしても傑作だな。悪徳憲兵を懲らしめて街を救っちまったぞ。どんな気分だ? 聖者様よ』
黒猫は邪悪な笑みを浮かべ、前足で俺の頬をペシペシと叩いた。
「な、なんだよこれ……俺は悪党なんだぞ! なんで感謝されてんだよ!」
『知るか。お前がついた嘘をあいつが全力で疑ったから、世界があいつの疑念をへし折るために辻褄を合わせたんだよ。……ところで相棒、お前の懐、見事にすっからかんだな?』
俺は震える手で自分のポケットを探った。
出てきたのは、ホコリと、売り物の錆びた鉄くずがひとつだけ。
明日はアパートの家賃の支払日だった。払えなければ路頭に迷う。
悪徳憲兵は失脚し、街には平和が訪れ、俺の手元には一文の金も残らなかった。
『ぎゃはは! 感謝状じゃ家賃は払えねえなあ!』
腹を抱えて転がり回る黒猫の笑い声が、夕暮れの路地裏に虚しく響き渡っていた。




