点P
勉強がそこそこできる一般的女子中学生の私にも苦手なものがある。
何をしているのかまったく訳がわからず、勝手に動く点Pという紙の上の存在に頭を悩ませ、訳のわからない公式と数字の海に飲み込まれる。
そんな数学のことが大嫌い。
算数の頃から……多分引き算で躓いた頃から好きになれない。
って言うか向こうが私の方に近寄ろうとしてない!
私は苦手ながらもなんとか歩み寄ろうとしているのに、アレはまったくこっちに心を許さない。
「さてと、みなさんさっきぶりですね!」
どうやらそれは今年も……続きそう。
数学は近寄ってこず、しかしあのおじさんは変に近寄ろうとしてくるし、去年までの一人で数字と格闘する環境の方ががどうやらまだマシだったみたい。
同じ女として、キャーキャーとあのおじさんの登場に喜ぶクラスメイトの女子達が今だけは情けなくてたまらないわ。
「こらこら静かにしなさい……まったく、でも最初の授業ですから、いきなり教科書の内容に触れてもおもしろくないでしょうし、少し楽しいことをしましょうか」
確かに顔はいい。
テレビで俳優だと言われて紹介されていれば、私だけじゃなく誰もが信じると思う。
ただうん、それだけ。
イケメンだけど近寄りたくない人っているでしょ?
アレの究極完成形がアイツかな。
「数学の授業の時限定の席替えをするぞ!」
「うおっしゃあ!」
クラスのみんなからワッと歓声が上がる。
席替えなんてイベントで喜ぶのは子供っぽいってわかってる。
けれど、普段はこんなイベントで私も喜んでしまう。
いつもならどうかアイツの隣だけは~とか、仲いい女子で固まれますようにとか考えるんだけど。
今回は、めちゃくちゃに嫌な予感しかしない。
「だけどただの席替えじゃない、ちゃんと意味のある席替えだぞ」
おじさんが黒板にカツカツと書き始める。
教師だから当たり前だけど、字を綺麗に書くな。
そんな当たり前すら、気持ち悪く感じてしまうのはどうしてだろう。
距離感の詰めかたが最悪だから?
いやそれはあるけど、それだけじゃない。
「数学が苦手な人は前に、得意な人は後ろにする。そうした方が俺も困ってる生徒を教えやすいし、得意になれば後ろの席に行けるし……なんと、後ろ側は君たちで話し合って席を決めていいぞ!」
クラスはもう秋のお祭りに来たのかと思うぐらいの大盛り上がり。
誰が数学得意だとか、どんな席にしようとか。
あのおじさんに対して黄色い歓声をあげていた女子達は、近くに行きたいのか数学が苦手だと自己申告をしている。
それを見てアイツは……ああ、わかったかも。
「こらこら、まずは君たちの実力を図るための小テストをするから落ち着いてくれ。この成績で席を決めるからな!」
あのわざとらしい笑顔。
作り上げた態度。
人のことを騙す為だけに生まれてきたような化物。
そんな人間味のないおじさんが、私は大嫌いだ。
いやまぁ人間味があってもキモいから嫌いなんだどさ。
多分一番、あの丁寧に作ってる感がある笑顔と態度が苦手なんだと思う。
しかしこんなにも小テストと言われて盛り上がる授業は無かった。
そして私も今は燃えている。
理由はもちろん、何とかしていい点数を取らなきゃいけないから!
ここで変な点数を取ったらどうなるかわかるでしょ、今日だけは、ううん、この瞬間だけでいい。
動く点Pと和解するのよ、神目あてら!
「それじゃあ配るぞー! あ、言っとくがカンニングをしたり不正をしたら……特等席にご案内してやるからな」
始めの合図で、私は裏側にして配られたプリントをひっくり返してシャーペンを握る。
制限時間は二十分、だからそこまで難しい問題は出ないはず。
テストのコツとして、最初に全問を見ておくってのがあるわ。
バカ正直に一問目から解く必要なんかない、解ける所からやっていけばいいのよ!
いつも通り、全問に目を通す。
一問目は……よし、これなら大丈夫。
他の問題は……なにこれ。
合同の証明、一次関数、連立方程式。
そして現れる動く点P!
まってまって、落ち着くのよあてら。
「これは……」
証明はパス。
「計算合わないんだけど」
関数もパス。
「多分これであってる……はず」
連立方程式は……多分大丈夫。
なによこれ!
こんな小さなプリントに嫌がらせのように難しい問題ばっかり並べて!
本当に性格最悪ね、おじさん。
「難っ……」
「えーっと……」
周囲も苦しんでいるのか、小さな声だけど苦しみが聞こえてくる。
そうよ、苦しいのは私だけじゃない。
こんなテストじゃまず満点なんて取れないだろうし、平均点はかなり低いはず。
ならば、少しでも点数を稼いでおけば平均よりも上に行ける可能性は大!
見せてやるわ、今の私は点Pと和解したってことをね!
「はいそこまで! それじゃあ正解を黒板に書いていくから、それぞれ採点するように。まず一問目だが……」
ど、どうしよう。
一問目から計算ミスしてるじゃない。
予想外に当たってる所もあったけれど、点が取れていると思っていた所をミスしたのはかなりキツイ。
マル、バツ、バツ……これは三角。
赤い丸が……ほとんど無いじゃない!
「さてと、満点や90点代はいるかな?」
いるわけがないでしょバカ教師!
こんな難しい問題ばっかりで……。
「センセどうだ! 俺は満点だぞ!」
は、ハァアアア!?
勇樹が満点!?
え、何これ、夢?
アイツ数学得意とは言ってたけど、コレで満点取れるの?
「どれどれ……本当だ、勇樹君は数学が得意なんだね」
「フッフッフ、数学だけは神目あてらに負けねぇって決めてんですよ」
「なるほどなるほど、つまりあてらは……苦手なんだね?」
また余計なことを言いやがってバカ野郎!
私の点数を笑いに来たのか!?
答案を掲げて私を見るアイツは、過去一番ぶん殴りたくなる笑顔をしている。
神様、どうかアイツに天罰を与えて下さい。
「お前は何点なんだ、神目!」
「私は……そこそこね! 確かに満点じゃないけど、悪くは無いわ」
「嘘つけ! お前数学だけは壊滅的にダメじゃねぇか。センセ、アイツが後ろの席に行きたいからって嘘言ってますよ」
「言ってない!」
満点じゃないし、31点もあるんだから悪くもない。
ほら、一言も嘘は言ってないでしょう?
私にしては上出来じゃないの。
「へぇ……なら見せてもらおうかな」
勇樹がバカな事をまた騒いだせいで、おじさんが私の席の隣にやってきた。
サッと答案を裏返して押さえるも、押さえる手の上におじさんの生暖かい手が置かれて、気持ち悪さで手を引っ込めてしまう。
「……あてら、数学教師の娘としてこの点数で悪くないって言うのはダメだよ」
「私はアンタの娘なんかじゃ」
「俺は悲しいよ、自分の娘が数学嫌いだなんて、こんなにも悲しいことがあっていいんだろうか」
オーバーなリアクション。
だけど、クラスのみんなからは何故か同意を得ている。
全ては勇樹が私を巻き込んだから、こんなことになっているのよ。
「さて、あてら以外のみんなは自分の点数を他のみんなと話し合って席を決めてくれ」
「ちょっと先生! なんで私以外なんですか!」
「あてらは僕の娘、数学教師の娘なんだ。贔屓はしないけれど君は普通よりも数学が出来なきゃいけないだろう?」
どんな理屈よソレ。
なら世の中の天才の息子や娘は天才じゃなきゃいけないの?
てかそもそも娘じゃない!
アンタと出会ったのは昨日だし、得意になる時間もない!
「んじゃ俺は一番後ろの窓側にしよーっと! ここならブザマな神目あてらがよく見えるぜ!」
「にゃははは、なら一問間違えた私は勇樹君の隣かにゃあ」
後ろ側の席がどんどんと決まっていく。
心優ちゃん……アイツの隣なんだ、選んだのにうるさいのが隣なんて可哀想。
そんなガヤガヤとした中で、おじさんは最前列の教壇に一番近い席の隣に移動してから私を見た。
「さあ、あてらの特等席だよ」
……サイアク。
勇樹のせいで、私のただでさえ嫌な数学の時間が地獄に早変わりしたわ。
「わ、あてらちゃん私より点数高い!」
「……え!? ほ、本当!?」
「うん、だから仕方ないけど……私が先生の特等席に行かなきゃだよね!」
移動するために席を立った時、クラスメイトの一人が一桁の点数が書かれた答案を持って私の所にやってきた。
さてはコイツ、おじさんの近くに行きたいがために点数落としたな?
目がもう、恋する乙女になってるじゃない。
理由はどうであれ、これで私が助かるのならなんでもいい!
「なら私は別の席にーー」
「ダメだよ、あてら」
二列目の空いていた場所に移ろうとする私を、おじさんは呼び止めた。
「君はココだ、悪くない点数だなんて嘘をついた君は特等席だよ」
コイツはもしかしたら、最初から私の席を決めていたんじゃないだろうか。
笑顔でそう言っているけれど、笑顔の隙間から少しだけ覗いたそのねっとりとした瞳が、私にそう告げていた。




