第1話 聖女と仮面の女
「イリス! 君との婚約を破棄する!」
……は?
リチャードの突然の宣告に、わたくしは目を点にしました。
周囲の紳士淑女が一体何事かとざわつき始めます。
しかしそんなことをまったく気にする様子もなく、リチャードは天を仰いで手の平を自分の胸に添え、まるでオペラ役者のよう。
もちろん視線の先には天井しかないはずですが、まるでそこにあるはずの数多の星々を見つめるような瞳で口上を続けます。
「なぜなら、僕は真実の恋に目覚めてしまったんだ」
し、真実の恋?
「君も知っているだろう? 最近になって王都に現れた謎の女冒険者……」
……え?
ドレスの裾を掴むわたくしの手に、きゅっと力がこもります。
ま、まさか……。
「そう……仮面の怪人ブラッディのような仮面をつけた、あの女を!」
予想が外れて欲しいという願いに反して、リチャードの口から出てきた言葉はまさしくわたくしが危惧していたものでした。
「王都に侵入したモンスターの頭を次々とメイスで粉砕し、赤い返り血に染まる彼女を見たとき……僕はこれ以上ないほどのときめきを感じた!」
嫌なタイミングで発生したときめきですわね!?
「そしてそのときめきこそが、世の人が言う恋というものだと理解したのさ……」
周囲の方々がドン引きしてますし、わたくしも今すぐにこの場を離れたいくらいなのですけど……。
居心地の悪さに身もだえしていますと、リチャードは芝居がかった仕草を唐突にやめ、わたくしにまっすぐ向き直ります。
「あ、ちなみに君に対してそんな気持ちを感じたことは、今までに一度たりともなかった!」
なんでそんな余計な一言を付け加えるんですか!?
リチャードは言い終えると、また自分に陶酔したような身振り手振りに戻ってしまいます。
「そして……その恋という感情に気づいた以上、君との婚約をこれ以上続けるなんてできない……君にも仮面の女にも不貞の行為となる! ああ……許しておくれ……罪深い僕を!!」
リチャードは最後にそう言うとくるりと体の向きを変え、はっはっはっは……と高笑いしながら去って行ってしまいました……。
うごめく周囲がすべてシルエットに見え、耳に入るざわめきは水中のように歪んで聞こえ、足元がぐらつくようなショックがわたくしを襲います。
しかし、そのショックはリチャードに婚約を破棄されたからではありません。元々、お互いに貴族の末子ということで親同士が勝手に決めたことですし。
問題は、リチャードが恋をしたという仮面の女のことなのです。
実は、その仮面の女の正体は……。
わたくしなのですわぁぁぁぁぁぁぁ!!
わたくしことイリスは、一介の冒険者として日々戦いに参加しておりました。
傷ついた仲間を回復魔法で癒し、後方から支援魔法をかけ、小さな結界を張ってモンスターの魔法やブレスを防ぐ……。
パーティーメンバーの配置の結果により、そういった役割を主に担当していたところ、いつの間にか冒険者仲間や王都の人々から聖女として崇められるようになってしまいました。
しかしわたくしは、本当は最前線でモンスターどもと戦いたいのです! そのために幼少からメイスでの戦闘技術も磨いていたのですが、それを披露する機会も得られず……。
聖女という立派な二つ名に恥じぬよう、仲間を支え、傷ついた人々を癒し……ますます、その肩書は不動のものになってしまいました。今では冒険に出る機会もめっきりと減り、街の中で負傷者の傷を癒したり、ポーションを制作したりといった仕事が主になってしまったくらいです。
わたくしの意思とは真逆の立場は、いつしか心を蝕みはじめ、多大なストレスとなっておりました。
そんな折、仲間が見に行こうと誘ってくれた演劇……あれこそが運命の出会いだったのです。
「血を、まき散らせ」
その決め台詞と共に仮面の怪人ブラッディが活躍するスプラッターお芝居を見てわたくしは目覚めてしまい、劇の怪人が被っていたものとそっくりの、両目の部分に穴のあいた仮面を被って正体を隠し、モンスターどもを撲殺するようになったのです。……仮面の女エリスと名乗って!
うう、それがまさかこんな事になるとは……わたくしはこれから一体どうすれば良いのでしょうか。




