第13話 永遠のブーケ、時間を止める砂
私の仕事は、聖女様のナナメ後ろに立つことである。
右でも左でもなく、正面でもなく、ナナメ後ろ。
この位置には意味がある。
聖女様の視界には入らないが、聖女様がほんの少し首を傾ければ目が合う。
例えば、厳粛で喜ばしい儀式の最中。
一切の物音を立てず影のように気配を消し、誰の視線も奪うことなくただ純白の聖女様だけが神聖に際立つよう、完璧な背景へ徹することができる。
それが、ナナメ後ろに控えるメイドの技術である。
***
よく晴れた夏の日だった。
教会の礼拝堂は、いつも以上の熱気と華やかな空気に包まれていた。
ステンドグラスから差し込む色とりどりの光の下で、街の若者たちの結婚式が執り行われているのだ。
祭壇の前に立つ聖女様は、いつもの天真爛漫な様子を完全に封印していた。
神聖な儀礼用の白いローブに身を包み、背筋を真っ直ぐに伸ばし、新郎新婦へ向けて静かに語りかけるその姿は、気高く慈愛に満ちた女性そのものだ。
ナナメ後ろの特等席から見る彼女の凛とした横顔は、呼吸を忘れるほどに美しい。
参列者たちの温かい拍手の中、つつがなく式は終わり、礼拝堂の入り口で新郎新婦が人々から祝福の言葉を受け取っていた。
新婦の手には、夏を彩る鮮やかな大輪の花々を束ねた見事なブーケが握られている。
新郎がこの日のために、腕利きの花屋と相談して用意した特別なものらしい。
「おめでとうございます。どうか温かくて素敵なご家庭を」
聖女様が淑やかに微笑みながら二人に声をかけると、新婦は感極まったように何度も深く頭を下げた。
「ありがとうございます、聖女様……!このブーケみたいに鮮やかで綺麗な思い出がいっぱいの一日になりました」
新婦は、胸に抱いた色とりどりの花束を愛おしそうに見つめた。
だが次の瞬間、彼女の表情に、ほんのわずかな陰りが落ちた。
「でも、夏の暑さって残酷ですね。この花たちもあと数日すれば色褪せていってしまう。こんなに胸がいっぱいになる光景なのに……この幸せな姿のまま、ずっと残しておけたらいいのに」
それは、結婚式という最高の一日だからこそ生まれる、ほんの些細で純粋な寂しさの吐露だった。
聖女様は、その新婦の言葉にそっと目を伏せた。
美しいものは等しく儚い。
命あるものが、いつか散っていく悲しさを慈愛に満ちた彼女は誰よりも深く理解している。
「……そうね。綺麗なお花だからこそ、お別れするのはとても寂しいわ」
聖女様が、少しだけ悲しそうに微笑んだ。
だが、その直後。聖女様はほんの少し首を傾け、ナナメ後ろに控える私の顔を見つめた。
その凛とした瞳の奥には、「この人を助けてあげたい」という、いつもの純粋な光が宿っていた。
とんでもない無茶振りの極みである。花は生物であり、枯れるのは絶対的な理だ。
しかし、聖女様からそう頼まれたコンマ一秒後。
私の脳内における問題解決タスクは、一気に最上位へと跳ね上がった。
無表情のまま思考を巡らせ、解決策を導き出す。
「承知いたしました。これよりブーケを生物学的に停止させ、現在の美しさを永遠に固定いたします」
きょとんとする新婦と聖女様に対し、私は静かに一礼した。
「式が終わりましたら、そのブーケを私に一週間ほどお預けください。決して色褪せさせたりはいたしません」
***
その日の夕方。
私は教会の裏庭で、かまどに巨大な鉄鍋を乗せ、凄まじい熱気と戦いながらひたすらに「砂」を炒り続けていた。
「ノエル、何してるの……?すっごく熱そうだけど」
「乾燥剤の生成です。お気になさらず、聖女様は涼しい修道院の中でお待ちください」
「でも、お花を残すって言ってたのに、どうして砂を焼いてるの?普通は風通しのいいところに逆さまに吊るしておくものじゃないの?」
聖女様が不思議そうに小首を傾げる。
確かに、この世界におけるドライフラワーの一般的な製法は「吊るし乾燥」だ。
「吊るし乾燥では重力の影響と乾燥への時間経過により、花びらが縮み、著しく茶色く変色してしまいます。新婦様が望まれたのは『式の日の美しい姿のまま残すこと』。したがって、より急速かつ物理的なアプローチが必要です」
私は鉄鍋の中の砂をかき混ぜながら、淡々と説明する。
「郊外の川から採取した極めて粒子の細かい清浄な砂。これを高温で徹底的に熱し、砂粒内部の水分をゼロになるまで完全に飛ばし尽くします。これによって周囲の水分を凄まじい勢いで吸着する『乾燥砂』が完成します」
私は完全に乾燥しきった熱い砂を冷ました後、用意していた深い木箱の底に敷き詰めた。
そこへ、新婦から預かった色鮮やかなブーケをそっと置く。
「あとは、この花の上に先ほどの砂をかけていきます。花びらの隙間、一枚一枚の間に砂を入り込ませることで、物理的に花の形を固定しながら数日のうちに一気に花の水分だけを吸い出すのです」
「じゃあ、ワタシも手伝う!」
「いえ、聖女様のお手を煩わせるわけには──」
「ダーメ!ワタシもあの花嫁さんをもっと笑顔にしたいの。大変なことをノエルに頼んだ自覚はあるんだから、せめて一緒に魔法をかけさせて!」
聖女様は有無を言わさぬ笑顔で、私の隣にしゃがみ込んだ。
先ほどの礼拝堂での淑やかな女性の姿はどこへやら。
彼女は小さなスコップを両手で握り締め、サラサラとこぼれる極乾燥砂をブーケの上へと慎重にかけていく。
「こう?花びらが折れないように、そーっと……」
「……はい。完璧な手つきです、聖女様。そのまま隙間がなくなるように優しく流し込んでください」
二人は並び、木箱の中のブーケが完全に砂の海に埋まるまで、息を潜めて慎重に作業を続けた。
あとはこの木箱の蓋を密閉し、静かに時間を待つだけだ。
「これで花の時間が止まるのね……」
聖女様は砂の詰まった箱を見つめながら、どこか祈るように両手を組んでいた。
***
一週間後。
再び教会を訪れた新郎新婦の前に、私は底に穴の空いた木箱を持ってきた。
「これより、開封と砂の排出を行います」
私が木箱の底の板をスライドさせると、サラサラと音を立てて細かな砂が下へとこぼれ落ちていく。
砂の海の中から少しずつ、その姿が現れた。
「あっ……!」
新婦が息を呑んだ。
そこにあったのは、茶色く枯れ果てた花束ではない。
赤、黄、青。結婚式の日と全く同じ、見事なまでに色鮮やかな夏の花々。
花びらの一枚一枚が縮むことなく、立体的で柔らかそうな形を保ったまま、完璧に水分だけが抜かれた『永遠のブーケ』がそこにあった。
「すごい……!あの日のまま……本当に、あの日の姿のままです……!」
新婦が震える手でブーケを受け取り、こらえきれずに涙をポロポロとこぼした。
急速乾燥によって色素が分解される暇を与えず、砂の圧力によって形を固定する。
計算通りの完璧な保存状態だ。
「これであなたの幸せの記憶は、永遠に固定されました。直射日光を避け、厳重に保管してください」
「はい……っ、はいっ!ありがとうございます……一生の宝物にします!」
新郎新婦が何度も何度もお礼を言いながら、幸せそうに教会を後にする。
それを見送った後、聖女様は私の方を振り返った。
「ノエル。あなた、すごく素敵な魔法使いみたいだったわ」
聖女様はいつもの純真な笑顔の中に、優雅で淑やかな落ち着きを交えて微笑んだ。
「お花たちの時間は止められてしまったけれど、あの人たちの『綺麗だった』っていう一番幸せな記憶ごと、ずっと大切に守ってもらえるのね」
相変わらず心の底まで温かくなるような超越解釈だ。
私は別にロマンチックな魔法を使ったわけではない。
水分子の移動と細胞壁の固定化という、物理現象を利用したに過ぎないのだ。
それでも、聖女様がそうおっしゃるのなら、きっとそれは「時間が止まる魔法」なのだろう。
「ええ、聖女様の仰る通りです」
***
その日の夜。
教会の静かなデスクの上で、いつもの『観察ノート』が開かれる。
【ノエルが砂を使って時間を止める魔法を使った!お花さんは眠っちゃったけど、花嫁さんがとっても嬉しそうに笑ってくれて、ワタシもすごく幸せな気持ちになったよ。ノエルは魔法使いだ!】
大きな文字の横には色とりどりの立派なブーケの絵と、それに魔法のステッキを振る私の姿が描かれていた。
メイド服で魔法のステッキを持つなど、いかなる教範にも載っていない奇妙なスタイルだが、聖女様の手にかかればとても可愛らしく見えるから不思議だ。
私はその隣のページに、極めて細いペン先で図表を書き込む。
砂の粒度分布。加熱による水分蒸発量。密閉容器内における吸湿率の推移。
それらを完璧なレイアウトで配置し、右下にこう添えた。
『細胞内の水分の急速排除により、花弁の色素分解は完全に抑制された。対象者の精神的充足度の向上を確認。これにて本件の業務を完了とする』
インクを拭き取りながら、私は小さく息を吐いた。
夏の暑さは過酷だが、その中で咲く鮮やかな花と、それを守ろうとする人々の営みは、悪くない。
私は静かに口角を上げ、聖女様が描いた美しいブーケの絵を見つめた。




