しなければならないこと
アサと別れてからそろそろ10ヶ月ほどになるだろうか。
あれから、あたしはセスイとその取り巻きたちと合流し、ユーリニア王国へ向かった。
王国までの旅路は非常に順調で、当初は早くても一年ほどはかかるだろうなどと思っていたが、実際は予想と異なり、およそ半年ほどで辿り着くことができた。
王城から逃げだしてあの街に流れ着くまではおおよそ二年ほどかかったが、それは逃げ回りながら、資金を集めながらだったからなのだろう。最短距離ならばここまで早く辿り着くことができるのかと内心驚いてしまった。
旅の間、あたしはセスイやその取り巻きたちから情報を集めることに尽力していた。セスイはなぜ争いを起こそうとしているのか、なぜ私を勧誘したのか、なぜ反乱軍を結成したのか。それらの謎を解明することこそ、彼の野望を挫くこと、王国の民を救うことにつながるのだと、そう思えた。
そして、それは今も、本拠に到着してから約4ヶ月の時が経った現在においても継続していた。
反乱軍は王国領土の北の端、そこに展開する広大な森林の中に拠点を構えている。その拠点は面積的にかなり広く、まるで農村のような共同体を形成して反乱軍の人々が暮らしていた。
セスイ曰く、反乱軍にはクーデターに参加するために集まった者だけでなく先の飢饉で行き場をなくした市井の人々も多く存在し、そういった人々に戦力としての役割を強要することはなく、農作業や外界との交易をしてもらっているのだとか。
あたしはそんな独自に築き上げられたコミュニティの中、他の人たちが住むものよりもいくらか手間がかかっているように感じられる一軒家、仮にも王の血筋ということで配慮されていたのだろう、に住むこととなった。
…………自らの使命を定め、存在意義を定め、そして、その命の使い方すら定めたというのに、それでも、あたしは未だ行動を起こせずにいた。
反乱軍の正当性を示すためだけの神輿にして、籠の中の鳥。
それが、今のあたしだった。
夢を見ていた。
私は彼女と二人、今となっては懐かしく感じるあの街並みを歩いていた。
特別な目的なんてなく、ただ二人で露店を見て周り、気になったものを手に取って、買い食いをして、他愛のない話をする。そんな、ひどく心安らぐ情景を見ていた。
彼女が私へと笑いかけ、私も彼女へ笑い返す。この瞬間こそが幸せというのだと、そう思えた。
何かめぼしいものでも見つけたのか、隣を歩いていた彼女が不意に前方へと駆け出す。彼女へ向けて手を伸ばし、追いつくため私も駆け出そうとして、けれど足が動かなかった。不思議に思い自らの足へと視線を向けると。
――――私の背後、闇より伸びる手が、私の足を掴んでいた。
その手を見て、思い出す。自身の現状を、これまでの所業を、これより先果たすべき使命を。
「……………………」
あたしは彼女へと伸ばしていた手を下ろし、自らの未練を戒めるように小さく息を吐く。
瞬間、幼く小さな手が、しわがれた手が、白く美しい手が、無骨な手が、数え切れないほどに無数の手が、あたしの腕を、足を、体を、首を、掴む。闇へと引き摺りこもうとする。
『姉上だけ、どうして…………!』『お前が代わりに死んでいれば』『あなたせいで、私は…………!』『やだ、やだよ…………!』
あたしは抗うこともせず、背後から伸びる無数の手を見つめ、受け入れる。だって、その手を拒む権利など、決してあたしにはあるはずがないと知っているから。
『なんで、なんでお前は…………』『あなたさえいなければ』『死にたくない、死にたくない…………!!』『ああ、ああ!恨めしい、妬ましい…………!』
いつの間にか彼女は消え、景色は変わり、あたしは闇の中にいた。あたしを掴む手は変わらず、あたしを苛む声はそのままに、何もない影の世界に、あたしはいた。
いつの間にか閉じていた瞳を、ゆっくりと、開く。
そうして、あたしにとってただ一人の騎士がそこにいた。
だから、彼女を安心させたくて、笑みを作り、語りかけるように口を開く。
――――大丈夫だよ、ミラム。あなたが、あなたたちが繋いでくれたこの命の使い道、ちゃんとわかってるから。
彼女の表情は、見えなかった。
「…………姫。ソニア姫」
「…………っ!?…………ああ、ごめん、ちょっと寝ちゃってたみたい」
対面に座るセスイの呼びかけによりまどろんでいた意識が覚醒する。
「…………どうやら体調がすぐれないご様子。あまり無理をなさらないでください、ソニア姫」
あたしは現在、反乱軍の本拠、ひどく物の少ないセスイの住居にてソファに座り、机を挟んだ彼と二人、反乱軍の今後の方針について話し合っていた。が、いつの間にか眠ってしまっていたようだ。
自らのあり得ない失態に愕然とする心情を押し殺し、いつも通りを装って言葉を返す。
「無理なんてしてないよ。昨日寝つきが悪かっただけだから気にしないで。…………それより、ええと、いよいよ反乱軍の人数も揃ってきたから次の段階に進まないかって話だったよね?」
あたしは直前の記憶を遡り、セスイへとそう問いかける。
「ええ、おっしゃる通りでございます。ですが、それは今すぐしなければならないというわけでもありません。今日のところはここまでにしておきましょう」
あたしへと好々爺然とした微笑みを向け、彼がそう口にした。
その表情、心音から、彼の提案が全くの善意によるものだということが読み取れ、けれど、あたしにとってその事実はいっそ不気味ですらあった。
あたしは大丈夫だと伝えようとして、それより早くセスイが話題を変えるように再度口を開く。
「ああ、そういえば、姫。以前私がお渡しした魔石のペンダント、身につけてくださっているでしょうか?」
「…………うん、ちゃんと。ほら」
あたしはそう言って、服の首元に入れていたペンダントのトップ、魔石を加工して作られた魔道具、指先ほどの小ぶりな真紅のそれを取り出す。
この魔石のペンダントはあたしがこの土地の生活にも慣れ始めた頃、セスイが普段から身につけているようにと言って渡してきたものであり、彼いわく魔除けの魔法が込められているのだとか。
彼がどのような意図をもってそんなものをあたしへ与えたのか、どうしてそんなものを用意していたのか、その理由は今をもってもわからない。
だがそれでも、魔石の効力、そして彼があたしの身を案じているのだということがその心音、表情から読み取れ、またあたしとしてもその善意を拒否するだけの材料が見つからず、心情としては渋々ではあったが彼の指示通り普段から身につけていた。
「おお、安心いたしました。…………ここまで反乱軍が成長したのもあなた様がいてくださったおかげ。もし姫の身に何かあれば、我々は道半ばで散り散りとなってしまうことでしょう。我々にとってあなた様はそれほどまでに重要なしるべなのです。どうかご自愛ください」
「…………うん、ありがとう」
彼へ向けて笑みを作り、返答する。
セスイが私を勧誘した理由。それは、今彼が口にしたように、反乱軍という組織をより大きくするため、一つにまとめるためだったのだろう。
あたしは、ソニア・ファス・ユーリニアは、ユーリニア王国において、前国王の血を継ぐ最後の生き残りであり、今となっては唯一の正当なる王位継承者だ。叔父を国王として据える現在の王国を相手取るにあたり、その事実、その存在は、非常に都合が良いものだった。
反乱軍はあたしが所属しているからこそ大義名分を掲げることができ、あたしが中心にいるからこそ一つの方向を向ける。いわば、あたしは反乱軍における旗振り役といったところか。
ああ、まったく、なんという皮肉か。
今のあたしはかつて蔑んですらいた父と同じ状況にいた。
一つの組織の長でありながらその実なんの権限も持たない、ただのお飾りにして名ばかりの主導者。求められているのは個人ではなく地位であり、他の誰がそこにいようと何も変わらない、そんなどうでもいい存在。
それが、かつての父であり、現在のあたしだった。
…………父は、自身の境遇をどう捉えていたのだろう。誰も自分という一個の人格には目もくれず、そこに在ることだけを求められる、そんなひどく寂しい生き方を、彼はどのようにして受け止めていたのだろうか。
「…………ねえ、セスイは父さんを、前国王のことを、どう思ってる?」
気がつくと、あたしはセスイへ、目前の敵であるはずの人物へと、そう問いかけていた。
ミラムがあたしの騎士であったように、彼はかつて王族の遠縁にあたる貴族の騎士をしていたことがあり、その縁で私の父とはそれなり以上に面識があったらしい。そのため直前の質問を尋ねる相手として間違っているということはないだろう。
「…………キュインス陛下をどう思うか、ですか。…………そうですなぁ」
突然の問いにも関わらず彼はその意図を尋ねることもなく、脳内をさらうような数秒の間をおいて、ゆっくりと口を開いた。
「無礼を承知で言葉にするならば、あのお方は、どうしようもなく凡夫でした」
「…………うん」
言葉少なく続きを促す。
「きっと、王になどならなければ、私人として生きていたのならば、人並みに生き、人並みの幸せを得て、人並みにその生を終えられたのでしょう」
セスイが口にした言葉は、私が父に対して抱いていた想いとまったく同じだった。
王としての資質などなく、けれど王となることを周囲によって決定づけられた、傀儡の王様にして腐敗の象徴。父も自身が置かれていた状況を、自身の無力さを理解していたはずだ。
けれど、そうであるのならばなぜ、彼は――――。
あたしは、少なくとも今のあたしは、父の在り方を、父の生き様を、とても美しいものだったと思っている。自らの信念のためその命を費やした彼の愚直さを、掛け値なしに尊敬さえしている。
だが、だからこそわからない。
――――どうして彼は、最後まで王であることを選べたのか。
あたしが反乱軍解体のため自らの命を賭す覚悟を決められたのは、これまでに多くの人があたしのせいで死んでいったからだ。彼らの死に報いるために、あたしはその命をもって多くの民を救わなければならないのだと、そう思ったからこそ今ここにいる。
父にも私と同じようにその命をかけるに足る理由があったのか、もしあるのだとすれば、それは一体どのようなものなのか。
なぜかはわからないけれど、それでも、あたしはその答えを求めていた。
「ですが」
自身の内側へと向けられていた意識がセスイの声によって現実へと引き戻される。
あたしはいつの間にか下へ向けていた視線を上げ、彼へと向ける。
「あのお方は、たとえ自らの末路を知ろうと、何度選択を迫られようとも、必ず王となることを選んだのではないかと、私にはそう思えるのです」
「…………それは、どうして?」
あたしが重ねて発した問いに、彼は。
「他に、王となれる人物がおりませんでしたから」
「――――――――」
あっけらかんと、そう答えた。
脳内でセスイが直前に発した言葉を繰り返す。そして。
「――――は」
不意に、笑いが漏れた。
「はは、ははは、あははは!…………そっか、そっかぁ」
ああ、なんて、なんて単純な理由だろうか。先ほどまで思い悩んでいた自分がいっそ馬鹿らしくなってくる。
他に王となれる人物がいなかった。だから父は王となった。だから父は王として生きた。だから父は、最後の瞬間まで王であることを選んだ。
特別な理由も、特異な動機も、特殊な事情があるわけでもない。父はただ、自分にしかできないことをしただけなのだ。
突然の笑い声に驚いたのかセスイは一瞬目をみはり、けれどすぐに優しくあたしへと笑いかける。
「…………どうやら、悩みが晴れたご様子。私の言の葉が姫の葛藤の一助になれたというのなら、これに勝る喜びはありません」
笑いによって乱れた息を整え、彼へ礼を口にする。
「…………うん。ありがとう、セスイ」
――――あなたのおかげで、覚悟を鈍らせずにいられる。
彼の言葉で気づくことができた。
あたしは、縛られてしまっていた。自らの命をもってでも反乱軍を解体すると決めておきながら、それでも、いつの間にかあたしは死という恐怖に囚われ、蝕まれようとしていた。一度定めた覚悟が時間という波にさらされ、自身も気付かぬうちに、少しづつ錆びついてしまっていたのだ。
だから、その恐怖に最後まで向き合い続けた父のことを知ろうとした。
そうして得た答えは、どこまでもありふれたものでしかなかった。
最後に見た父の姿を思い出す。
目前にまで迫った叔父の軍を前に城に残ると言い切った彼を。全身を震わせ、顔面を蒼白にして、それでも玉座で待つことを決めた彼を。
父も恐れていたのだ。敵を恐れ、苦しみを恐れ、死を恐れていた。でも、彼はその恐怖に縛られることはなかった。囚われることも、蝕まれることもなかった。なぜなら、彼にはしなければならないことがあったから。なぜなら、彼にしかできないことがあったから。
難しく考える必要なんてなかった。今の反乱軍を止められるのは、王国で起こる内紛を未然に防げるのは、あたしの他に誰もいない。だから、あたしがしなければならない。
その先に待ち受けるものが絶望なのだとしても、その結果として死んでしまうのだとしても、他の誰にもできないのならあたしがしなければならないのだ。
あたしが求めていた答えは、あたしが得た答えは、そんな、ひどく単純なものだった。
「ねえ、もう一つだけ聞いてもいい?」
あたしはセスイへとそう問いかける。
死への恐怖が薄れることなんてないけれど、それでも、もう揺らいだりはしない。
あたしは、あたしのするべきことをするだけなのだから。
「ええ、私に答えられることでしたらどのようなことでも、幾つでも、お答えいたしましょう」
セスイは穏やかな表情そのままに、そう口にした。
浅く息をはき、彼の瞳をまっすぐに見据え、口を開く。
「セスイ、あなたは」
静かに、問いかける。
「――――いったい、何を求めているの?」
次回は明日17時ごろ投稿予定です。




