31.訴え
草山を、家畜用の牧草地として使っているが故の発言だった。
ご老体の勢いは止まらない。
「貴族にとっては余分な財産に思えるかもしれんが、家畜がいなければ、儂ら農民は生きていけん! 畑を耕すのも、人の手だけでは追い付かん! 町の人間が食えているのも、家畜のおかげじゃ!」
ひとくちに家畜といっても、存在は幅広い。
畑でよく使われるのは、馬力のある大型の牛馬だ。
他にも鶏や羊などがおり、農作業がない間の農民の生活を支えている。
ご老体の発言を受けて、ユージンは説明を重ねた。
「家畜を奪おうとしているんじゃありません。草山について話しているのは」
「同じことじゃ! 草山が利用できんなら、家畜が飢えてしまう! そんなこともわからんのか! この先、洪水が必ず起こると誰が言える!」
ヒートアップするご老体の隣で、息子さんがしきりに落ち着いて、と沈静化を図るものの、成功の兆しは見えない。
ユージンの発言を遮ったことで、家令のフォードが声を荒げる。
「無礼なっ、態度を改められよ!」
「フォードさん、あんたは自分が情けなくないのか。都会から来たよそ者に顎で使われて。田舎の暮らしがどういうもんかわかりもしない若造じゃぞ?」
矛先がフォードにも向いたところで、息子さんが我慢の限界に達した。
「父さん! いい加減にしてくれよ! 相手は領主様だ、父さんがあれこれ言っていいお方じゃないんだぞ!?」
「お前まで何だ。こんなちんけな、ケラブノス公爵家を名乗るのも恥ずかしいくらいの縁戚じゃぞ」
「ケラブノス公爵家の本家に名前を連ねる方だよ! 前公爵様とも、何回も訪問されてる!」
「何を言っとる、目が悪くなったのか? 前公爵様とは、似ても似つかんじゃないか」
「晩年に後妻様との間に生まれた方だよ! 皆、知ってる!」
「まさか……」
ここではじめて、ご老体は周囲が引いているのに気づいた。
皆、ご老体の無礼に巻き込まれないよう、息を殺していたのだ。
(これで落ち着いて話ができるかな?)
ご老体の熱が冷めないのなら、一旦時間を置くつもりだった。
言葉を遮られて伝えきれていないが、牧草地の代替案は用意している。
(でも、ご老体の発言は、僕に対する、皆の正直な感想だよね)
貴族相手だから黙っているだけで。
抱えている不満は同じだろうと察する。
――領地外から来た、よそ者。
子爵領の有力者とは顔を合わせる機会があっても、町に住んでいない農民は、ユージンの人柄に触れることさえないのだ。
今回、ユージンが農民会議に出席したのは、その溝を埋めるためでもあった。
ご老体は周囲の反応を見て、やっと自分の立場を理解した。
その上でユージンを睨み付ける。
「はっ、偉い貴族様がなんぼのもんじゃ。儂はもう六十だ。優秀な跡継ぎも、可愛い孫もおる。ここで首を落とされても悔いはないわい!」
あとに引けなくなったのだろう。
本心じゃない、とユージンも思う。
けれど。
ユージンは、口が震えるのを止められなかった。
半ば叫ぶようにして声を発する。
「首を落とされても、なんて、言わないでください! 年齢なんか関係ない! 僕はあなたたち一人ひとりを生かすために、ここにいるんです!」
飢えないように、寒さに凍えないように、魔物に脅かされないように。
「軽々しく命を口にしないでください! それこそ、あまりに無礼だ! 僕だけじゃない、今、あなたの隣にいる息子さんに対してもです!」
父親の顔が頭をよぎる。
気付いたときには、大粒の涙が目から溢れていた。
「父さんは、前ケラブノス公爵は! 僕に、この、子爵領を託した。たとえどんな風に思われていても関係ない、僕は、全力で、領民を守ります! たかだか引っ込みがつかなくなっただけで、自棄になるなんて許しません!」
僕は父さんに生きてほしかった。
ずっと元気でいてほしかった。
届かなかった願いが、後悔が、押し寄せてくる。
寿命だった、そんな一言で片付けられるほど、簡単に割り切れるものじゃない。
ほぼ息継ぎなしで叫んだため、息が切れる。
呼吸が荒くなったところで、立ち上がった。
「取り乱しました。一旦、会議は休憩とします」
頭を冷やす必要があった。
ご老体より、自分のほうがよっぽど会議どころではない。
会場となっている村長の家を出て、大きく息を吐き出す。
「やっちゃった……」
子どものように泣き叫んでしまった。
それこそ、農民たちが危惧していたことではないのか。
頼りない姿を晒したことで、頭を抱える。
「このあと、どうしよう」
泣きじゃくった領主の言葉に、どれだけの説得力があるだろうか。
もう自分は前に出ず、フォードに全て任せようかと考えていると、視界の端でハンカチが差し出される。
「もし、よろしければ、どうぞ」
警護担当の騎士、三白眼とギザ歯が特徴的なウェストンが不器用に言葉を紡ぐ。
彼の優しさに、ユージンは何とか笑みを返した。
「ありがとう。使わせてもらいます」
自分のハンカチもあったけれど、温情をそのまま受け取る。
泣いて堪が外れてしまったらしく、弱音がぽろりとこぼれた。
「ごめん、情けない主人で」
「いえ、心に、きました。自分も祖父母と両親がいるんで」
若い彼からしたら、六十歳だと祖父母の年齢だった。
「さっきのは、自分の悲しみをただぶつけただけだよ」
「でも、嘘偽りない本心でしょう? 領主様の考えが聞けて、オレは良かったッス」
「そう? なら、救われる」
少なくとも近衛騎士の一人には、認められたなら。
「おかげで涙が止まりました。ハンカチは後日、新しいのを返します」
「もっと砕けた口調でもいいッスよ?」
「そう言ってもらえるなら、お言葉に甘えようかな?」
思案するユージンに、私も気にしません、ともう一人の近衛騎士のイールも告げる。
「ただウェストンは調子に乗りやすいので、失礼があったら、すぐに絞めてください」
「オイ、この流れで言うことか?」
「あはは、二人は仲が良いんだ」
上がった声の明るさに、ウェストンとイールはほっとした表情を見せた。
(気を張らせちゃってたか)
主人が泣き叫べば、それもそうかと納得する。
話し声を聞きつけて、フォードが顔を出した。
ユージンが平静を取り戻すのを、物陰で待ってくれていたようだ。
「今、よろしいですか?」
「はい、なんでしょう?」
「先ほど、場を乱した者への処罰についてです」
領主に対し、暴言があったのは事実だった。
お咎めなしでは、今後の治政に差し障る。
ユージンも理解して、労役を告げた。
「壁内の農業地区で半年、働いてもらいましょう。ご老体の村に伝わる農耕について、詳細を聞き出して記録してください」
基本的な部分は同じでも、たとえば雑草の処理方法など、細かい部分は村ごとに違う。
資料として残すのにいい機会だ。
年齢的に肉体労働には限界があるので、知識を共有してもらうことにする。
ユージンの答えを聞いたフォードは、頭を下げた。
後ろでまとめられた長い深緑の髪が、肩を越えて落ちる。
「ご配慮ありがとうございます。私の処分は、いかようにも」
農民たちにすべからくユージンについて周知させられなかったのは、自分の落ち度だという。
「ではフォードさんへ処罰は、領民に僕が頼りがいのある領主だと広く知らしめることとします」
「それは……」
「難しいでしょう?」
「ご謙遜を。処罰に値しません」
「醜態を晒した自覚はあります。足りないなら……そうですね、『威厳ある領主』というのも付け足しましょう」
一回り以上年上のフォードの眉尻が、どこまでも下がっていく。
反応に困る表情は、愛嬌があった。
「僕は、自分の力のなさを他人に押し付けたくありません。ご老体の意見も、今後の課題として受けとめています」
「理解が及ばず、申し訳ありません。領主様のお考えを胸に刻みます」
処罰についての話が終わる。
今度はユージンのほうに確認すべきことがあった。
「ところで農民会議は続けられそうですか?」
「はい、領主様さえよければですが……先に目を冷やされたほうがよろしいかと愚考いたします」
言われてユージンは、瞼が腫れていることに気付いた。
(どおりで、いつも以上に視界が狭いわけだ)




