17.帰り道
ディアーコノス伯爵の逃亡を防ぐため、調査団が到着するまで上司は伯爵領に留まることになった。
既にホテルから、伯爵の屋敷へ居を移している。
にもかかわらず、王都へ先に帰るユージンを見送るため、朝からホテルまで顔を出してくれた。
ロビーで今後について話を受ける。
席には上司とユージンの他に、サーフェスの姿もあった。
「伯爵の裁判は王都でおこなわれるから、彼の輸送に合わせて私は帰ることになるだろうね」
「最後までお手数をおかけします。本当に僕は残られなくていいんですか?」
「これ以上、君を引き留めるとあとが怖いからね。早く元気な顔を公爵様に見せてくれるほうが助かるよ」
伯爵の罪状は、ケラブノス公爵子息を害しようとした疑いである。
ユージンからすればことが大きくなり過ぎている気がするが、騎士団の暴挙も併せると否定しきれない伯爵が悪かった。
それだけではない。
冒険者ギルドの支部長と結託し、サーフェスを我が物にしようとしていた件もある。
冒険者は国にとっても宝だ。結果的に、魔物から国を守ってくれているのだから。
私兵に勧誘するならともかく、性奴隷の如く扱っていい相手ではない。
国益を損なう行為であるのは明確で、これについても伯爵は罪に問われる予定だ。
「全ての発端は、伯爵の我欲だよ」
と、上司は聞き取りによって判明した、ことの顛末を語った。
スタンピードの際、伯爵があえて騎士団を活躍させなかったのは、現場で冒険者を統括するサーフェスに花を持たせるためだったのだ。
サーフェスが一番の功労者になれば、褒賞式を名目に夜会へ呼べる。
既に警戒されていた伯爵は、何としてでもサーフェスを屋敷へ招き入れたかった。
単なる夜会なら断られる可能性もあるが、魔物討伐の祝賀会として商人たちも招き、お祝いムードをつくれば無視はできない。
夜会でサーフェスを手に入れるための策が、巡り巡って伯爵の首を絞めた。
これを隣で聞いていたサーフェスは首を傾げる。
「自分に殺されるとは考えなかったんですか?」
麻痺薬が効いていたとはいえ、魔力は潤沢にあり、全く動けないというわけではなかった。現に、最悪、犯罪者になってでも抗おうと考えていたとサーフェスは言う。
白髪交じりの銀髪を後ろへ撫で付けながら上司は苦笑した。
「そこが伯爵の読みの甘いところだね。欲望に目が眩んでいたとはいえ、冒険者の力を過小評価し過ぎだ」
「どうせ元から平民に過ぎないと、見下していたんでしょう」
伯爵について考えるのも億劫だと、整った眉根にシワが寄る。
襲われそうになっていたサーフェスにしてみれば当然だ。
伯爵の心理について考える。
(相手が犯罪を犯してでも抵抗するとは、考えなかったんだろうな)
その思考には、ユージンも覚えがあった。
自分にとって絶対的なルールでも、相手に通用するとは限らない。
騎士に殴られた顔が、蹴られた腹が、再び痛む気がした。
同席したのはサーフェスの意思だけれど、気分が悪くなっていないか窺う。
アメジストの瞳と目が合うと、ふっと目尻を緩めて微笑まれた。甘さのある笑顔を向けられて、堪らず目を逸らす。この場に令嬢がいたら卒倒しているんじゃないだろうか。
「ユージンくんには、本当に救われました。裁判での証言も任せてください」
サーフェスは証人として裁判に出席することになった。
また王都までの護衛を雇おうとしていたところ、「青き閃光」が同行を買って出てくれた。ネオは馬車に同乗せず、一人馬に乗って少し離れて付いて来るという。
上司が頷く。
「心強いよ。そうそう、冒険者ギルドの支部長についても、私のほうから申し立てておいたから、ことが一段落すればここも住みやすい町になるだろう」
本来、冒険者を守る立場であるのに、伯爵と結託した罪は重い。
処分は冒険者ギルドに任せられるが、貴族に目を付けられたとあれば、いい加減には済ませられなかった。
「さて、伝えておくべきことは、こんなところかな。王都へは長旅になるだろうけど、『青き閃光』ほど頼りになる同行者もいないだろうからね。くれぐれも体調には気を付けて」
「はい、何から何までありがとうございます」
上手く話がまとまったのは上司のおかげだ。
感謝を込めて頭を下げる。
見送りを受け、馬車へ乗り込むと、先にリヒュテの姿があった。四人乗りで余裕があるはずなのに、上背があるせいで窮屈そうだ。
「リヒュテさんも王都まで、よろしくお願いします」
こくりと頷きが返ってくる。
ユージンとサーフェスは隣り合って座った。
「ネオさんには申し訳ないですね」
同乗できないのは、ひとえにユージンが持つ特性のせいである。
獣人のネオは傍にいると、酩酊状態になってしまうのだ。
「元から馬車でも御者台で風を感じているほうが好きな人ですから、気にする必要はありませんよ」
夜会での一件から、更にサーフェスとの距離が近くなった気がする。
お互いの貸し借りがなくなり、ユージンとしても肩の荷が下りた心地はあった。
ただスキンシップが増えたことに関してだけは落ち着かない。
美形に慣れたユージンから見ても綺麗な顔が間近に迫ると、お尻がそわそわする。
「おや、どうされたんですか?」
「からかわないでください……!」
イジワルな面を見るのも多くなった。
窓のほうへ体を寄せると、正面から大きな手が伸びてきて、わしゃわしゃと頭を撫でられる。
リヒュテは無表情だが、慰めてくれているらしい。
気を許してもらっているのが伝わってきて頬が緩む。友人が増えるのは嬉しかった。
温かく穏やかな空気は、日が暮れるまで続いた。
◆◆◆◆◆◆
王都までの間、町での宿泊が主になるけれど、予定が合わないこともある。
野宿のときは、「青き閃光」が順番に見張りを務めてくれた。おかげで御者も安心して眠っている。
(星が綺麗だなぁ)
ユージンは寝付けず、膝を抱えて夜空を見上げていた。
自然のシャワーを全身で受ける。
ここには壁も、天井もない。
床もなくて、あるのは地面と、空だった。
明かりは焚き火のみ。
だからだろうか、町より星が輝いて見えるのは。
土のにおいが鼻腔をくすぐり、虫の鳴き声が辺りに響く。
王都から遠出するときは、公爵家の騎士団が付いて来るため大所帯だった。
野宿するにしても人気が多く、夜でも賑やかな印象が強い。
それとは打って変わって、目の前には静寂が広がっていた。
黒というより、濃紺に塗りつぶされた世界。
視界いっぱいに広がる星空を、ぼうっと眺める。
頭が空っぽになっていくのを感じていると、近寄ってくる人影があった。
「オマエに名誉をやる」
ん、とぶっきら棒に差し出されたブラシを受け取る。
背中を向けてユージンの前に座ったネオは、三つ編みにしていたクセのある長い髪を解いた。乗馬中、邪魔にならないよう、最近はずっと髪を束ねている。
「僕の近くに来て大丈夫なんですか?」
「見張りの番は、まだ先だからな。酔っても問題ねぇよ」
お酒と違い、二日酔いがないどころか、寝て起きると体調が良くなるとは聞いていた。
問題ないならいいか、と毛先から順に絡みを取っていく。
「ブラッシングって名誉なんですか?」
「オマエだって、見ず知らずの相手に髪を梳かれたくねぇだろ」
「なるほど、気を許してくれてるってことですね」
特性のせいで、他の冒険者たちと比べ、ネオとは交流できていなかった。
けれど無害判定されているとわかり、にへら、と頬が緩む。
ネオが振り返ったので視線を上げると、ジロリと睨まれていた。細長いヒョウ柄の尻尾が、バシバシ地面を叩いている。
「思い上がるなよ。オレにとって都合が良いってだけだ」
「はい。ところで一日ずっと乗馬していて、疲れてませんか?」
馬に乗るには体力を使う。
自分がいなければ、ネオも馬車で楽に過ごせたのだ。
サーフェスは気にしなくていいと言っていたけれど、やっぱり罪悪感は残る。
「オレが疲れてるように見えんのかよ。ひ弱なオマエと一緒にすんな」
「そうですね、すみません」
ネオも特級クラスの冒険者だ。
心配するのもおこがましいと悟る。
騎士団との一件で反省したはずなのに、どうしても自分基準の考え方をしてしまいがちだった。
難しいなぁ、と思っていると、ネオが重心を後ろへ傾ける。
避ける間もなく、ネオの後頭部とユージンの頭頂部がこつんと重なった。
「オマエ、偉い貴族の息子って嘘だろ」
「本当ですよ。瞳の色だけは、ちゃんと受け継いでますから。あと弱いですけど雷魔法も」
顔を上げられないので、下を向きながらできる範囲でブラシを動かす。
しかしぐりぐりと頭を動かされると、視界が揺れた。
「見えねぇんだよな。糸目だし。簡単に魚が捕れるのはいいよな」
旅の途中、魚のいる水場で雷魔法を披露していた。
力が弱い分、狩猟では役立つこともあるのだ。
「動かれるとブラッシングできませんよ」
「んー」
そろそろ酔いが回ってきたらしい。
へにゃりと背骨が抜けたように、ネオが横たわる。
人肌があると安心するのか、ユージンの腰に腕を回し、膝を枕にした。
大型獣に懐かれているようで嬉しい。
(けど、これじゃ動けないな)
律儀にブラッシングしながら考えていると、突然ネオの体が浮いた。
サーフェスが首根っこを掴み、そのままぺいっと横に投げる。束の間の出来事だった。しかも片手での所業である。
武人は魔力で身体強化するのを、ユージンは目の当たりにした。
「うちの獣がご迷惑をおかけしてすみません」
「いえ、僕も楽しませてもらっているので……」
元から動物と触れ合うのが好きだった。
獣人は人間だけど、ブラッシングしているときの心境は同じだ。
「だったら自分も構いませんか?」
「え?」
言うなり、今度はサーフェスが背中を向けて、ユージンの前に座った。
クセのないレイクブルーの髪が眼前に広がって戸惑う。
やることは同じだ。
なのに緊張してしまうのは、艶を持った髪が綺麗だからだろうか。
「僕、髪に関しては素人ですよ?」
「自分もです。でも髪はブラッシングするほどいいと言うじゃないですか」
頭皮のマッサージにもなります、と続けられ、断る理由を見付けられなかった。
「不快だったら言ってくださいね」
ネオのときと同じように毛先部分からはじめ、上から下へとブラシを通していく。
「ホテルで自分が寝落ちしたときのことを覚えてますか?」
「伯爵邸から帰ったときのことですか?」
サーフェスの寝落ちを目撃したのは、そのときしかない。
「あのとき、多分、自分もネオと同じように酔っていたのではないかと考えています」
「僕の特性でですか?」
薬を盛られた疲れから寝落ちしたのではないという。
「気のせいかとも思ったんですが、翌日、目覚めると体の調子が良くて驚きました。ユージンくんの影響があったのではないでしょうか」
ネオが言うには、ユージンが持つ特性は獣人に特別効果があるものだ。
実際、サーフェスもリヒュテも普段は何も感じない。
にもかかわらず効果が出るときがあるのだろうか。
ここで一つ、サーフェスが仮説を語る。
「平時には影響がなく、麻痺など体が状態異常に陥っているときには、影響が出るのではないでしょうか。思い返してみれば、あのときユージンくんの傍にいると体が楽でしたから」
本能的に癒やしを求めるとき、特性の効果が出るのではないか。
獣人は人に比べて本能が働きやすいため、差が生まれるのではと言われ、納得する。
「なるほど、一理ありそうです」
「とはいえ、ユージンくん自身に癒やしの効果があるので、本当に特性の影響なのかは判別できませんが」
「僕自身にですか?」
「ええ、ユージンくんに会ってはじめて、人が癒やしになるのだと自分は知りました」
人当たりが良いとは、よく評される。
平凡な見た目と相まって、肩肘張らずに過ごせるとも。
「ネオが懐いているのも、特性だけが理由じゃないということです」
見張り番をしているリヒュテを含め、「青き閃光」のメンバーから好印象を持たれているのは伝わっていた。
改めて言葉にされると面映ゆい。
流星のような髪を眺めながら、ユージンの夜は静かに更けていく。
周りに人がいても、案外のんびりできるものだと、この出張で知った。
それだけユージン自身も「青き閃光」の面々に気を許している証拠だ。
(色々あったけど)
日常は続いていく。
王都では裁判が待っていることを考えれば、また慌ただしくなるだろう。
そして、またのんびりしたい願望が強くなる。
結局は繰り返しなのかな、と思いつつ、ユージンは今あるゆっくりとした時の流れに身を任せた。
完
最後までお付き合いいただき、誠にありがとうございます。