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死がふたりを結ぶまで  作者: 篠矢弓人
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花崩れの少年3


 扉の音に驚いた黒服達が振り返った拍子に焼き鏝が外れ、拘束が緩む。涙で滲んだ視界の先に見えたのは、扉の前で仁王立ちする小さな子供の姿だった。


 新雪のような真白い肌に、黒檀のように艶めく黒い髪。浮世離れした白皙の美貌。黒服達を射抜く双眸は、ゾクリとするほど冷たい(すみれ)色をしている。


 神様が来て下さったんだ。少年はそう思った。そう感じてしまうほど、彼の姿は美しく、超然とした神々しさを放っていた。


「ここで何をしている」


 透き通った高い声が、部屋の空気を一瞬にして凍らせる。容姿も声も中性的だったが、仕立ての良い服装から、辛うじてその子供が男であることがうかがえた。


「……坊ちゃん、お早いお帰りで」

「何をしているんだと訊いている」


 へつらう素振りをみせたイゼドを、彼は一蹴した。聴くもの全てに畏れを感じさせるような、他者を支配することに慣れきっているような、そんな温度の無い声で。


「僕は無傷で連れて来いと言ったはずだ」

「しかしですねえ、坊ちゃん」

「口答えするな」


 彼はぴしゃりと言うと、少年に視線を移す。少年は思わず身を縮こまらせた。少し動くだけでも激痛に苛まれるが、あの美しい生き物の視界に無様な姿を映す方が嫌だった。

 彼は硝子玉のような感情の読めない瞳で少年を見下ろすと、視線を逸らさないまま命令した。


「……イゼド、彼を部屋に運べ」


 今度はイゼドも逆らわなかった。少年は口布を外され、麦袋のように担ぎ上げられる。

 小屋を出る際に、派手な赤毛とすれ違った。パーシェだ。彼は緑色の瞳を細めて「遅くなってごめんな」と囁いた。どうやら彼が『坊ちゃん』を呼んできてくれたらしい。少年は朦朧とする意識の中で礼を言ったが、パーシェに伝わったかどうかは分からなかった。


 少年が運び込まれたのは三階の大きな部屋だった。壁一面の本棚と、天蓋付きのベッド。凝った造りの文机とソファが置かれ、暖炉には暖かな火が揺らめいている。窓際に一つ、空っぽの鳥籠が置かれていた。


「……ッ!」

「痛むだろが、我慢してくれ。無傷で寄越すように伝えたんだがな、彼奴らはお父様の言うことしか聞かないんだ」


 火傷した箇所を丁寧に冷水で洗って、薬を塗られる。本当は薄汚い身体を清めたかったようだが、傷に障るから今度にしようと『坊ちゃん』は言った。布を当て、包帯で固定した傷の上をなぞり、彼は小さく舌打ちをした。


「痕が残ったら厄介だな……他に痛いところは?」


 少年が遠慮がちに肋骨の痛みを伝えると、彼は幾つか質問をしたり触診した後、折れてはいないようだと呟いた。棚から出した塗り薬を布に塗布し、痛みのある箇所に貼り付ける。火傷の手当ての手際の良さといい、『坊ちゃん』はまるで医者のようだった。

 治療した箇所を真剣に検分していた彼は、突然思い出したかのように少年へ問い掛けた。


「君、名前は?」


 少年は『花』だった頃の名を名乗りそうになって、寸前で飲み込んだ。きっと自分の名は、もう新しい弟妹が使っている。


「ありません」

「そうか。無いと不便だからそのうち考えよう。僕の名前はルウグだ」

「る、ぅーぐ?」


 舌を巻くような慣れない発音に苦心して少年が呼ぶと、幼い主人は「おや?」という顔をして首を傾げた。


「もしかして君、エルム人か?」


 その言葉に、少年は心臓が止まるかと思った。みるみるうちに血の気が引き、ガチガチと歯の根が合わなくなる。

 何で?何でバレた?どうしよう、自分なんかが花崩れだとバレたら、弟妹達に迷惑がかかる。


「ち、ちがっ……」

「その年齢でエルム人となると花崩れだな。ああ、別に隠さなくてもいい。僕の名前を呼ぶときの発音がエルム訛りだったからすぐ分かる。エルム語には濁音を含む語が少ないから発音に慣れないのだろう。エルム語は『に』の開拗音および二音目に長音符を含む場合が多いことから、猫の鳴き声に似ていると評されるらしいな。興味があるから今度聞かせてくれ。ちなみに僕の名前をエルム風に言い換えるなら火の神(ルーグ)だ。まあ呼びやすいように呼ぶといい。何か質問は?」


 一瞬、何を言われたのか理解できなかった。どうやら自分をエルム人の花崩れだと断定した根拠を述べられたのだと分かり、小さな主人がこんなにも饒舌だったことに驚き、訊きたいことはあるかと尋ねられていることを理解するのにたっぷり十秒を要した少年は、混乱しつつも口を開いた。


「ほんとに、神様だったんだ……」

「は?」


 少年は慌てて首を振った。神に助けを乞うたら貴方が来た。なんて突然言ったら、間違いなく頭のおかしい奴だと思われるだろう。


「ええと、ご主人様……?」

「お父様が使用人にさせるような呼び方は嫌いだ。名前で呼んでくれ。話し方も畏る必要はない」


 黒服達の会話から、自分の飼い主が“旦那様”ではなく目の前の子供であることは分かっていたので相応しく呼んだつもりだったが、駄目だったらしい。なるべく主人に失礼の無いようにと、少年は必死に舌を動かした。


「るぅ、ルぅーぐ……る、ルウ」

「ふむ、鬼火(ルウ)か。良い妥協点だな」


 正確とは程遠い発音だったが、主人は思いの外お気に召したらしい。ルウ、ルウ……と自分でも何度か口にした後、今度からそう呼ぶようにと少年に命じた。


「さて、質問が無ければ仕事の話に移るが、何かあるか?」


 そう訊かれて少年は困った。どうやらこの主人は、自分が花崩れであることなんてどうでも良いらしい。弟妹たちに迷惑がかからないという点については安心だが、“仕事”という言葉が気になった。この帝国で、エルム人が就ける仕事なんて『花』以外には無いはずだ。奴隷として労役につけということだろうか。


 少年は少し前まで奴隷として生きるなら死んだ方がマシだと思っていたが、この気高く美しい子供の従僕になるのなら、それでも構わないと思い始めていた。他者に膝を着かせる風格を、この小さな主人は持ち合わせていた。


「あの、ご主……ルウ。俺エルム人なのに、気にしないのか?」

「僕と歳の近い同性であれば別に問題ない。君に引き受けて貰いたいのは、人体実験の被験者だからな」


 歳が近い、という言葉にも驚いたが、その後に続く言葉で少年はさらに驚愕させられた。そういえば黒服達が馬車の中で解剖がどうのと話していたが、冗談ではなかったらしい。少年の無言をどう受け取ったのか、ルウは大きな瞳を瞬かせて小首を傾げた。


「あぁ、別に君の体を切り刻んだり、ヤク漬けにして売り飛ばすつもりは更々ないから安心してくれ。人体実験とは言っても、趣味の範囲だ」


 全く安心出来ない補足に、少年の顔が引きつる。

 とんでもない主人に拾われてしまった。神々しい救世主だと思っていた子供の中身は、とんだ狂科学者だったらしい。


「つまり俺は、その……アンタの趣味用のオモチャってこと?」

「理解が早くて助かる」


 ルウは再び棚を漁ると、今度は小瓶に詰められた薬品を持ってきた。『冥府の月』というラベルが貼られた小瓶の中には、とろりとした紺色の液体が入っている。


「せっかくだから、僕の専門分野を君に見せておこう。君もこれから投与されるものが何なのか知りたいだろうから」

「専門?……さっき治療に使ってくれた塗り薬とか、そういう医薬品の調合が専門なんじゃないのか?」

「それは表向きの趣味だ。お父様は僕が医者を目指しているのだと信じ込んでいるようだからな。……手を出してくれ、これは飲まずに使う種類のものだ」


 ルウは少年の手を取ると、そこに小瓶の液体を一滴垂らした。紺色の液体は一瞬ぎゅっと縮んだかと思うと、みるみるうちに糸状に解ける。糸が隙間無く絡み合いながら楕円に広がると、やがてその中に、キラキラと光が灯り始めた。幾条かの星屑が零れ、綿のような雲が、すーっとその下を滑っていく。

 そうして最後に、金色に輝く球体がゆっくりと浮かび上がった。──月だ。


「きれい……」


 掌に小さな夜空を創り上げたルウは、少年の反応にほんの少しだけ口角を上げて言った。


「僕の研究分野は魔術薬。人になし得ぬ奇跡を追求する学問だ」




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