夢
パチリ。
ある日オレリアが目を覚ますと、全く知らない鍾乳洞の洞窟のような場所にいた。
陽の光など一切入ってこないような真っ暗な場所なのに、そこに何があるかしっかりと分かる。
地面が一面青白い石でできていて、それが発光している故に視界が確保されているようだった。
(ここはどこ?)
そう呟いてみたが、声は出なかった。
立ち上がろうとしてみても足に力が入らず、オレリアは地面に座り込んだ姿勢のまま動けなかった。
遠くの方で、水が滴るような音が聞こえる。
だが音は聞こえるが、石でできた地面からの温度は全く感じなかった。
それならばとおもむろに腕を動かしてみる。
なんだか普段と違って、太くてフワフワの黒い毛がモコモコとはえている腕が自分の視界の端で動いた。
もう片方の腕もそうだ。
黒い毛が生えていてフワフワしている。
試しに、フワフワの片方の腕でもう片方の腕を触ってみたが感触が無かった。
(……変なの)
オレリアはのんびり首を傾げた。
本来ならばもっと取り乱していたところだが、何となく夢の中にいるようなぼんやりとした心地だったので、焦りも恐怖も感じなかった。
どれくらいそうしていただろう。
いつか覚める夢だろうと座ったままぼんやりしていると、ジャリッと砂を踏む音がして、誰かが近づいてくる気配を感じ取れた。
(なんだろう)
音のした影の方へ目を向けると、背の高い人型が姿を現した。
(……あっ!)
オレリアはその人物を見て、ひゅっと息をのんだ。
オレリアの視界に現れた人物、それはルイスだった。
汚れた衣類と傷ついた防具を身に着け、体には細かな傷を至る所に付けていた。
そしていつも上品な目元は今、荒く削られた刃物のように鋭くて、この場所に来るまでに幾つもの難所を切り抜けてきたのだろうことを思わせた。
そんなルイスに対して、オレリアは大丈夫なのかと問いたかったが、声は出ない。
その代わりに、聞いたことのあるぬるりとした声が自分の体から発された。
『これはこれは。健康そうな騎士さんがこんなところまでどうしたのでしょう』
オレリアが自分の体だと思っていたものから発されるこの声は、時々気まぐれにオレリアの前に姿を現す魔物ベリアルの声だ。
ベリアルはフワーと欠伸をして、黒い毛の生えたフワフワの腕で大きく開けた口を半分隠した。
その間もオレリアに感覚は無いし、オレリア自身欠伸をしたつもりではなかったが、一連の動作がどうやら自分が入っている体で行われたらしいことに気が付いた。
なるほど、オレリアは寿命と共にベリアルに取り込まれつつあるらしかった。
魔物に寿命を取られるというのはこんなことも起こるのか。
……いいや、そんな事より目の前にルイスがいることの方が問題だ。
魔物に取り込まれつつあるオレリアがルイスの姿を見ることが出来ているということは、今魔物の前にルイスがいるということだ。
『何か私に用事でも?』
ベリアルは気だるげな口調でルイスに尋ねる。
ルイスは神妙な顔ではいと頷いた。
「……なるほど驚きました。魔物というのは、意思の疎通ができるのですか。ならば少しばかりいきさつを話すと、どうしても助けたい人がいるので何とかして貴方の呪いを止められないだろうかと考えて、私はここまで訪ねて来るに至りました」
『ああ、成程。しかしよくこんな荒廃した場所まで生きてやってきましたね。君の生命力にはほとほと目を見張るものがあります。でも君は客人として招くにしてはいささか不穏なようですね』
「……申し訳ありません」
ルイスは口調こそ丁寧だったが、すでにスラリと剣を抜いていた。
青白い洞窟内で、鈍色の刃がギラリと光る。
「もう苦肉の策で、貴方を斬って倒したら呪いが解けるのではないかと」
もう覚悟を決めた顔をしているルイスは剣を構えた。
その剣先は真っすぐに一点、魔物ベリアルの心臓に狙いを定めている。
しかしベリアルは実家でくつろいでいるかの如く悠々としていた。
『解けるかもしれませんね。やってみたことはないし、これからも私が死ぬことはないでしょうから、その答えは永遠に分かりませんけれど』
ベリアルが言い終わるその前に、ルイスはベリアルの懐に飛び込んでその体に剣を突き立てていた。
しかし。
『ね、だから言ったでしょう。人間の細腕で、そして剣なんて鋼の塊で、私の息の根など止めることは不可能ですよ』
ルイスはにんまり笑うベリアルの体目がけて、再び剣を振り下ろした。
しかしどうやっても、剣がベリアルの体を貫くことはなかった。
確実に刃が触れているように見えるのに、ベリアルはまるでそこに居ないような手ごたえのなさ。
空気か、精霊か、なにか別の次元のものに剣を振り下ろしているような、そんな無意味な攻撃がひたすら続いた。
『私を殺すことは叶いませんよ、元気な騎士さん』
「しかしオレリアさんの事は、絶対に助けると約束したので。絶対に、貴方の呪いは解いてもらわねば」
剣での攻撃が通る見込みはもうないと判断したルイスは懐から紫の瓶を取り出して、それをベリアルに浴びせかけた。
『毒も薬品も聖水も、私には何も効きませんよ。沢山武器を持って来たようですが、それもみんな無駄骨に終わるでしょう』
ベリアルの言う通り、藁にでも縋るような必死さでルイスはベリアルに攻撃を仕掛けていくが、それらすべては魔物に対して無効だった。
そしてベリアルがのそっと体を起こした時、ルイスの準備してきた手札はすべて尽きていた。
「……っ」
『私のことは殺せませんでしたね。ここまで折角訪ねてきてくれたのに、残念でした』
「ま……まだだ」
『いえいえ。本当はもう既に悟ってしまったのでしょう?顔がすっかり絶望に染まっています。最初に言ったように、人間の住む世界で私を殺すものなど作れませんよ』
「では、どうしたら……」
ルイスはぐっと手に持っていた剣を握り、奥歯をギリリと噛み絞めた。
その様子を見ていたオレリアはもうやめてくれと叫びたかった。
体の動きに大きな制限があるせいで声も涙も出ないが、本当は泣きながらルイスに駆け寄りたいところだった。
そしてそんなオレリアの気持ちなど全く関与しないところで、ベリアルがにやりと笑った。
『しかし結末は、そう悲観しなくてもよいかもしれませんよ、騎士さん。なぜなら君の目的は私を殺すことではなく人間を一人死なせない事。それであれば私も少しばかり使える方法を持っています』
「……使える方法?」
『ええ。きっと君も興味を持ってくれるでしょう。そんなに必死になってまで死なせたくないと願う人間がいる君なら』
手が真っ青になるほど剣を握りこんでいたルイスが、ゆっくりと顔を上げた。
ルイスの顔を眺めたベリアルの、摩訶不思議は形をした瞳孔が奇妙に歪む。
『ふふ、勿体ぶるつもりもありませんからハッキリと教えて差し上げましょうかね。もし君がその、君のとっても健康的で美味しそうな寿命を代わりに差し出すというのなら、特別にあのオレリア・エンフィールドの呪いを植え替えてあげてもいいですよ』




