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ep.01 いつもの学食で


 大学の構内は、春の陽気に包まれていた。

 天気予報によれば、先週までの肌寒さは影を潜めるとのこと。厚着をしていると、少し汗ばむほどである。


 春。


 春といえば、節目の季節である。新学期、新生活、新社会人……期待に胸を馳せ、新たな環境に身を投じる人は多いはずだ。

 俺の大学でもご多分に漏れず、期待と不安を抱えた大勢の新入生が入学してきた。

 入学おめでとう、と祝辞を贈りたいところだが、キャンパスの正門通りは彼らに支配され通り抜けることもままならない。

そのうえ、彼らをいち早く捕獲したいサークルやら部活動やらの勧誘も苛烈を極めていた。


「マスコミ研究会! ミスコン運営でイケメンや美女と知り合いになろう!」

「グラインダー部! 大空を舞う感覚を君も味わいたくないか?」


 自分にはまったく無関係なのに、妙に耳に入ってきて喧しい。そもそもグラインダー部なんてあったのか。初耳だよ。


 満開を迎えたせっかくの桜並木も、これでは趣も何もあったものではない。

 人混みを押しのけて、なんとかルートを切り開き学食へと急ぐ。今日は中途半端な時間に起きてしまったせいで、まだ何も食べていないんだ。


 とにかく、腹が減った。

 学食の自動ドアを抜けると、案の定この中も新入生で溢れかえっていた。昼どきを過ぎた時刻だというのに、見渡す限り人、人、人。新入生、恐るべしである。


 だから毎年この時季は好きではない。もともと人と群れることが好きではないのだが、それにしてもこの時季は人が多すぎる。加えて、みんな一様に清々しい表情をしている。

 四年生ともなるとそういうフレッシュさはもう鬱陶しい。できるだけ彼らとは関わりたくないものだが、ここで過ごしていく以上仕方のないことだ。


 なに、ゴールデンウィークが終わる頃にはこの人数も随分と減る。

 もうしばしの辛抱だ……

 そんなことを考えながら、券売機で三百円の格安肉うどんを購入し、カウンターへと向かう。


「いらっしゃい。鶏と豚、どっちがいい」

「豚マシでお願いします」

「はいよ」


 学食の肉うどんは格安な上、鶏肉か豚肉か選択ができ増量もできる。我々学生にとっては大きな味方だ。俺の体の半分はこの肉うどんでできているといっても過言ではない。

 大盛りになった肉うどんを受け取り、空コップふたつに冷水をなみなみ注いでいつもの席へと向かう。


「おうノリ、遅かったな。三限はサボりか?」

 俺に気づいた(あつし)がスマホ片手に話しかけてきた。

「ああ、寝坊しちゃってさ」

 答えながら空いている席へと座る。向かいに座っていた兼保(かねやす)にも「よう」と目配せした。

 調理場裏の決して良い席とはいえない場所だが、ここが俺たちのいつもの場所である。


「敦と兼保は三限終わり?」

「そ。んで、俺はこの後四限五限と連続で授業ですよ」

 兼保が眠そうに欠伸をしながら答える。


「俺も本当は四限あるけど、夜に飲み会あるしサボって帰るよ」

 敦はスマホを眺めながらにやつく。さぞ嬉しいのだろう。


「いいよな経営の連中は。文学部は出席重視だからとてもじゃねえけどサボれねえよ」

 兼保が苦悶の表情で頭を掻いた。

 文学部は文系の学部の中でも特に出席が厳しいと聞く。サボり呆けている俺たちを見れば、それは苛立つだろう。


「ノリは今日このあと授業?」

 不機嫌そうな兼保が俺に尋ねる。そして、一瞬頭が真っ白になった。

「えーと……授業はないんだけど」

「お前、授業ないのに何しに大学来たんだよ」

 敦は置いてあったアイスコーヒーを飲みながら、怪訝な視線を向ける。


「そうだ、絵梨花(えりか)。絵梨花は来てないの?」

 昨晩絵梨花から電話があって、制作途中の絵を見に来ないかと言われていたのだ。どうして一瞬忘れてしまっていたのだろう。


「絵梨花ならここには来てねえよ。いつものアトリエにいるんじゃねえの?」

 スマホから視線を外すことなく敦は淡々と答えた。


「やっぱりそうだよな」

 大盛りになった肉うどんを食べながら、このあとすぐにアトリエへ行こうと思った。半年前から描き続けているというあの絵が、もう完成間近なのかもしれない。


「絵梨花は最近ずっとあそこに籠もってるよな。気が滅入らないのかねぇ」

 気だるそうに首を回しながら兼保もスマホを取り出した。

 意識はここにあらずといった感じで今にも眠りに落ちてしまいそうだ。

 これが四年生の風格なのか、見ているこちらまで眠くなってくる。兼保の眠気を飛ばすように俺は大きめの声で答えた。


「今年の八月に地元で大切なコンクールがあるって言ってただろ? 多分その絵の追い込みをしてるんだと思う」

「へえ、コンクールねえ」

 兼保は目に涙をうかべた間抜け面で頭を掻いた。眠いのはしょうがないが、絵梨花の話をしているというのにここまで無関心なのも良い気はしない。


「コンクールっていっても、『紫玉絵画展(しぎょくかいがてん)』っていう四年に一度のすっげー大切なものらしいぜ」

 絵梨花の肩を持つわけではないが、俺は説明を付け加えた。だが兼保は「んぉー」とうめき声をあげるばかりで、ちゃんと反応したのは敦の方だった。


「四年に一度ってことは前回開催した時、絵梨花は高校生だよな?」

「まあ、そうなるとは思うけど……」

 敦からの予想外の質問に、思わず言葉が詰まった。


「じゃあ絵梨花は高校の時もそのコンクールに絵を出したのか?」

「知らないけど……どうしたんだよ急に」

「いや、絵梨花ってめっちゃ絵上手いだろ? 高校生の時から上手かったのかなって純粋に気になったからさ」

 敦の言いたいことはなんとなくわかった。


 絵梨花は稀に個展なども開催し、絵が買い取られるほど熱心なファンもいるらしい。そんな絵梨花が高校生の時どんな絵を描いていたのかは、俺も気になった。


 だが、絵梨花はまったく自分の身の上話をしようとはしなかった。

 俺たちは、絵梨花が高校生の頃どのように過ごしていたかよく知らないし、どういう経緯で絵を描き始めたのかも知らない。

 もっと言えば、将来は何になりたいのかとか、好きな人がいるのかとか、そういう話も一切聞いたことがなかった。


 三年以上もの間いつも一緒にいるが、俺たちは絵梨花のことをほとんど知らなかった。わかるのは、絵を描くのが大好きで明るい、教育学部美術科の女の子ということだ。


「考えてみたら、俺たちって絵梨花のことあんまり知らないのかもな」

 俺がそう言うと、敦も「だろぉ。俺は前々から思ってたぜ」と同調した。


 その様子を見て兼保はわかりやすく眉間に皺を寄せた。

「んだよお前ら。そんなこと気にしてんのか」

「だって実際よー、なんか寂しくない?」

 敦が不満を漏らすと、兼保は「馬鹿だね」と一蹴した。

「絵梨花にだって言えないことはあるでしょ。言わないってことは何かあるんだろ? それにアイツだって、楽しいから俺らと一緒にいるんだろ。それでいいじゃねえか」


 兼保は言い終えると、「んん!」と力強く伸びをした。相当眠気と奮闘しているようだ。


「まあ、兼保の言いたいことはわかるし俺もそれでいいけどさ」

 敦はどこか腑に落ちないようで、目の前のアイスコーヒーのストローを指で弄っている。


「ならそれでいいじゃん。いつか絵梨花から話してくれるって」

 所在なげにそう言うと、兼保はまたひとつ欠伸をした。

 調理場の方から、ジュワアと景気の良い音が響いた。きっとこれは人気メニューの回鍋肉定食を作っているに違いない。香ばしい炒め物の香りが漂ってくる。


「いかん。こんな所にいたら、眠いし腹が減るしで二重苦だ。俺、四限いくわ」

 そう言い残し、兼保はそそくさと席を立って次の授業へと向かっていった。

 

 学食の片隅、辺鄙な席に俺と敦のふたりだけが残った。


「とは言っても、だよなぁ。こっちにはのっぴきならねえ事情があるんだから」

 敦はトントンと小気味よく指でテーブルを叩いた。


「兼保だってノリの気持ちを知ってるくせに、つれねえよな」

「兼保は、そういうことちゃんと考えてるんだろ」

 俺がそう言うと、敦は口をへの字に曲げておどけた表情をした。こういう時の敦はすこし面倒臭い。


「それじゃまるで、俺がちゃんと考えてないみたいじゃないか」

「そうは言ってないだろ」

 敦は「ふーん」と平板な相槌を打つと、ストローでアイスコーヒーを飲み干した。


「お前、絵梨花と最近どうなんだ」

 真剣な面持ちで、敦が出し抜けに質問をしてきた。

 思わずむせてしまい頬張っていたうどんを吐き出しそうになる。すぐには気の利いた返答が思いつかず、言葉に詰まってしまう。


「どうなんだ?」

 敦の追求は止まらない。

 こっちは今肉うどんを食べている最中なんだ。ちょっとは空気を読んでほしい。


「どうも何も。今までとなんら変化はないよ」

「そっか。そらそうだよな」

 はあ、と大きくため息をついてから、敦はまたスマホとにらめっこを始めた。

 そっちから訊いておいてその態度はどうなんだと思ったが、仕方のないことだ。俺と敦はもう二年以上にわたってこのやりとりを続けている。もはや様式美の域なのだ。


「絵梨花って、好きな人とか彼氏とかいねえのかな。俺にはアイツがさっぱり分かんねえ」

 スマホを右手に構えたまま、目だけをこちらに向ける敦。何か答えろ、と言われている気がしたので渋々言葉を絞り出す。

「そんなこと、俺が一番知りたいっての」

 自分で発した声なのに、思った以上に諦めの色が滲み出ている気がした。


「お前も大変だなぁ。きっと報われねえぞ」

「いいんだよ。別にそれでも」


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