EP02 ◆ あだ花に実はならぬ #18
「==あの車ですね」
風呂を使ったあと、イチゴは精一杯着飾らせてもらったらしい。頭にはリボンのようなものもついていた。
――母親は、泣いただろうか。
アマネはふと、そんな思いにとらわれる。
「==班長?」
ムクロの声で我に返る。
「その先、五キロほど直進したら橋があっただろう。それが町の本当の境になる。そこを出る直前にしよう」
「==了解」
車は時速二十キロほどのスピードで進んでいた。
この辺りは道が曲がりくねっており、外灯もほとんどないため運転は慎重になる。だが橋の手前の約一キロほどからはほぼ直線だ。運転手はそこから徐々にスピードを上げるのが常だった。
山の中をショートカットして橋へ先回りし、道路を挟むように待機する。
アマネは自動車進行阻害器を路面にばら撒いた。一定の圧力が掛かると、仕込まれている返し付きの針が瞬時に伸びてタイヤや地面に食い込み、進行を阻害する。
「==十秒後、来ます」と、カバネ。
ムクロはパチンコを構え、マキビシの数メートル手前でフロントガラスを狙った。運転手の視界を遮るためだ。
タイヤがパンクした鈍い破裂音を合図に、三人は飛び出して行った。
エアバッグに突っ伏している男を確認してアマネが呟く。
「こいつは朝早くから役所にいた男だ。間違いない」
エアバッグの衝撃で気絶するほどのスピードは出ていなかった。
アマネが遠隔操作でドアロックを解除、スピンしながら急停車した車にカバネが素早く取り付き、ドアを開けて極小銃タイプのスタンガンを撃ったのだ。
「==じゃあ同一人物ですね。でもこいつが? 町長と仕事の話ですか?」
カバネは顔をしかめる。
「そう。次の仕事の話をしている、と……」
「==班長、今はそれを推測している時間はないです」
「あぁ、そうだった。すまない」
アマネは小さい子を前にすると情に流されやすい傾向にある。部下たちは、それをよくわかっていた。
そんな時は、アマネの気を確かにさせる役目をムクロが自ら請け負っている。
イチゴは眠っていた。食事か飲み物に薬を混ぜられていたのだろうか。
乱暴された様子はない。もっとも、商品に手を出したり殴りつけたりする者はほぼいないのだが、それでも万が一ということがある。
ムクロがイチゴのバイタルチェックと採血をしている間、アマネはマキビシを回収する。
それからアマネがイチゴを背負い、目立たないようコートを羽織らせた。少し蒸し暑いかも知れないが、簡易空調機能付きなので汗まみれにはならないだろう。
「==灯りの使える小屋は十キロほど先になります。沢で漁をした人間が一休みする場所になっているようです」
カバネが報告する。
「わかった。じゃあ俺は先に向かう」
「==了解です――オレたちは事後処理をしてから合流します」
カバネは男の首に麻酔薬を打ちながらこたえた。そしてぼそりと呟く。
「==お前にはどうしても二、三発くれてやりたかったけどな。それだけが心残りだよ」
* * *
薬のレシピを割り出して、ムクロが中和剤を注射した。
十五分ほどしてイチゴが眼を開ける。視線は虚ろだが、周囲を見回しているうちにアマネたちを認めた。
「あんたたち……どうして?」
「町外れに、橋があるだろう? きみの乗っていた車がそこで事故を起こしているのを見付けてね――」
「え、そうなの? あた……オレ……いつの間に寝たんだろう」
起き上がろうとするがふらついた。カバネが受け止め、また寝かせる。
「まだ薬が効いているんだ。もう少ししたら動けるようになる」
「薬? 車は初めてだから酔い止めを渡されたんだけど、効き過ぎたのかなぁ?」
「そう――その時の様子、イチゴはどこまで憶えていますか?」
イチゴはムクロを視線だけで振り返り、思い出しながらこたえた。
「車が迎えに来て、ママとパパと、兄ちゃんと近所の人が見送ってくれて、サツキとジョアンは姉ちゃんが寝かせてて……車の中で北の街に行くって聞いた」
アマネたちは無言でうなずいた。
「そうだ、ねえ、運転していた人は? マイクっていってたけど」
「彼は……残念ながら」とこたえたのはムクロだった。町外れの橋の手前で車がパンクを起こし、川へ転落したのだ、と。
「崖の高さは十五メートルくらいあったようだから……」
「パンクの衝撃でドアが開いて、イチゴは路肩に投げ出されたんだ。運がいい」
少し苦しい筋書だが、今後現場を調査しても同じような結論になるはずだ。
「そっか。でもそしたら家に帰らなきゃ。ママも心配してる」
「でも、イチゴの親は金を受け取っただろう。無事と判明したらまた迎えが来るよ?」
カバネの言葉をしばらく考えて、イチゴは困惑した表情になる。
「じゃああたし、どうしたらいい?」
「そうだなぁ……きみは、俺らが人さらいだと思ってたよね? 近所の人たちもそう言ってた、って」
「オレらじゃなくアマネが、じゃなかったっけ?」とカバネが口を挟み、イチゴが身をすくめる。
「それ……あの、ごめんなさい」
「いや謝ることはない。この際本当の人さらいになろうかと思ってね」とアマネがウインクして見せると、カバネが失笑した。
「あいかわらずへったくそだなぁ」
「うっさいなぁ」
「あの……?」
「ふたつ先の街に、班長の知り合いの孤児院があるんです。そこでは食べ物と教育を与えてもらえます。どこよりも絶対安全なので、もう人さらいに怯えなくてよくなりますよ」
ムクロが笑顔を向けるとイチゴは頬を紅潮させた。
「そこまでは一緒に歩いてもらうことになります。それで……これ僕のですけど着替えてください。イチゴの服を汚すのはかわいそうですから」
続けて制服を取り出し、「僕たちは出ています。着替え終わったら呼んでください」と手渡す。
ムクロは何度もイチゴの風呂を手伝ったが、改めて彼女を女の子として扱うことに決めていた。
「あたし……もう我慢しなくてもいいのかな……」
ドアが閉まる寸前、彼女はかすかに呟く。
ムクロは聞こえない振りをした。




