15 旅の余韻、黄金より眩しきもの
クスコを分厚く包み込んでいた激動の硝煙は、アンデスの峻烈な、しかしどこか慈悲深い風によって、遠い地平の彼方へと運び去られていった。
かつてインカ帝国の栄華を一身に集め、太陽の都と称えられたその古都は、直前まで繰り広げられていた激しい戦いの生々しい傷跡を市街のあちこちに残していた。崩れ落ちた漆喰の壁、焼け焦げた木門、そして路地に刻まれた無数の足跡。しかし、街を支配しているのは絶望や悲哀ではなかった。
今、クスコは、東の山並みから差し込んできた眩いばかりの新しい朝の光の中に、静かに、だが力強く横たわっていた。
街の土台を形作る精緻な石組み――剃刀の刃一枚すら通さないと言われるインカの巨石たちは、数世紀にわたる沈黙と隷属の歴史を破り、自らの自由を求めて立ち上がった民衆の熱気を受け止めていた。
その冷たかったはずの岩肌は、まるで意思を持つ巨大な生き物のように、朝日に照らされてじんわりと熱を帯び、どこか生き生きとした呼吸を始めたようにも見えた。支配者の足元で眠らされていた大地が、ついにその目を覚ましたのだ。
そのクスコの北へと続く、一本の険しい山道。ゴツゴツとした岩が露出したその隘路に、長い、本当に長い旅路を共にしてきた4人の少年少女の姿があった。
「本当に行くのか? ワイラ」
不意に足を止め、振り返ったアトゥックの声が、薄く張り詰めた高地の空気にパキリと響いた。その声には、引き留めたいという子供じみた未練はなかった。
しかし、そこには確かに、明日の命さえ保証されぬ修羅場を共に潜り抜け、互いの背中を預け合ってきた戦友への、言葉に尽くせぬ深い敬意と、隠しきれない寂しさが混じり合っていた。
ワイラは歩みを止め、背負った古びたギターケースの紐に手をかけた。そして、それをゆっくりと、しかし自分の決意を確かめるように力強く締め直した。
彼のその指先には、クスコでのあの命懸けの「魂の合奏」の際、血を流しながらも弦をかき鳴らし続けたことでできた、硬いタコと数本の生々しい傷跡が残っている。それは彼にとって、単なる痛みの記憶ではなかった。
かつてアルティプラーノの広大なパンパで、ただ羊や牛を追い、世界の広さも知らずに怯えていた一人の弱気な牛車の隊商の少年が、自らの内にある音楽という目に見えぬ武器で、傷ついた人々の心を救い出し、歴史の歯車を動かした「一人の表現者」へと完全に脱皮したことを証明する、何よりの勲章であった。
ワイラは風に髪をなびかせながら、自らの内奥に視線を向けた。
(僕は……もっと知りたいんだ。このアンデスの峻烈な風が、一体どこから吹いてきて、どこへ向かって去っていくのかを。そして、サミの隣で、この大地の本当の歌を、人間が生きていくための喜びの歌を、生涯奏で続けたい)
ワイラの胸中を占めていたのは、かつて故郷のパンパを出発した時に彼を支配していたような、得体の知れない不安や自己不信ではなかった。自分のような人間に何ができるのか、なぜ自分は生きているのかという、暗い霧のような問いはもうどこにもない。
巨大な権力に立ち向かい、世界の理不尽さに絶望していたサミを深い淵から救い出し、そして憎悪に囚われていたサイリの魂をも音楽の力で呼び戻したという経験は、この少年の脆弱だった心に、何物にも代えがたい「自負」という名の強靭な背骨を通していた。
ワイラという少年を突き動かしていた初期の衝動は、決して英雄願望や正義感といった高尚なものではなかった。彼は平穏だが閉塞した故郷で、ただ隊商での単調な日々を送り、狭い世界の少年だった。彼にとって音楽とは、自己の慰みや隊商のみんなが拍手をくれたらそれで良かった。
サミと出会い、彼女の過酷な運命に巻き込まれた当初も、彼の内面はサイリを探す旅の同行を申し出たものの、逃げ出したいという本能的な恐怖と、自分のような無力な人間に彼女を守ることなどできるはずがないという強烈な劣等感に苛まれないでいたといえば嘘になる。
アトゥックのような戦闘能力もなく、サイリのような圧倒的なカリスマ性も持たない自分は、この旅において単なるお荷物なのではないかという疑念が、彼の心を常に暗く蝕んでいたのである。
しかし、クスコでの決戦、およびそれに至る道中で、ワイラは決定的な精神的変革を経験することとなった。彼が手にした武器は、鉄の剣でも火薬でもなく、木と弦でできた一本の古いギターだった。
他者が暴力や権力によって世界を支配しようとする中、ワイラは人間の情動に直接訴えかけるという、音楽が持つ根源的な力を信じることを選択した。クスコの広場で、指先から血を流しながら弦を弾き続けたとき、彼は自己の存在消滅の恐怖を超越した。あの瞬間、ワイラは自分のために弾く演奏から、他者の魂を救い、解放するために弾く演奏へと、その音楽性の本質を昇華させたのである。
「ああ。サミと一緒に行くよ、アトゥック」
ワイラは顔を上げ、まっすぐにアトゥックの瞳を見返した。その瞳には、かつての怯えは微塵もなく、ただ澄み切った決意だけが宿っていた。
「今度は、誰かから逃げるための旅じゃないんだ。追っ手から隠れるためでも、誰かの目を盗むためでもない。僕たちが、僕たち自身の旋律を、この大地の隅々、世界の果てにまで届けるための旅なんだよ」
アトゥックに対してそう告げたとき、ワイラの内部からは、かつて彼を支配していた怯えの残滓が完全に消滅していた。彼の指に残る硬いタコと傷跡は、彼が現実の苦痛と正面から向き合い、それを乗り越えた証拠である。彼は自分の無力さを完全に受け入れた上で、それでもなお音楽には世界を変える力があるという確信を、自らの血肉として獲得していた。
サミの隣を歩む彼の胸中には、彼女を守らなければならないという悲壮な義務感ではなく、彼女と共に新しい世界の美しさを探求したいという、純粋な生の喜びと、一人の表現者としての誇るべき自負が、強靭な背骨となって彼を支えていた。
ワイラのすぐ隣に立つサミは、兄・サイリから手渡されたひび割れたケーナを、まるで世界で最も壊れやすく、そして最も高価な宝物であるかのように、両手で大切に胸へと抱きしめていた。
彼女の長く美しい睫毛に縁取られた潤んだ瞳は、遠く雲海の向こうにそびえ立つ白銀の氷河の峰々と、その麓の深い谷間にひっそりと佇む修道院の方向を、じっと見つめていた。
サミの視線は、物質的な距離を飛び越え、その修道院の分厚い石壁の奥へと向けられているようだった。
(兄さんは、あの中で戦っている。武器を持って戦うことだけが戦いじゃないと、あの人は教えてくれた。自分から全てを奪おうとした、あの冷酷な相手の懐の真ん中で、たった一人で、虐げられた同胞のために、私たちの未来のために、静かに祈り続けている……)
サミの小さな胸の内で、熱い感情が幾度も脈打つ。
(なら、私は外で吹き続けるわ。兄さんの祈りが、冷たい石の壁に遮られて消えてしまわないように。その祈りが風に乗って世界中に届くように、私のこのケーナで、アンデスの広い空を震わせ続ける。それが、私の戦いだもの)
サミの心からも、かつて暗い沼地のほとりで、誰にも理解されずに一人震えていたような、深い孤独の影は完全に消え去っていた。
サミは、インカの血脈という、自らの意思とは無関係に背負わされた宿命の重圧によって、その幼い心を激しく磨り潰されていた。物語の初期において、彼女は周囲の大人たちから象徴として利用され、あるいは排除される対象として扱われ、人間としての尊厳を絶えず脅かされていた。彼女にとって世界は、自分を捕らえ、縛り付けようとする冷酷な檻であり、それゆえに彼女の心は、誰も寄せ付けない頑なな孤独の殻に閉じこもっていた。
沼地のほとりで今は亡き母と2人震えていた彼女の姿は、他者への根深い不信感と、自分はただ周りの人間を不幸にする存在なのではないかという、呪いのような罪悪感の現れであった。
彼女の精神を最も激しく揺さぶったのは、兄であるサイリとの再会と、その後の別れであった。一時は敵対し、狂気に囚われたかのように見えた兄の姿は、サミにとって絶望そのものであった。しかし、激動の結末の中で、兄が自らの身を挺して彼女を守り、修道院という敵の懐に身を置くことで同胞のための祈りを選んだとき、サミは兄の行動の真意――自分に対する、狂おしいほどに深い、無償の愛――を理解した。
兄から返されたひび割れたケーナは、単なる楽器ではなく、引き裂かれた兄妹の絆が、形を変えて再び強固に結びついたことの証明であった。
山道でひび割れたケーナを胸に抱きしめるサミの心からは、かつての陰惨な孤独の影は一掃されていた。彼女は、自分が決して一人ではないことを知っていた。ワイラが、アトゥックが、ブランカが、そしてサイリが、それぞれの方法で命を懸けて自分に生きる資格と自由を与えてくれたのだという事実が、彼女の心に、底知れぬ安心感と、それに伴う強烈な主体的意志をもたらしていた。
サミはもう、孤独な迷い子ではなかった。多くの人々の意思を受け継ぎ、未来へと進む資格を得た、一人の気高き少女だった。彼女はそっと、そのひび割れたケーナを自らの薄い唇へと寄せた。実際に息を吹き込むことはしなかった。しかし、彼女の細い指先は、ケーナの穴の上で、複雑で流麗な運指を正確に刻んでいく。それは音のない音楽。遠い石壁の奥にいる兄へ向けた、そしてこれまで出会い、別れていったすべての人々へ捧げる、無言の、しかし確固たる再会の約束であった。彼女の指が動くたび、あたかもそこに美しい旋律が幻聴のように響く気がして、ワイラはただ静かに彼女を見守っていた。
彼女がケーナに音を出さずに指を走らせたとき、彼女の内面では、兄への思慕が悲哀から連帯へと変化していた。兄が冷たい修道院の壁の奥で祈るなら、自分はこの広大な大地の空の下で、その祈りを具現化する音楽を吹き鳴らす。彼女は自らの運命に翻弄される被害者であることをやめ、自らの意思でアンデスの風の守護者となることを決意したのである。その微笑みは、苦難を経験した者だけが持つ、気高き聖女のそれであった。
アトゥックは、そんな二人を眩しそうに、まるで太陽の光を直接目にした時のように目を細めて見つめていた。だが、彼はすぐに、自分の内に湧き上がった気恥ずかしさを誤魔化すように、ふんとわざとらしく鼻を鳴らした。彼は腕を組み、いつものように不敵な笑みをその端整な顔に浮かべてみせる。
「ふん、勝手にしろよ。お前たちがどこへ行こうが、俺の知ったことか。俺は俺で、このクスコで一花も二花も咲かせて、一旗揚げてやるさ。そして、ブランカとサルタの俺の家に帰る。お前らみたいな、おセンチな音楽家のお守りはもう御免だからな。」
アトゥックはそう言って、クスコの街を見下ろした。
「結局、インカの隠し財宝なんて大層なものは見つからなかった。金銀の延べ棒も、宝石の山も、俺の手には入らなかった。だけどな……あのトゥパク・アマルのおっさんに、『いい度胸だ、お前のような男がこれからの時代を創る』って、肩を叩かれて褒められたんだ。悪くない。いや、最高だろ? 俺の伝説は、このクスコの薄暗い裏通りから、これから始まるのさ」
アトゥックの言葉は、相変わらず乱暴で不遜だった。しかし、その黒い瞳の奥には、濁りのない、どこまでも晴れやかな光が宿っていた。
アトゥックという貧しい大家族で父親が怪我をしたので、収入が減り、スペイン人の大人に不当労働させられた少年は、常に力と富に対して異常なまでの執着を見せていた。それは、彼が育った環境――強者が弱者を蹂躙し、人がゴミのように扱われるサルタの裏通り――において、生き残るための唯一の方程式だったからである。
アトゥックもまた誰もがひれ伏すインカの黄金の財宝を追い求めていたのだ。財宝さえ手に入れば、自分をゴミのように扱った世界を見返してやれる、自分の価値を証明できると信じて疑わなかった。
しかし、ワイラやサミという、自分とは全く異なる価値観で生きる人間たちと行動を共にするうちに、アトゥックの内面に決定的な変化が生じる。
彼は当初、二人を金儲けの道具あるいは世間知らずのガキとして見下そうとしていたが、彼らの純粋さや、命を懸けて互いを想う強さに触れる中で、自らの内にある誰かを守りたい、誰かに認められたいという、抑圧されていた人間らしい欲望を呼び覚まされていく。
クスコの戦いにおいて、彼は自らの肉体を盾にして道を切り開いた。それは、報酬のためではなく、彼が自分の意思でこの二人を死なせないと決めたからであった。そして、反乱の指導者であるトゥパク・アマルから一人の対等な男としてその存在を認められたとき、彼の長年の精神的飢餓感は、完全に満たされることとなった。
二人に背を向け、不遜な言葉を吐き散らすアトゥックの心理は、これまでにないほどの満足感と自負に満ちあふれていた。彼は結局、目当ての金銀財宝を何一つ手に入れることはできなかった。しかし、彼の表情には、富を失った者の悲相感などは微塵もなかった。なぜなら彼は、金銀の延べ棒よりも遥かに価値のあるもの――「自分は、誰かのために戦い、誰かの未来を守り抜くことができる、唯一無二の英雄なのだ」という、強固な自尊心を手に入れたからである。
彼にとって、ワイラから相棒と呼ばれたこと、およびサミが自分を信頼の目で見つめてくれたことこそが、人生における最高の財宝だった。彼はクスコの裏通りに戻るが、それはかつての野良犬としての帰還ではない。この街から新しい時代を創り出すという、明確な目的意識を持った孤高の指導者としての第一歩だったのである。彼のぶっきらぼうな別れの言葉は、照れ隠しであると同時に、彼らに対する最大級の親愛の情の裏返しであった。
「じゃあな、アトゥック」
ワイラが一歩前に出た。その目は少し潤んでいたが、大人の男のような引き締まった表情をしていた。
「……死ぬなよ、相棒」
その言葉に、アトゥックは一瞬だけ驚いたように目を見張った。ワイラが自分を相棒と呼んだことが、彼の胸の奥にある熱い琴線を激しく震わせた。だが、彼はすぐにいつもの悪ガキのような笑みに戻り、拳を突き出してみせた。
「へっ、お前こそ。その安物のギター、道端で転んで途中でぶっ壊すんじゃねえぞ! 壊れたって、もう俺は助けてやらないからな!」
短い、そして徹底的にぶっきらぼうな別れの言葉。だが、二人の間で交わされた視線の中には、どんなに華美な言葉を尽くしても薄まってしまうような、生死の境目を共に駆け抜けた者たちだけが共有する、濃密で、生涯消えることのない情愛が込められていた。男たちの絆に、これ以上の言葉は不要だった。
アトゥックはそれ以上、何も言わずに背を向けた。そして、ワイラとサミの二人の姿が、山道のカーブの向こうへ、見えなくなるその瞬間まで、ずっとその場に立ち尽くしていた。彼は、彼らの後ろ姿に向かって、誇らしげに、そして力強く、何度も何度も手を振り続けていた。その背中は、かつての孤独な野良犬のものではなく、一つの街の未来を背負う、堂々たる戦士のそれであった。
二人が歩みを進め、クスコの街が眼下で次第に小さくなっていくと、突如として彼らの頭上を、巨大な黒い影が高速でよぎった。
「あっ……」
サミが声を上げ、天を仰いだ。ワイラも釣られるようにして見上げれば、そこには一羽の巨大な、朝日に羽を黄金色に輝かせたコンドルがいた。
コンドルは、アンデスの峻烈な気流をその大きな翼で見事に捉え、羽ばたくことすらほとんどせず、悠然と、そして傲然と、青い天空の頂点へと舞い上がっていった。その姿は、この過酷な大地を生きるすべての生命の、自由の象徴そのものであった。
黄金のコンドルが描く美しい軌跡を見上げたワイラの心に、その時、ふと、これまでに感じたことのない、全く新しい旋律が舞い降りてきた。それは、かつて故郷の村で母や父が愛し、自分に教えてくれた古い伝承歌ではなかった。また、都会の音楽家たちが気取って書いたような、五線譜に縛られた退屈な楽譜でもない。ワイラが怯えながらも一歩を踏み出し、サミが悲しみを乗り越えてケーナを奏で、アトゥックが命を賭してその道を命懸けで守り、サイリが暗闇の中で同胞のために祈り続けた――この、血と涙と奇跡に彩られたアンデスへの旅路そのものが、一つの巨大な音楽となって昇華されたような、どこまでも自由で、どこまでも力強い、大地の咆哮とも言うべき調べだった。
ワイラの指が、自然とギターケースの上でピクリと動いた。頭の中で、無数の楽器が、風の音が、彼らの歩みが、完璧なハーモニーを奏で始めている。
「ねえ、ワイラ。聴こえる?」
サミが、まるで見事に花がほころぶような、この旅の中で最も美しく、濁りのない微笑みをその顔に浮かべて問いかけてきた。彼女の耳にも、きっと同じ音が届いているのだ。いや、彼女自身が、その音の源流なのかもしれない。
「ああ。聴こえるよ、サミ」
ワイラは深く頷き、サミの手をそっと握った。
「風が、僕たちの新しい歌を歌っている。いや、この大地が、僕たちに新しい歌を歌ってくれと、呼んでいるんだ」
彼らは今、この長い旅の終着点において、真実を完全に理解していた。インカの古き伝説にある黄金の財宝とは、地の底の暗闇に、数百年もの間埋められたままになっている、あの冷たくて重い、物言わぬ金属のことなどでは決してないのだ。
自分たちの赤い血の中に脈々と流れる、先祖から受け継いだ誇り。どんなに過酷な運命に曝されても、大切な人を守ろうとする不屈の意志。そして、過ちを許し合い、共に手を取り合って歩んでいく友の存在。それこそが、偉大なる太陽神インティが、このアンデスの広大な大地に生きる子供たちに残した、永遠に色褪せることのない本当の黄金なのだ。金銀は奪われることがあっても、この胸の中の黄金を奪える者は、世界のどこにもいない。
この場にはいないサミの兄・サイリの心理についても、この結末において極めて重要な意味を持っていた。サイリは、インカの復讐という大義名分のもと、自らの心を憎悪の炎で焼き尽くし、一時は完全に人間性を喪失しかけていた。彼は支配者への復讐のためなら、実の妹であるサミすらも道具として利用することを厭わないほどに精神を病んでいた。
しかし、ワイラとサミの命懸けの合奏、および彼らが発した調和と解放のエネルギーに触れたとき、彼の心の中にあった憎悪の氷壁は、劇的に崩壊した。彼は、自分が本当に求めていたのは、血を流す復讐ではなく、虐げられた同胞たちの救済と、失われた妹の幸福であったことに、最期の瞬間に気づかされたのである。
彼がクスコの決戦の後、きらびやかな世界を捨て、遠い氷河の麓にある冷たい修道院へと身を隠したのは、現実からの逃避では決してない。それは、彼にとっての新たなる戦いの始まりであった。彼は知っている。
力による反乱が一時的な勝利を収めても、人々の心の中にある支配と被支配の構造、憎悪の連鎖を断ち切らなければ、真の自由は訪れないということを。彼は、自分を、そして自らの同胞を裏切り、奪おうとした敵の宗教的・精神的な中心地に身を置くことで、あえて過酷な精神的苦行を自らに課している。
冷たい石壁に囲まれ、薄暗い部屋で一人膝をつき、祈りを捧げるサイリの胸中は、かつてないほどの静寂と平安に満たされていた。彼の耳には、妹・サミが遠い山道で奏でている音のないケーナの運指が、そしてワイラが弾くギターの振動が、アンデスの風を通じて確かに届いている。
(サミ、お前は外の世界で、光の中で吹き続けなさい。私はこの暗闇の底で、お前たちの足元を支える祈りの礎となろう……)
サイリの祈りは、免罪を求める後ろ向きなものではなく、未来の世代が二度と自分のような怪物を生み出さないための、精神的な防波堤となるための能動的な戦いである。彼は一人ではない。彼の魂は、風を通じて常にワイラやサミ、およびアンデスのすべての人々と繋がっている。
この物語において、4人が最終的に到達した黄金の財宝に関する認識の転換は、単なる道徳的な教訓を超え、アンデス文明の本質的な精神性への回帰を示している。かつてインカ帝国を滅ぼした征服者たちは、金を単なる富の独占や権力の誇示、他者を支配するための物質的手段としてしか見なさなかった。彼らにとって黄金とは、地の底から掘り出し、溶かして延べ棒にし、所有するための冷たい金属に過ぎなかった。その強欲が、アンデスの大地に果てしない血と硝煙をもたらしたのである。
しかし、ワイラ、サミ、アトゥックの三人がこの過酷な旅の果てに見出した本当の黄金とは、太陽神インティの光そのものが、人間の精神の内に宿った状態を指す。ワイラの内に宿った黄金は、恐怖に打ち勝ち、他者のために自己の表現を捧げる「創造の光」である。サミの内に宿った黄金は、宿命の呪縛を断ち切り、他者を信頼し愛する「融和の光」である。アトゥックの内に宿った黄金は、劣等感を克服し、自らの価値を自らで規定する「自尊の光」である。これらはすべて、誰かに奪われることも、市場で換金されることもない、人間の生命そのものが持つ根源的な輝きであった。彼らが山道の先、雲海の上へと消えていく姿は、彼らが物質的な世界の次元を超越し、この大地の精神的な先駆者となったことを意味していた。
二人の足取りは、これまでにないほど軽やかだった。背負った楽器の重みも、標高の高さによる空気の薄さも、今の彼らにとっては障害にすらならなかった。険しい、岩だらけの山道を登る一歩一歩が、彼らの新しい未来への力強いリズムを刻んでいく。
やがて、山間に点在する小さな村々の入り口に差し掛かると、そこには驚くべき光景が待っていた。クスコでのあの魂の合奏の噂、巨大な権力に立ち向かった少年たちの噂を風の便りに聞きつけた民衆が、彼らの姿を一目見ようと、ぞくぞくと集まってきていたのだ。衣服はボロボロで、手は農作業で荒れた、虐げられてきた先住民の群衆。しかし、彼らの目には、これまでになかった希望の光が宿っていた。
誰からともなく、彼らの歩みのリズムに応えるように、パチ、パチと手拍子が湧き起こった。それは最初は小さな、躊躇いがちな音だったが、瞬く間に伝染し、数十、数百の人々の地鳴りのような手拍子へと膨れ上がっていく。
ワイラは歩きながら、背中からギターを勢いよく引き抜いた。ケースを開ける時間すら惜しかった。彼は、その硬いタコのあいた指先で、ギターの弦を激しく、そして情熱的に弾いた。ジャラン! と鳴り響いたその一音は、民衆の歓声を引き裂き、山々にこだました。
サミもまた、迷うことなくそのひび割れたケーナを唇に当てた。彼女が細い胸いっぱいにアンデスの清浄な空気を吸い込み、魂の息吹をその楽器へと注ぎ込む。ピーーーッ、と、高く、どこまでも澄んだ、しかし激しい音が虚空を貫いた。それは、かつて彼女が吹いていたような、哀愁を帯びただけの悲しい調べではなかった。傷つき、ひび割れた楽器だからこそ出せる、人間の生の執着と、未来への意志が詰まった、圧倒的な音の奔流だった。
ワイラのギターが、そのケーナの旋律を優しく、しかし狂おしいほどの強さで支え、ドライブさせていく。民衆の手拍子はさらに激しくなり、ある者は踊り出し、ある者は涙を流しながら彼らの名を叫んだ。
響き渡る二人の合奏は、アンデスの険しい峰々を軽々と越え、緑深いアマゾンの広大な密林を駆け抜け、遥か彼方にある、世界の屋根と呼ばれるチチカカ湖の、青く美しい波間にまで届くだろう。それは、過酷すぎる運命を乗り越え、自らの足で立ち上がった者たちだけが奏でることを許される、圧倒的な希望の咆哮であった。
アンデスの日は沈み、およびまた、翌朝には眩いばかりの光を湛えて昇る。その、何百年、何万年と変わらぬ不変の光の中に、少年たちの新しい物語が、いま静かに、そして確かな、消えることのない重みを持って歴史に刻まれようとしていた。二人の歩みは止まらない。
彼らの姿は、民衆の歓声と手拍子に包まれながら、次第に山道の先、白く輝く雲海の上へと消えていく。後に残されたのは、いつまでも、いつまでも人々の耳を離れない、美しくも力強い旋律の残響と、新しい時代の幕開けを優しく予感させる、自由な風の音だけだった。
完
読んでいただき、ありがとうございます。
これで、執筆し始めて約40年で、AIの力を借りながらですが、ようやく、アンデスへの旅路を完成させることができました。
若い頃に、アニメ化されるという某大賞を無謀にも狙っていて、未完成に終わった小説ですが。
この年齢(59歳)になって再び読み返して良かったのかも知れません。若い頃にはわからなかったことがわかる年齢ですからね。
インディオvsスペイン人の構図は古今東西にあり、現代の日本の職場や学校でもあるかも知れないですね。
アンデスへの旅路を書き始めた頃は、ワイラとサミがメインの少年少女の物語にしようと思っていましたが、アルゼンチンのサルタで登場したアトゥックもおもしろいキャラだなあと思うようになりました。
この章はAIが書いたものを修正しました。




