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アンデスへの旅路ーギターとケーナの出会いー  作者: 村松希美


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プロローグ

プロローグはこの物語の時代背景になりましたが、

この物語はインディオのワイラ、サミ、後ほど登場するアトゥック、ブランカたち4人の少年少女の旅、冒険物語です。


この少年少女たちの名前はブランカ以外はケチュア語です。

ブランカという名前はスペイン語です。

名前の意味は本文に載せています。



かがやく南十字星のもとに

かつて栄えた我が王国 よ

甦れ タワンティンスーユ

甦れ コリカンチャ

母なるアンデスの大地に

黄金のコンドルの舞う大空に


きらめくチチカカ 湖畔に

かつてインティがつかわした

甦れ マンコ・カパック

甦れ ママ・オクリョ

母なる アンデスの大地に

黄金のコンドルの舞う大空に



 インカ帝国がスペイン軍に滅ぼされてまもなく、激しく抵抗し続けたインカ族のこの詩は、その皇帝が手にしていたキープに結われていたものである。


 前述で至った経緯は次のとうりである。


 1492年10月12日未明、大西洋を西へ進んでいたクリストファー・コロンブス一行は、水平線の彼方に、おぼろげな月明かりをたよりに、陸地らしい影を見いだした。「新大陸」であった。だが、コロンブスは、マルコ・ポーロの『東方見聞録』 に記されているジパングのあるアジアの一部であると堅く思い込んでいた。その大陸が、イタリアの商人、アメリゴ・ヴェスプッチによる再三にわたる航海で、 ようやく「新大陸」であるとヨーロッパ人に認められるようになった頃、スペイン人の植民地計画が着々と進められていたのでである。


 1509年、スペイン人たちは、パナマ地方を占領し、海岸沿いに植民地を建設したのを皮切りに、10年後、北方にある高度な文明をもつインディオ王国の侵略試みた。


 当時のスペインは、動きのとれない社会階級区分をもち、堕落し、偏見に満ち国で、ローマ時代からの熱狂的なカトリック教国でもあった。教会は、宗教裁判という制度を設けて、執拗に異端者を捜し出すために猛威を振るった。異端者は、厳重に処罰された。


 住民の大部分は、頭でっかちの上流階級のもとで、貧しい生活を送る農民であった。上流階級は、聖職者、グランデス(大貴族)、そして、イダルゴ、ガバリエロ(小貴族)であった。中産階級も僅かにいたか、その大部分は、交易商人のユダヤ人やムーア人であった。一六世紀中葉、彼らの多くは宗教裁判によって国外に追放された。

 

 多くのイダルゴやガバリエロたちは、読み書きができず、この称号以外、自慢できるものは、何一つ持っていなかった、だが、下級層と大差ない仕事に対しては、貴族らしい嫌悪感を抱いていた、また、コロンブスの新大陸発見の年は、スペイン本土では、グラナダか陷落した年でもあった。

 この頃から、16世紀前半にかけ、異教徒追放に活躍した騎士たちのロマンスが織り込まれた「騎上道小説」 が大流行した、騎士道小説は、「竜を退治する遍歴の勇者」、「アマゾンの女と恋に落ちる騎士」なと、幻夢的なとりとめのない話ばかりであった。おもしろいことに、それらは、「コンスタンチノーブルで発見された古文書の翻訳」とか、 「モロ人某ののアラビア語の原稿からの翻訳」などと称して、いかにも実際にあったことのように記されていたため、ヨーロッパ世界しか知らなかった彼らにとってそれは、虚構としてではなく、実話として、しばしば受け取られた。中でも、「黄金伝説」に記されたエルドラドは、未知なる新大陸に実在するものと信じ込まれていた。


 そんな彼らは、祖国スペインの狂信的カトリック精神のもとで、黄金の亡者となり、異徒のインディオを人間とはみなさず、野獣であるかのように殺戮した。


 1519年、イダルゴのエルナンド・コルテスが、メキシコ高原のアステカ王国を征服した。この征服で莫大な黄金を得たコルテスの知らせは、ヨーロッパ中に急速に広まるとともに、ヨーロッパ人のエルドラドへの執着を募らせた。そして、 第二、第三のエルドラドを求めて、探検家たちが動き出した。


 次なる地は、ユカタン半島のマヤ帝国であった。1523年、コルテスの部下、ベドロ・デ・アルバラードが征服した際 (以後、反乱が相次ぎ、ほぼ、平定されたのは、二十数年後のことであった)、黄金は、彼らが期待していた量も採取できなかった。失望した彼らは、第三の地、アンデス山脈を軸としたインカ帝国をめざす同胞に望みを託した。


 ここで、台頭したのが職業軍人のフランシスコ・ピサロとディエゴ・デ・アルマグロ、司祭のエルナンド・デ・ルーケたちである。


 1524年のバナマ出発以来、ビサロたちは、飢え、インディオの攻撃、嵐、熱病、 仲間割れといった数々の困難に見舞われたが、功名心と一獲千金という野望に奮い起こされた不撓不屈の精神で、これらを乗り切った。

 

 皇帝のいるカハマルカに着いたのは、8年後の1532年のことであった。到着に先駆けて、ビサロは、慎重にインカ側の情報を集めた。善の仮面を被った彼らの神は、ほほ笑みかけた。


 情報によると、王室は、皇位継承を巡って腹違いの兄弟による争いが行われているとのことだった。それに、インカ人にとって人間の言葉は、神聖な誓いの約束であった。ピサロは、これらを利用し、王位継承争いで優勢だった弟のアタワコルバを難無く捕えることができた。アタワルバは、義理を重んじた聡明な人格者であった。スペイン人たちが、黄金に異常な執着を示していることを素早く察知すると、彼は、自分の命と引き換えに、莫大な量の黄金を渡そうと申し出た。


 しかし、ピサロは欺いた。彼は、黄金を手中に収めると、アタワルバを不当な裁判にかけ、絞首刑に処した。1532年のことであった。


 こうして、聡明なインカ皇帝を亡き者にすると、ピサロ率いるスペイン軍たちは、首都のクスコを攻め落とし、数々の冷酷無比な略奪を繰り返した。

 

 ある書物によると、フランシスコ・ピサロは、「気前がよく、寛大で情に腕い」人物であったと記されているか、インカ征服における彼の非情さは、この上ないものであった


 アンデス山脈は、今日、インディオ文明を研究する諸家の間では、「血ぬられた山脈」とも呼ばれている。アンデスの山々を赤々と染められるほど、インディオたちは、強欲に育目となったスペイン人たちの非情さに抵抗し続けた。


 

この物語は若い頃にアニメ化されるという某大賞を狙って書いていたのですが、収拾がつかずに未完成で放置していた作品です。

後半はAIを使って何とか完成させることができました。

だから、AIとの共作になります。

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