殺人事件編-6
入院生活は早くも1日目にして退屈になった。ずっと点滴がつけられているのも鬱陶しいし、何より食事が取れない。それにまだ指先がピリピリとしている。動かせないほどでは無いが、パソコンのタイピングが今は出来そうに無い。
命が助かっただけでよかったとも思うが、ベッドの上にいるだけで栗子はすっかり飽きてしまった。
「ねえ、夕子先生何かない?」
「うーん、たしかに退屈ねぇ。私も空美子先生と同じようにテレビでも見てこようかしら」
空美子はテレビを見に病室の近くにある小さな待合室に行ってしまった。いくつかの椅子とテレビが置いてあり、入院患者が時々集まっていた。夕子もそこに行ってしまい、病室には栗子一人になる。
栗子もテレビを見ても良いが、今の時間帯はどうせワイドショーが昔のドラマの再放送である。栗子は昔のドラマはほとんど見尽くしているし、芸能人の噂で盛り上がるワイドショーも苦手だ。
当然やる事がなくなり、栗子はスマートフォンに入れてある録音アプリを開いて、仕事する事にした。パソコン作業は止められているが、声を録音する事は止められていない。西洋風舞台の少女小説の新作の続きを声に出しながら録音していた。
無味乾燥の病院で、西洋風世界のロマンあふれる言葉が紡がれ、なんだかとてもシュールで恥ずかしかったが、
誰もいない事を良い事に録音していた。退院したらこれを文字に起こせば良い。二度手間ではあるが、声に出してこうして小説を作るのも悪くないな。文字のリズムも心なしか良いような気もしてきた。そう思い始めてみたところ、亜弓と文花が現れた。
「何やってるんですか、栗子さん」
「亜弓さん、見ての通り仕事よ。こんな時でも仕事しているなんて作家の鑑じゃない?」
亜弓はため息をついて栗子のベッドのそばにある丸椅子に座る。文花もそれに続く。
「それにしても災難でしたね、栗子さん」
文花はカバンの中から、ラッピングされたチョコレートブラウニーを栗子に渡した。表面は艶々としたチョコレートがコーティングされ、ゴクリと唾を飲み込む。
「あら、手作り?」
「食べていいかわかりませんけど」
文花は苦笑していた。
「ありがとう。まあ、あとでお医者さんの許可とって食べるわ」
「ところで、この事件は、誰の仕業だと思います?」
文花は単刀直入に聞いた。
相変わらずハッキリとした物言いの女だが、ある意味とてもわかりやすくて栗子は意外と文花は嫌いでは無い。
「あの橋本ちゃんって子が警察に疑われているそうなんです」
文花は橋本ちゃんの事を栗子に説明した。
文花の話を聞けば聞くほど栗子の表情は曇っていく。
「そんな、まさか。ファンの子が毒を仕込むなんてありえないわ」
栗子の意見に文花も亜弓も同意した。
「それに序盤で疑われる人なんて絶対犯人じゃないわよ。コージーミステリではそんな事一度だって無いもの」
「は? コージーミステリってなんですか?」
「海外のライトミステリのことよ、文花さん」
栗子はコージーミステリについて熱心に文花に教えていたので、いつものように「コージーミステリを根拠に推理するのはやめましょうよ」と突っ込む隙がない。
「その橋本ちゃんは大丈夫なの?」
栗子はコージーミステリの説明を終えると心配したように言う。
「わかりません。メールではかなり落ち込んでいて」
「それは困ったわね。みんなで励ました方がいいわ」
「だったら、猫子先生のところでみんなで会いません?」
文花はみんなで橋本ちゃんを励ます事を提案した。なんでも漫画家の犬村猫子先生と橋本ちゃんや文花は知り合いらしく、よく一緒に飲み会をしているらしい。そこで励ます会でも開いたらどうかという提案だった。
「そうね。いいアイディアよ、文花さん」
「私も良いと思いますよ」
「だったら、すぐに猫子先生に連絡とって調整しましょう」
こうして後日みんなで橋本ちゃんを励ます会を行うことが決定した。もちろん栗子も橋本ちゃんを励ましたい気持ちも強かったが、事件の事も調べたい。入院生活はすでに飽き飽きだし、イベントを潰した犯人を許す事などできない。
「栗子さん、空美子先生どこに行ったか知りません?」
ちょうどそのとき、夕子が戻ってきた。
「ロビーでテレビ見ているんじゃないの?」
栗子はてっきりそう思っていた。
「事件かも! 空美子先生を探しましょう!」
栗子はベッドから立ち上がり、点滴をつなげたまま出かけに行こうとした。
しかし、亜弓にガッチリと肩を掴まれる。
「ダメですよ。栗子先生、一応病人なんですから安静にしていてくださいよ」
「えー」
栗子は子供のようにぶーっと頬を膨らませた。
「それに事件なんて、もう起きたんですからこれ以上起こりそうもないでしょう」
亜弓が突っ込んだが、栗子はしばらく文句を言っていた。この様子に夕子や文花はちょっと呆れていた。
「でも空美子先生どこにいるんでしょうか。今朝はいたわよね」
「テレビ見るって言ってたのに。やっぱり事件よ!」
このままでは暇を持て余したおばさん作家達が、病院内を事件捜査と言って彷徨き始めそうだと亜弓は心配になった。
「わかりましたよ、私が空美子先生探してきますから」
「私も行っていいかしら。なんか嫌な予感がする」
文花はちょっと渋い顔つぶやいた。まさかこの人も事件があると疑っているのだろうかと亜弓は驚くが、とりあえず二人で探す事にした。
病室の側にあるロビーに行き、テレビを見ている患者の面々の顔を見るが、空美子らしき姿はなかった。
「変ね。本当に空美子先生いないじゃない」
「滝沢さん、これは探した方がいいわ。本当に嫌な予感する」
文花のそんな予想は当たるかどうかわからないが、そう言われると亜弓もいい気分はしない。毒が盛られたばかりだし、少し不安になってきた。
足早にナースステーションに行き、看護師に心当たりがないか聞く。
「空美子さんいなくなったの?変ねぇ」
看護師も空美子の行方は知らないようだった。亜弓と文花は顔を見合わせる。
「トイレかしら? とりあえず行ってみましょう」
文花に言われて亜弓は頷いた。しかし、トイレにも空美子の姿はどこにもいなかった。
次に行きそうな場所は一回の院内喫茶店か売店、ロビーぐらいだろうか。二人で一階に降りるためにエレベーターに乗り込む。
「空美子さんってどんな人?」
空美子に面識がない文花が亜弓に質問をした。
「小柄の三十代半ばの女性ですね。文花さんと同世代ですね。人気イラストレーターです」
文花はスマートフォンで空美子の写真を検索して見ていた。インタビュー記事写真が出ていたそうで空美子の顔を把握したそうだ。
「知的な感じのルックスね。うちの夫が好きそうな顔だわ」
文花は若干の不快そうに下唇を噛んだ。
こんな時でも自分の愛する夫が最優先に考えているようだ。全くブレない女である。
一階につき、ロビーや売店、喫茶室も除いてみたが空美子の姿見はどこにも見当たらない。病院の入り口の方も行ってみたが、それらしき人物がどこにもいなかった。
「全くどこ行ったんでしょうか、空美子先生」
「ちょっと、滝沢さん。裏の方が騒がしいわよ」
確かに文花の言う通り、病院の裏手の方が人の声などガヤガヤとうるさかった。
「ちょっと行ってみましょう」
「ええ、文花さん」
なぜか文花のほうが積極的に裏の方に行き、亜弓はその後をついていった。
何人かの病院患者に人だかりができていた。
人だかりをかきわけていきと、非常階段のそば空美子が血を流して倒れているのが見えた。
亜弓も文花も言葉を失った。
亡くなってはいないようで、あっという間医者と看護師が来て運ばれて行ったが、二人ともしばらく言葉を発する事ができなかった。
「どういう事?」
文花に聞いたが、彼女が知るよしも無い。
「なんか非常階段で足滑らせたらしいねぁ」
「俺はなんか騒いでる声聞いたが」
「自殺?」
人だかりの連中も好き放題に言っていたが、何もわからなかった。




