第3話【冥府へご案内】
燃え盛る校舎から脱出した灰色の巨大な狼は、力強く虚空を踏みつけて風のように速く駆ける。その上に跨るハルアは歓声を上げ、彼の腰にしがみつくショウは「わああああッ」と悲鳴を上げていた。
全校生徒と教職員からの注目を浴びながら、ハルアとショウを乗せた巨大な狼は何事もなくヴァラール魔法学院の広大な校庭に降り立つ。
同じく浮遊魔法で燃え盛る校舎から脱出したユフィーリアもまた、ふわりと無事に地上へ舞い降りた。雰囲気だけ見れば神々しさもある。不思議である。
「ショウちゃン♪」
「わッ」
巨大な狼の背中から降りたショウは、早速とばかりにアイゼルネから盛大な抱擁を受けていた。彼の顔面がアイゼルネの胸部に実った脂肪に埋め込まれ、呼吸が遮られてしまう。
苦しいと言うかのようにショウが「アイゼ、さ……苦し……」と細々とした声で訴えるが、彼女の耳にはどうやら全く届いている気配はなかった。ショウの華奢な身体を抱きしめ、橙色の南瓜越しに頬擦りまでする始末である。せめてハリボテは脱げ。
さすがにこのままではショウの精神にも影響が出そうなので、ユフィーリアは雪の結晶が刻まれた煙管の先端でアイゼルネの頭部を覆う南瓜を叩いた。
「止めろ、アイゼ。ショウ坊を窒息死させる気か」
「やン♪ ユーリったら、せっかくの再会を邪魔しないでヨ♪」
「燃える校舎から助けたのに、冥府の死者の行列に並ばせる気か」
アイゼルネの胸部の脂肪に顔面を埋め込まれたショウを救出してやると、ユフィーリアはどこからかバキバキという骨が折れるような音を聞く。
見れば、巨大な灰色の狼の背が波打っていた。見上げるほど巨大な身体が徐々に縮んでいき、四肢が人間らしい形を取り戻していく。ふかふかな体毛が引っ込み、肌の色が垣間見えたと思えば、狼の首に巻かれていた迷彩柄の布が瞬時に服の形となって肌を覆い隠す。
ゴキゴキ、ボキボキという嫌な音を立てながら巨大な狼は人の姿に変形していき、やがて灰色の髪を持つ強面の巨漢となった。迷彩柄の野戦服から覗く立派な筋肉は、男性も女性も魅了する何かが感じられる。
口に装着していた鉄製の口輪を外し、強面の巨漢――エドワードは「いたたたたぁ……」と顔を顰める。
「狼の姿に変身する時ってぇ、やっぱり痛いんだよねぇ。骨格とか色々と変形するからぁ」
「あの狼はエドワードさんだったんですか?」
驚いた様子のショウに、エドワードは「そうだよぉ」と返す。
「俺ちゃんは獣人だからねぇ。獣人でも先祖返りっていうねぇ、ちょっと特殊な獣人なんだよぉ」
「先祖返り?」
「獣人っていうのは神様と魔獣が愛し合って生まれた種族でぇ、俺ちゃんのような先祖返りはぁ、神様の要素が強くて人間の姿で生まれてくるんだよぉ。普通の獣人だとぉ、二足歩行する獣の姿みたいなぁ?」
神様と魔獣が交配して誕生したのが獣人と呼ばれる魔獣の側面が強く反映された種族だが、たまに神様の側面が強く反映された人型の個体が生まれる。彼らのことは『先祖返り』と呼ばれ、獣人の間では非常に重宝される存在だ。
エドワード・ヴォルスラムはこの先祖返りに該当する。
先祖返りの能力は人間の姿から魔獣の姿に変身することが可能で、魔獣の姿の時には神様の力を、人間の姿の時には魔獣の力を行使することが出来る。
どちらかと言えば魔獣の力が危険なので、鉄製の口輪を装着することで魔獣の力を封印しているのである。本人曰く「意識しなければ使われないから平気ぃ」とのことだ。
エドワードは人間ではなく凄い獣人だということを理解したショウは、未だ赤く染まったままの瞳をキラッキラと輝かせる。
「じゃあ先程のような狼の姿にいつでも変身できるということか?」
「そうだねぇ。たまにブラッシングして貰ってるよぉ」
「その時は是非、是非触らせてほしい……!!」
「ショウちゃんならいいよぉ。優しくしてねぇ」
狼状態となったエドワードのブラッシングの約束をこぎつけたショウは、胸に真っ赤な長弓『狂王の炎宴』を抱きしめたままピョンピョンと飛び跳ねる。大きな犬を前に興奮状態である。可愛い。
さて、ほのぼの平和時間はこれにて終了だ。
周囲から容赦なく突き刺さる冷たい視線に、ユフィーリアは雪の結晶が刻まれた煙管を咥えてため息を吐いた。清涼感のある匂いの煙が、もわっと口から吐き出される。
視線の主は副学院長を筆頭に、教職員や全校生徒からも注がれていた。当然である。名門ヴァラール魔法学院の校舎は、たった1人の少年が引き起こした魔力暴走によって燃やし尽くされたのだから。
「ユフィーリア、どう責任を取るつもりッスか」
黒い布で目元を完全に覆い隠した副学院長――スカイに睨まれ、ユフィーリアは「何のこと?」と惚ける。
「火事ッスよ。校舎が燃えたでしょうが、何もかも」
「アタシらの責任にするのか? 今まで冥府の特別労働者として働いてたのに」
「じゃあショウ君にだけ責任を取らせるんスか」
スカイがそう問えば、ショウがビクリと怯えたように両肩を震わせた。
もちろん、そんなことをするつもりは毛頭ない。
責任については然るべき人間に問うつもりである。今回の火災も、魔導書図書館の『物語の世界樹』の火災も、全てショウの責任ではなく別の誰かの責任だ。
雪の結晶が刻まれた煙管を燻らせるユフィーリアは、
「スカイ、お前の目玉は節穴じゃねえと信じてるぜ」
「何スか、急に」
「今回の火災の原因は何だと思う?」
「ショウ君が起こした魔力暴走の何が考えられるんスか?」
「ああいや、質問の仕方が悪かったな。文章を変えようか」
ユフィーリアは首を傾げて、
「どうしてショウ坊は魔力暴走を引き起こしたと思う? 普通はそんな頻繁に起こることじゃねえよなァ」
「それは……ッ」
「ちなみに言っておこうか」
口の端を吊り上げて微笑み、ユフィーリアはスカイに詰め寄った。
「アタシは神造兵器なんつー貴重なモンを触らせて貰える立場じゃねえし、管理なんて以ての外だ。もちろんショウ坊にホイと与えることも出来ねえ。――この学院で神造兵器を簡単に手渡せる人物なんて、1人しかいねえだろ?」
スカイは背後を振り返った。ユフィーリアもまた、彼の背後に控える人物へ視線をやる。
何発も殴られた影響で腫れ上がった顔面は治癒魔法で綺麗に完治し、燃えて消し炭となった校舎の残骸をじっと観察する黒髪紫眼の青年。
興味深げに校舎を観察する彼は、自分が注目されていることに気づくと不思議そうに首を傾げた。どうやら話を聞いていなかったらしい。
なので、ユフィーリアは青年を睨みつけると低い声で言う。
「お前だろ、全部」
「うん、そうだね」
黒髪紫眼の青年――学院長のグローリア・イーストエンドは、あっさりと自白した。
「異世界召喚魔法なんて眉唾だし、異世界人なんて君たちが適当に考えた嘘だと思ったんだけどね」
グローリアは紫色の瞳に興奮した光を宿すと、
「ショウ君って紛れもなく異世界人なんだね!!」
――今更かい、というツッコミはこの際しなかった。
「最初こそ魔力は一般人並みにしか感知できなかったけど、外的要因による魔力暴走が及ぼす周囲への影響を確かめる実験では予想以上の結果が出たよ!! 何せ『物語の世界樹』が燃えたんだ、魔法に高い耐性を持っている上に魔力暴走程度では決して損なわれない魔導書が全て燃えたんだよ!? これは素晴らしい発見だよ!!」
興奮気味に語るグローリアは、
「だから今度はユフィーリアたちが死んだって嘘を吐いて2度目の魔力暴走を引き起こして、どこまでが限界範囲かなって調べようと思ったんだ。ショウ君ってばなかなか魔力暴走に陥らないから手こずったんだけど、まさか神造兵器にショウ君の魔力が結びついて魔力暴走が引き起こせるとは思わなかったなぁ。魔力暴走の限界範囲は校舎全域まで及ぶようだし、この調子だと国1つぐらいは犠牲に出来そうかな?」
だから、とグローリアはユフィーリアに詰め寄ると、
「ショウ君を僕にちょうだい。僕なら絶対に彼のことを上手く使えるよ、だってこんなに素晴らしい逸材は今まで見たことがないんだもの!! ショウ君を使えば今まで碌な実験結果しか得られなかった難しい魔法実験にも挑戦できそうだし、今よりずっと強い魔法使いになれるよ。歴代のどの生徒よりも優秀な生徒になる!! だから!!」
「ショウ坊のことを何だと思ってやがる」
「ふぎゃッ!?」
鼻息荒く詰め寄ってくるグローリアの右頬へ拳を振り抜き、ユフィーリアは吐き捨てる。
やはりこんなことだろうと思った。
実験馬鹿なグローリアが、異世界人であるショウで魔法の実験をしないはずがない。『物語の世界樹』が燃え上がるまで彼はショウに一切の興味を示さず、世界樹に保管されていた強力な魔導書が全焼したのをきっかけに興味を持ち始めたのだ。
そして、校舎が全焼した時に好奇心が爆発した。彼にショウの身柄を引き渡せば、まず間違いなく人間のように扱われることはない。実験動物か、魔法実験の被験体か。死んだあともその死体は魔法の実験に使い潰されることになるだろう。
ぶん殴られた頬を押さえるグローリアは「いいもんね」と言い、
「君たちの罪をでっち上げることは簡単だよ。問題児の悪名は校内外に轟いているからね。次はドゥンケルハイト監獄にしようか? あそこなら簡単に出られないはずだしね」
「あー、そのことなんだがな」
ユフィーリアはニンマリと笑うと、
「お前に残念なお知らせだ」
「残念なお知らせ?」
眉根を寄せるグローリアの肩をポンと叩いたのは、髑髏仮面を装着した神父――キクガだった。
不思議そうに振り返った彼の眼前に、キクガは黄ばんだ羊皮紙を突き出す。
そこに記載された内容は、グローリアがユフィーリアたち問題児を冥府に縫い留めた手法の正式な書類だった。
「グローリア・イーストエンド。君には冥王に対する詐欺行為によって、冥府の特別労働者の刑罰が言い渡されている」
髑髏仮面の下で微笑むキクガは、
「喜びたまえ、冥王ザァト様による直々のご命令だ。君には厳しい労働が課せられることになっている訳だが」
「ちょ、ちょっと待って。これは実験の為の必要な行動であって」
「問答無用だ」
キクガが羊皮紙を丁寧に懐へしまうと、ポンと手を叩く。
すると、グローリアの足元にある影から純白の鎖が伸びた。
暴れる死者の魂を強制的に冥王の御前へ引き摺っていく為に誂えた、かなり頑丈な神器だ。暴れれば暴れるほどその身に鎖が食い込み、何をしても外れることはない。
全身が純白の鎖で縛られるグローリアは、
「ちょ、待って。僕の話を聞いて!?」
「言い訳はザァト様の前でしたまえ。もっとも、ザァト様は君の主張を聞くことはないだろうが」
純白の鎖に引っ張られて、足元の影に飲み込まれていくグローリア。
冥府の特別労働者として厳しい労働を課せられることが確約されているので、ユフィーリアたち問題児は笑顔で見送ることしか出来ない。心の底からざまあみろである。
冥府に飲み込まれていく際、グローリアはユフィーリアを睨みつけて叫ぶ。
「次こそは絶対に君たちを冥府送りにして――!!」
「もう2度と帰ってこないでください」
「え、ショウ君ッ!?」
ユフィーリアの背後からジト目で睨みつけてくるショウの辛辣な見送りの言葉が最後となり、グローリアはめでたく冥府送りとなった。




