第1話【魔力暴走、再び】
冥府から現世に戻ってくると、ヴァラール魔法学院が燃えていた。
「えー……」
燃え盛るヴァラール魔法学院の校舎を前に、ユフィーリアは反応に困った。
これで火事現場を目撃するのは2度目である。
しかも今度は全校生徒と教職員まで被害が及んでいる。「校舎を爆破しよう」と言った覚えのあるユフィーリアだが、実際に校舎全体へ被害を出したことはヴァラール魔法学院が創立してから1度もない。
無事に校庭へ避難が済んだ生徒たちは呆然と燃える校舎や学生寮を眺め、教職員たちは水魔法で消火を試みているところだった。魔力が許す限りで大量の水を燃える校舎にぶっかけるも、校舎を包む炎は魔法で出された水でさえ蒸発させてしまう。焼け石に水だ。
「あ、学院長だ!!」
ハルアが、数名の教職員に指示を飛ばす黒髪紫眼の青年を発見する。
火事を鎮めるべく強力な水魔法を行使する青年の横顔は真剣そのもので、本気でヴァラール魔法学院の火事を解決しようと尽力している様子だ。
そんな彼の姿を見て、横から茶々を入れることなど問題児たちには出来ない。普段は空気を読めないことばかりしているユフィーリアたちでも、今この時は空気の読めない行動を控えるべきだと理解している。
なので、
「見つけたぞ爽やか暴君クソ野郎がァッ!!」
真剣な雰囲気を纏う学院長の顔面に、ユフィーリアは容赦なく拳を叩き込んだ。
静まり返る校庭、吹き飛ばされる学院長。
芝生の上に背中から叩きつけられた彼は、勢いのまま数メイル(メートル)は滑った。拳は綺麗に顔面へ決まったので、顔の骨が折れてもおかしくない強さだった。
唐突に殴られた理由が分からないらしい学院長の青年へ馬乗りになったユフィーリアは、相手が文句を言ってくる前に何度も拳を振り下ろす。
「お前よくも無実のアタシらを冥府に送りやがったな、この野郎!! でも残念でした、こうして冥府から解放されてんだよ馬鹿タレが!! 罠に嵌めたいならもう少しマシな手段を使ってくるんだなァ!!」
「ゆふぃ、ユフィーリア!! 今はそれどころじゃないッスよ!!」
「うるせえ天使に邪な欲望を抱く変質者がアタシに触んじゃねえ!!」
学院長をぶん殴る行為を止めるべく飛びついてきた副学院長の顔面にも裏拳を叩き込み、顔面をボコボコに腫れ上がらせた学院長の青年を確認して、ユフィーリアはようやく溜飲を下げた。
グッタリした様子の学院長を冥王第一補佐官のキクガに突き出し、これで冥王からの頼み事は終了だ。
やり切ったとばかりに雪の結晶が刻まれた煙管を咥えるユフィーリアは、ここで大切なことに気づく。
可愛い新人のショウがいないのだ。
「あれ? おーい、ショウ坊」
校庭に向かって呼びかけるも、可愛い新人の少年は姿形も見えない。エドワードやハルア、アイゼルネもショウの姿を探している様子だが、生徒たちの中にも混ざっていなかった。
まさか、この燃え盛る学院の中に取り残されたのか?
紅蓮の炎に覆われた魔法学院の校舎を見上げる問題児たちに、突然の暴力に見舞われた副学院長の青年――スカイ・エルクラシスが、何かに気づいたらしい彼らに言う。
「ショウ君ッスよ」
黒い目隠しで視界を完全に覆い隠した状態でも、彼はしっかりとヴァラール魔法学院の悲惨な現状を認識していた。
「この火事、ショウ君が起こしたんスよ。また魔力暴走を起こしたって」
スカイの声はひどく落ち着いていた。
いや、もう焦りも何もかもが吹っ切れて怒りしか湧いてこないのか。
魔導書図書館にあった『物語の世界樹』だけではなく、2度目の魔力暴走によって今度はヴァラール魔法学院の校舎まで焼き尽くしてしまったのだ。無事な部分などなく、隅から隅まで燃えている始末である。被害は尋常ではならないものとなっている。
他の教職員も、生徒たちも、ユフィーリアたちに冷ややかな視線を向けていた。
当然である。ユフィーリアは火事を鎮める為に教職員へ指示を飛ばし、水の魔法で率先して消火活動をしていた学院長のグローリア・イーストエンドを気絶するまでボコボコに殴ったのだ。片や学院の英雄、片や学院の抱える癌である。どちらを庇い、どちらを批判するかなんて目に見えている。
ユフィーリアは冷ややかな視線をくれてくる教職員や生徒たちを一瞥し、スカイへ向き直る。
「お前は、この火事が本当にショウ坊の魔力暴走が原因だと思ってんのか?」
「はあ? 何を言ってんスか。ショウ君の魔力暴走のせいで、学院の校舎が丸焼けになっちまったんスよ? 生徒や教職員の私物も何もかもが、この火事のせいで燃えたんスよ!?」
「魔力暴走が起きた原因は?」
悪いのは、魔力暴走を引き起こしたショウではない。魔力暴走を引き起こす原因となったものだ。
魔導書図書館の『物語の世界樹』がショウの魔力暴走によって全焼した時も、彼の魔力暴走は外部から受けた精神的な負荷が原因だった。だから今回の魔力暴走にも、何か原因があるはずだ。
魔力暴走を引き起こした本人が悪い訳ではない。前回の『物語の世界樹』の火事も、今回の魔法学院の火事も、悪者はショウではなく魔力暴走を引き起こした原因だ。
雪の結晶が刻まれた煙管を握りしめたユフィーリアは、その先端をスカイに突きつける。
「魔力暴走が起きた原因すら特定しねえような怠け者が、ショウ坊を悪者扱いしてんじゃねえ」
これ以上、可愛い新人が虐げられるのは気に食わない。文句を言うのならば実力行使で黙らせるだけだ。
スカイも魔法の天才と呼ばれたユフィーリアと揉め事を起こしたくないのか、静かに口を閉ざした。他の教職員も、生徒たちも、ユフィーリアの暴力を恐れて視線を逸らした。
ユフィーリアはペン回しの要領で煙管を回すと、
「アイゼ、探知魔法でショウ坊の居場所を」
「学院長室ヨ♪」
「割り出し――え、早くね? まだ指示を出したばかりなんだけど?」
「あラ♪ 当然じゃなイ♪」
南瓜頭の娼婦は、楽しそうに笑いながら言う。
「おねーさんもショウちゃんが大切だもノ♪ 早く助けてあげなきゃでショ♪」
「優しい先輩だな、お前は」
すでに探知魔法をかけたおかげで、すぐにショウの居場所が判明した。
ユフィーリアは燃え盛る校舎を見上げて、学院長室の位置を確認する。
学院長室は、校舎で1番高いところにある。高所恐怖症のくせに、よくもまあ最も高い場所に自分の執務室を作ったものだ。『天国に1番近い喫茶店』には行かないのに、校舎内で1番高い位置にある執務室は平気とは、随分と矛盾した高所恐怖症だ。
「よし」
校舎を見上げて頷いたユフィーリアは、
「飛び込むか」
「豪快だねぇ」
「救出劇は盛大にやってこそだろ」
のほほんとした様子で言うエドワードへ視線をやり、ユフィーリアは言う。
「飛び込むから迎えに来て」
「いいよぉ。ちょっとしたら行くねぇ」
「待ってるわ」
迎えをエドワードに任せて、ユフィーリアは浮遊魔法で飛び上がる。
燃える校舎に近づいただけで、肌を火傷しそうなほどの熱気に襲われる。
水を被って飛び込んだところで英雄気取りの自殺になってしまうが、窓を叩き割って飛び込んでしまえばいいだろう。格好良く決まるし。
「あ、いた」
燃える窓の向こうで、黒い影のようなものが床に座り込んでいる。
艶やかな黒髪は背中を流れ、呆然と燃える室内を見つめる双眸の色は炎と同じ赤い色。少女めいた顔立ちには絶望の表情が浮かび、今にも泣き出しそうな雰囲気がある。
胸元で赤い長弓を抱きかかえた彼は、用務員の可愛い新人であり、ユフィーリアが1番会いたかった人物だ。
「せぇーのッ」
虚空を蹴飛ばして一気に加速。
校舎を包み込む炎の熱気すら気合いで我慢し、ユフィーリアは学院長室の窓を飛び蹴りで叩き壊した。
硝子は呆気なく破壊され、燃える部屋に飛び込んでいく。勢いが殺せずそのまま部屋の奥まで突っ込んでしまい、無様に燃える地面へ転がってしまった。
驚いたように赤い瞳を見開く可愛い新人に、ユフィーリアはヘラリと笑う。
「よう、ショウ坊。助けに来たぜ」
☆
目を覚ませば、部屋が燃えていた。
部屋だけではない、学院全体が燃えていた。
壁も、天井も、床も、豪奢な調度品の数々も、炎は容赦なく燃やしていた。いずれ建物は崩壊し、瓦礫の山を築くことになるだろう。
やや気怠さを感じながらも、ショウは上体を起こした。燃える床に座り込み、呆然と部屋を見渡す。
「……ああ、どうしよう」
これが魔力暴走――そしてショウが引き起こしてしまった大惨事だ。
魔導書図書館の『物語の世界樹』もショウの魔力暴走が原因で全焼したと聞いたが、この状況を見れば色々と思うところがある。
ああ、これではユフィーリアに迷惑をかけてしまう。ユフィーリアだけではなく、エドワードやハルア、アイゼルネにも迷惑が――。
「……いいや」
ショウは首を横に振る。
彼らはもう死んでいるのだ。一足先に冥府で待っているだけ。
でも、こんなに悪いことをしてしまったのだから、簡単にユフィーリアたちの元へ行けるのは思えない。もう2度と、彼女と会えることはない。
「ごめんなさい、ユフィーリア……」
本当に、最後の最後まで迷惑をかける役立たずでごめんなさい。
赤い長弓を胸に抱き、ショウは瞳を閉じる。
何もかも燃やし尽くして、骨まで残さず消し炭にして、死んでしまえるように。
その時だ。
――パァンッッ!! と窓が割れた。
弾かれたように振り向くと、黒い何かが燃える学院長室へ飛び込んできたところだった。部屋に飛び込んだ際の勢いが殺しきれず、部屋の奥まで突っ込んで燃える壁に激突。ずるずると床に落ちて、無様な格好を晒した。
透き通るような銀髪と、色鮮やかな青い瞳。人形のような顔立ちに苦悶の表情を浮かべるが、ショウの存在に気づくと快活な笑みを見せてくれる。
その手には雪の結晶が刻まれた煙管を握り、ひらひらと振ってみせる。学校も肩が剥き出しの状態となる黒装束で、淡雪のような白い肌がより強調されていた。
どうしてここに。
彼女は、生きている?
「よう、ショウ坊。助けに来たぜ」
そう言って、ショウが最も会いたかった銀髪の魔女――ユフィーリア・エイクトベルは笑った。




