第4話【問題用務員と逃亡者】
ギィン、キンッキィンッ!!
地下闘技場の真ん中で、金属と金属が擦れ合う音が落ちる。
遮蔽物を盾にして隠れ、互いに突撃しては得物をぶつける。そのたびにキンだのキィンだの耳障りな音が、水を打ったように静まり返る地下闘技場内に響き渡った。
「くうッ!?」
突き出された鋭い鋏の先端を、イザヨイ・サブロウは身を捻って回避した。その時にほんの少しだけ鋏の刃が頬を裂き、パッと赤い液体が飛び散る。
両手で巨大な鋏を自在に操るユフィーリアは、胸中で極小の舌打ちを漏らした。眼球を狙って突き出した鋏は空を切り、かろうじて相手の頬を傷つけるだけに止めてしまう。
持ち手を両手で握りしめ、未だ2枚の刃が重なった状隊の銀製の鋏にユフィーリアは告げる。
「蒼雪、抜刀」
2枚の刃を繋ぎ止める螺子の部分が、青い光を弾けさせて消えた。
自由となった2枚の刃を双剣のように構え、ユフィーリアはサブロウの首を狙って左手に握った刃を振った。
銀色の軌道を描く刃。サブロウの黒曜石の瞳が見開かれ、背筋を仰け反らせて回避されてしまう。
だが想定内だ、首を狙ったのはわざとである。
「ぬうッ!!」
ガラ空きだった彼の左腕めがけて、ユフィーリアは右手で握る刃を振り上げた。
どれほどの切れ味なのか、右手の刃はサブロウの左腕を肩からザックリと切断してしまった。脇の下を縫って肩から切断された左腕は、彼の戦衣装である着物の袖ごと切り落とす。
ぼとり、と地下闘技場の大地に落ちるサブロウの左腕。観客席から歓声ではなく悲鳴が上がった。
ぼたぼたと鮮血を落とす傷跡を一瞥し、額に脂汗を滲ませるサブロウは鋭い光を宿した黒曜石の双眸でユフィーリアを睨みつける。
「随分と、本気を出したようだな……?」
「アタシの速さについてこれるお前が凄えよ、素直にな」
血の付着した右の刃を振って、サブロウの血を落とす。
五体満足ではなくなってしまった人斬りは、立っているのもやっとの様子だった。ガタガタと膝が震え、かろうじて右手で握った刃は取り落としていない。
彼にも人斬りとしての矜持はあるようだ。どれほど相手が強くても、逆にそれが喜ばしい出来事なのだ。困難に立ち向かう人間は強くなる。
ただ、本当に哀れで仕方がない。困難に立ち向かう人間は強くなれたとしても、その立ち向かう困難を乗り越えられなければお話にならない。努力しても意味のない時だってあるのだ。
「言ったろ、殺してやるって」
ユフィーリアは青い瞳を音もなく眇めて言う。
作り物のような正気の感じられない美貌に貼り付けられた無表情は、寒気がするほど綺麗なものだった。宝石を想起させる青い瞳のうち、片方だけが極光色に染まっている。
それが彼女の本気だと観客席やイザヨイ・サブロウは信じてやまないのだろうが、ユフィーリアのこの極光色に染まった瞳には確かに見えていたのだ。
イザヨイ・サブロウという男を構成する、何もかもが。
(でもダメだな)
ユフィーリアは「ダメだ」と断じる。
ユフィーリアしか持たない絶死の魔眼は、見た相手を構成する全てが糸として認識される。特定の糸を断ち切ればその糸が持つ機能を失い、全ての糸を断てば相手はこの世から消え去る。
誰も覚えてくれない死刑。だがユフィーリアだけが消えた相手を覚えている、呪い。
そんな残酷なことを大勢の前で――しかも可愛がる部下たちの前で出来る訳がなかった。
「しッ」
「おっと」
少し考え事をしていた隙を突かれて、サブロウが右手に握った打刀をユフィーリアの目の前に突き出してくる。
左手で握った刃でサブロウの打刀を弾けば、彼の手から打刀がすっぽ抜けた。
くるくると円を描いて飛んでいく打刀は、地下闘技場の大地に突き刺さって止まる。少し距離があるので、サブロウが自分の得物を拾いにいく場合はユフィーリアに背中を見せなければならない。
得物のなくなった右手で左腕の傷跡を押さえるサブロウは、
「なるほど、確かに蒼の剣姫とは言い得て妙だ。まるで踊るように拙者の命を削ってくる」
「口が減らねえ奴だな。お前はそんなにお喋りだったか?」
「ぐうッ!!」
いつまでも喋っているサブロウの右足に、ユフィーリアは鋏の刃を突き立てた。
柔らかな肉を切り裂き、骨までゴリゴリと削る嫌な感触が鋏の持ち手を通じてユフィーリアの手のひらまで伝わってくる。
苦悶の表情を浮かべて絶叫を喉の奥に無理やり押し込むサブロウを見上げて、ユフィーリアは彼のガラ空きとなった鳩尾に膝蹴りを叩き込んだ。
「がはッ」
膝から崩れ落ちるサブロウ。脂汗が頬から流れる血と混ざり合って顎を伝い落ち、地下闘技場の地面を濡らした。
「可哀想だから抜いてやろうなァ」
「ぐッ、あがッ」
ぐーりぐーりと足の甲の傷を広げてやってから、ユフィーリアは刃をサブロウの足から抜いてやった。
大量の鮮血が溢れると同時に、傷口から白いものが見える。骨までしっかり見える傷口は、さぞ痛いだろう。
左腕を落とされ、得物は遠くに追いやられ、足の機能まで奪われて満身創痍となったサブロウを、銀髪碧眼の魔女は嘲笑う。
「どうした? 最初の勢いはどこに行ったよ」
これは蹂躙と呼んでもよかった。
圧倒的な強さを誇る銀髪の魔女の前では、たとえ人斬りでも敵わないのだ。この状況で奮い立つ人間がいれば、それはよほどの馬鹿ぐらいだろう。
矜持を傷つけられ、へし折られ、踏み躙られれば誰だって心は折れる。イザヨイ・サブロウも到底乗り越えられない壁を前に、絶望の表情を浮かべていた。
さて、彼の戦意は削ぎ落とした。
あとはさっくりと殺して、彼の身柄を終わらせるだけだ。物言わぬ死体を終わらせる程度なら、ユフィーリアも変に気負わなくていいだろう、
「――――まだだ」
「あん?」
サブロウの掠れた声が耳朶に触れる。
「たとえ首だけになろうとも、最後の1人になろうとも、強大な敵を前に諦めぬのが極東男児の心得だ」
抉られ、骨が見える傷を負った足を懸命に動かして、震える膝に喝を入れて立ち上がるサブロウ。
彼の眼光に、絶望などなかった。
不敵にも笑っていたのだ。
「これほどの命のやり取りは滾るものだッ!!」
「お」
強く踏み込んで、サブロウはユフィーリアの懐に飛び込んでくる。
間抜けな奴だ、わざわざ捨て身の特攻を仕掛けてくるとは自殺でもするつもりか。
手の込んだ自殺を目論むサブロウの鳩尾に、もう一度膝蹴りでも叩き込もうとするユフィーリアだが、
「〈光よ弾けろ〉!!」
「ゔぁッ!?」
目の前で白い光が強烈に弾けた。
目眩しに使われる魔法だ。油断していた、彼は人斬りでもあるがヴァラール魔法学院の生徒の1人だったのだ。
間抜けにも初歩の初歩と呼べる魔法に引っかかったユフィーリアは、視界を奪われながらも右手で握りしめた刃を薙いだ。ザン、と何かを切ったような感触はあるが、相手を殺した気配はない。
遠くの方でガシャンという何かを壊す音が聞こえてきた。
「あー、クソ」
ようやく視界を取り戻したユフィーリアは、悪態を吐いた。
地下闘技場には、誰の姿もなかった。観客たちは呆然とユフィーリアを高みから見下ろし、司会者を務める運営側の男子生徒も呆けた表情で戦場を見つめていた。
遮蔽物にサブロウが隠れた気配はなく、ただユフィーリアの足元には彼の丁髷だけが落ちていた。多分上手く切れたのだろうが、相手の首が落ちていなければ殺せていない。
「逃げたか」
敵前逃亡とは面白いことをする。
だが、初歩の初歩と呼べる魔法程度しか扱えない満身創痍の人斬りが、魔法の天才と名高いユフィーリアから逃れられるはずもない。
ぐるりと地下闘技場全体を見渡せば、挑戦者が出てくる入り口を塞いでいた檻が壊されていた。あれほど怪我をしながら檻を壊す程度の力を残しているとは、まだ元気な様子である。
ユフィーリアは大胆不敵に笑うと、
「逃がすと思うか?」
地面に続く血の跡を追いかけて、ユフィーリアもまた地下闘技場の出口に向かった。




