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「おいで、おばあちゃんがお話をしてあげる」
お盆で巣立っていった子どもたちが、孫を連れて帰って来ていた。近くに住んでいる親戚も集まってどんちゃん騒ぎをしている。何もない田舎の数少ない楽しみの一つ。私は楽しそうに話をしている子どもたちを見ながら、和室から続く縁側で一休みをしていた。そしてつまらなさそうな顔をしている孫を手招いて呼んだ。それに気づいた長男が、酒に酔った赤い顔でケラケラと笑う。
「あ、また始まった。ばあちゃんのホラ話」
「あんたねぇ、子どもの時から言っているけど嘘じゃないよ」
「ほらばなし?」
来てくれた長男の娘は、可愛い目をキラキラさせて私の前に座ってくれた。いつも私の話を信じないバカ息子とは大違いのいい子だ。
「ううん、本当の話。おばあちゃんが生まれるず~っと前のお話だけどね」
「何それ~」
来年小学生になるこの子は利発で、息子と同じようにケラケラと笑う。それでも話に興味を持ってくれたようで、私は嬉しくなって頭を撫でた。息子二人は小学校に入る前から嘘だって言っていたからね。
「古い、古いお話なのよ……」
私は目を細め、頭に遠い昔の記憶を呼び戻す。ずっと、ずっと昔。教科書では縄文時代と呼ばれる時代にいた、もう一人の私の物語。
「あの時代にはビルなんてものはなくてね。深い森と山、自分たちで作ったおもちゃみたいな家に住んでいたのよ。とても、空はきれいで、青く澄んでいたの……」
それは雲のように、ぼんやりと浮かぶ記憶……。
「あお! お前なんか出ていけ!」
耳が痛くなるような怒号と、振り上げられる拳。殴られた瞬間目の前がチカチカして、遅れて痛みがやって来た。じわりと血の味が口の中に広がり、私は父親と目も合わさずに家から出ていく。内と外を区切るものなんてないから、さっきの声はムラ中に響いたかもしれない。だけどそれもいつものこと。私は人がいる中心に背を向けて、ムラ外れの川へと歩いて行った。
(……痛い)
私は親の顔を知らなかった。小さなころはなぜ大人が私を見て顔を顰めたり、怯えた顔をしたりするのか。私と遊ぼうとした子どもたちが、親に止められていたのか、分からなかった。でも物心がついて、大人の話が分かるようになった時に知った。私の両親は本当の親ではないって。私は川上から籠に入れて流された子。ムラの人は私のことを、流され子って陰で呼んでた。
動物や木の実がうまく蓄えられなかった時に産まれた子が流されることは、たまにあるらしい。私が流されたのも冬が始まる少し前で、冬前の口減らしだろうって大人たちは言っていた。幸いというか、このムラは蓄えがあったから私を見殺しにしなかったんだって。
(でも、それでこんなんじゃ。死んだ方がましよね)
私は父親から殴られた頬に触れ、走った痛みに顔をしかめる。ちょっと口ごたえしたら、思いっきり殴られた。初めてじゃないし、痛みには慣れているけど。口の中も切ったから、水を口に含んでゆすぐ。
(もうすぐ狩なのに、こんな顔なんて嫌だ……)
私はムラの近くを流れる川へ行き、水面に顔を映した。青い空に、雲。そして固く無表情な私の顔。頬は赤く腫れて、目は……。
(なんで、私の目は青いんだろ)
水底まで見えるきれいな川。その水面に映る私の目は青。青い目をしているから、私は「あお」と名付けられた。ムラ中の人を探しても、隣やその隣のムラの人を見ても、青い目の人はいない。この目のせいで、私は小さい時から避けられていた。
(赤ん坊の時に殺してくれればよかったのに……)
きっとこの目も流された理由の一つだ。両親が初めて目の開いた私を見た時も、クマに襲われた時のように絶叫し、ムラで祈りをするおばあさんは呪いだとか狂い叫んだって聞いた。当然もう一度流そうだとか、殺してしまおうとか大人が勝手に話し合ったらしいけど、なぜか生きている。
母親は優しい人だったから、たぶん殺せなかったんだと思う。けど、その母親も私が流されて10回の冬が来た時に死んでしまった。それから、父親は私を殴るようになった。今は母親が死んでから、6回の冬が過ぎている。
(まあ、考えてもしかたがないか)
私はため息をついて、冷たい水を頬にかける。少しでも赤みを引かせないと、狩の時に恥ずかしい。パシャパシャと水をかけていると、人の足音が近づいて来た。こんな私の側に来るのは一人しかいない。
「姉さん、また父さんに殴られたの?」
振り返ると、やっぱり思ったとおりの人がいた。
「そら……近づいちゃだめって言ったでしょ」
そらは一つ下の弟。といっても、育てた両親の実の子どもだから、私とは血が繋がっていない。私といると、そらまでムラで除け者にされるから、来るなって言っても寄って来る変な弟。
「別に、俺はムラの奴らなんて気にしない。それより、なんでやり返さないの? 姉さんなら父さんにだって勝てるでしょ」
私は水で頬を冷やすのをやめ、立ち上がった。そらは私の隣に来ていて、立ち上がったら少し見下ろす形になる。そらは、それが少し面白くなさそうな顔をよくしていた。私はムラの女と比べると頭二つ分、男と比べても頭一つ分くらい大きい。体もがっしりしているし、力も強い。だから、きっと暴力を振るう父親にも勝てる。けど……。
「私は平気だから、気にしないで。もうすぐ狩の時間よ。準備はできたの?」
私がやり返したら、きっと弟にとばっちりがいく。弟は他の男の子と比べても小柄で、成人の年にはなったけど子どもっぽさが残っていた。
「できてる……姉さんは今日くらい休んだら? 俺がイノシシ取ってくるから」
「あの中で私より弓上手い人いないじゃない」
「そりゃ、そうだけど……姉さんは女の子なんだから狩をしなくても」
そらは、よくそう言っていて、私に狩をしてほしくないみたい。基本的に女は男より力が弱いから、獣を狩るより木の実を集めたり服を編んだりするのが役割。あと土器や飾りを作ったり。けど私は小さい頃から体が大きくて力が強かったから、弓矢を教えられた。今じゃ、村でも上から数えた方が早い腕前になっている。
「私は狩が向いてるの。好きでしているんだから、口出ししないで」
私は少し棘のある声で返し、足早にムラの中心へと歩いていく。そらは「もう」って言いながら、私の後ろをついて来た。昔からいつも私の後ろをついて来る。
ムラの中心へと近づけば、狩の準備をしている若い人たちや、土器を作っている人たち、集めた木の実を分けている人たち。みんな何かの作業をしている。彼らは私たちに目を向けても、声をかけようとはしなかった。それもいつものこと。私はなんとも思わない。
そして私は彼らに目もくれず、急ぎ足で家に入る。中は円形になっていて、丸太の柱が四つ、草で作った屋根を支えている。父親はあれからどこかへ行ったみたいで、中にはいなかった。木の壁にたてかけられた弓を取り、狩の準備をしていると、空が速足で近づいて来た。
「姉さん、怒っていいんだよ? みんな、姉さんのすごさを分かっていないだけなんだ」
「そらは優しいね。私の代わりに怒ってくれる」
「だって姉さんは……」
訴えるような目で見上げてきたそらの唇に、私は人差し指を添えた。困ったように微笑めば、空が黙ることを知っている。
「いいの。そらが分かってくれているから、それで十分」
ムラの人たちは、私をいないように扱う。祭りも外から眺めるだけ。子どもの時はまだ参加できていたけど、二冬前に海辺に流れ着いた男の人の世話をしてから、村の人たちが私を見る目が変わった。海辺で倒れていた人は私たちとも、近くのムラの人とも違う服を着ていて、何を言っているか分からなかった。髪と目はムラの人と同じ黒だったけど、顔つきはちょっとひらべったかった。
「ムラに悪いものを運ぶ」
「ムラには入れるな」
ムラの人たちは獣を見るような目でその人を見ていて、誰も世話をしたがらなかった。だけど見殺しにもできない。死んだら、さらに悪いものを運ぶと言っていた。そこでムラ長が指名したのが私で、海岸近くの洞窟でその人の世話をすることになった。彼がどんな人なのかは結局分からなかったけど、草に詳しくて、食べられるものや食べられないもの、体がおかしくなった時に使う草も教えてくれた。不思議と、その話は分かったんだ。
けど、森の中を歩いたり、きのこや毒のある草を並べたりしている私たちを見て、ムラの人たちは気味悪がった。自分たちを殺すつもりなんじゃないかって。ばかばかしい。
あの人は怪我が治ったら、自分で丸太をくりぬいた舟を作って海の向こうへと行ってしまった。最後に私の目を指さしてから、海の方を指さした。正直海を指したのか、空を指したのかわからなかったけど、もしかしたら海の向こうに青い目をした人がいるのかもしれないなんて、思ってしまった。
私は不思議な男の人を思い出して、無事帰れたかしらと海の向こうへ視線を送る。ちょうどその時、ムラの若い人たちは準備ができたみたいで、狩に行くぞと声を周りに呼びかけていた。私とそらは彼らの最後尾についていった。