エピローグ:空の死神と竜の理(ことわり)
◆
ひどくありふれた、どこにでもあるような戦場だった。
見通しの良い平原の上で、赤と青――異なる色の旗を掲げた二つの勢力が激突している。
一方的な戦闘であった。
有利にことを進めていたのは、赤旗の陣営。
そもそもの兵力が違う。
単純な数で言えば両軍ともに数百人といった具合で大きな差はなかったが、装備も、兵の練度も圧倒的に赤旗の陣営が上回っていた。
その差は、そのまま士気の高さにも反映されている。赤旗の兵士達は勝利を確信し、死すら恐れぬ強気な攻めを容赦なく繰り返していた。
中でも、弓と長槍を装備した騎馬隊による執拗な一撃離脱戦術は、守りに入った青旗の陣営の戦力を確実にこそぎとっていく。
序盤こそ同じように騎馬隊を有していた青旗の陣営であったが、同じ条件で戦い続けては埒が明かないと判断するのが、あまりにも遅かった。
もはや攻めに打って出られるほどの数はなく、逃げるか、赤旗の騎馬隊が離脱のタイミングであわよくばと、背中を狙い撃とうと試みる。その程度のことでしか、存在を主張できていない。
――情けない。
騎兵の名折れどもを視界の隅にとどめたまま、赤旗の騎馬隊の一人が身体を後方へと器用に捻り、そのまま弓を構えた。
表情は兜に隠されてよく見えないが、反撃を想像すらしていなかったであろう敵の驚愕は、その動きだけで十分に感じ取れる。
放たれた矢は、真っすぐにその喉元を射貫いた。
曲芸技をやってのけた兵士は満足げな笑みを浮かべながら、再度の突撃――今は別の騎兵隊が攻撃を仕掛けている――に備えて隊列を入れ替えようとしていた。
そんな彼の横に並んだ同僚が大声で叫ぶ。
「お見事! ――ってか、あんま無茶すんなよ! 勝ち戦で、落馬して戦死とか笑えねえぞ!?」
「ばーか! 誰が落ちるかい! 勝ち戦だからって死を恐れる奴が、武功を立てられるかってぇの!」
二人とも声色は明るかった。
この二人だけでなく、赤旗の騎兵の誰もが勝利を確信している。己の死を想像すらしていなかったし、する必要もなかった。
それは正しい。
死を恐れて動きを鈍らせることこそ、戦場に於いては死に繋がりかねないのだから。
つまり、彼らはこの時点で詰んでいたのだ。
「油断はできねえよ! ……噂のアレ、知ってるか!?」
「はぁ?」
「最近、出るっていうアレだよアレ」
「だから! アレって何よ!?」
怪訝な顔で同僚に応じる兵士の遥か後方より迫っていた死神は、一瞬にして彼我の距離を喰い尽くした。
音もなく風を切って飛行する死神。
銀色に輝く体色は鮮やかなれど、周囲の景色に溶け込む性質を備えている。
「"空の死神"を知らないなんて――……あっ」
曇天の鈍色と同化した死神の背から、ひどく歪な凶器が伸びた辺りで、ようやく同僚が異変に気付いたようだった。
気付いたところで、理解は追いつかない。
ふわりと。
騎兵で駆けていては気が付かない程度の微風が二人の騎兵を撫でた。
「どうした? おい、なんで固まって……あれ?」
同僚の騎兵は驚愕の表情のまま停止していた。凍り付いたかのように、言葉を発しない。
やがて。
ポトリ――と。
滑稽で、間の抜けた音と共に。
さっきまで気さくに何かを話そうとしていたはずの同僚の、首から上だけが落馬する。
「――え? あ……え……?」
理解が追い付かない。
心臓が徐々に早鐘を打ち始めたが、理由が分からない。
これは、なんだ。
「……死んだ? ――あっ」
正面に向き直ると、視界に違和感があった。
馬の頭部が見当たらない。それどころか、自分の両腕もなくなっていた。
どうやって止まればいいんだろう。そんなことを考えている内に、両腕を失った赤旗の騎兵はバランスを崩し、馬の背から振り落とされていた。
◆
血が止まらない。
切断面から血液が凄まじい勢いで失われ、体温が急激に低下していくのを体感しながら、赤旗の騎兵は己の友軍が正体不明の存在に蹂躙されていくのを茫然と眺めることしかできなかった。
「何の……悪夢だ。これは……」
銀色のドラゴン。
ドラゴンとは、大陸に遠い昔から巣食う古代生物の生き残りだ。
天災のようなもので、ひとたび狙われれば鎮まるのを待つほかない。
だがそれは昔の話。開発された様々な兵器によって殆どのドラゴンは狩り尽くされた。鎧のようなウロコも、長弓や大砲で貫ける程度の強度でしかなかったのだ。
目の前の現実は違っていた。
低空飛行で突撃してくるくせに、弓矢は巧みな動きで殆どが回避される。
よしんば当たったとしても、全てが弾かれてしまった。……ドラゴンの背に騎乗する、わけのわからない存在に。
「あれは……何なんだ……?」
恐怖の対象はいつしか、ドラゴンよりもその背に乗る何者かに移っていた。
ボロボロの頭巾を身に纏い、骸骨を模した仮面で顔を隠している、ドラゴン・ライダー。
しかし、そんな常軌を逸した格好よりも尚、その存在が操る武器が異常だった。
大きな――あまりにも大きな、銀色の大鎌。
「――死神の鎌とでも言いたいのか……?」
ドラゴンを操る"空の死神"は、大鎌を巧みに振り回して飛来する矢を薙ぎ払い、どう見ても刃の届かない距離の兵士を次々と切り裂いていく。
やがて、視界に入る限り全ての友軍が狩り尽くされた後、
「驚いた。まだ生きてたんだぁ」
空の死神が、両腕を失った騎兵の前に悠然と降り立つ。
その声はひどく無邪気な、まごうことなき少女の声であった。
「なん、なんだ……おまえ。なんで、こんな――」
「なんでって……」
仮面の向こうで、死神がにいっと笑う。
「死ぬはずがないと思っているような奴の恐怖こそが、極上の獲物――なんだってさ。……ね?」
ドラゴンの喉から、不気味な笑い声が響く。
赤旗の騎兵は理解の及ばぬ恐怖に蝕まれながら、その一生を終えた。
◆
「ねえ、次はどこの味方をする? ――この大陸ではすっかり噂になっちゃったし、北の方に行ってみたいんだけど、どうかな?」
フィーリアは今日も相棒と空を飛び回り、死を振りまく。
無邪気に笑う少女に対し、ドラゴンは快く応じた。そうしてみせた、
『ああ、望みの通りに……フフ』
ドラゴンは彼女がもたらす殺人の快楽と、被害者の恐怖を吸収してより強大な力を得ている。
その関係は理想的な共生であった。
だが、ドラゴンの真の狙いは更にその先にある。
――いつまでその身体はもつかな……?
フィーリアは長命の種族ではあるが、人間どもからうつされた、本来は縁のないはずの病で身体を蝕まれている。
やがて病の進行が彼女の身体に異変をもたらし、何者も耐えることのできぬ苦痛をもたらすはずだ。
その絶望を、ドラゴンは喰らう。
『楽しみ、だな』
◆
フィーリアには分かっていた。
ドラゴンにとって、自分はそれほど重要な存在ではない。
ただ、他の人間よりは少しばかり長持ちがして、珍しい味がするだけの拾い物。
期限が来たら、あっさりと喰われてそれでお終いだろう。
(それでもいい)
フィーリアは本心でそう思った。
「わたしは……最期まで、奪う側で――ドラゴンの理の中で、生きる」
血を吐く回数は日に日に増えていた。
先は長くない。結末もたぶん、決まっている。
だがそこまでの道程においては、無限の自由が約束されていた。
何色の空を翔け抜け、誰と戦い、どのように殺し、味わうかは、フィーリア自身の意志で決めることができるのだから。
空の死神と呼ばれた存在は、その命の終りまで、人間たちに死をもたらし続けた。
いずれ竜騎士同士のバトルを書いてみたい……。
貴重な時間を割いて読んで下さった方、本当にありがとうございます……!