第五話 マネキンの少女
「おねえちゃん! 見て! きれいなお日様!」
「ちょっと! 危ないよ! ココ!」
ドレスを着たマネキンの影が踊っている。
「……執事さんの言うとおり、綺麗。」
ムの上では空気がよく鳴る。
「ココ、もっと高台の方へ……ココ?」
妹の異変に姉はすぐさま気がついた。
「あたし……知らない……」
ココは胸のリボンをシワシワに潰して震えている。
「ココ! どうしたの、何か見た?」
「いや!!」
姉は、初めて妹に突き飛ばされた。その場で戦慄する姉と錯乱し始める妹、さっきまで笑い合っていた姉妹とは到底信じがたい。
「あ、ああ、いたい、いたい!! こないで、こないで……」
ココは後退りして、低い鉄格子に足が当たりバランスを崩した。
「あ」
鉄格子を乗り超えて。
「ココ!!!!」
サリーの叫びと共に
落ちた。
「……おねえ、ちゃ……」
だが、すぐに宙ぶらりんになった。
「ギ、ギリセーフ!!」
黒い服を纏った透明人間、鼎羽がココの腕を掴んだ。
「お兄さん……? あたし、ひ……ッ!!」
ココはやっとここで自分の置かれている状況を理解し、声にならない悲鳴を上げた。その悲鳴が鼎羽に緊迫感を与えた。引き上げようと試みたが、鼎羽の胴は鉄格子を超えて、虚空へと突き出されていた。
「ちょ、これ、無理、無理無理無理……!!」
一人の力じゃ今にも重力に負けて落ちてしまいそう
だ。
突然、ゆっくりと重力に引っ張られている鼎羽の震える手にかかる力が僅かに軽くなった。
「手伝います!」
姉がやっと正気を取り戻し、ココの腕を掴んで助けに加わったのだ。力がギリギリで均衡し、断崖絶壁の空中でココは万死に一生を得た。
「お姉ちゃん!」
ここがの表情が緩んだような気がした。それほど姉に信頼感を持っているのだろうか? まぁ、急に現れた知らない男になんか信頼感以前に不信感が湧くだろう、無理もない。でも、それでも何か役に立ちたい、この状況を打破しなければ。そういえば自分の魔法がまだわかっていない。もし、浮遊かなんかだとすれば──
「浮いて! アブラカタブラ! フライ!」
それっぽい言葉を弾丸みたいに連発し、念じてみる。
「お、お兄さん、あたしは、とべない……!!」
まるで、この子に命令してるみたいになってしまった。烏滸がましいことをした。結局何も起こらず、引き上げるしか手はないようだ。しかし、引き上げようにもこの縮こまった海老みたいな体勢じゃ、足掻いてもかえって体力を浪費するだけ。ああ詰みだ、と、諦めを催すまで数分もかからなかった。というか、そもそも握力が尽きてしまう。
「もう……これなら、いっそ賭けても……」
姉が、震える声でそう言い放った。
「賭ける?」
「この下は深い川のはずです、多分……うまくいけば助かるかと。」
ほぼ諦念していた私達にとって、最初で最後になるかもしれない乾坤一擲。正直なとこ、十中八九でもう死ぬ事はなんとなく悟っていた。
「この子と……約束してるんです……死なばもろとも、って。」
なるほど、流石、姉妹。想像よりももっと深い深い愛情がここにはあったのだ。もう確実に死ぬなら、この子を一人死なせるより、二人で死にたい。そういう事だろう。助かるかもしれない一縷の可能性を信じて、飛ぶしかなかったのだ。
「貴方は、もう、離してください。巻き込んでしまって申し訳ないです。」
そういえば自分は全くの赤の他人だった。この子達にとっては見ず知らずの透明人間。一人の命を数分くらい救って、今際の際まで追い詰められた透明人間。確かにそれを踏まえれば、私がこの子達と一緒に落ちる道理はない。でも、私だって心がある。見限って、永遠にさようなら、だなんて。何か、とっくに人の道なんて踏み外していた気がするけれど、これ以上、罪を重ねたくはない。どんな罪なのかはさっぱりわからないが。
「一緒に落ちるよ。私となんか、嫌かもしれないけど、まだ固有魔法がわからない私と落ちた方が、生き残る確率は、上がるんじゃないかな。」
もしかしたら、死ぬギリギリで、何かすごい魔法で助かるかもしれない。それさえ信じれば、助かる確率は上がるだろう。ほんの僅かな心の支え程度だが。
「で、でも!」
「ここで貴方達を見捨てれば、私はその罪と一生向き合わなきゃいけなくなるの。だからお願い、一緒に落ちよう?」
一度、自分で命を絶った身だ。死への恐怖は、怖いほどにない。もっと恐るべきは、この子達から死への恐怖が感じられない。妙に、諦めが早いというか、潔いというか。
「……わかりました。もし助かったら、私達の屋敷で歓迎会でも開きましょうか。」
「歓迎……?」
私が質問をする間もなく、姉は鉄格子を乗り越えた。私は決断する間もなく虚空へ引き摺り込まれた。大気が体を引き裂きそうだ。生きてきた中で初めてのバンジージャンプ。私達は、最後の悪あがきで何か念じてみるが、それよりも先に、頭上に水面がついた。
ドッシャーン!!
大きな水飛沫。全身を襲った衝撃。鼎羽に見えたたのは、抱き合っていた姉妹の姿だけだった。それが、長い長い命の最後に、目にうつった姿……のはずだった。
さぁさぁと吹く涼しい風が、木を揺らして、葉を揺らして、合奏している。
気がつけば、川のほとりに打ち上げられていた。やっと、意識が戻ってきた。
「……!! 目が覚めましたか!!」
マネキンの姉が、私の横に座って、肩を笑わしている。
「え……助かっ、た?」
目もみえる、音もきこえる。手も動くし足も動く。それに、何処も痛くない。八時の時計を見て、布団を吹き飛ばして跳ね起きるように、軽々と体が動いた。
「やりましたよ!! 運命に勝ったんです!!」
姉の体にはどこにも損傷はない。妹は、まだ目を覚ましていないものの、無事だった。おかしい、こんなのはおかしい。ショックのあまり見えてしまっている幻想か? 夢か? 天国か? 地獄か?
「どう、して?」
私は、最後に見たはずなんだ。
最後まで抱き合っていた姉妹を。
四肢が、ありえない方向に折れ曲がった姉妹を。
「本当に、生きてるの?」
「え?」
私は姉の腕や足を触ってみた。硬いマネキンの感触。でも、綺麗でよく磨かれた木。なにも汚れちゃいないし、そこに存在してる。
私は、この結果からある結論に至った。これは多分、誰かの手が加えられたのだろう。
私達の命が完全に途絶えた後、或いはその瞬間。知らない誰かが、何かの魔法を使った。
そうでなきゃ、この状況を誰も説明できない。
あの高さから落ちて、無傷でいるはずがない。私は、水すら吐き出していない。
「誰かが、助けてくれたのかな。」
「……きっと、そうでしょうね。」
当然なのかもしれないが、姉も、この結論に至っていた。
「あの、私見たんです。真っ黒い影を。」
「黒い影?」
「ええ。ほんの少しだけ、魔波を感じました。」
私は辺りを見渡して、ちょうど後ろを振り返った時、木陰の奥に、真っ暗な影が見えた。背丈は、私と同じくらい。
「……ねぇ、もしかして、あれ?」
「えっ、どこですか?」
「ほら、あそこ。」
「……ん? 見えませんけど」
この距離であの異様なほどに漆黒な人形の影が見えないわけがない。まさか、見えているのは自分だけの可能性もある。
「あ、あの!! 助けてくれたんですか?」
恐る恐る声を張って呼びかけてみる。そのとき、パッと姿が消えた。
『不孝者』
その五文字の言葉が耳元で囁かれた。
気配は真隣、すぐ横にいる。なんだこの黒い生物は。輪郭や凹凸すら認識ができない。横目で、ちらっと見てみたら、やっとなにかを認識できた。
それは頭蓋骨だった。
「ひィッ……!!!???」
これはやばいと本能が叫んでいる。やばい。死ぬ。死ぬ。
咄嗟にその場を離れ、砂利に足をすくわれて転ぶ。もう一度見たときには、姿は完全に消えていた。
「大丈夫ですか!?」
姉が駆け寄ってくる、何が起こったか何も理解していない様子で。『あれ』が見えているのは私だけなのだろう。
「……多分、これやばいやつかも。怪異的な……」
「か、怪異ですか? それって、瓦落多の事では」
「……はは、もう、早く上に上がろう、早く離れなきゃ」
姉は鼎羽の異様な様子に怯んだのか、妹を抱いて鼎羽に従った。苔の生えた長い長い石造りの階段をのぼって、やっと整備された道に出た。服が水を含んでいてとても重い。
「あの、大丈夫ですか?」
「あ、ごめん。ちょっと休もっか」
「……ええ、そうですね。」
ダムの近くまで戻り、ベンチを探して歩き回った。すると、二台並んだベンチが木漏れ日を浴びて私達を待っていた。
「あれって、看守さん?」
姉がふと呟く。よく凝視してみると、確かに、誰かが座っている。看守というと、あの看守だろうか。看守?
……いや、待て。
「……待って」
何故忘れていたんだろう、何故記憶から消えていたのだろう。
私の、看守。
「メカ」
メカと、救ノ市を観光していた時。急に、電源が切れたように、メカは倒れ込んだ。
「それで、私はメカをベンチに座らして……」
記憶が曖昧だ。気がつけば私はダムの天端へ無我夢中で走っていたのだ。そうして、この姉妹を見つけた。
その意味がわからない。一体何の為に? なぜ姉妹が危ないとわかった? 記憶が抜け落ちているといえば辻褄も合うが、そんな感じもしない。私は気がおかしくなったのか? この状態に至るまでメカは、私の記憶から完全に消されていた。
「……と、とりあえず、今は」
とりあえず今はメカを助けることが優先。駆け寄ってみるが、何も変わらずに首を落として屍と化している。
「あの、知ってる看守さんですか?」
知ってるも何も私の担当。だが、知り合い以上の関係があることを悟られてはいけない。メカのカラクリ化は絶対に死守すべき秘密。
「私の担当だったの。突然倒れちゃって……」
「大変。故障でしょうか。一応、管理府に連絡を」
「それはダメ!!」
不覚にも、焦りでつい大声で怒鳴ってしまった。もし検査や修理などとなれば、カラクリ化が確実に発覚するだろう。そんなことになれば、処分されるんじゃないか? そんな不安が私を焦らした。
「お願い、とりあえず、そういうのはには、あまり頼りたくない……」
私は、何かないかと辺りを見渡す。そして、見つけてしまった。
「あ」
また、あの黒い影が、ダムの天端に立っていた。私達につきまとっているのか? これは、呪われたかもしれない。 すぐに視線をメカの方へ逸らした。そして私は胸が弾んだ。
「俺……は。」
メカのバイザーに光が宿り、意識を取り戻していた。
「……!!」
私はもう一度、天端の方へ振り向くと、黒い影は消えてきた。近づいて来ていないか素早く周りを見渡すが、その様子はない。
「鼎羽?」
ああ、隣には、普通のカラクリがいるのだ。普通に、素のままのメカを見られてしまったらまずい。
「あ、っこ、これ……」
私は言い訳を全力で考えたが、そんな必要はすぐになくなった。
「その声……メカさんだったんですか!? 全然わかりませんでした!!」
「へ?」
私はその想像の範疇を超えた反応に理解が追いつかなくて、変な声が漏れた。
「……!! 泉乃亰の嬢ちゃんか!! ここで何を……って、君たち、全員揃ってずぶ濡れじゃないか!」
メカはすぐに立ち上がって、驚愕していた。
「何があったんだ!」
「その、話すと少し長くなります……」
「……ほう、わかった。取り敢えず、今は着替えようか。風邪ひくぞ」
私だけ、ただ一人、拍子抜けしていた。




