流し流され 2
それほど長くもない螺旋階段を降り続けて、広い階下へ出た。
王宮のはずれにあるらしい【罪の宮】は、普通の民間人ではなく、貴族諸侯が重い謹慎を受けたりするのに使用されるらしい。道理で汚くないはずだ。
重くないか、と問うと、ユルヤナは首を振った。見た目通りの体力と腕力の持ち主だ。魔導師というとひょろひょろした痩せぎすの文化系、というイメージがあっただけに、ユルヤナの存在はちょっとした不思議だ。他の魔導師もこんなに筋骨隆々なのだろうか――あの大広間で見た似たような人物たちは、想像通りの姿だったように思うけど。
「で、外に出るのは、いいとして。私は、…どこに、行くの」
どこもかしこも真っ白い漆喰で塗りつぶされた廊下を歩く。
何故か分からないが、ユルヤナが一歩歩を進めるごとにどんどん体が重たくなってくる気がする。腕にも力が
入らないから、ぐったりと身体をユルヤナの肩と胸に預けた。けれどユルヤナは気にした様子も無い。私の体が物理的に重たくなっている訳では無さそうだ。
「……おまえには、私の部屋で養生してもらう」
「ユルヤナ、の?」
「ああしておまえを牢に入れていたということを……我々は、神子たちには告げていない」
成程、と乾いた笑みが零れた。
私を慕う彼らのことだ、私がそんな扱いを受けていたと知れば臍を曲げるだろう。神子の操縦を円滑にするためには、私は召喚の影響で衰弱していたとか、彼らにとって都合のいい理由で姿を現せなかったのだと言い訳するほうが余程いい。
成程、成程――気に食わない。
ユルヤナを見ると、僅かだが不機嫌そうに口元が曲がっていた。
おそらく、ユルヤナは言おうとしたのだろう。過ごした時間は少ないが、彼はそういう男だ。そうしてきっと口止めをしたのは周囲か、あの第二王子。つくづく好かない男だな。
「……私が回復、するまで…ユルヤナの世話になってた、ってことにするんだね」
「……ああ」
はあ、と溜息をつく。
この男は、自分の責任ではないのに、どこか申し訳の無さそうな顔をする。
責任とは、命じた者が負うものだ。例え彼に非があったとて、その責任は彼に物事を任せた責任者にあり、彼には無い。まあそれも会社だったり何だりと例外はつくが、聞く限りのこちらの世界の階級主義や軍事については、前者が適用されるだろう。即ち悪いのはあの王子であり、私の憎悪の赴く矛先も全てはあの男。
今に見ていろ、私は案外執念深い女なのだから。
【罪の宮】から一歩出ると、そこは緑溢れる森の中だった。
しかしながら、私にはその美しい風景を眺める余裕は無かった。あの感覚を和らげる呪いの効力範囲外に来て、一気に体が悲鳴を上げたのだ。
考えてみれば、二週間ぶりの外なのだ。押し溜められていた負の感覚は、想像以上。
今までの飢餓が生やさしいと思える程で、まるで胃が毒虫に噛み潰されているような気分だった。臓腑が中から逐一痛覚を刺激する。むしろ掻き毟りたいくらいだったが、そんなことをしても苦痛が止まないことなど百も承知だ。眠くて意識が霞むのか、痛くて気絶したいのか、わからない。排泄欲が無いのが、せめてもの救いか。
もう手の力も完全に入らないから、私の身体を支えているのはユルヤナの腕だけ。
「っつ、う、あぐ、……っ」
私の呻きに、慌てたような雰囲気を纏ったユルヤナは、私の身体をぎゅうと抱きしめてきた。
それだけでほんの少し楽になるから、不思議だ。魔法、なのだろうか。記憶はおぼろげだが、瑠璃と由鷹を眠らせた魔法は私には効かなかったらしいのだが。
「……千隼、」
なんて声を出すのか、と私は心の中で苦笑した。
苦しそうなのは、この男じゃないか。
ひゅ、と耳元で風を切るような音がした。
次の瞬間には、見慣れない部屋の中だった。
暖かい日の差し込む、汚くはないが雑然とした部屋だ。壁にはびっちり棚が並べられ、革張りの本が数え切れないほど押し込められている。並べられている、ではないのがみそだ。他には何某かの硝子の実験用具だとか、木切れや石の標本だとか、博物館ばりの品揃え。黒檀の机には書類らしきものがうず高く重なりあって、今にも倒れそうだ。部屋の隣にはもう一つ部屋がある。そこも、きっと面白そうなものがあるのだろうか。
が、やはり詳しく観察している余裕は私には無かった。
部屋の中を我が物顔で駆けるユルヤナに、尋ねる。消え入りそうな声だった。
「こ、こは…?」
「俺の、部屋だ」
言うと、ユルヤナはさっき気なっていた隣の部屋に入った。そこはまた予想以上に雑然としていて、正しく散らかっているという言葉が相応しい。ベッドが置いてあるということは、寝室だろう。
ベッドのすぐ傍の壁に鏡が立てかけてるのを見て、私は息を呑んだ。
丸みのあったはずの頬はげっそりとこけていて、顎や顔の線がすっかり細くシャープになっている。意外と細かったらしい私の骨格は、だぼついた服の下からでも丸分かりだ。腕も足も、こんなに細くなっているとは思わなかった。ユルヤナと比べたら、まるで枯れ木と大木だ。
「うぐ、」
かなり乱暴に、部屋の中央にあるベッドの上に落ろされる。
あまり使っていないのか、きらきらとした埃が舞ったのをぼんやり眺めた。
「っは、う、いっ…」
お腹が空くとか、そういう段階の話ではない。痛い。痛くて、たまらない。
指一本も動かせない、眠気をレベルアップさせた疲労は予想外に体を蝕んでいる。
「千隼」
「はっ、ん……な、に?」
ユルヤナもベッドに上がって、私に覆い被さった。
苦しくて、辛くて、目も開けられない。意識を保つのがやっとだった。
「口を開けろ」
「く、ち…?」
「このままでは、おまえが危ない」
だから、と請われ、私はうっすらと口を開ける。
その時ユルヤナが何を考えているのか、何をしようとしているのか全く想像していなかった。口を開けることでこの苦痛から逃れられるのなら、悪魔にだって従うような心持だった。
ぬるりとした感覚が口の中に侵入してきて、私は息をつめる。
訳もなく身体が強張った。
やけに温かいそれはぐんにゃりと弾力があって、下の付け根の方まで伸ばされてきて息が苦しくなる。それと同時に身体がじんわりと温かくなってきて、心地良さに身体の力を抜いた。元々込めるような力は持っていなかったのだが。
うっすらと目を明けると、いかついが案外端正な顔が間近にあって納得した。
――キスだ。
嫌悪感は感じなかった。
キスなどされたことはないし、男女関係を結ぶような異性もいた経験が無い。だからといって乙女のようにどぎまぎしたかといえば、それも無い。ただ受け入れるだけ。頭を撫でられるような、心優しい施しを受ける気分だった。
「っつ、ふ」
鼻から息が抜ける。
口付けが深くなればなるほど、身体は温かくなって、いい気分になった。心なしか握力も少し戻ったようで、もうそろそろ止めて欲しい、という意思表示を込めて、ユルヤナの真紅のローブの襟を掴んで引く。
が、逆に拍車をかけたのかもっと下が奥に伸ばされて、絡められた。間違えた、引くんじゃなくて胸を押し返せばよかったのか。
ここまで来ると、間違えば喉の奥まで舐められそうで軽く恐怖だ。気がついてユルヤナの胸を押し返すと、更に深く。だから怖いんだよ、催促してるわけじゃないんだよ。しかし息苦しい。
――これは何もしない方が良さそうだ。
心の中で溜息をついて、ユルヤナのするがままに任せてみた。
そのままゆうに20分間同じ状態が続くと知っていたら、蹴り上げてでも中断を迫っていたのだが。
まだこの2人はラブではありません。親鳥と雛鳥の関係。
あれこれ給餌?
次回でユルヤナの行動の謎が明らかに。




