迷いと決意
「…………」
ダイブアウトし、地球へと意識を――魂を帰還させた悠星は、先程異世界でエルフィナというエルフから聞いた話を思い返し、表情を暗くする。
自らの身に起きたこと、今二つの世界に迫っている危機、そしてこれからすべきこと――それらが脳裏で絡まり合い、思考が定まらずに胸の奥に沈殿し、重くのしかかってくる。
そんな悠星の心中を察しながらも、慰めの言葉をかけることができない桂香は、胸を締め付けられる思いとは裏腹に、冒険者ギルドの職員として語りかけるしかなかった。
「先ほどの話は上に報告しておきます……その――」
「分かってます」
言葉を濁した桂香に、悠星はその言葉を遮るようにして応じる。
語気そのものは荒いものではなかったが、今は話しかけられたくないという心境を如実に表したような悠星の様子に、桂香はそれ以上の言葉をかけることができなかった。
「すみません。今日はこれで失礼します」
「…………」
深刻な面持ちを浮かべたまま、かろうじて挨拶をして帰宅していく悠星の後ろ姿を見送ることしかできず立ち尽くす桂香に、背後から一人の少女が声をかける。
「何か言ってあげないの?」
「スティーリアさんこそ」
「私達には何も言えないでしょ? 全ては彼の決断次第よ」
桂香にそうは言ったものの、自分自身も何も伝える言葉が思いつかないラヴィーネ・スティーリアである少女は、小さくなっていく悠星の後ろ姿を見つめるのだった。
※※※
「はあ……なんで俺がこんな目に」
自分の部屋に帰った悠星だったが、何もする気が起きず、ただベッドに身を横たえて、そこに置かれたDDへ視線を向ける。
「そりゃ、戦うしかないってことくらいは分かってるさ。でも、もし負けたら俺の所為で世界が滅びるかもしれないなんて言われても……そもそも今の状態で死んだら、俺死ぬかもしれないのに」
誰もいない虚空へ向けて呟いた悠星だったが、自身が何をすればいいのか――否、何をしなければならないのか、その答えは分かっている。
だが、地球と異世界の命運を担う責任と万が一命を落とした時にどうなってしまうのか分からないという恐怖が悠星の決断を妨げていた。
「はあ……」
考えていても解決するはずはなく、悠星は思いため息と共にDDに腰を下ろすと、何の気もなくネットに接続する。
普段最も閲覧する冒険者ギルドが管理するページ。
そこにあるのは、多くのWTuber達の膨大な配信の記録だ。
LIVEALIVEのような大手パーティはもちろんの事、現在活動している様々なWTuber達、今は活動していないWTuber達が行ってきた配信が残されている。
そしてその内容に目を通せば、異世界を堪能するWTuber達、そしてその配信を介して異世界へと想いを馳せる人々の言葉が刻み付けられている。
その膨大な数の配信記録は、異世界を愛した地球人の想いそのものといっても過言ではないものだ。
「皆、WTuberが……この世界が好きなんだな。それに――」
時間を忘れ、WTuber達の楽しそうな表情や冒険の数々、そしてそれを見ている視聴者たちのコメントに目を通し、悠星はとある配信へと辿り着く。
それは最初の配信――当時、異世界の資源を回収するだけだった魔動体に乗った地球人達が異世界の人々、王族達と言葉を交わし、WTuberの原型となる配信が行われた時の映像だった。
「あの世界の人達は、突然自分達の世界にやってきた俺達のことを受け入れてくれたんだよな……」
自分達の世界の資源を求めてやってきた「魔動体」――それは、異世界の住人達にとってみれば、自分達の世界へ踏み入ってきた侵略者でしかない。
しかし彼らは地球人を受け入れ、共に共存する道を選んでくれた。ならば、今度は自分達がそんな異世界に。異世界に生きる人々に報いなければならない。
「仕方ないな。どのみち、やるしかないんだ」
自分の中で一つの決断を下した悠星は、配信を見ている間にすっかり明るくなっている窓の外を一瞥すると、スマホを取り出す。
『夜光さん。どうしましたか?』
「俺、魔神と戦います」
数回のコールで電話に出た桂香に、悠星はまず自分の決意を伝える。
『そうですか』
「それで、お願いがあるんですけど」
『お願い、ですか?』
おそらくその用件を察していながら何も言わずにいてくれた桂香に己の想いを伝えた悠星は、一つ息を吐いて、その要求を告げる。
「はい。今回のことは公表しないでもらいたいんです。魔神が復活しようとしていることや、魔神がこっちの世界に危険を及ぼすかもしれないってことは知らせないでください」
『……理由をお聞きしても?』
社会通念上、かなり無理のある要求をした自負がある悠星は、しばらくの沈黙を置いて返された桂香からの言葉に、自身の正直な気持ちで答える。
「俺達が見ているあの異世界は、こっちの世界を脅かす危険があるようなところだって思われたくないからです。
俺達WTuberも、配信を見てくれてる人も、皆が楽しんでくれるためには、そんなことは知られちゃいけないと思うんです。だから、お願います」
実質不死身の身体を用いているWTuberも、その配信を見ている視聴者も、絶対に安全だと分かっているからこそ、異世界を楽しむことができている。
しかし、その異世界がこの地球に何らかの悪影響を及ぼすとしたら。その力が自分達の文明や生活を破壊しかねない脅威だと知られてしまえば、世間が混乱に陥ることは想像に難くない。
実際、冒険ギルドの上層部でもそれが問題になっていることを知っている桂香は、あえてそのことは告げずに、悠星にその意思を確かめる言葉をかける。
『確認をさせていただきますが、夜光さんはそれでいいんですか? これからあなたがすることは、とてつもない重責が伴う偉大なことです。配信をすれば、勝ち負け如何に関わらず、あなたにとってとても有益になるはずですよ』
「構いません。俺は世界を救った英雄になりたいわけじゃない。俺はWTuberとして、見てくれる人を楽しませる配信をしたいだけです」
桂香からの問いかけに、悠星は揺らぐことのない決意を返す。
WTuberは世界を救う勇者でもなんでもない。自分と見ている人を楽しませるただのエンターテイナーだ。
いかに数字を取れる可能性があるとはいえ、世界の危機を明かす必要などないというのが悠星がWTuberとして出した結論だった。
『お気持ちは分かりました。ですが、今回の一件について全く報せないということはできません。真藤さんの思いを含め、可能な限りそのご要望に応えられるように上に掛け合ってみます』
万一夜光が敗北した場合、魔神の危険は地球にも及ぶ。そのことを鑑みれば、この情報を少なくとも世界各国上層部に報告しないわけにはいかない。
冒険者ギルドの上層部がどうするかは分からないが、桂香はあくまで自身の立場で返せる最大限の言葉で応じる。
「ありがとうございます」
『いえ、こちらこそ。夜光さん、どうか二つの世界をよろしくお願いいたしますね」
WTuberとはいえ、一人の少年に二つの世界の命運を委ねなければならない桂香にできることは、その勝利を祈ることだけだった。