3 「空白の玉座」
――白兵第一隊、隊長。
自分を拾ったその人が『隊長』を名乗ったということに驚く暇もなかった。
アレンの黒曜石の双眸に射竦められた男たちの、息を呑む音さえ聞こえてきそうな静寂が店内を支配している。
ひりひりと焼けつくような、ぞくりと背筋が粟立つような、異様な迫力がアレンの細い身体から立ち昇った。
それでも威勢よく啖呵を切った手前引くに引けないのか、「このチビ……!」と一言吠えた禿頭の男がアレンに、残る長身の青年がマルカに掴みかかる。きゃあっ、と女性の店員が悲鳴を上げて目を瞑ったが、ウィルゴはその横で呑気にスープを啜った。まだだいぶ残っているが、多分これが最後の一口になる……。
アレンがくるりと逆手に持ち直した剣の柄で男の鳩尾を打ち、マルカの回し蹴りが青年の首を捉える。
ひとつ瞬きをする間の出来事だった。
「も~~、困るんだよなぁ、こういう奴」
「なんでわざわざ西の盗賊がヒルドレに?」
「さあ。報告案件だな」
唇を尖らせて、泡を吹いて倒れている禿頭の男の下半身をまさぐったアレンは、そのズボンから財布を取り出した。しっちゃかめっちゃかになった周辺を眺めて、面倒くさそうに溜め息をついてから、財布から札を三枚取り出して店員へ支払っている。
「ウィルゴ、おれたちの分の支払いお願いね。おれたちこいつら持って先に行くから」
「……、……了解・隊長」
一人をマルカが、二人をアレンが引き摺って、店を出て行った。
……なんだか見たことのある光景だ。
ちりんちりん、とドアの上に備えつけられたベルが鳴った。
「ありがとうございました……」と、呆気に取られた店員の見送りの言葉が空しく消える。
別に悪いことをした側ではないはずなのだが、アレンとマルカの早業に、店内の誰もがまだ現実に帰ってくることができていない。あまりにも居心地が悪かったので、スープに手を合わせてウィルゴもとっとと席を立つ。
店員がびっくり状態から戻ってこないうちに支払いを済ませて店を出た。
盗賊三人を引きずっているアレンたちに追いつくと、二人は漁港に設置されている桟橋のうち一番端にあるものをずけずけと歩いて、先端部分から男たちを海へ放り込みはじめる。この光景もなんだか見たことがあるなと思いながら、ウィルゴは後ろの方で静かに見守った。
「別にさ、正直うちの縄張りでもない街で偉そうな顔していようが関係ないし、もしマルカがあんたたちに敗けたっておれは助けに入るつもりなかったんだ。自己責任だしね」
アレンが平素通りの表情でつらつらと喋りながら、まずマルカに回し蹴りで伸された青年を海に突き落とした。
「でもねぇ、イェルガ海賊団を侮辱されちゃあ、いちおう隊長として出ないといけないわけさ」
次に禿頭の男の背中を蹴り飛ばす。
「船に娼婦を乗せてるなんて、ねえ。駄目だよ、そんな莫迦なこと言ったら」
その言葉を吐いた張本人の小太り男には、胸倉を掴み直し一発腹部へ蹴りを叩きこんでから、これまた海へ投入。
二人の背後から海を見下ろすと、干潮でやや水位の下がった海面から三人分の頭が見えている。どうやら全員ウィルゴと違って泳げるらしいので、放っておいたらそのうち港か岩場まで自力で辿りつくだろう。
桟橋に再び登ることもできるかもしれないが、それには少々水位が足りないか。湿った杭をよじ登るのも大変そうだ。
「おじさんたち、ケンカ売るなら相手は選ばなきゃ。じゃあね」
にっこり笑った隊長は、三人分の財布を手の中で遊ばせながら柵を離れた。
「さて、そんじゃ買い物に行こうか!」
「てめえ憶えてろー」「財布返せー」「このくそがきー」という悲鳴が聞こえるが、アレンとマルカはお構いなしに財布の中身を物色しながら岩場への道を戻る。
躊躇なく他人の財布を奪うあたり、やっぱり海賊だ。
なんともいえない気持ちでウィルゴは二人の後ろをついていった。
「……聞いていない」
「何が?」
ウィルゴが憮然としてアレンのシャツの襟を掴むと、彼はいつも通りの柔らかい表情を浮かべて振り向いた。
「隊長がおまえだなんて聞いていない」
「そういえば教えてなかったっけ。まあ、大体の仕事はガルシアに任せてるんだけどさ、これでも色々修羅場を潜っていたりして」
「……だろうな」
のんびりとした答えが返ってくるので、長と名のつく相手ならいちおう敬意を払うべきなのではとか考えていたウィルゴは、考えるだけ無駄なのだなと悟った。よく思い出せばマルカやニアをはじめ船員の誰もアレンに傅いたりしていない。
海風にはためいたアレンの黒髪の隙間から双眸が覗く。
黒い宝石のように煌めくその右目の下には、斜めに古い傷が残っていた。
「その傷跡も、修羅場の痕か」
「あ、こっちは違う。子どもの頃に転んで切ったらしい」
「そうか……」
華奢な体躯からは想像もできないが、納得した。そもそも彼が剣を佩いていることも忘れていたほど滑らかな身のこなしは、改めて認識してみると相当な手練れのそれだ。
見た目はウィルゴよりもいくらか背の小さいやんちゃな少年に見えるので、警戒されにくいぶん有利ではあろう。先程の乱闘もそれを利用して叩きのめしたようなものだった。
「ウィルゴの右頬は? それもけっこう古いだろ」
「…………」
アレンの目がくるりとこちらを向いたので、ウィルゴは思わず指先で自分のそれをなぞった。
「これは、十歳のときに……」
ずきり、と疼く。
「剣の稽古をしていて、切った」
「うわ、そりゃ痛そうだ。ざっくりいってるもんな」
嘘だった。
多分アレンも嘘だとわかっていて笑ってくれる。
ウィルゴの口が澱んだのを察してか、頭の後ろで両手を組んだアレンが話題を変える。
「そういえばさっきの、オルラルド城が襲撃されたって話、本当かな」
「さあ……。元老院からの発表があったならまだしも噂の範疇だからな」
「ウィルゴは皇帝、見たことある? おれらと同じくらいの年なんだよな」
「ああ。古いしきたりで、顔が見えないように聖布で隠してはいたが」
本来の目的を果たすために町中へ向かいつつ、しばし話題は帝国の中心へと移った。
「もしライヒアルド帝が死んだとしたら、次の皇帝は誰だろうね?」
「……帝叔父のアラムだろう。もう男はそこしか残っていない」
先の皇帝、ユルグスが崩御したのは七年前のことだ。
ユルグス帝と正室の間には皇太子が二人あったが、幼い頃に一人が病没、もう一人はユルグス帝が病床に着いた頃に不可解な事故死を遂げている。次期皇帝としては帝弟アラムの名が挙げられていたが、そこに突如として現れたのが今上・ライヒアルド帝であった。
その赤子はユルグスと下女の間に生まれていたものの生誕を秘匿されてきた。生まれてすぐに帝都を出され、誰も知らない村で十歳まで育てられたのだ。
ユルグス帝の没後、若い頃から暴虐な性格が問題視されていたアラムの即位に危機感を憶えた一部の有力貴族は、ライヒアルドを捜し出し皇帝として擁立した。これにより帝国史上最年少の皇帝が誕生したのである。
そのライヒアルドが死んだとなれば、残る帝室の血筋はアラムとそ子どもたちのみだ。
「え、でもアラムって皇帝にしたらやばいんだろ? だからわざわざライヒアルドを捜し出して……」
「そうだな。だが……」
帝国の民にとっては、次期皇帝が知られざるもう一人の皇太子であろうと、貴族に忌避される乱暴者だろうと関係なく、帝都オルラルド城の玉座が正当に埋まっていること自体が重要なのだ。
空白の玉座がいかに国を荒らすかということについては、歴史から痛いほど学んでいるから。
――そう続けようとしたウィルゴを、マルカの冷たい声が遮った。
「誰が皇帝になったってこの国は変わらない」
ウィルゴは彼女の方を向いた。
「例えその中身が獣だったとしたって、あたしたちには関係ない」
諦めにも似た侮蔑が浮かぶその横顔は、足元の石畳を見つめている。
そうだな、と小さく返事をするが、彼女から反応が返ってくることはなかった。




