第3話 館での生活
私が雇われて三日が経った。仕事内容は確かに普通のメイドのものだったが、おかしな点はいくつかあった。
まず、使用人が私を含めて二人しかいない。つまり、ギオルグと私だ。すぐに辞めてしまうと聞いてはいたが、ここまで人手不足とは思わなかった。逆に、ずっとここにとどまり続けているギオルグも怪しい。
また、夜間は館の中を出歩くなと約束させられた。与えられた部屋はメイドにしては破格に設備の整った部屋で、風呂もトイレもあるため館をうろつく必要はないが、夜食の一つも作れない。私が夜間に盗み食いをすることはないが、クロードが空腹を覚えたらいちいち自分で作るのだろうか。もしくはギオルグを呼ぶのか。わざわざメイドとして私を雇った意味はなんなのか。
そして、入ってはいけないと注意された部屋がやけに多いのも気にかかった。もちろん使用人に見せたくない部屋の一つや二つあることは今まで勤めた家でもあったが、その数が両手では足りないほどになると胡散臭い。
困ったことにクロードは昼間にめったに姿を現さない。どうも夜型の生活をしているらしく、遮光カーテンを閉め切った部屋で眠り、日が落ちると起きてくる。あの男の情報を集めたいが、会話すらままならない。
私はギオルグの指揮のもと、館の掃除に勤しんでいた。ギオルグ一人では手が回らなかったらしく、普段生活するスペース以外は埃をかぶっている状態だ。毎日が大掃除の生活の中で、なんとか手がかりを得ようと必死だった。
「ギオルグさん、東の廊下の掃除が終わりました」
「そうか。じゃあそろそろ昼食にするか。これを片付けておいてくれ」
「はい」
私がギオルグさんの持っていた汚水の入ったバケツを受け取ると、彼は踵を返した。台所へ行って昼食の準備をするのだろう。私の分と二人分、毎日昼食と夕食を作るのはギオルグさんの役目だった。
「またパスタなのかな……」
どうも彼は変化を好まないらしく、昼食も夕食も、メニューはいつも同じパスタソースを使ったパスタだった。トマトを使った濃厚なソースで、美味しいのだが私は早くも飽き始めていた。栄養の偏りも心配だ。ギオルグさんは毎日あれを食べていてなにも感じないのか。
「あら、ドアが開いてる」
汚水を捨てるべく館の裏庭に設置された流し場へ行く途中、物置の扉が薄く開いているのを発見した。物置は入ってはいけないと言われた場所ではあるが、半開きのドアを閉めるくらいなら、バレても言い訳が立つだろう。私はバケツを手に、物置に近づいた。
「そこで何をしている」
「!?」
突然声をかけられて、危うくバケツの水をぶちまけるところだった。振り向くと、日陰に立ったクロードが腕を組んで私を睨みつけている。
「ドアが開いていたので、閉めようとしていました」
「物置には入るなと言っただろう。今後は二度と近寄るな」
「はい、申し訳ありません」
素直に頭を下げる。「分かったならいい」と呟くと、早く行けと言わんばかりに顎を上げる。私は足早にその場を後にした。背中に視線を痛いほど感じる。流し場に着いても、少し目を上げると、私を監視するかのようにクロードが立ってこちらを眺めているのが見えた。
バケツを洗いながら、私は今しがた見たモノについて考える。
物置の扉の隙間から覗いたモノ。それは小分けにされた生肉と、瓶に詰められた凝固していない血液だった。それらは棚に整然と並べられ、生臭い臭いを漂わせていたのだった。
*****
「ギオルグさん、明日は私に食事を作らせていただけませんか」
「俺の作ったものに文句あるのか」
「文句はないですが変化がなさすぎます」
館に来て七日目の夜。夕食後、私はとうとう一度も変わらなかったメニューに音を上げて、ギオルグに直訴した。椅子に座って食後のコーヒーを飲んでいるギオルグを睨む。私は皿洗いの途中だった。彼が準備をするので、片づけは私の担当なのだ。
「変化? それが必要か?」
「必要ですよ。栄養も偏りますし、なにより飽きます。ギオルグさんはどうですか」
「飽きねえな。食べるものが変わることの方がストレスだ」
「意味が分からない……」
朝食にいつも同じものを食べたい、というのはなんとなく分かる。だが三百六十五日、毎食同じものを食べたいというのは理解できない。というかなぜ栄養失調で体調を崩さないのか。
「ギオルグさんが譲る気がないことは分かりました。じゃあせめて私は自分で自分の分を作っていいですか」
「お前の分の食材を余計に仕入れろっていうのか? 分をわきまえろ」
「給料から差し引いていただいて構いません」
「だめだ。買うのが手間だ」
「食材の買い出しには私が行きますよ。そういえば私、ここに来てから一度も外に出ていませんし」
「お前を外に出すなとクロードの言いつけがあるからな」
「は? なんですかそれ。聞いていませんよ」
皿を洗い終わり、手を拭いてからギオルグに近づく。あからさまに口が滑った、という顔の彼に詰め寄った。
「詳しく聞かせてください」
「お前は外に出られない、クロードがそう決めたから。以上だ」
「なぜですか」
「また新しい使用人に逃げられても困るから、とかか?」
「適当なことを言わないでください。だいたい、毎食同じものを出されるからみんな辞めたんじゃないですか?」
「なんだと」
顔色を変えてギオルグが立ち上がる。私よりずっと背が高く、窓からの光を遮るほど体が大きい。だがそんなことで怯むわけにはいかない。それにここで挑発すれば、なにか漏らしてくれるのではないかという期待があった。
「なんとか言ってみてくださいよ。この万年パスタ野郎!」
「それは関係ない! あいつらは――」
ギオルグが口を開きかけたとき、玄関の方から物音がした。ドアを叩いている音だ。私たちは口をつぐみ、顔を見合わせた後、揃って玄関まで走っていった。
玄関に到着したあとには、ドアを叩く音はやんでいた。客人が来たが帰ったのだろうか。普通、前もって訪いの知らせはするものだが。もっとも、この館に客が来ているのを見たこともない。
「あっ! 見てください、これ」
玄関の扉を開けて外を見渡すと、玄関脇に置いてある陶器の人形が壊されているのを発見した。白色の、何をモチーフにしているのか分からない、膝ぐらいまである大きさの像だった。それが今や、破片をしらじらと日光に晒している。
「クソ! 街のガキどもだ」
「あの森をわざわざ越えてきたんですか?」
「よくあるんだよ。あいつらにとっちゃ度胸試しみたいなもんなんだろ。親の方には何度か注意したが、子供は禁止されればやりたくなる生き物だからな」
「なるほど……。像は残念でしたね」
そっと破片を手に取る。私にはどんな価値があるものか分からないが、人々を迎える玄関に置くくらいなのだから、思い入れがあるのだろう。
「いや別に。それ、クロードが適当に作って放置していたのを勝手に飾ってるだけだからな」
「とか言いつつ、気に入ってたんじゃないですか?」
「全然。俺がこの館に来たとき、ここになにかのオブジェが置かれていたから、ガキどもに壊されても毎回なにか置いていただけだ」
「はい? ということは、壊されるのはこれが初めてではないんですか」
「ああ。お前が来る三日くらい前にも壊されたな」
何事もないというような顔で頷く。私は心底あきれ返ってしまった。
「じゃあもうなにも置かない方がいいんじゃないですか? この破片で子供がケガをすると、親が怒鳴り込んでくるかもしれませんし」
「そういうこともあったな」
「じゃあなんで置きっぱなしなんですか! 特にこだわりがありそうでもないのに!」
思わず大きな声で叫ぶと、ギオルグは底の見えない瞳でじっと私を見下ろした。
「ここになにか置くという形を変えたくないからだ。見た目が変わるのは嫌だろう? 俺は平穏が好きなんだ」
「わ、分からない……」
絶句する。ギオルグの言う平穏は、私の考える平穏とは全く異なるもののようだった。私は気力が切れそうになるのをこらえ、門の方を指さした。
「だったら、子供が入ってこれないように、門に有刺鉄線とかを巡らせたらどうですか。玄関に好きなだけ好きなものを置けますよ」
「門の形が変わるもの嫌だろ」
「なんなんですか一体!」
もはや打つ手なしだ。この男、病的なまでに変化を嫌うらしい。
「この世に変わらないものなんてないですよ。そんなに変わることが嫌なら、今までどうやって生きてきたんですか。ストレスで死ぬんじゃないですか」
「だからここにいるんだろ」
固い声だった。風が吹く。私のスカートの裾を揺らし、ギオルグの短い髪を撫でる。知らず一歩、後ろに下がった。
「……あなたはどれだけここに勤めているんですか」
視線が私の瞳の底を覗き込む。なにかを確かめようとするように。どこか遠くに思いをはせるように。
「よ――四年だ」
「そ、そうですか」
絶対に四年ではなさそうだったが、とりあえず頷いた。
それから二人で破片を片付けた。ギオルグはまた、なんだかよく分からない陶器の像を置いていた。
結局、私の食事問題は解決されないままだ。