夏乃桜
清楚で華やかで元気一杯で、季節外れの桜を見たような衝撃だった。
蝉が鳴く声、アスファルトは熱を放ってゆらめく。
七月も後半、学校は夏休みに入ったが外に出るには躊躇うレベルの環境。
新しく酷暑日なんて言葉が生まれようと、涼しくはならない。
原因を排除するか勢いを人為的に抑えるかしてもらわないと外に出れない事には変わりない。
と言っても外に出てしまう。
春風優馬、高校二年生。
夏休み、猛暑の中を自転車で目的地に向かう。
着いた先は通う高校。
夏休み中だが教員や管理員は居るし、部活動で生徒も見える。
優馬は玄関でスリッパに履き替え、目的の三階図書室へと歩を進める。
図書室扉前で少し身だしなみを整えてから扉を開ける。
「おはよう、春風君」
「おはようございます先輩」
先輩と呼んだ優馬は、今日も一瞬時が止まる感覚を覚えた。
一本一本が艶やかで綺麗な長い黒髪、通った鼻筋、優しい目と柔らかな表情。
図書室だから静かにしているが、普段は気さくによく喋るのを優馬は知っている。
静かにしていればクールな美女、話し出せば楽しいお姉さん。
それが目の前の女性、夏乃桜だった。
「夏乃先輩、今日も読書ですか?」
「ええ、三年生最後の夏……と言っても進路は決まってるんだけどね?」
「家業を継ぐって……」
夏乃の実家は京都で伝統を守る老舗織物屋らしい。
一年から既に決まった進路として受験生とは縁の無い生活をしていた。
周りから見れば羨ましいだろう、勉強もせず就職先も歴史ある界隈では有名な織物屋。
そのせいか所作も言葉遣いも美しさが垣間見える。
「ふふ……春風君は今日も勉強しに来たんでしょう?ほら見てあげるから出しなさい」
どこか艶やかに綺麗な動きで座るよう促される。
夏休みに入っての日課だった。
優馬は毎日勉強を教わっている。
こんな暑い夏休みの学校図書室、利用者等皆無に等しい。
優馬と夏乃の二人しか居ない毎日の空間だった。
夏乃との出会いは夏休み前、二年に上がり少ししてからだった。
「おーい春風ーすまんが図書室にコレ持っていってくれ」
担任に渡された授業で使った教具の束、たまたま近くに居た優馬が指名されたのだ。
「う〜んアンラッキ〜……」
凹みながら階段を上がり三階を目指す。
箱が邪魔で前が見えにくく、注意はしていたつもりだった。
「キャッ」
ドンと前でぶつかってしまった、今の声から女性だ。
(しまった!)
「ごめんなさ……っ!!」
慌ててしまった優馬は階段を踏み外した。
ガクッと身体が揺れてバランスを崩す、そして優馬は後ろに落ち転げてしまった!
ガシッと、でも柔らかいものに掴まれて階段を落ちていく、そして落ちた先で女性に抱きしめられ守られていた……
「大丈夫?」
至近距離で目を奪われる顔の良い女性、優馬は跳ね起きた。
「す!すいません!!大丈夫ですか!?」
自分の不注意からこんな事になって綺麗な女性に怪我でもさせたら……
パッと女性は立ち上がり眩しく笑った。
「お?良かった〜怪我無いね?びっくりしたよ!」
ハキハキと元気一杯で女性にも怪我は無かったようで安心する。
「すいませんでした!」
「いーのいーの、こっちもぼーっとしてたから。あ、図書室行くの?私もなんだ!いこっ!」
荷物を半分持ってくれて先を歩き出す。
(見た目はクールな感じだけど、すっごい明るいな)
優馬と女性は図書室に荷物を放り込んで、空いてた席に座り一息吐く。
「うふふ、今日も誰も居ない」
確かに図書室には人が居ない、図書委員が二人見えたが入り口側で奥は無人。
スマホ全盛の時代で本を読みに図書室を使う事も少なくなっているのだろう。
「あ、そう言えば自己紹介してなかったね」
女性は声のトーンを落としながら言う。
「あ、そうですね?俺、春風優馬です」
「春風君か〜優馬も良い名前ね〜……私は」
感想を述べた後、女性はスッとその綺麗な顔を近づけて囁くように言った。
「私は夏乃桜、よろしくね?」
顔が近い上に耳元でコソコソ囁かれる、優馬は心臓がドキドキと脈打つのを感じていた。
「ん?顔赤いよ?」
「……あ、いえ大丈夫ですから」
これが夏乃桜と春風優馬の出会いだった。
——「春風君!」
出会いから、廊下で会うたびに手を振りながら名を呼んでくれた。
「なあ春風、あの人だれだ?三年だよな?」
一緒に居るクラスメイトは不思議な顔をする。
優馬は部活にも入っていないので先輩後輩の接点が無いはずだが、至る所で夏乃から声が掛かる。
ただ、先輩の夏乃はいつも一人だった。
ある日の昼休み、一人歩いて行く夏乃を見かけた。
あれ以来気になる存在だった。
美人ではあるが、そう言う外面的な事じゃなく内面的な部分が不透明で優馬にはどこか夏乃が寂しそうに映っていた。
(後を付けるとか……キモいかな……)
そんな事を思いもしたが、辞めれなかった。
夏乃は一人図書室に入っていった。
普段から使われる事は少ない人気の無い場所、今や倉庫に近く物も積まれているぐらいだ。
本が嫌いな訳では無いが代替え以上にスマホが便利すぎる、紙が良いとは言う声があっても電子化の流れも止まるまい。
「……違う違う、本の未来じゃなくて夏乃先輩だ」
少し脱線した心を戻しそっと扉を開けて中を伺う。
どうやら見える位置には居ないようだ。
そんな事をしてればグイッと扉が開けられた。
「……」
「……」
女子の図書委員とお見合いしてしまっている。
「あの……入らないんですか?」
「あ、すいません……入ります」
どうやら隙間から覗く優馬を不審者として声掛けたようだ。
さっきからなんか情けない。
中に入ってしまったのでもう奥まで夏乃さんを探しに行く、読書スペースの奥本棚で死角になる席に夏乃さんは居た。
真剣に本を読み込んでいる横顔がカッコよくて胸の奥が跳ねる。
(なんでこんな綺麗なんだ)
優馬は目を奪われたまま夏乃を眺めた、すると人影に気付いたのか夏乃がこっちを見て目を丸くした。
明らかに動揺した感じだったが、すぐに落ち着き手招きをする。
近くに来いと言う事か。
優馬は夏乃の前の席に座り会釈した。
「どうしたの?びっくりするじゃない」
図書室だからか小声で囁く、ヒソヒソ声が自己紹介の時を思い出してしまう。
「いや、夏乃先輩が見えたもんでつい……」
「……ふーん、私を追いかけてきたんだ?」
確かにその通りだが、はっきり本人に言われたら恥ずかしい。
夏乃はクスっと笑い「ありがとう」と何故か言った。
「先輩はよく図書室に来るんですか?」
優馬は聞いてみる、あまりお喋りはダメだが多少は図書委員も見逃してくれる。
「……そうね、毎日お昼と放課後に来てるわ」
「そんなに?」
少し声が大きくなってしまい、夏乃にこらこらと宥められる。
「先輩本好きなんですか?」
「いいえ……でも一人になれる場所で丁度良いの」
一人が好きなのかと正直優馬は困惑した。
今まさに邪魔してしまっているじゃないかと、その様子を見て夏乃は微笑んだ。
「君は特別」
コソッと呟き妖艶ながら明るい笑顔を見せた。
優馬はその違った雰囲気の笑顔にまた見惚れた。
「ね?少しなら話大丈夫みたいだからお互いの話しない?」
「え?互いの話?」
「じゃあ私からね、私実は就職決まってるんだ」
意外な話から出てきた。
高校三年とは言え夏休み前、進学じゃなく就職の方で決まっているなんてとてもイメージが湧かなかった。
「京都の実家のお店だけどね……西陣織の古いお店でね、高一からもうそこって決まってたんだ」
「え……高一からって……」
「仕方ないの、後継者が居ない界隈だからね」
伝統工芸は価値が高く技術を要する、年々担い手は高齢化し継ぐ者が居ないと言う問題に直面してるとは聞く。
ただ、こんな側にやろうとする人が居るとは思わなかった。
日々を何となくでしか生きてない優馬には遠い世界の話だった。
「先輩……嫌じゃないんですか?」
夏乃は少し目を見開き、驚いたようだった。
すぐにいつもの柔らかで元気そうな表情に戻り言った。
「うふふ、好き嫌いで決められない事もあるのよ」
笑顔……ではいる、傍目から見れば。
しかし、真正面で見ている優馬からは、無理に貼り付けた笑顔にしか思えなかった。
「先輩、納得してないんじゃないですか?」
思わず聞いてしまった。
それだけ痛みを隠そうとする笑顔が似合わなかった。
「……あは、心配してくれてるの?大丈夫だよ」
大丈夫だよ、その一言に優馬は違和感しか覚えなかった。
キーンコーン
昼休み終了の予鈴が鳴る。
その時パッと手を取られた。
「ほら授業だよ!いくよー」
いつもの明るい笑顔の夏乃先輩に引かれて図書室を出た。
柔らかい手に繋がれたまま廊下を進み、階段で離された。
「じゃあ、またね」
「あ……はい……」
夏乃は教室の方に消えていった。
夏乃の貼り付けられた笑顔が忘れられない、隠しているような抑えていたような。
優馬は違和感を抱いたまま自分の教室へと向かった。
——放課後
「春風〜帰りなんか食ってかない?」
「悪い、ちょっと今日用があってな」
友達の誘いを断り荷物を纏めて向かった先は、図書室だった。
約束も何もしていないが、向かわずにいられなかった。
図書室に入り、一番奥を目指す。
そして目当ての人は、そこで美しく本を読んでいた。
静かに前の席に座る。
「先輩」
優馬から声を掛けた。
夏乃は驚きはしたものの笑顔で迎えてくれる、いつもの笑顔で。
「なーに?春風君」
いつもの調子で昼休みの事が無かったかのようだ。
「先輩、俺は知りたい」
「え?」
「先輩の事も隠した感情も全部知りたい」
優馬に芽生えたの好奇心なのか恋心なのかは分からなかった、ただ今は目の前の夏乃桜を知りたかった。




