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7. 無心のお手紙

 叔父の手紙は、三枚組である。


 一枚目は、時候の挨拶と、亡き姪への涙ながらの追悼である。二枚目は、両親を亡くした姪をいかに慈しんで育てたかの、覚えのない思い出話である。『あの子の笑顔だけが、わが家の灯でございました』とある。あの家で笑った記憶は、あいにく手元にない。三枚目で、ようやく本題が来た。


『ついては、亡き姪の遺産について、育ての親として一言申し上げたく――』


「なるほど」


 山査子の家の台所で、向かいの席のバルドゥイン子爵が、生真面目に三枚目を眺めている。金曜の訪問のついでに、と言いつつ、この人は近ごろ、週の半分はこの台所で書類を広げている。管理人としては、家がよく使われて何よりである。


「公証人の事務所へも、同じ趣旨の文が届いたそうです。ヴェンツェル先生は『拝読しました』の一行で返したと」


「先生、お強いこと」


「あなた宛てのこれは、いかがなさいます?」


「もちろん、お返事いたしますわ」


 彼の眉が、わずかに動いた。


「……お返事を、なさるのですか?」


「放っておくと、次はもっと厚いのが参りますのよ。ああいうお手紙は、早めに、丁寧に、折るに限りますの」


 紙とペンを引き寄せる。一枚目は、礼儀正しく書きすぎて、無心を受ける側の手紙になった。破棄。二枚目は、正直に書きすぎて、果たし状になった。破棄。読み上げたら、向かいの生真面目な顔が「それは出せません」と真顔で止めたのである。三枚目で、ようやく釣り合いが取れた。故人の縁者として、礼儀正しく、心を込めて。


『拝復。ご無心の趣、確かに承りました。


 あいにく、故人ですので。


 故人の財布は開かず、故人の心は、もう痛みませんの。


 なお、育てていただいたご恩につきましては、故人が生前、四年前の婚礼にてお支払い済みと伺っております。ご確認くださいませ。 ――亡き姪の縁者・ヴェラ』


「……最後の一文は、いささか」


「あら。事実ですのに」


 事実である。あの縁組で、叔父は伯爵家から支度金を受け取った。私という支度で。


 ペン先が、そこで少しだけ止まった。


 二十歳の春の食卓を、久しぶりに思い出したのである。今度の縁組はお前のためだ、と言った叔父の声。悪い話ではない、伯爵夫人だぞ、と。皿の上のスープが冷めていくのを、ただ見ていたのを覚えている。私は「はい」と言った。あの頃の私は、「はい」以外の言葉を、あまり持っていなかったのだ。持たされて、いなかったのだ。


 怒ってもいい場面だった、と今なら分かる。あのときも。このお手紙にも。


 けれど、怒りは来ない。胸の奥を探っても、そこにあるのは静かな乾きだけである。冷めたスープを見ていたときと、同じ乾きだ。


「……まあ、便利な体ですこと。死んでおりますと、腹も立ちませんのね」


「――それは」


 彼が何か言いかけて、やめた。この人はいつも、言わないことを、言わないと決めるまでに一拍かかる。その一拍が、妙に誠実である。


「いえ。……返事の文面は、完璧です」


「でしょう? 故人は、文章が上手ですの」


 封をして、蝋を落とす。それで用件は終わりのはずだったのに、二人してなぜか文面を読み返し、「ご確認くださいませ」の一行で同時に噴き出した。笑うような文ではないのである。ないのだけれど、夜の台所で読む断り状というものは、妙に可笑しいのである。蝋燭の火が、笑い声のたびに揺れた。


 笑いながら、胸の隅で小さく思う。怒れない女が、怒りの代わりに覚えたのが、この断り状の書き方なのだろう。悪くない代用品である。当面は、これでいい。


 ――――。


 その週のうちに、噂は市場を出て、貴族の耳に届いたらしい。


「亡き伯爵夫人の幽霊が、花市に出るんですって」


 店先で、お忍びらしい貴婦人がひそひそと連れに囁いていく。お買い上げは、魔除けだという白い花束である。連れの侍女は、青い顔で市場の四隅へお辞儀をしていた。四隅のどこにも、幽霊はいないのだけれど。強いて言えば、お会計の窓口にいる。


「白いお花は、魔除けになりますの?」


「なるとも。亡くなった方の好きだった花を飾ると、悪いものが逃げるのよ」


「まあ。……では、季節の野の花もお入れいたしますわね。故人のお好みですの」


「あら詳しい。ではそれも」


 魔除けの効き目は保証しかねるが、花の見立ては保証する。


 花市の白い花は、おかげで品薄になった。仕入れを倍にして、帳面をつける。幽霊の風評被害ならぬ、風評利益である。ペトロネラは上機嫌で、鼻歌まじりに白薔薇を並べ直していた。


 帳場の隅で、手帳を開く。弔いの日付は、相変わらずそこにある。ただ、その前後に、仕入れだの傘だの昼食だのの字が増えて、頁がずいぶん、混んできた。混んだ頁を眺めるのは、存外、悪くない心地である。


 その混んだ頁の真ん中に、次の弔いの日付が待っている。月命日が、近い。倍の花に、幽霊の噂に、祈祷だなんだと騒がしいあのお家のことである。今度のお参りは、少し、賑やかなことになりそうな気がした。


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