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第四章、私にもできること。

 その夜、アンジェリカはベッドの縁に座って、クラウスが来るのを待っていた。

 裾がフリルになった、純白のネグリジェを身につけた彼女は、暖色の明かりに照らされている。

「……勢いで誘ってしまったけど、ちゃんとできるかしら」

 アンジェリカは少し不安になりながら、今朝の内緒話を思い出していた。

 その内容はこうだ。

『まずは坊ちゃん……クラウス様をお誘いするのです。彼もお忙しい身ですから、時間は遅い方がいいでしょう、寝る前に二人きりで話がしたいと言ってくださいな、そうすればきっと、喜んで来られます。そうね、彼を待つのはベッドの上がよいかと、お越しになったら、隣に座るよう促すのです。それから手を握って、上目遣いでクラウス様を見つめながら、気持ちを込めてお願いするんですよ。何度も断られても、めげてはいけません。断られる度近づいて、しつこくねだれば、絶対に上手くいきますから』

 自信満々に言うヴァネッサに後押しされ、アンジェリカは作戦を決行することにした。

 夕方に帰宅したクラウスに近づくと「今夜、部屋に来て、二人きりで話したいわ」と、耳元で囁いたのだ。

 すると、クラウスは、目を丸くした後「……はい」と短く答えた。

 ずいぶん反応が薄いと感じたアンジェリカは、来てくれないのではと、心配になっていた。

「もしかして誘い方が悪かったのかしら……でも、クラウスなら、きっと来てくれるはず」

 鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしていたが、一応「はい」と答えていたので、来てくれると信じるアンジェリカ。

「ええと、上目遣いで見つめて……じゃなくて、先に手を握るんだったかしら、それからお願いをして、だんだん近づく……?」

 クラウスが目の前にいると想像して、シミュレーションするアンジェリカ。

 だが、この状況で料理の件に触れるのは不自然な気がした。

 ヴァネッサとルカナに乗せられるがまま行動したものの、他にもやり方があったのではないかと考える。

「……お願い事をするなら、茶菓子でも用意した方がよかったんじゃないかしら。少しずつ話をして、その流れで頼んだ方が自然だったような……だけど夜中にベッドの上でお茶会というのは変だし――」

 アンジェリカは不意に、言葉を切った。

 そこまで口に出して初めて、重大なことに気づいたのだ。

 夜中にベッド、若い男女が二人きり……。

 その意味を初めて深く考えたアンジェリカは、急にカーッと顔を赤くした。

 ――わ、私、実はとんでもないことをしてるんじゃ……!?

 アンジェリカは自分の言動を振り返り、置かれた状況をようやく理解した。

 実は、これこそがヴァネッサの本当の計画だった。

 肌を合わせて親密になれば、一番話が早いだろうと思ったのだ。

 かといって伯爵令嬢にそんなはしたないことを、ハッキリと催促できない。

 だから、遠回しに誘惑とも取れる状況を作るよう、お膳立てしたわけだ。

 そんなことを知らない純粋なアンジェリカは、どうしようと慌てふためいた。

 だけど相手はあのクラウスだ。それなら変に警戒することもないのではと言い聞かせる。

 相手があのクラウスだからこそ、ある意味一番危ないのだが、アンジェリカはそこまで考えていない。

 アンジェリカが一人で焦っていると、不意にドアが開く音がする。

 クラウスとアンジェリカの部屋を繋ぐ、ベッド側の壁についた出入り口。

 そこにやって来たのは、アンジェリカの待ち人だ。

 クラウスは襟のある白いシャツに、黒のゆったりとしたズボンを身をつけていた。紐で胸元の開きを調整できる、貴族紳士の寝巻きだ。

 ドアを開けたクラウスからは、すぐにアンジェリカの後ろ姿が見えた。

 ベッドに座り、純白のネグリジェに包まれた華奢な背中。

 瞬間、グワッと湧き上がる欲望を、クラウスはなんとか理性で抑え込む。

 そして一度深呼吸をすると、冷静を装ってアンジェリカに歩み寄った。

「こんばんは、アンジェリカ、誘ってくれて嬉しいです」

 クラウスが声をかけると、アンジェリカが顔を上げた。

 正面から見た彼女の姿に、クラウスの理性にヒビが入る。

 シルクでできたネグリジェは、透け感はないものの、下着に見えなくもない。

 暖色の明かりにじんわりと浮かぶ様子が、さらにアンジェリカの色香を際立てていた。

「忙しいのにごめんなさい、来てくれてありがとう」

「……いえ……」

 クラウスはアンジェリカから目を逸らすと、座る場所を探した。

 そんな彼を見たアンジェリカは、ここで言うべきことを思い出した。

「あ……どうぞ、こちらに座って」

 周りをキョロキョロするクラウスに、アンジェリカが声をかけた。

 すると彼女の方を見たクラウスが、また鳩が豆鉄砲をくらったような顔をした。

 なぜなら、アンジェリカが示したのは、自分の隣だったからだ。

「……では、失礼します」

 クラウスは困惑しながらも、アンジェリカの隣に腰を下ろす。

 一体どういうつもりなのか、これはなにかの間違いだろうか、それとも本当に、僕に身を捧げるつもりで――?

 見た目はクールなままだが、心はかなり乱れているクラウス。

 アンジェリカに誘われた時、彼の反応が薄く見えたのは、単に驚きすぎたせいだった。

 まさか、アンジェリカから夜の誘いがあるなんて、夢でも見ているのかと……つまり、クラウスは完全に勘違いをしていた。

「お仕事お疲れ様でした、毎日がんばっていると、フリードリッヒに聞いたわ」

 ソワソワするクラウスとは逆に、アンジェリカは落ち着きを取り戻していた。

 クラウスの顔を見ると、先ほどの焦りがすっかり消えてしまったのだ。

 それほどまでに、アンジェリカは彼を信じ、安心しきっている。

「ありがとうございます……あなたにそう言って迎えてもらえると、疲れが吹き飛びますよ」

 クラウスは少し照れくさそうに答えると、隣に座ったアンジェリカを見た。

「あなたの方は、どうでしたか? ブリオット家の一日は、問題なく過ごせましたか?」

「ええ、みんなとても優しくしてくれて、嘘のように快適な一日だったわ」

「それはよかった」

 アンジェリカの平穏を、心から喜ぶクラウス。

 その優しい微笑みを信じて、アンジェリカは本題に入る。

「……クラウス、実は、お願いがあるんだけど」

「お願い? なんですか? なんでも言ってください、全力で叶えてみせます」

 クラウスは素早く反応を示すと、アンジェリカに前のめりになった。

 アンジェリカの役に立てることが嬉しく、なにより頼りにされていることが誇らしく、クラウスは目をキラキラ輝かせた。

 しかし、それは長くは続かない。

「料理をしたいと思って……」

 クラウスはピタリと動きを止め、同時に目の輝きを失った。

 アンジェリカの口から出た台詞。

 それを何度も頭の中で繰り返す。

「……りょ、リョウリ……?」

「え、ええ」

「リョウリというのは、あれですか、食材を切ったり煮たりして食事を作る……」

 かなり動揺しているのか、クラウスの『料理』のイントネーションがカタコトのようになっていた。

「もちろんそうよ、今日、クラウスが出ていった後、そういう話になって」

「ダメです」

 クラウスは低い声でキッパリと拒絶した。

 話を途中で遮断されたアンジェリカは、目を見開いて一瞬固まった。

 予想以上に厳しい返事に、頭の中の計画が全部吹き飛んだ。

「……な、なぜ?」

「なぜって、料理は火を使います、火を使うということは、火傷の恐れがあるということです。ナイフで手を切るかもしれないし、油を浴びるかもしれない。僕は小さな頃、母に温かいミルクを飲ませてやりたくて、鍋に入れて沸かしたことがありました。だけど鍋の持ち手が服の袖に引っかかり、ひっくり返してしまったんです。幸い、離れたところに落下したので、難を逃れましたが……料理は一歩間違えれば大惨事に繋がる、危険な家事なんです」

 クラウスは自身の経験を織り交ぜて、アンジェリカに言い聞かせるように話した。

 そして真剣な面持ちのまま、アンジェリカに少し身体を向けると、彼女の細い手を取った。

「あなたの玉の肌に傷ができるかと思うと、僕は気になって公務に集中できません。どうかあきらめて、大好きな読書でもしてください、ここには図書館がありますので」

 クラウスはアンジェリカの傷一つない手を見つめて言った。

 そんな彼を前に、アンジェリカは考える。

 クラウスの気持ちは嬉しい、自由に読書ができるのも楽しみだ、だけどそれだけでは、一歩も先に進めない気がした。

「……クラウスが私を心配してくれるのは嬉しいわ、だけど、クラウスがミルクを零したのは子供の頃でしょう、私はもう大人よ、ガルシアやルカナに、ヴァネッサもサポートすると言ってくれているし、怪我をするようなことはしないわ」

「もしものことがあってからでは遅いのですよ、料理は絶対ダメです」

「……私は、昔からクラウスに助けてもらってばかりよ、ただじっとしているだけで、なにもできないなんて嫌だわ、私もなにかお返ししたいの」

 そう言ってアンジェリカは、クラウスの両手を強く握った。

 そして正面からクラウスを見上げ、切なげに目を潤ませる。

「……ねえ、クラウス……どうか、私のお願いを聞いて」

 クラウスのアクアマリンの瞳に、上目遣いに懇願するアンジェリカが映る。

 ちなみにアンジェリカは、すでにヴァネッサの指示を忘れている。

 なので、今の言動は、彼女の意思でやっていることだ。

 ヴァネッサに教えられなくても、無意識のうちにクラウスを揺さぶる。

 彼を落とす方法は、アンジェリカが一番よくわかっていた。

 その証拠に、クラウスの頑なだった表情が、少し崩れた。

「……そ、そんな顔をしてもダメです、僕はあなたのことを考えて」

「お願い、クラウス、あなただけが頼りなの」

 意図せず計画通りに、断られる度に距離を詰めるアンジェリカ。

 愛する女性のおねだり攻撃に、耐えられなくなったクラウスは顔を逸らした。

 そしてアンジェリカの手を振り解くと、身体ごと前を向く。

 意外な反応に驚いたアンジェリカは、怒らせてしまったかと不安になったが――。

「僕は少し傷ついているんです……あなたから二人きりで話したいと誘われて、喜んでいたのに、料理の許可を取るためだけに呼び出されたなんて」

 そっぽを向いて、ムスッとするクラウスに、アンジェリカはホッとした。

 怒っているのではなく、拗ねているだけだとわかったからだ。

「確かに、料理のことをお願いするためでもあったけど、二人で話したいというのも本当よ、私たちずいぶん離れていたから、今のクラウスのことを、もっと知りたいと思っていたし……」

 アンジェリカの好意的な台詞に、クラウスがチラッと視線を戻す。

 するとそこには、偽りない笑顔を向ける彼女の姿。

 それを見たクラウスは、額に手をあてため息をついた。

 この笑顔が曇るところを見たくないなら、選択肢は一つしかなかった。

「わかりました」

 クラウスが渋々了承すると、アンジェリカが目を輝かせた。

 上手く使われていると思っても、こんなに可愛い顔をされては抗えない。惚れた弱みというやつだ。

「ほ、本当に……!?」

「その代わり、必ずガルシアと、他にも数人、コックをつけてください、よく話を聞いて、初歩的なことから少しずつやっていってください……怪我したら今度こそ禁止にするので、そのつもりで」

「ありがとう、クラウス、無理を言ってごめんなさい、だけど本当に嬉しいわ!」

 花のような笑顔で、目一杯喜びを表現するアンジェリカ。

 彼女の無垢さが、今のクラウスには酷でもあった。

 まさかとは思ったが、少し期待してしまった。もしかしたら、今夜結ばれるということがあるかもしれないと。

 純情を弄ばれた気になったクラウスは、ほんの少しだけ報復したくなった。

「……あなたはずるい人だ、あなたが本気でねだったら、僕が断れないことをわかっているのでしょう」

「え、そんなことは……」

「わがままを聞いてあげたんです、これくらい許してください」

 なんのことかしらと、アンジェリカが疑問に思う前に、クラウスは彼女の唇を奪った。

「んっ……!?」

 それは、初めてのキスとはまるで違った。

 触れるだけの軽いものではなく、深く濃厚なキス。

 突然のことに混乱するアンジェリカだが、クラウスにガッチリ抱きしめられて逃げることもできない。

 ――なにこれ、こんなの、知らない……!

 アンジェリカは強く目を閉じて、クラウスの熱烈な口づけを受け止める。

 そうしてされるがままになること数分……クラウスがようやく異変に気づいた。

 まったく動かず、力も入っていない様子のアンジェリカに、違和感を覚えたクラウスが唇を離し、抱く力を緩めた。

 途端、支えを失くした彼女が、ぐにゃんと後ろに倒れそうになる。

 クラウスが急いで腕に力を入れ直したため、倒れることはなかったが。

「だ、大丈夫ですか!?」

「だ、だい、じょう、ぶ……」

 アンジェリカは真っ赤な顔で、骨抜き状態になっていた。

 その状態を見たクラウスは、悪戯が成功した子供のような気分になった。少しやりすぎたかもしれないが。

「あんな濃厚なラブストーリーを読んでいたのに、ずいぶん初々しい反応ですね」

「う、そ、それは、物語の内容として知っているだけで……」

 恋愛の本が大好きなアンジェリカは、子供の頃から、大人向けの物語も読んでいた。

 そこには男女の濃密な描写もあったわけだが……想像と実際するのとでは、全然違う。

 乙女であるアンジェリカにとって、今のクラウスのキスは刺激が強すぎた。

「そう言うクラウスは、ずいぶん慣れているのね、一体どこでこんな経験を積んだの」

 アンジェリカはほんのり滲んだ額の汗を、指の甲で拭った。まだ全身がポカポカと温かい。

「しいて言うなら頭の中でしょうか、ずっとあなたに触れることばかり考えていたもので」

 クラウスは顎に手をあてて答えると、少し意地悪く笑ってみせた。

 地下生活を送っている時、そんなことが起きていようとは、アンジェリカは夢にも思わなかった。

 まだ性の目覚めを知らないアンジェリカは、クラウスに置いていかれたような、複雑な気持ちになった。

「私の方が年上なのに、なんだか恥ずかしいわね……」

 クラウスは恥じらうアンジェリカの顔を覗き込んだ。

「アンジェリカは、僕のことをどう思っていますか?」

「どうって……大切な人だと思っているわ」

「では好きですか?」

「もちろん好きよ、昔と変わらず」

 即答するアンジェリカに、ガクッと肩を落とすクラウス。

 昔と変わらず好きなんて、そこは変わってもらわないと困るというものだ。

 クラウスが求めているのは、感謝とか尊敬だとか、そんな綺麗事では済まされない深い愛情。

 だが、アンジェリカの気持ちはまだそこに至っていない。

 いや、至っているのに、気づいていないだけかもしれないが。

 苦悩するクラウスを、アンジェリカは首を傾げて眺めていた。

「……僕とハグしたり、キスするのは嫌じゃない?」

「えっ……い、嫌では、ない、と思うわ」

 クラウスのストレートな質問に、アンジェリカは頬を染めて目を泳がせた。

 明らかに悪い反応ではないし、異性として意識しているようにも見えるのだが。

 しかし、焦りは禁物だ。まだ、アンジェリカはここに来たばかりなのだから、今はハグやキスを嫌がられていないだけ、よしとしようとクラウスは思った。

「安心してください、あなたを抱くのは、きちんと婚礼を済ませてからだと思っているので」

 アンジェリカを真剣に見つめて、ハッキリと伝えるクラウス。

 紳士としてきちんと順序は守る。ただし、婚礼が終われば、必ず抱くということだ。

 それでもアンジェリカは、猶予を与えてくれた彼に感謝した。

 まだ心身ともに準備が必要だった。

「……あ、ありがとう、その、待ってくれて……私も、ちゃんとクラウスのことを考えるから」

「わかってくれたらいいんです」

「だから、とりあえず今日は、一緒に寝ましょう」

 ――いや、全然わかってないな。

 クラウスは心の中で素早く突っ込んだ。

 長年箱入り娘、ならぬ地下室娘だったアンジェリカは、良くも悪くも浮世離れしているところがある。

「私が地下室にいた頃、何度か添い寝してくれたでしょう、眠れない時、クラウスがそばにいてくれると、すごく安心できたの、だから……ダメかしら?」

 クラウスは困り果てた。

 アンジェリカが過去の自分との思い出を、大切にしてくれているのはとても嬉しい。

 だが、触れてはいけないのに、添い寝なんて生殺しだ。

 しかし、アンジェリカに悪気がないのもわかっている。

 男性を知らないので、その苦悩など頭にないのだ。

 クラウスの葛藤をよそに、アンジェリカは上目遣いで、彼のシャツを指先で摘んだ。

 可愛すぎる眼差しと仕草に、クラウスは完全に白旗をあげた。

「…………わかりました」

「ありがとう、クラウス」

 柔らかく微笑むアンジェリカに、クラウスは頭を抱えながらも頷いた。

 アンジェリカは一旦立ち上がると、照明をさらに落とし、ベッドにのる。

 するとクラウスも彼女に従い、一緒に布団の中に収まった。

 アンジェリカとクラウスの部屋にあるベッドはダブルなので、二人で寝てもゆとりがある。

 クラウスがアンジェリカのために用意した、夫婦用のベッドなので当然だ。だからもちろん、枕も二つある。

「……ふふ、なんだか昔に戻ったみたいね」

 壁側に横たわったアンジェリカが、クラウスの方を見て言った。

 ここまでアンジェリカが安心しているのは、クラウスとの昔の思い出があるからだ。

 過去に感謝する自分と、過去から脱出したい自分。クラウスの中で二人の己がせめぎ合っていた。

 それでもアンジェリカの期待に応えるため、その手を優しく握る。

 子供の頃と同じ温もり。子供の頃とは違う手のひら。

「私、クラウスがいなくなって、本当に寂しかったの、生きているのか、死んでいるのかも、わからなくなって……だから、またこうして、手を繋いで一緒に眠れるなんて、夢のよう……」

「……辛い思いをさせました、だけどこれからはずっと一緒です、僕の方が離しませんから」

 クラウスがそう言うと、アンジェリカはとても満たされた笑みを浮かべ、瞼を閉じた。

 長いまつ毛、控えめな鼻に、艶やかな唇。ほのかな香水に混じる、アンジェリカ自身の匂い。柔らかな赤茶色の髪に、華奢で女性らしい身体のライン。

 容姿はすっかり大人なのに、心は少女のままのアンジェリカ。

 先に変わってしまったクラウスが、彼女にも変わってほしいと願うのは、罪だろうか。

 ――こんなに信頼されると、裏切るわけにはいかないな……。

 クラウスは胸の中で呟いて、アンジェリカの額にそっと口づけた。

「……アンお嬢様、早く僕を、あなただけの王子様にしてください」

 愛しい人を抱きしめながら、クラウスは天国と地獄の夜を過ごした。


 それから数日後、クラウスとマリアンヌは、現ブリオット公爵であるサウロスと合流するため、家を出ることになった。

 まだ正式に婚約発表をしていないので、アンジェリカはブリオット家に残る。

 晴れた春の日の朝、宮殿のように立派な屋敷の玄関には、外交用の衣装を纏ったクラウスが立っていた。

 周りには見送りの使用人たちがいる。

「あなたを迎えて間もないのに、一週間も家を空けてしまってすみません」

 目の前にいるアンジェリカに、申し訳なさそうに謝るクラウス。

 アンジェリカを迎えたのが急だったので、このタイミングで家を離れなくてはならなかった。

「いいえ、大丈夫よ、気にしないで」

 ニコッと笑うアンジェリカからは、まったく寂しさが感じられない。

「なにか困ったことがあれば」

「フリードリッヒに言うわ、女性にしかわからないことはルカナやヴァネッサに相談するし」

「くれぐれも料理は気をつけて」

「ガルシアがいるから大丈夫よ、他の使用人たちもよくしてくれるし、なんの問題もないわ。それより、早く行った方がいいんじゃないかしら、マリアンヌ様もお待ちだし」

 心配性で過保護なクラウスは、アンジェリカのことが気になってなかなか家を離れられない。

 しかし、アンジェリカの方は、早く行けと言わんばかりの塩対応だ。

 アンジェリカが屋敷に馴染んできたのはいいことだ。不安な顔をされたら、クラウスも辛い。

 しかし、ちょっとくらい、離れがたくしてくれてもいいんじゃないか。

 一週間も会えないというのに、こんなに寂しいのは僕だけなのか。

 そんなことを考えたクラウスは、そばにいたフリードリッヒにこっそり尋ねる。

「……フリードリッヒ、僕はアンに嫌われているのだろうか」

「そんなことはございませんよ、あなた様の公務を邪魔しないよう、気丈に振る舞っておいでなのです。昨日、私にはクラウス様がいなくて寂しいとおっしゃっていましたから」

 嘘である。アンジェリカはクラウスがいなくて寂しいなんて、一言も言っていない。

 しかし、嘘も方便。

 次期当主が公務に集中できるよう、臨機応変に対応するのも、バトラーの大事な役目だ。

 その言葉を聞いた途端、クラウスの顔色がパッと明るくなった。

「……そ、そうか、なんて健気な、これは行ってきますのキスを」

「必要ありません、マリアンヌ様がお待ちですので速やかにご出発ください」

 満面の笑みでクラウスを催促するフリードリッヒ。

 彼からするとクラウスは息子のような年齢なので、時には本当の父親のように鋭く指摘する。

 見た目は兄弟ほどの歳の差にしか見えないが。

 しかしアンジェリカはそんな二人には見向きもせず、両手でドレスの裾を摘んで駆け出した。

 向かう先は、正面に見える大きな門の前。そこには、豪華な帽子とドレスを身につけた淑女が立っていた。

「あの、マリアンヌ様……道中お気をつけて、お帰り、お待ちいたしております」

 アンジェリカはマリアンヌの前で立ち止まると、感情を込めて言葉を送った。

 馬車に乗ろうとしていたマリアンヌは、少し間を置いてからチラッとアンジェリカを振り向いた。

「……行ってくるわ、留守をお願い」

 マリアンヌはそう言ってすぐに前を向くと、馬車に乗り込んだ。

 そっけないが、目を合わせて返事してくれるだけでも、アンジェリカはじーんとした。

「は、はい、行ってらっしゃいませ!」

 初めて会った時より距離が縮んでいる気がして、嬉しくなったアンジェリカは、元気よく挨拶をした。

 そんな彼女の様子を、クラウスとフリードリッヒは玄関で傍観していた。

 明らかに自分より熱い見送りを受けるマリアンヌを見て、クラウスの心に隙間風が吹いた。

「……フリードリッヒ、僕はアンに」

「嫌われていません、大丈夫ですので、そろそろ本当に行ってください」

 フリードリッヒに笑顔のまま圧をかけられ、クラウスはため息をつきながら門に向かった。

「……じゃあ、行ってきます」

「はい、行ってらっしゃい、気をつけて」

 非常にさっぱりとした送り言葉で、アンジェリカはクラウスに手を振った。

 クラウスは後ろ髪引かれる思いで、馬車に乗り込むと、ようやく屋敷を後にした。

 二人が乗った馬車が見えなくなるのを待って、アンジェリカは屋敷に戻る。

 すると玄関に、ルカナ、ヴァネッサ、ガルシアの三人が立ちはだかっていた。

「……行きましたね」

「行かれたわね」

「行きましたな」

 順番に言う三人に視線を巡らせると、アンジェリカは胸の前で両手拳を作った。

「それじゃあ、みんな、準備はいい?」

「ルカナはいつでも大丈夫です!」

「あたくしも完璧ですよ!」

「さてと……それでは、アンジェリカ様のお料理大作戦、スタートですぞ!」

「おーーー!!」

 四人は同時に片手を振り上げ、気合い十分に声を出した。

 アンジェリカがクラウスに早く出かけてほしかったのは、このためだった。

 クラウスが屋敷にいる時は、とても安全で、簡単な料理……の手伝いくらいしかできない。

 出かけていてもいつ帰ってくるかわからないので、気になってやりにくいのだ。

 だからこの一週間は、アンジェリカ……と、彼女の支援隊にとって、とても貴重な時間だった。

 クラウスが不在のうちに、本格的な料理まで学ぶ。そしてみんなに振る舞うというのが、アンジェリカの計画だった。

「……くれぐれもお怪我のないよう、ご武運を祈っております」

 食堂に急ぐアンジェリカに、フリードリッヒが声をかけた。

 するとアンジェリカはくるりと振り返り、ニコッと笑う。

「フリードリッヒも、ぜひ試食にいらしてね、いろんな方の意見が聞きたいから、待っているわ」

 フリードリッヒは少し目を丸くすると、困ったように微笑んだ。

 アンジェリカの笑顔を見ると、クラウスや他の使用人たちの気持ちもわかるバトラーだった。


 そして一週間後、真っ白な馬が引く車体が、ブリオット家に向かっていた。

 馬車の中、進行方向側の席には現ブリオット公爵……クラウスの父である、サウロスが座っている。

「アンジェリカご令嬢……初めてお会いするな、どんなご婦人だろうか」

 サウロスは独り言のように、窓を見ながら呟いた。

 車内はしんとしており、馬の蹄の音と、タイヤが道に擦れる振動だけが伝わってくる。

「……悪い子ではありませんよ」

 ポツリと呟いたのは、サウロスの向かい側に座ったマリアンヌだった。

 まさか彼女から返事があると思っていなかったサウロスは、少し意外な表情をした。

「それは楽しみだ……お前の長年の想い人でもあるからな」

「会ってみればわかりますよ」

 サウロスの隣に座ったクラウスは、目を合わさずにそう答えた。

 どこか遠くを見つめる彼の目は、愛しい人だけを映していた。

 やがてブリオット家の門が開き、三人を乗せた馬車が敷地内に入る。

 順番に馬車を降りた三人は、庭園を歩き、屋敷に辿り着く。

 豪奢な扉の前には、すでにフリードリッヒが待機していた。

 事前に聞いていた到着時刻に合わせ、迎える準備をしていたのだ。

「おかえりなさいませ、皆様、長旅お疲れになられたでしょう」

「ああ、ただいまフリードリッヒ、留守中、変わりなかったか?」

 サウロスが聞くと、お辞儀をしたフリードリッヒの金の瞳が妖しく光った。

「そうですね変わりは……少し、あったかもしれません」

「……なに?」

 サウロスが怪訝な顔をした時、大きな扉が内側に開いた。

 するとそこには、執事とメイドたちが、左右に分かれてずらりと並んでいる。

 お辞儀をした使用人たちの間にできた道、真紅の絨毯の先端に、一人の女性が立っていた。

 玄関に向けて横向きに立つ使用人たちに対し、アンジェリカは正面を向いていたので、その姿は玄関からよく見えた。

 サウロスを筆頭に、帰宅した三人は絨毯の上を歩いてゆく。

 そして絨毯の最後で待っていた、アンジェリカの前で足を止める。

「おかえりなさいませ、クラウス様、マリアンヌ様、そして……サウロス様」

 お辞儀をしていたアンジェリカは、ゆっくりと顔を上げてサウロスを見た。

「初めまして、アンジェリカ・ドーリー・フランチェスカでございます」

 アンジェリカはバーミリオンのドレスの裾を広げると、膝を軽く曲げて挨拶をした。

 育ちのよさが伝わる、優雅な立ち振る舞いだった。

「ほう、君が……初めまして、クラウスの父のサウロス・シモンズ・ブリオットだ」

 サウロスは初対面となるアンジェリカを観察するように見た。

 気難しい顔で品定めをするような彼に、ドキドキするアンジェリカだったが。

「これは、ずいぶん麗しの貴婦人だね、まるでトパーズのようだ」

 ふわっと破顔した彼の台詞に、アンジェリカは胸を撫で下ろした。

 対するクラウスは、やや不機嫌な顔つきで父を見た。

「お父様、僕の婚約者を口説かないでください」

「ははっ、すまんすまん、想像以上の美しさについな……ずっとお会いしたいと思っていたのだ」

 そう言ってサウロスは少し背中を丸めると、アンジェリカの耳に口を寄せた。

「なんせ、クラウスが公爵家を継ぐ条件が、君との結婚だったものでね」

 それを聞いたアンジェリカは、トパーズのような目を見開いた。

 そこに映ったサウロスは小さく笑っている。

 短く整った金髪に、薄茶色の円な瞳。背はクラウスより低く、体型はやや丸みを帯びていた。

 クラウスとは全然似ていない。彼の幻想的な美貌は、母親譲りなのだとアンジェリカは確信した。

 アンジェリカが驚いているうちに、マリアンヌは一人で螺旋階段に向かう。

「あのっ、マリアンヌ様!」

 マリアンヌに気づいたアンジェリカが、急いで声をかけた。

 すると彼女はピタリと足を止めたが、まだ振り向きはしない。

「お食事の準備ができているので、ぜひご一緒させてください、お願いいたします」

「……手を洗ってくるわ」

 僅かに顔を傾けて返事をすると、マリアンヌは洗面所に向かった。

 彼女の同意を得たことに一安心すると、アンジェリカはクラウスとサウロスも食堂へいざなった。

 すると、長方形のテーブルには、すでにご馳走が並んでいる。 

 こんがりチーズのパングラタンに、温野菜のポトフ、サーモンのクリーム煮など。すべて小分けにされ、各自の席の前に置いてあった。

 サウロスとマリアンヌは両先端の席につき、クラウスとアンジェリカはいつも通り、テーブルの中央辺りに隣り合って座る。

 クラウスがサウロス側、アンジェリカがマリアンヌに近い方の席だ。

 芳醇な香りが漂う中、みんな揃って指を組むように合掌する。

 そして各々に食事を始めた。

 静かな食堂で、時折、銀のカトラリーの音がする。

 ガルシアにヴァネッサ、ルカナたちはテーブルのそばで、事の成り行きを見守っていた。

 アンジェリカが特に注目したのは、斜め左側に見えるマリアンヌだ。

 アンジェリカは自分の食事はそっちのけで、マリアンヌの様子を窺っていた。

 マリアンヌはポトフを食べた。

 それからサーモンのクリーム煮に、パングラタンも、少しずつ味見するように口に含んだ。

 手は止まっていないが、表情が変わらないので、良いか悪いか判断がつかない。

「……あ、あの、いかがですか……?」

 美味しいのか不味いのか、気になって仕方なかったアンジェリカは、マリアンヌに問いかけた。

 するとマリアンヌはアンジェリカを一瞥した後、また一口、ポトフのスープを飲んだ。

「……悪くないわ、いつもより優しい味で食べやすい」

 その台詞に内心わっと喜んだのは、アンジェリカだけではなかった。

「実は今夜のお食事は、すべてアンジェリカ様が作られたのです」

 誇らしげにそう言ったのは、シェフであるガルシアだ。

 席に着いたアンジェリカを除く三人は、当然驚き、ガルシアを見た。

「もちろん我々も具材を切ったりなど、大まかな手伝いはしましたが、メニューの発案から、煮たり焼いたり、味付けや盛り付けまで、アンジェリカ様がご自分でされました」

「なっ……!?」

「やめて、クラウス、みんなを叱らないで」

 ガルシアの種明かしに、一瞬動揺したクラウスは立ち上がりそうなったが、アンジェリカに止められた。

 クラウスは複雑な表情で隣に座るアンジェリカを見る。

「私が無理を言って頼んだのよ、どうしてもブリオットの皆様に食事を振る舞いたいと言って……だから、罰は私だけに与えて」

 アンジェリカの真摯な対応に、使用人たちは胸が熱くなった。

「いいえ、私は無理をしたわけではありません、アンジェリカ様の姿勢に心打たれ、自ら指南いたしました」

「あたしくも進んで力をお貸しいたしました」

「ルカナもでございます!」

 ガルシア、ヴァネッサ、ルカナがアンジェリカを護衛するべく主張する。

 極めつけには――。

「……僭越ながら、私も試食という形で協力いたしました」

 フリードリッヒまでもが、手を貸したことを告げた。

 そんな彼らの様子に、クラウスは驚き、そして感心した。

 いつの間にか使用人たちは、アンジェリカの虜になっていた。

「……あなた、わたくしの不調に気づいていたの?」

 マリアンヌは白いナプキンで、口元を拭いながら聞いた。

 ポトフを入れた丸皿は、すでに空っぽになっている。

「……一緒にお食事をさせていただいている時に、いつも固いものやしつこいものを残されていたので、そうかなと」

「だからこんなに、消化によいものばかり作ったのね」

 マリアンヌの言う通り、アンジェリカは彼女が食べやすい料理を作っていた。

 四十八にもなれば、体調の揺らぎもあるもの、特に女性はホルモンの乱れなどで、食欲不振にもなったりする。

 単に精神的なものではなく、肉体的な変化も関わっているのではないかと、アンジェリカは考えたのだ。

 女性目線で繊細な心配りができなくては、気づかなかったこと。

 そしてアンジェリカの気遣いを察したマリアンヌも、聡明な女性であった。

 ――一族からも冷たくされ、この家でも居場所がないわたくしに、こんな配慮など……本当に、変わった令嬢が来たものね。

 そんなことを思いながら、マリアンヌはクスッと微笑した。

「だけどこれでは、紳士たちは物足りないのではないかしら、あまりにも肉っけがないんだもの」

 鋭い指摘を受けたアンジェリカは、ピンッと背筋を伸ばし、青い顔をした。

 確かに、マリアンヌを気遣うがゆえ、油っぽい肉を完全に避けていた。

「……あ、そ、そうですよね、申し訳――」

「今度はわたくしも一緒に作るわ、彼らのためにスタミナがつく品と、わたくしたち婦人のために、美容によい品を」

 アンジェリカは一瞬、耳を疑った。

 そしてその意図を読み取った時、じわりじわりと喜びが滲み出す。

 マリアンヌの眼差しは、とても優しかった。

「い、一緒に、作ってくださるのですか?」

「わたくしは料理は専門外だから、自信はなくてよ、でも、あなたが教えてくれるのでしょう?」

 アンジェリカはパッと光に満ちた笑顔を見せた。

「は、はいっ! も、もちろんですっ! あ、あの、よろしければ、私に今度、裁縫を教えていただけませんか? ヴァネッサやルカナからマリアンヌ様がお洋服を作られていると聞いて……このドレスもとても素敵で、私もやってみたいと……」

 そう、アンジェリカが今着ているドレスは、昔マリアンヌが仕立てたものなのだ。

 どうりで見覚えがあるはずだと思ったマリアンヌは、ドレスを仕立てていた頃を懐かしく感じた。

「言っておくけど、わたくしは厳しくてよ、それでもよければ」

「本当ですか!? 嬉しいです、私、がんばります!」

 アンジェリカに触発され、自分でも気づかないうちに、とても楽しげに微笑むマリアンヌ。

 そんな彼女を見たヴァネッサが、思わず涙ぐんだ。

「嫌だわ、ヴァネッサ、なにを泣いているのよ」

「う、ううっ、だって、こんなに楽しそうな奥様は一体いつぶりでございましょ、ヴァネッサは嬉しゅうございますぅ!」

「もう、鼻を拭きなさいな、汚いんだから」

 マリアンヌがヴァネッサに向ける表情は、冷たい言葉に反して、とても柔らかい。

 身分は違えど、二人の絆が垣間見える瞬間だった。

「……どうですか、これが僕の最愛の女性です」

 クラウスは少し寂しげでありながら、とても得意げにアンジェリカを紹介した。

 短期間で使用人たちだけではなく、マリアンヌの信頼までも得たアンジェリカ。

 その様子に、サウロスはにこやかに頷いた。

 穏やかなムードで食事が進み、食器の片付けが始まった頃、アンジェリカがクラウスを振り向いた。

「実はデザートも用意してあるの」

「それは、至れり尽くせりですね」

「クラウスのために作ったのよ、甘いもの好きでしょう?」

 ふふっと笑うアンジェリカに、クラウスは心臓を鷲掴みにされる。

 アンジェリカもクラウスを大事に思っているので、決して蔑ろにしているわけではない。

 その気持ちが伝わってきたクラウスは、とても嬉しくなった。

 アンジェリカは席を立つと、キッチンに移動してまた戻ってくる。

 使用人に頼らずに、わざわざ自分でクラウスのデザートを取ってきたのだ。

「ごめんなさい、クラウスとの約束を破るような形になってしまって……」

 コト、と僅かな音を立てて、クラウスの前に差し出されるデザート。

 三角型に切り分けられた、チェリーパイ。生クリームが添えられていて、いかにも美味しそうな一品だ。

「これも、あなたが作ったんですか?」

「そうよ、この一週間、ひたすら練習したの、何度も失敗してみんなには迷惑をかけてしまったけど、なんとか形になったかしら」

 調理を教えてくれたガルシアに、荒れたキッチンを掃除してくれたヴァネッサ、食材を調達してくれたルカナに、試食をしてくれたみんな。

 多くの協力があったから、アンジェリカの料理は上達したのだ。

「……全部、とても美味しかったです、素晴らしい特技ができましたね」

 クラウスは寛容な笑顔で、アンジェリカを受け止めた。

 彼はやはり甘い。そして、アンジェリカもクラウスなら許してくれると、心のどこかで思っている。

 昔からアンジェリカのわがままを聞いてくれるのは、クラウスだけなのだから。

「ありがとう、クラウス、またあなたに食事を作ってもいいかしら?」

「もちろんです……ただ、怪我にはくれぐれも気をつけて」

「大丈夫よ、クラウス……私、この家に来てよかったわ」

 クラウスは座ったまま身体ごとアンジェリカの方を向くと、彼女の片手を両手で包んだ。

「そう言っていただけてよかったです、もう二週間もすれば爵位式があるので、そこであなたを僕の正式な婚約者として発表します」

「ええ、わかったわ」

 笑顔で迷いなく答えるアンジェリカに、クラウスは目眩のする思いがした。

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