19 お爺さんの鶴の一声
19 お爺さんの鶴の一声
(だめだ、説得できそうにない。どうすればよいのか……)
結果的には、桃太郎の心情を煽り立てただけの形になってしまったことに気付いて、お婆さんは絶句した。
頭に血が上ってクラクラして、目の前が暗くなっていくような気分だった。脳裏には、鬼ヶ島に向かって、海の上を小舟で進んで行く桃太郎の姿が見えた。そして、それっきり沖の方へ消失してしまうという不吉な情景が思い描かれた。
(このままでは、せっかくここまで育てた桃太郎が、私の前からいなくなってしまう……)
お婆さんはそう思うと、途端にこの世をはかなむような悲哀の感情に襲われて、つんのめるように身を乗り出して、桃太郎の両肩を掴んだ。それは、遠くの方へ消え去ってしまうかもしれない桃太郎を、何が何でも離さないという気持ちの表れだった。
「もう、そんな小難しい話はどうでもよろしい。私は、一人息子のお前を失いたくないのだ」
お婆さんは震える声で言った。そこには何の作為もなく、お婆さんの本心から出た言葉だった。お婆さんに残された手段は、もはや理屈も何もなく、なりふり構わず、ただ一途に情に訴えるしかなかった。
桃太郎はそのお婆さんの言葉を聞くや否や、ハッと表情を変えて、突然、両目から涙を溢れさせた。
「ううっ」
と泣き出して、床に顔を伏せた。しばらくの間、肩を震わせながら涙に咽んで、言葉を発することもままならないという様子だった。大粒の涙がポトリポトリと床に落ちた。
「桃太郎、どうした……」
とお婆さんは心配そうに言った。
桃太郎は体をブルブルと小刻みに波打たせていたが、やがて顔を上げて、
「あ、ありがたきお言葉。捨て子同然の我が身をここまで育てていただき、また、そのようなご温情を賜り、感謝のしようもございません」
と感に堪えないように、涙の間から言った。
お婆さんはたじろいだが、心を揺り動かされている桃太郎を見て、
(鬼ヶ島行きを取りやめてくれるのか?)
と少しばかりの期待を持った。しかし、その期待はすぐに裏切られた。
桃太郎は袖を払って涙をかなぐり捨てて、再びキリッとした表情に戻ると、
「しかし、私は行かなければなりません」
とまた決意の言葉を述べるのだった。
(ああ、もう、私の手には負えない)
お婆さんは、事態がここまでくれば、もう自分では桃太郎を止めるのは無理だと悟った。後はもう、お爺さんから言ってもらうしかないと思った。
家長であるお爺さんが否と断じれば、桃太郎の決意がいかに固かろうとも、渋々ながら服するはずだった。桃太郎の性格を考えれば、まさか家長の命令に背くようなことはしないはずだった。
もし、それでも我を通そうとするなら、鬼ヶ島行きを延期させるという妥協をしても良かった。お爺さんとお婆さんがそこまで折れれば、桃太郎の方も、強情を張って、「今すぐに出立する」とまでは言わないだろう。
(姑息な手段ではあるが、そうして時間を稼いでいる間に、どうにかして桃太郎に嫁をあてがい、そうすれば自然と子も生まれるだろうから、自ずと桃太郎の考えも軟化するはずだ……)
お婆さんはそのような胸積もりをした。
しかし、その肝心のお爺さんは、さっきからずっと腕組みをして、目を閉じて黙りこくっていた。まさか、こんな時に寝ているわけではあるまいが、お婆さんはその肩を揺すった。
「お爺様、聞いておられますか。桃太郎がとんでもない無茶を言っていますよ。黙っていないで、お爺様からも何か言ってやってください」
「……うむ」
お爺さんは目を薄く開いて返事をした。しかしそれ以上は何も言わず、唇を固く結んだ。その深刻な表情からは、重要な発言をしようとしていることは明瞭だった。
今から発せられるお爺さんの一言に、桃太郎の運命がかかっていた。お婆さんも桃太郎も、それぞれの立場から、
(お爺さんは何を言うつもりだろうか)
と固唾を呑んで見守った。
部屋の中はシーンと静まり返って、重苦しい雰囲気が漂った。
長い長い沈黙の後、お爺さんはようやく顔を上げた。まずはフゥと一つ息を吐くと、
「桃太郎よ」
と厳かに言った。
「はいっ」
と桃太郎は姿勢を正した。
「お前は、鬼を退治するために、鬼ヶ島へ行きたいと申すのだな?」
「おっしゃる通りでございます」
「ふむ」
「……」
「桃太郎、よくぞ言った」
「えっ!?」
とまず最初に声を上げたのはお婆さんだった。お婆さんは自分の耳を疑った。
一方の桃太郎は顔をパッと明るくして、お爺さんに一礼して、満腔の謝意を表した。
「お、お爺様。一体、どういうおつもりですか……」
お婆さんは気が動転したせいで、自分でも気付かないうちに、お爺さんを咎めるような口調になっていた。




