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アカいメディアの皇室工作

 1924年11月_東京ラジオ放送局発足時の初代総裁は、日ソ国交回復に尽力して「赤い男爵」と異名をとり、その後の日本を「砕氷船」として、中国国民党やアメリカとの泥沼戦争に向かわせる状況を作った人物だった

挿絵(By みてみん)


 1925年01月20日_日ソ基本条約が結ばれた

 日ソ基本条約が結ばれた後、ソ連大使館のスパイが日本の出版界や学界に働きかけ、マルクスやレーニンの翻訳本が大量に出版されるようになった

挿絵(By みてみん)


 1925年03月_東京放送局(初代総裁:後藤新平、理事長:岩原謙三)ラジオ放送開始


 1926年08月_東京放送局は大阪放送局及び名古屋放送局と統合されて、社団法人日本放送協会ができた。


 後藤新平の反米親ソ的言動から影響を受けた親族の多くは左翼活動家となった。後藤の薫陶を受けた官僚らは、マスメディア業界を牛耳った。岩永裕吉は同盟通信社社長に、下村宏は朝日新聞社副社長に、岡實は大阪毎日新聞社会長に、正力松太郎は読売新聞社社長に、前田多門は東京朝日新聞社論説委員になった。後藤の盟友杉山茂丸の玄洋社における後輩緒方竹虎は朝日新聞社主筆となった。

 一方、孫の鶴見和子は美智子皇后(当時の肩書)と昵懇になり、婿の甥である鶴見良行は秋篠宮文仁親王(当時の肩書)と親交を深めた。


 或る週刊誌が「美智子皇后のご希望で 昭和天皇が愛した皇居自然林が丸坊主」という記事を掲載した。

挿絵(By みてみん)


 週刊朝日は、当該週刊誌の記事中に不正確な情報が含まれている旨指摘して、記事全体が「誤り」であるかのように印象操作をした。そして、美智子皇后擁護の記事を掲載し続けた。

挿絵(By みてみん)


 2017年5月16日のNHK『ニュース7』に登場した橋口和人解説委員は、「私は今月になって2度、小室さんと会ったんですが、非常にしっかりとした受け答えをする人で知的で温厚な好青年という印象を持ちました」と、小室圭氏を眞子内親王の婚約者として紹介した。同解説委員は秋篠宮家に深く食い込んでおり、宮内庁職員より信頼が厚いともいわれている。

挿絵(By みてみん)


 同解説委員は、生前退位をスクープし、記者仲間から「陛下の体温を知る男」と言われるような人物だった。宮内庁幹部が否定する中、『ニュースウオッチ9』に出演して「天皇陛下が記者会見に近い形で、国内外にお気持ちを表明されることも検討されています」と“平成の玉音放送”を自信満々で予言していた。


 因みに、朝日新聞社と日本放送協会の人脈錯綜は、近衛文麿が発足させた「昭和研究会」が朝日新聞関係者の巣窟だった事と近衛文麿がNHK総裁に就任した事に始まるが、約百年を経過した現時点でも、NHKで名を売った池上彰氏や膳場貴子さんらがテレビ朝日で看板番組を担当したり、テレビ朝日でコメンテーターを勤めていた青木理氏がNHKに出演して妄言を吐く例からも、変っていないことが見てとれる。

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