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言論業界のエコーチェンバー化

 何故、各報道機関が足並みを揃えて反日捏造に勤しめるのか、その謎解きの考察をした。


 言論業界への求職者は、明治新政府に反感をもつ不満士族であったり、創作活動に長け現実と幻想を混同するような夢想家であったり、エッセンシャル・ワーキングの価値を重視しない社会批判愛好者であったり、学生運動活動家であったりした。

 学生運動の過激派が仲間達に対する拷問殺人を繰り返した浅間山荘事件で有名になった「総括」というフレーズから、異論を許さない狭量者が革命志向に奔る傾向があると推測された。

挿絵(By みてみん)


 1960年安保闘争で岸信介首相を「平和の敵」視する学生運動仲間に日米新安全保障条約の内容を確認しようとした田原総一朗氏が聞いたのは「そんなの関係ないよ。岸信介が結ぼうとしている条約が良い筈無いだろ」という答えだった。異論唱えれば「平和の敵」視されるのが必至の雰囲気だったのだろう。


 2015年、岸信介氏の孫である安倍晋三首相が成立させようとする安全保障関連法案への反対をアピールする学生グループ(SEALDs)にマスコミが脚光を浴びせたが、8年後、朝日新聞は「隠したい元SEALDsの過去 若者の声を封じるものは」と題して、当時の学生活動家の後悔について報道した。

挿絵(By みてみん)


 1960年安保闘争時と異なり、マスコミ内でのエコーチェンバー的響は一般社会に届かなくなっておりマスコミ業界が衰退産業化して、学生グループ(SEALDs)の進路が閉ざされてしまったのだ。インターネット環境がマスコミの情報独占力を弱め、偏向報道に対する一般社会の耐性が高まった影響が大きい。

 1871年の廃藩置県、1873年の地租改正、1876年の秩禄処分等で失業し収入の途を断たれた士族達の就職先として新聞社や出版社等の言論業界があった。西欧列強に学ぼうとする風潮の中で自由民権運動が盛んになったが、既得権益を奪った新政府に反感をもつ言論業界従事者らは、政策や政府高官の言動に批判的だった。


 1905年の日露戦争終結に反対し、9月1日付けの紙面に「天皇陛下に和議の破棄を命じたまはんことを請ひ奉る」旨の記事を掲載した朝日新聞社

挿絵(By みてみん)


は、日比谷焼き打ち暴動を扇動し、多くの警察官を襲わせて治安を悪化させた

挿絵(By みてみん)


 1918年_日本では米が値上がりし、庶民が米を買えなくなっていった。朝日新聞社は、広告掲載を断られた腹いせに、鈴木商店が米を買い占めていると、ウソの報道をした。8月12日、怒った人々が鈴木商店に押しかけ、建物を壊し火をつけた。鈴木商店主の鈴木よね(お家さん)が命からがら逃げる様子をからかう記事を朝日新聞が載せた

挿絵(By みてみん)


 1924年11月_東京ラジオ放送局発足時の初代総裁は、日ソ国交回復に尽力して「赤い男爵」と異名をとり、その後の日本を「砕氷船」として、中国国民党やアメリカとの泥沼戦争に向かわせる状況を作った人物だった

挿絵(By みてみん)


 1925年01月20日_日ソ基本条約が結ばれた

 日ソ基本条約が結ばれた後、ソ連大使館のスパイが日本の出版界や学界に働きかけ、マルクスやレーニンの翻訳本が大量に出版されるようになった

挿絵(By みてみん)


 貧困対策に対する日本人の関心が高まり、宮沢賢治がカールマルクスを天才と讃える『生徒諸君に寄せる』の執筆に着手した

挿絵(By みてみん)


 また、漢冶萍(かんやひょう)媒鉄厰礦(ばいてつしょうこう)有限公司(コンス)の日中合弁失敗等を齎した資本主義制度運用が民衆貧困化の原因だとする思想が蔓延した。

挿絵(By みてみん)


 この風潮が、十年後の二二六事件に繋がるのである。

https://ncode.syosetu.com/n0129gu/8/


 1925年03月_東京放送局(初代総裁:後藤新平、理事長:岩原謙三)ラジオ放送開始


 1926年08月_東京放送局+大阪ラジオ+名古屋ラジオ⇒NHK(総裁職は空席)


 1926年、イタリア共産党書記長アントニオ・グラムシは、ムッソリーニ政権下で逮捕され、「獄中ノート」の中で「ヘゲモニー論」を書いた。「ヘゲモニー論」の内容は、「芸術、映画、演劇、教育、新聞、雑誌、ラジオなどを一つづつ手に入れて人々の考えを変えさせ、伝統文化・キリスト信仰への関心を無くさせれば、政権は自然に倒れて、革命側が権力者になることができる」というものだった。

 大事な点は、革命のために働く主力を「労働者階級」から「マイノリティ」に代えるということだ。「マイノリティ」とは、歴史的に反主流派とされる層、経済的に虐げられた人々だけでなく、 男性に対する女性 、多数民族に対する少数民族、一般市民に対する犯罪者など」だと主張したのだ。「犯罪者が悪いのではなく、犯罪をおこさせた社会が悪い。だから、加害者は逆に保護されるべきだ。被害者は安穏と暮らしてきた保守的な階級であり、保護すべき対象ではない。新世代の若者はみな疎外感にもがき苦しんでいるからこそ犯罪に走る。黒人、貧困者、世の中の敗者、脱落者こそ、革命を起こすことができる英雄なのだ」と。


 1928年07月_コミンテルン第6回大会で、スターリン(ソ連共産党の最高指導者)が話したのは、共産主義者が革命を成功させなければならないということだった。そのために必要なのは次のこと

 (1)進んで軍隊に入り、祖国を裏切って戦争で負けさせる

 (2)金持ちに都合良く作られている法律は守らず、秘密組織を沢山作って、ウソと騙しで祖国の偉い人たちを混乱させる

挿絵(By みてみん)


 1932年05月15日_大川周明の国家社会主義思想を信奉する青年将校らが[敗戦革命テーゼ]を実行しようとして、首相殺害等テロ実行

挿絵(By みてみん)


 犯行後(はんこうご)、犯人らは自首(じしゅ)し、裁判(さいばん)が行われた

 犯行は政治(せいじ)を良くするためにしたという弁護士(べんごし)の主張が新聞で報道(ほうどう)された

 「財閥の飽くなき私欲古賀中尉政党を罵倒」「国家革新運動の精神を力強く語る」「三上中尉、特権社会を痛撃し政党腐敗を憤る」「革命歌に感動、悩める西川熱弁」、「飢える農民のため、橘法廷で泣く」などという新聞記事を読んだ人々が犯人らに同情(どうじょう)した

 同情の高まりに手ごたえを感じた新聞社は、「時局に憤慨し首相官邸で切腹」、「被告の減刑願いに鮮血の小指9本」、「殺到の減刑嘆願6万を突破」、「7万の嘆願書中に尋常1年生5名」、「血書の減刑嘆願陸続6万通を越ゆ」などと報道した

 世論に押される形で判決(はんけつ)が変更された。故人(こじん)を首謀者(しゅぼうしゃ)とし、他の者は禁固(きんこ)15年に罪(つみ)を軽くされた

挿絵(By みてみん)


 1935年06月01日_NHK海外放送〔東京ローズ 情報宣伝(プロパガンダ)〕が開始された

挿絵(By みてみん)


 1935年8月12日_陸軍省軍務局長室に侵入した陸軍中佐相沢三郎が、執務中の永田鉄山局長を軍刀で切った。3年前に犬飼首相を殺害した五一五事件同様、国家社会主義思想に基づく犯行だった。永田鉄山局長が生きていたならば、近衛文麿が日本放送協会総裁に就任して国家社会主義的な考え方でウソを流す放送を始めたり、大東亜戦争や太平洋戦争に日本をのめり込ませることはできなかっただろうと、後世に評価される逸材が喪(うしな)われたのだ。

挿絵(By みてみん)


 1936年2月26日_資本家を殺すという「尊皇討奸」を掲げた陸軍青年将校らが千五百名弱の下士官兵を率いてクーデターを試(こころ)み、高橋是清蔵相、斎藤実内務相、渡辺錠太郎陸軍大将、松尾伝蔵大佐らを殺し、鈴木貫太郎侍従長らに大けがをさせた

挿絵(By みてみん)

   蹶起趣意書


 謹んで惟るに我が神洲たる所以は万世一系たる天皇陛下御統帥の下に挙国一体生成化育を遂げ遂に八紘一宇を完うするの国体に存す。此の国体の尊厳秀絶は天祖肇国神武建国より明治維新を経て益々体制を整へ今や方に万邦に向つて開顕進展を遂ぐべきの秋なり。


 然るに頃来遂に不逞凶悪の徒簇出して私心我慾を恣にし至尊絶対の尊厳を藐視し僭上之れ働き万民の生成化育を阻碍して塗炭の痛苦を呻吟せしめ随つて外侮外患日を逐うて激化す。所謂元老、重臣、軍閥、財閥、官僚、政党等はこの国体破壊の元兇なり。倫敦軍縮条約、並に教育総監更迭に於ける統帥権干犯至尊兵馬大権の僭窃を図りたる三月事件、或は学匪共匪大逆教団等の利害相結んで陰謀至らざるなき等は最も著しき事例にして、その滔天の罪悪は流血憤怒真に譬へ難き所なり。中岡、佐郷屋、血盟団の先駆捨身、五・一五事件の憤騰、相沢中佐の閃発となる寔に故なきに非ず、而も幾度か頸血を濺ぎ来つて今尚些かも懺悔反省なく然も依然として私権自慾に居つて苟且偸安を事とせり。露、支、英、米との間一触即発して祖宗遺垂の此の神洲を一擲破滅に堕らしむる、火を見るより明かなり。内外真に重大危急今にして国体破壊の不義不臣を誅戮し稜威を遮り御維新を阻止し来れる奸賊を芟除するに非ずして皇謨を一空せん。


 恰も第一師団出動の大命渙発せられ年来御維新翼賛を誓ひ殉死捨身の奉公を期し来りし帝都衛戍の我等同志は、将に万里征途に登らんとして而も省みて内の亡状憂心転々禁ずる能はず。君側の奸臣軍賊を斬除して彼の中枢を粉砕するは我等の任として能くなすべし。


 臣子たり股肱たるの絶対道を今にして尽さずんば破滅沈淪を翻すに由なし、茲に同憂同志機を一にして蹶起し奸賊を誅滅して大義を正し国体の擁護開顕に肝脳を竭し以つて神州赤子の微衷を献ぜんとす。


 皇祖皇宗の神霊、冀くば照覧冥助を垂れ給はんことを。


 昭和十一年二月二十六日


 陸軍歩兵大尉 野中四郎

 外 同志一同

_______________________________


 1936年9月_十年間空席だった日本放送協会総裁に近衛文麿が就任(しゅうにん)し、国家社会主義的な考え方でウソを流す放送を始めた


 1937年07月12日_パリ万博でピカソの『ゲルニカ』が公開された。ゲルニカ市民を爆死させたドイツ空軍の攻撃を非難する世論を喚起する為だった。芸術作品に高値が付く背景にある政治的意図は、隠されることが多い。

挿絵(By みてみん)


 1937年11月20日_大本営政府連絡会議 設置

 会議員は外務大臣,大蔵大臣,陸軍大臣,海軍大臣,企画院総裁,参謀総長,軍令部総長。議長は内閣総理大臣 近衛文麿


 1937年12月18日_南京入場式


 中国人の匪賊(ひぞく)に住民が殺されたり、子供がさらわれたり、兵隊は悪いことをするものだという考えがあったが、日本兵の規律正しさに安心した住民が行軍を出迎えてくれるようになった


 1938年12月_女優岡田嘉子がソ連に憧(あこが)れて演出家の杉本良吉とともに樺太(からふと)からソ連に亡命したが、ソ連にたどり着くと2人は捕えられて厳しい取調べを受け、杉本はスパイ容疑で銃殺刑にされた

挿絵(By みてみん)


 戦後のマスコミが地上の楽園(らくえん)と報道して多くの日本人たちを北朝鮮に送り込んだのと同様、当時のマスコミはソ連を地上のパラダイスであるかのように宣伝していたのだ


 1939年1月_新体制運動・大日本党結党の提唱が契機となって近衛内閣は総辞職したが、近衛は、日本放送協会総裁の座は譲らず、ラジオ放送の実権を握り続けた

挿絵(By みてみん)


 1940年7月22日_第2次近衛内閣成立。同年9月27日に日独伊三国同盟締結。同年10月、大本営の責任者に杉山元参謀総長を据えるとともに、大政翼賛会を設置(朝日新聞記者中野正剛が総務に、国家社会主義運動家赤松克麿が企画部長に就任)した


 1941年4月13日_日ソ中立条約締結。同年7月28日、南部仏印進駐


 1941年9月~1942年4月_日本国内で諜報謀略活動を行っていたソ連のスパイたち(近衛文麿のブレーンら)が逮捕された。朝日新聞論説委員佐々弘雄らは関連記録を隠滅した


 1941年12月8日(日米開戦)の1週間後から12回、毎日、NHKラジオが『米英東亜侵略史』を放送した。その内容は、1942年1月28日に第1刷2万部が単行本として出版された。

挿絵(By みてみん)


 1942年6月5日~7日_ミッドウェー海戦で、日本は、空母4隻と搭載機3百機を喪失した

 ミッドウェー海戦での惨敗をきっかけとして、NHKと朝日新聞社は、大本営を構成する作戦参謀と情報参謀の対立を利用し、不利な戦況を国民に隠す道筋をつけた(祖国を敗戦に導きソ連軍が日本で民族解放できるような条件を整えるために…)

 

 1944年3月1日_アサヒグラフ「撃て!この鬼畜米国!」発刊

挿絵(By みてみん)


 報道関係者は、自国の敗戦革命を企みアジアの植民地解放を掲げて対米戦争を煽ったが、その責任を軍部や自国民に転嫁しながら、日米対立を煽り続けている。中韓鮮の戦勝国僭称と謝罪賠償要求を教唆するのも、敗戦革命を諦めていないからだ。

 自虐史観をGHQ心理作戦の成果と刷り込むのも、対米憎悪洗脳の一手口なのだ。

挿絵(By みてみん)


 朝日新聞社やNHKは、サヨク的論調で日本の軍国主義や非人道的行為を非難している

 その手口は、戦後政治の主導権を握るためマカーサにいち早く接近するとともに、責任を総て軍部に押し付け、元凶(げんきょう)である昭和研究会のメンバーを咎めようとしなかった近衛文麿の行動に通ずるものがある

 元凶である昭和研究会のメンバーに朝日新聞社の重鎮(じゅうちん)が名を連(つら)ねているが、彼らは、軍国主義化・侵略戦争の元凶が天皇制・軍部・独占資本主義だったかのように歴史を改竄(かいざん)した

 本多勝一は、「南京大虐殺」写真の捏造(ねつぞう)を行った

 WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)は、次のような自虐史観(じぎゃくしかん)を日本人の意識に埋め込むためのGHQ心理作戦を意味する言葉だと言われている

・日本は無条件降伏したのだから、何事にも異議を述べる権利が無い

・日本人はアジア諸国で行った非道を反省し贖罪しなければならない

・広島と長崎への原爆投下は、戦争終結を早め、アメリカ将兵の犠牲者を少なくした

 しかし、 洗脳(せんのう)工作は極秘裏(ごくひり)に進められた と「WGIP=米占領軍の日本洗脳工作」論者が主張していることからも分かるように、これは著しく信憑性(しんぴょうせい)を欠く都市伝説にすぎない

  かつて、アジアの植民地解放を掲げ、 自国の敗戦革命を企んで対米戦争を煽(あお)った NHKや朝日・毎日等の報道関係者にとって、軍部に総ての戦争責任を押し付ける自虐史観が非常に好都合なツールであることは否定できないだろう。特高警官や憲兵がいばりちらし「非国民」という言葉で庶民の自由謳歌(おうか)を妨(さまた)げるシーンを盛り込んだウソのドラマ を執(しつ)こく放送し、誤解と偏見(へんけん)に満ちた「暗黒史観」を視聴者の潜在(せんざい)意識に刷(す)り込んできたのも、そのためだった

挿絵(By みてみん)


 「総懺悔(そうざんげ)」と報道したのも、その延長線上にある

  1945年8月に日本が受諾したポツダム宣言は、イギリス首相、アメリカ合衆国大統領、中華民国主席の名において発された。ソビエト連邦は後から加わり追認した。中共は、抗戦相手ではなかったのである。まして、大日本帝国の一部を形成する朝鮮半島の住民と内地の住民が、戦火を交える敵同士でなかったことはいうまでもない

 しかし、どこまでも敗戦革命にこだわる報道関係者たちは、中国や韓国や北朝鮮に戦勝国とウソをつかせたうえで、日本に対する理由のない非難と恐喝をするよう唆(そそのか)している

 性懲り(しょうこり)なく、今も、日本とアメリカをケンカさせようとするのも、敗戦革命をあきらめていないからだ

 戦争責任の再検証(さいけんしょう)を極度(きょくど)に恐れる報道関係者たちは、自虐史観を神聖化し、疑問を持つことすら罪悪であるかのように情宣(じょうせん)してきた。「歴史修正主義をゆるさない」は彼らの お守り札 なのだ


 1962年4月、日本の映画館で『キューポラのある街』が上映された。

挿絵(By みてみん)

 「千里馬の如く発展する北朝鮮は地上の楽園]というイメージをもって帰国する人々が描かれた映画を観た在日の人々が北朝鮮に渡った。北朝鮮に渡った人数は、日本人妻を含め、九万人以上と言われている。しかし、帰国者への送金をさせるために未帰国の在日家族を残す運用が行われた。帰国の実務は赤十字社が行った。帰国船は、北朝鮮の船で、朝鮮総連を通じての対日工作やスパイ教育要員拉致、対韓スパイの送り込み等にも利用された。

 朝鮮総連は、朝鮮学校の設立と民族教育を推進した。


 韓国は、以前、日本海で抑留した漁師らを帰らせる見返りとして在日朝鮮人犯罪者を日本国内で釈放させたように、在日朝鮮人の受け容れを拒否し続けた。「戦勝国」だと主張して日本人以上の権利を主張する民族主義的・共産主義的な在日朝鮮人、長田区役所襲撃や血のメーデー事件など左翼と結託して暴動する者、犯罪を起こす者の対応に、日本政府は苦慮し、「帰国費用を負担するから希望者の帰国を受け容れてほしい」と韓国に要望したが、韓国はこれを無視して、同胞の日本居留継続を図るよう民団に指示した。


 嘗て、NHKは、数々の虚報で日本を貶めてきた。


 1980年代に吉田清治氏の証言に基づく朝日新聞社の出版物や記事で高まった世論を背景に、元慰安婦と称する人物が日本政府を東京地方裁判所に提訴したのを期に、NHKは、「従軍慰安婦」キャンペーンを展開した。

〔参考URL〕

https://ncode.syosetu.com/n8719gt/3/


 しかし、「従軍慰安婦」キャンペーンのウソは、朝日新聞(2014年12月23日朝刊37頁東京本社版)に依る記事訂正・説明で暴露された。

〔参考URL〕

https://www.asahi.com/shimbun/3rd/2014122337.html

下記は、取り消した旨を公表された記事

・1980年3月7日朝刊(川崎・横浜東部版)【連載 韓国・朝鮮人2(27) 命令忠実に実行 抵抗すれば木剣】吉田氏への取材をもとに「2回ほど朝鮮半島に出かけ、“朝鮮人狩り”に携わった」などと記述。現地で警官とともに若者100人を集め、労働力として日本へ送り、抵抗する者には暴力を使ったとする証言を紹介

 1982年9月2日朝刊(大阪本社版)【朝鮮の女性 私も連行 暴行加え無理やり】大阪市内であった集会で吉田氏が行った講演内容をまとめた。吉田氏は、直接指揮して日本に強制連行した朝鮮人は約6千人、うち950人が慰安婦だった、と説明した。

 1983年10月19日夕刊【韓国の丘に謝罪の碑 「徴用の鬼」いま建立】6千人の朝鮮人を日本に強制連行し「徴用の鬼」と呼ばれた、と吉田氏を紹介。田んぼや工場、結婚式場にまで踏み込んで若者たちを手当たり次第に駆り立てた、などと活動を説明している。

 1983年11月10日朝刊【ひと 吉田清治さん】「国家による人狩り、としかいいようのない徴用が、わずか三十数年で、歴史のヤミに葬られようとしている」などの吉田氏の発言をとり上げた。

 1983年12月24日朝刊【たった一人の謝罪 韓国で「碑」除幕式】吉田氏が韓国に建てた「謝罪の碑」の除幕式の様子を報じた。「私は戦前数多くのあなた方を強制連行した張本人」などの発言を紹介

・1984年1月17日夕刊(大阪本社版)【連載 うずく傷跡 朝鮮人強制連行の現在(1) 徴用に新郎奪われて】本文冒頭で、吉田氏が朝鮮人強制連行業務の一端に連なった、と書き、同氏が韓国・天安に建てた謝罪の碑の除幕式の様子を紹介

 1986年7月9日朝刊【アジアの戦争犠牲者を追悼 8月15日、タイと大阪で集会】吉田氏について、慰安婦を含む朝鮮人の強制連行の指揮に当たったと言及している。

 1990年6月19日朝刊(大阪本社版)【名簿を私は焼いた 知事の命令で証拠隠滅】「多くの朝鮮人女性を従軍慰安婦として連れ去ったこともあります。当時の私は、徴用の鬼、といわれて誇りに思っていました」と吉田氏の発言を記載

☆1991年5月22日朝刊(大阪本社版)【女たちの太平洋戦争 従軍慰安婦 木剣ふるい無理やり動員】吉田氏が「私が今日、最も恥ずべきこと、心を痛めている問題の一つは、従軍慰安婦を950人強制連行したことです」などと語った内容を、集会での発言を収録した本を引用して紹介

 1991年10月10日朝刊(大阪本社版)【女たちの太平洋戦争 従軍慰安婦 乳飲み子から母引き裂いた】吉田氏のインタビュー記事。慰安婦を強制連行したとして、「若い母親の手をねじ上げ、けったり殴ったりして護送車に乗せるのです」などと語っていた。

 1992年1月23日夕刊【窓 論説委員室から 従軍慰安婦】「慰安婦を戦場に運び、1年2年と監禁し、集団強姦し、そして日本軍が退却する時には戦場に放置した」などと吉田氏の発言を紹介

 1992年3月3日夕刊【窓 論説委員室から 歴史のために】吉田氏の告白に多くの投書が来たことに触れ、日本軍の残虐行為を否定する意見を紹介。知りたくない、信じたくないことがある。だが、その思いと格闘しないことには、歴史は残せない、と結んだ。

 1992年5月24日朝刊【今こそ 自ら謝りたい 連行の証言者、7月訪韓】吉田氏が韓国に謝罪の旅に出ることを報じた。「残虐行為に直接かかわった日本人が謝罪に来た、という歴史を残したい」との発言にも触れた。

 1992年8月13日朝刊【元慰安婦に謝罪 ソウルで吉田さん】吉田氏が韓国で元慰安婦に謝罪した様子を報じた。

 1994年1月25日朝刊【政治動かした調査報道】朝鮮に渡って強制的に慰安婦を送り出した元動員部長の証言に、読者から驚きの電話が何十本も届いた、と吉田氏を匿名で紹介

(注1)掲載日の冒頭に・印を付している2本は、今回新たに取り消した記事

(注2)他の13本は8月に取り消した記事

(注3)91年5月22日付朝刊の記事は著作物の引用が多く、公表の影響が大きい記事

(注4)「声」欄投稿、「論壇」寄稿、「私の紙面批評」寄稿の3本は、非公表

(注5)上記18記事について、朝日新聞の過去記事を閲覧するデータベースから削除せず、吉田清治氏の証言が虚偽だという判断を附言


 「従軍慰安婦」キャンペーンのウソが暴かれた5年後に、NHKは、詐欺的捏造ドキュメント「主戦場」の上映PRを行った。

挿絵(By みてみん)


 軍艦島やレーダー照射に関する捏造虚報の悪質さも、ブルジョア的合法性に囚われない革命手法そのものだった。

〔参考URL〕

https://ncode.syosetu.com/n8719gt/34/


 1971年10月、アルバニア決議案が可決され、中華民国が国連から追放されたときから、国連の機関は中共の手先と化した。

〔参考URL〕

https://ncode.syosetu.com/n0129gu/15/


 今、UNESCOは、中共の下僕として卑日に勤しんでいる。

挿絵(By みてみん)


 [歴史戦]とは、NHKや国連がしている事の意味を多くの人々に知らせて、当該機関が一般庶民の自由と幸せ向上の為に働かざるを得ないよう仕向ける戦いなのだ。


 2022年5月28日、刑務所前には報道陣が集まり、お祝いの花束を用意して、出所者を待った。

 出所者は、日本赤軍最高幹部の重信房子だった。日本赤軍は、イスラエル・ロッド国際空港での無差別百人殺傷、ハーグのフランス大使館占拠、クアラルンプールの米国大使館占拠、パリ発東京行き日航機のハイジャック等数多の事件を引き起こし、「人命は地球よりも重い」という福田赳夫首相の迷言(1977年9月)とともに、犯罪者仲間の釈放と600万弗の身代金を得たグループ。

 出所者を憧憬の眼差しで仰ぐ青木理氏や金平茂紀氏らは、彼女を英雄視している気持ちを隠さなかった。

 マスコミに巣食う報道関係者らは、無辜の民を無差別に殺傷する暴力革命テロリストの仲間だった。

挿絵(By みてみん)


 2022年7月、安倍晋三元首相が奈良市内で参院選の応援演説中に撃たれて死亡した。

挿絵(By みてみん)

 

 安倍被弾の波紋は、多次元的に広がった。

 中韓鮮を除く世界中の指導者達が、彼の死を悼み、痛切な悲しみを表したけれど、日本国内では、次のような驚くべき反応が出てきた。

 (1)マスコミの暗殺背景歪曲報道

 (2)統一教会に対する一方的なカルト認定と根拠の無い安倍癒着決めつけ発言の氾濫

 (3)「アベ政治を許さない」キャンペーンのぶり返し

 (4)死因確認や真犯人追及の動きに対する非難

 (5)暗殺行為礼賛と死者冒涜の横行

 (6)数多の自由世界要人達が参列を希望する国葬の挙行に対する妨害

 (7)安倍暗殺が岸田政権や中共にとって好都合だという事情について論じられない状況 


 朝日新聞の連載小説を単行本化した河上肇著『貧乏物語』が飛ぶように売れた大正時代の自由な空気の中で、宮沢賢治は、「ポランの広場」を書いた。山猫博士が選挙のための酒盛りの場にしようとする「ポランの広場」を、村人が、自分たちの活力源として取り戻そうとする争いの話だ。

https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/467_19932.html

 カールマルクスを天才と讃える『生徒諸君に寄せる』を執筆した宮沢賢治にとって、「政治家=巨悪」は、疑う余地なき公理だった。

挿絵(By みてみん)


 貧困問題解決という目的を達成するための手段が「革命」だったが、悪徳権力の強大さを過大視するあまり、手段であるべき「革命」が目的化し、「革命」のためには手段を択ばない倒錯に陥ってしまう罠が待ち受けていた。


 「『今まで何ら一矢報いる事ができなかったリベラル市民として言えば、せめて暗殺が成功して良かったなと。それしか言えない』との島田雅彦氏の発言が炎上。だが“造反有理 革命無罪 目的が正しければ手段は正当化される”が左翼の論理。国民は彼らの正体をもっと知るべきだろう」と、門田隆将氏が呟いた(2023年4月19日)。

https://twitter.com/KadotaRyusho/status/1648580081894461440

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