闇将軍の政争中に咲いた徒花
僕は呟いた、
「旧民主党 は、55年体制終わらせた闇将軍の政争中に咲いた徒花」と。
https://x.com/thucydi_des/status/2018440441914605743
1991年11月、小沢一郎経世会会長代行の面接試験に合格した宮澤喜一が傀儡総理に就任。
1992年9月、小沢一郎の恩師(金丸信)が寝首を掻かれる事件(東京佐川急便事件)勃発。
1993年6月、宮澤内閣不信任案が可決され、衆議院解散・総選挙が実施された。選挙民の黒幕政治嫌悪が噴出したかのように、自民党は衆議院511議席中223議席に留まり、八党派の連立政権である細川護熙内閣が発足した(55年体制の終焉)。八党派が離合集散を繰り返す中で、1998年4月に民主党が誕生(52議席)した。2003年9月、小沢一郎の自由党が合流することで、民主党は勢力を拡大し、137議席となった。
2005年8月、小泉純一郎政権の郵政解散で、民主党は議席数を113に減らした。
2009年9月、オールドメディア(民主党議員排出母体)が「政権交代アピール」旋風を吹かせたこともあり、民主党は308議席を得た。しかし、民主党の政権運営は「悪夢の民主党政権」と酷評される状況だった。
2012年12月、「日本を取り戻す」旗印を掲げる安倍自民党が294議席を得て政権を奪還した。
2017年10月、自民党は284議席、公明党は29議席を得、安倍政権は盤石の態勢を築いた。民主党は分裂し、立憲民主党が55議席、希望の党が50議席を得た。体調を崩した安倍総理が菅義偉官房長官に引き継いだ政権は、岸田文雄議員に、そして石破茂議員にと引き継がれた。
2024年10月、石破総理が「日本創生解散」と銘打つ選挙を実施した。自民党が得た議席数は191、公明党が得た議席は24に留まり、石破政権は少数与党に転落した。立憲民主党は148議席、国民民主党は28議席を得た。少数与党転落を石破不人気の影響と考える自民党議員らは総裁交替で自民党人気を回復すべき旨主張するなど不満が燻っていたが、一年後に臨時総裁選が実施されることになった。総裁選の結果、高市早苗議員が選出された。石破内閣は総辞職し、国会で首班指名選挙が行われて、与党の連立パートナーだった公明党は高市を指名しなかったが、日本維新の会が連立を表明し高市票を投じたこともあって、高市総裁が内閣総理大臣に就任することになった。予算委員長のポストを占める立憲民主党議員が法案審議を遅らせて廃案にするなど政権運営は困難を極めていた。
2026年1月、高市総理は、解散総選挙に打って出た。立憲民主党と公明党は、衆議院レベルで合体する中道改革連合を結成した。「食品消費税ゼロ」の意向を漏らしていた高市の機先を制するかのように各野党は消費税減税を掲げ出した。しかし、如何様な公約を掲げようとも、政権に就かなければ実現不可能なことは明瞭で公約違反を問われる虞がない野党は、無責任に何でも約束できる。極め付けは、政権就任前の公約に違背して消費税増税を断行した旧民主党党主(現中道改革連合野田佳彦共同代表)が「消費税ゼロ」の空手形を切ったことである。テレビ、ラジオ、新聞、雑誌等の所謂「オールドメディア」は、高市与党に対するネガティブキャンペーンを張った。
2月1日、高市総理は、関節リウマチの症状が悪化し治療を受ける為にNHK日曜討論会を欠席したが、自民党からは総理の代理として田村憲久前衆院議員が出席した。野党各党の代表者、重鎮、SNSインフルエンサーなどが「逃げた…仮病臭い」というような非難や罵倒を浴びせたので、与党支持者や多くの人々からの同情が高市総理に集まり、野党各党に対する軽蔑の念が一般に広がった。投票日一週間前に起きた選挙情勢に影響を及ぼす出来事だった。




