不穏な影
絵里が転校してきて二週間が経った。すっかり梅雨は開け、夏到来と同時に期末テストへ突入、終われば晴れて夏休みだ。
その間、咲良は絵里を誘っていろいろ遊びに出かけていた。そうすることで、彼女を元気づけられると彼女は考えたからだ。
時に早苗やほかの友人たちも誘って、遊園地やボーリング、カラオケなどもいった。バイトや絵里の用事もあったりして、毎日というわけにもいかなかったが。だが、遊ぶ毎に絵里に笑顔が戻っているように、咲良は感じるのだった。
そんなある日の朝。
『では、次のニュースです。H県○×市で起きている連続失踪事件ですが~』
「おはよ~」
「おはよう」
咲良はあくびをしながらリビングに入ると、席について用意されていた朝食を食べ始める。時間はちょうど6時半を回ったあたりで、登校までには十分時間がある。おばさんは台所で洗い物をしていた。おじさんの姿は見当たらない。既に出勤しているようだ。
パンをかじりながら、テレビで流れているニュースに目を向けると、半月ほど前から多発している大量失踪事件のニュースが流れていた。
「また失踪? なんだか多いね最近」
「そうねぇ。物騒な世の中だわ」
「うわぁ、××町ってここからかなり近いじゃん」
「咲良も気を付けるのよ。女の子なんだし……咲良に何かあったら、姉さんに合わす顔が無いわ」
「も~心配しすぎだって」
咲良は苦笑して、朝食を食べきる。だが、何気ないその心配にほんのり胸が温かくなる。
咲良はおば夫婦には心底感謝している。養ってくれている、ということ以上に、彼女たちは両親が注いでくれるはずであった愛情を注いでくれている。本当だったら、バイトだってしなくていいと言ってくれている。今バイトをしているのは、彼女のわがままだ。
「ん、でも気を付けるよ。ありがとうね」
だからこそ、咲良は一言お礼を言う。そうして準備を整え、元気よく、行ってきますと言うのだった。
ひんやりとした風が咲良のほほをなでる。夏に入ったといえども、早朝の時間帯はまだまだ湿気も低く涼しい。
家を出る時間は、いつもより早めだ。なぜならテストが始まるからである。心の安心のため最後の詰めを教室でするのだ。テスト直前まで遊んでいたものの、当然勉強も怠ってはいない。
咲良はこう見えても、優等生を自負しているのだ。おばさんに心配をさせるわけにもいかないしね。
朝の通学路に人気はない。部活の朝練には遅い時間だが、普通に登校するには早い。ちょうどその間の最も人が少ない、いわば隙間の時間であった。
そんな閑散とした通学路を、咲良はのんびりと歩いていると、この静かな朝には似つかわしくない、すこぶる怪しい二人組が前から歩いてきた。
いくら涼しい朝とはいえすでに夏だ。これからは半そでが活躍するというそんな時期に、パンツスーツに白手袋といったいでたちの短髪の少女と、物々しい茶色のコート姿の大柄な男性である。その度を越した怪しさは、もはやオーラとなって見えるように、咲良には感じられた。
これはまっとうな人間ではないと、さすがの咲良も警戒する。
(目を合わせないように……目を合わせないように……)
ゆっくりとその二人組と反対側の道によって、それとなく顔をそらす。触らぬ神に祟りなしである。そして、どうか触ってこないように祈る。だが、そんな祈りも空しく、いつの間にやら二人組が目の前にきていた。スーツの少女が咲良に話しかける。
「ねぇ、少しいいかい」
「は、はぁなんでしょう」
「君、何か最近周りで変なこととかあったりしない?」
「はっ?」
その質問に、身構えていた咲良は思わず拍子抜けしてしまう。何かと思えば、新興宗教の勧誘だろうか。手を出してくる様子もない。非常に怪しい不審者なのだが、危害を加えられる心配はなさそうだ。
「一切そんなことはありません! 失礼します!」
そう、咲良はきっぱりと、強い口調で拒絶する。こういう輩には、こうしてやるのがのが一番だ。前にうちに来たやつも、こう言ってやればそそくさと帰っていったものだ。
だが、その強い言葉を全く意に介す様子もなく少女は続ける。
「ああ、そう。それならいいんだけど。それじゃ、この辺りで倉庫みたいな場所ってある?」
「……それなら海沿いにいくつかありますよ。じゃ、失礼します!」
それだけ言って、今度こそ咲良は早歩きでこの場を離れる。後ろから「ありがと~ね~」なんて声が聞こえるが、つられて振り返ることなどしない。
少し行って振り返ると、すでに二人組の姿はなかった。心臓こそバクバクと音を立てていたが、なんとか切り抜けられた。追ってくる様子もなさそうだ。ほうっと安堵の息をついて、咲良は腕時計を見やる。
「え、うっそ!」
絡まれたせいで予想以上に時間を食っていたようだ。これでは最後の詰めをする時間が無くなってしまう。慌てて、咲良は学校へと駆けていくのだった。
・ ・ ・
「ねぇ~! 怪しいでしょお!」
教室で咲良は早苗と絵里にそう話していた。危害を加えられなかったとはいえ、不審者情報はきちんと共有しなければならない。
「そりゃあ朝から災難だったね。ま、例の失踪事件には関係なさそうなだけマシだよ」
「……そうね。そのお二人は、スーツやコートみたいな服装でした?」
「あれ、もう言ってたっけ? そうそう、このくそ暑いのに真っ黒のスーツにガッチガチのコートだよ! いや~あれは不審者ですって言ってるようなもんだね」
大げさにあきれてみせる。早苗はその様子を見て苦笑し、絵里はなんだか考えているようだった。
「ま、一言ビシッと言ってやったら退散していったけどね! 二人も絡まれたらしっかり拒否るんだよ!」
咲良は自慢気にそう言って、ふふんと笑った。その様子に早苗はあきれたように笑うと、話題を変える。
「参考程度には聞いておくよ。それよりテストだ」
「確かにね! エリちゃんはどう? いけそう?」
「あっ、そ、そうね。たぶん、大丈夫だと思うわ」
どうも絵里は不審な二人組が気になっているように、咲良には思えた。このひと月で、だいぶ前のような明るい性格に戻ったと感じていたが、やはりそういうわけにもいかないようだ。
失踪事件のこともあるし、不安を与えるようなことを口にすべきではなかったか。
慌てて絵里を励ます。
「大丈夫だってぇ。不安だったら私が一緒に帰ってあげるよ?」
「……いえ大丈夫。今日も少し予定があるから」
「最近結構多いね。でも、ここもほんと物騒だし、気をつけなよ」
「時間が合うなら私が一緒に帰ってあげるんだけどなぁ」
そうした後、とりとめのない雑談を少しだけして、各々自身の机に戻る。何はともあれだ。絵里や不審者も気になるが、現実問題としてテストが迫っている。テスト前独特の緊張感を紛らわすためにも、咲良はノートを開く。
ガラリと戸を開け先生が入ってくる。先生の指示でノートなどをカバンにしまった後、テストが裏側で配布された。
チャイムが鳴る。
「では、始め!」
絵里のことを心配に思いながらも、テストという現実に立ち向かうべく、咲良は用紙を表にして、数式を解き始めるのだった。
「ひ~づがれ゛だ~」
その日の帰り道。テストに集中しすぎた結果、疲労した体を引きづって、咲良は家路を急いでいた。明日のテストも難敵ぞろいだ。早いところ家に帰って、最後の復習をしなければ。
そう思いながら歩いていると、不意に背中から誰かに抱き着かれる。
「え、ちょっ、えりちゃん!?」
それは絵里であった。薄く笑うその顔に、咲良は思わずドキッとする。そのどこか妖艶さすら漂う表情が、本当に人形のように見えたからだ。
「ねぇ、さくちゃん。さくちゃんは、あなたの愛する誰かと、ずっと一緒にいられたらって思わない」
ささやくように、絵里は言う。
「ずっと、ずっと永遠に、一緒にいられたら……って。悲しい別れなんて、いらないって……」
「えりちゃん……」
咲良はそれに答えようとして、しかし逡巡する。両親の死、転校、テスト、不審者……。そういったいくつもの要因が、絵里の心に重圧をかけているのだとしたら、自分はそれにどう答えられるだろう。どんな言葉をかければいいのだろう。
「……なーんて、ね。ごめんね、急に。困らせちゃったわね」
咲良が答えを出せないでいると、絵里はさっと顔を上げ、にこやかに笑う。
「う、ううん。私こそごめんね。その、答えられなくって」
そこで咲良は思いついたように言う。
「で、でも、ほんとに辛くなったときには、頼ってもいいからね! 力になるから!」
「ありがとう、さくちゃん。その時は、頼りにするね。それに――」
絵里は空を見上げて、ぼそりと呟く。
「――私の答えは、もう出てるから……」
「え、なんて?」
「ううん、なんでも。じゃあ、さくちゃん。また明日、会いましょう」
そう言って、絵里は歩いていく。
「う~ん、変なの……」
その後姿が見えなくなるまで、咲良は絵里を見送るのだった。
その夜もまた一人、失踪者がでたとのニュースが流れた。場所はH県○×市□△町。咲良たちの通う高校に、ほど近い場所であった。