そして日常は壊れ
テスト最終日。
4限目のチャイムが鳴り、最後のテストの答案が回収される。これにて終了、テストを返してもらったら夏休みだ。
咲良は席で大きく伸びをする。遊んだ分のツケが回ってきたのか、中間に比べてあまり良い手ごたえではなかった。もっとも平均を割るようなことはないだろうけど。
咲良はふらりと席を立ちあがると、ゆらゆらと早苗のほうへと歩いていき、スライムのように彼女の机にもたれかかる。
「あ゛~~~~づがれ゛だ~~~~~」
「おうおうお疲れ。どうだったよテスト」
「う~~~まあ何とかなったかなぁ。早苗は?」
「ま、大丈夫っしょ」
そこへ絵里もゆっくりと合流する。
「お疲れ様です。お二人はテスト、どうでした?」
「私はたぶん大丈夫よ」
「あ゛~どうかなぁ。えりちゃんは?」
咲良が聞き返すと、絵里は困ったように笑みを浮かべて答える。
「私は少し……どうにも集中できなくて……」
「ま~タイミングが悪いよねぇ。次回はみんなでがんばろ!」
早苗が絵里の背中をポンと叩いて励ます。だが、早苗の真意を見抜いた咲良が、唇をとがらせてブーたれる。
「みんなって、早苗は私のノートが見たいだけでしょ?」
しかし、その文句を聞いても、早苗はひょうひょうと受け流す。
「こーゆーのは助け合いだって! ほら、絵里ちゃんの力になりたいでしょ?」
「う、うぐぐ~」
その卑怯な言葉に、咲良は葛藤するような表情で唸る。それも長くは続かなかった。
「……ええ、そうね。頼りにしてるわ」
絵里がぽつりと、しかしふわりと笑って言った。それを受けて、咲良はぐはっと机に突っ伏し、降参とでもいう風に両手をあげてひらひらさせた。
「しょうがないな~……。えりちゃんにそう言われちゃあしょうがない」
「やったね! これで次のテストもいただきだね! 絵里!」
「……うふふ、そうですね」
早苗と絵里は顔を見合わせて笑いあう。
「あ、そういえばさ」
咲良はポンと手を叩いて、思い出したように言う。
「今日、これから他の子たちとカラオケとかボーリングとか行く予定なんだけど、二人はどうする?」
テスト明けというのは、大きな開放感があるものだ。加えて、テストや不審者で気分が滅入っているであろう絵里の気分転換になればと、咲良が企画したのだ。当然、バイトもきっちり休んである。
しかしその提案を、絵里も早苗も申し訳なさそうに断る。
「あ~ごめんパスで。部活いかなきゃだから」
「……私も、ごめんね。今日は大切な用事があるの」
「う~、そっかぁ。前から言っておけばよかったね」
眉を下げて、咲良は残念がる。
「じゃ、じゃ! また今度、それこそ夏休みにみんなで一緒に海とか行こうよ! ね!」
「いいねぇ。なら、みんなで水着買いに行こうか」
「早苗はえりちゃんの水着が見たいだけでしょ?」
「違うってぇ」
そんな咲良と早苗のじゃれあいを眺めながら、絵里も薄く笑う。
「……そうですね。その時を楽しみにしておきます」
「じゃ、また計画を練るということで……。おっと、じゃそろそろ行くね! また明日~」
腕時計を確認した咲良は、荷物を担いで二人に手を振る。
「りょー。じゃ、また明日」
「ええ、また」
二人もそれに応えるのだった。
彼女たちに背を向けて教室を出ようとした咲良は、ふと振り返る。すると、彼女の目に、早苗と絵里がなにやら会話しているのが見えた。
「……つが終わった………しょに…帰って……」
「……いいよりょ……結構遅く……」
会話の内容こそ聞こえないが、仲良くなったようだ。それを見て、咲良は嬉しくなり、軽い足取りで教室を後にする。こうやって、絵里にも友達が増えてくれれば、また昔のように活発な姿を見ることができるかもしれない。
そんな期待を胸に抱きながら、咲良は友人たちと合流するのだった。
・ ・ ・
「あ~歌った歌った」
ゲーセン、ボーリング、ファストフードで腹ごしらえをしてカラオケと、半日かけて遊びまわった。気がつけばもう日が暮れて、あたりは真っ暗になっている。街灯が灯ってはいるが、その明かりが逆に夜の闇を深くしていた。
そんな帰り道を、咲良は一人で歩いていた。
「もうすぐ帰るって連絡しなきゃ」
咲良はスマホを取り出すと、おばさんにメッセージを送る。前もって今日は遅くなると伝えてはいたが、失踪事件のこともあるし、これで安心してくれるだろう。
ポケットにスマホをしまった咲良は、ふと空を見上げる。星の瞬く雲一つない夜空には、落ちてきそうなほどに大きな満月が、赤く染まっていた。その現象に、咲良は驚くと同時に、何かしらの不吉な予感を覚える。
「なにムーンだっけ……なんだっけ……」
そんな予感を振り払うように咲良は歩く速度を速め、適当なことを考え始める。コツコツと、彼女の歩く音だけが響く。時たま、切れかかっている街灯のチカチカとした明滅が、彼女の不安をあおる。普段では気にならないようなことが、今の彼女にはひどく怖いものに感じるのだった。
「スーパー……レッド……ブラッディ……セーラー……これは違う――!」
コツリ
明らかに自分の出したものではない足音に、咲良は思わず立ちすくむ。恐る恐る後ろを振り返ってみる。だが、誰もいない。少しだけ安心して前を向くと、彼女の前方、街灯の下に、人影が立ち尽くしていた。
「~~~~……!!!!」
声にならない悲鳴を上げる。今、歩いている道は一本道である。脇道などないし、歩いて来たら一目で分かるはずだ。であれば、目の前の人影は一体いつ、そこに立てたのか。
そこで、咲良は目の前の人影が、自分の見知った人物によく似ていることに気づく
「……早苗?」
それは早苗であるように咲良には見えた。髪型も、そのスラリとした体形も、見間違えようがない。暗いためか、その顔はよく見えなかったが、早苗であることには間違いなかった。
「さ、早苗~。も、もぉ~脅かさないでよ~。部活の帰り?」
おどけて、それに話しかける。だが、早苗であろうその人影は答えることなく、ゆっくりと咲良に背を向けると、フラフラと歩き始める。咲良にはそれが、ついてこい、というメッセージに見えた。
咲良は無言で、しかし魅かれるように人影の後を追って歩く。恐怖こそ感じているが、かといって危害を加えられているわけでもない。それに、この道は家への最短ルートである。であるなら、さっさと家に帰ってしまうほうが早いようにも思えた。
目を眇めて、前を歩くそれを見る。見れば見るほど早苗に見える。紅い月明かりのせいか、赤いもやがかかっているようだ。フラフラと歩くその姿は、まるで出来の悪い操り人形のように咲良には感じられた。
明らかにおかしい。それは確かだ。こめかみから垂れる汗は、鬱陶しい暑さよるものではない。むしろ、寒気すら咲良は感じていた。まとわりつく湿気だけが、夏であった。
やがて景色は、良く見知った道に移り変わる。それもそのはずで、人影は咲良の帰り道をそのまま歩いていたからだ。
家が見えたら、人影を追い越して家に転がり込む。そう、咲良は決意する。それが帰り道をすっかりなぞっていることに、彼女は違和感すら覚えることができなかった。それほどまでに、正気を失わせるにはっ十分なほど、尋常ではない状況であった。
十分ほど歩いた頃だろうか。咲良の家が見えた。いつものように明かりの灯った彼女の家からは、明るい笑い声が聞こえる。それが、咲良の心に、少しだけ勇気をくれた。
今だ。
咲良は唐突に走り出すと、歩く人影を追い越し、一目散に家に入ろうとする。そして、激しい違和感を覚え立ち止まった。
笑い声がするのはいい。明るいおばさんの声に、低く安心感のあるおじさんの声。どちらもよく聞いている声であった。だが、間にはさむ会話が聞こえてこない。ただただ、朗らかな笑い声だけが、壊れたレコードのように響き渡っている。
そんな彼女を、それがふらりと追い越すと、ガチャリと家の中に入っていってしまう。そして、聞き覚えのある笑い声が一つ加わる。早苗の声だ。
「……なんなの……これ…………」
明るい笑い声の響く、明かりの灯ったいつもの家が、紅い月光に照らされてひどく禍々しく、彼女の目に映った。
「…………」
それでも、ゆっくりと何かを振り払うように顔を振ると、咲良は一歩ずつ家に近づく。何があったのかは分からない。だが、それでもここは彼女の愛する家族が住む家なのだ。逃げ出すわけにはいかない。それに、もしかしたら、案外普通に談笑をしているのかもしれない。
怖がる心を理性と楽観的な考えでねじ伏せ、咲良はドアノブを握ると、意を決して中に入る。
「……ただいまー……」
いつもならおかえりなさいと返ってくるはずのその言葉に、しかし一切の反応はない。狂ったような笑い声だけが、響いている。
靴を脱ぐと、ゆっくりと明かりのもれる居間へ向かう。そして恐る恐る、咲良は中をのぞいた。
不意に――静寂が訪れた。
あれほどまでにうるさかった笑い声がすっかりやんだ。咲良が中をのぞくと同時である。そんな彼女の目には、おじとおば、そして先ほどの人影の後ろ姿が映っていた。咲良は一つ深呼吸をすると、声をかけようとする。
「おば――……」
しかし、それをすべて口にすることは叶わなかった。
ぐるり、と。三人の首だけが振り向いた。そこで初めて、咲良はそれらをはっきりと認識した。
寡黙だが優しかったおじは、裂けるほどに大きな口で笑っていた。
おっとりとして芯の強かったおばは、口角が縫い止められたかのように不自然な角度で微笑みを作っていた。
早苗は。咲良には、それが早苗であると断言できなかった。暗がりだから表情が見えなかったのではない。表情どころか、顔そのものがポッカリと抜け落ちて穴のようになっていた。
そして、共通するのは血の気のなく、ともすれば粘土のようにすら見える肌。その首やちらりと見える関節には明らかな継ぎ目があり、まるで球体のようになっていた。
「ねぇ……ドッキリなんでしょ!」
咲良は後ずさりしながら叫んだ。だが、返事はない。彼女の叫びは空しく響いただけだった。そして、それが、目の前のこの状況が、ただのいたずらやドッキリでないことを示していた。
「なにが……なんで……」
目の前の状況を理解できないまま、咲良はへたり込む。その目からは涙があふれ出し、いやいやと頭を振る。それはまるで現実を受け入れられない子供が、駄々をこねているようであった。
それらはカタカタと立ち上がると、そんな咲良の前へゆっくりと歩きだす。早苗のようなモノが彼女へ優しく抱き着く。
「ひっ……」
ひんやりとした感触が、咲良を包み込む。そして、沈むように意識を失うのであった。




