↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
演生  作者: 日進 月歩
2/2

親愛なるあなたへ



―――私は今日も嬉々として、顔も知らぬ友へ連絡を取る。



ありのままの私を受け入れ、理解してくれる人はこの世の中でどれほどいるのだろうか。日本の人口は約1憶3千万人。減少傾向にあるが、その中に私のことを理解してくれる人はどれほどいるのだろうか。


血のつながりのある家族にだって、私のすべてを理解してくれるわけではない。むしろ、血のつながりがあるからこそ、「(作者)はこうであるべきだ」と理想像の「私」を押し付けてくるかもしれない。


何が言いたいかというと、人間はしょせん自己中心的な生き物なのだから、ありのままの相手を受け入れることは難しいということだ。


さて、話を戻そう。

ありのままの私を受け入れて、理解してくれる。

そんな人は果たしてこの世にいるのか。もしくは一生出会えないまま、命果てるかもしれない。

だとすると、私は大変幸福だ。大学生のころ、その人とは知り合った。顔も住所も本名も知らない。

何も知らないのに、不思議と心惹かれるようにその人とは意気投合した。


仮に、彼をYとしよう。


Yと知り合ったきっかけはSNSだった。

当時、大学3年生だった私は将来に対して漠然とした不安を抱えていた。進路や恋愛などいろいろな不安定要素が私を縛り付けていた。得体のしれない何かがずしっと背中に乗っているような感覚さえあった。


今思えば、寂しかったのかもしれない。誰かにこの漠然とした不安を聞いてほしかった。和らいでほしかったのかもしれない。もしくは、不安を抱える私を抱きしめてほしかったのかもしれない。よくわかっていないのが正直なところだ。それが漠然とした不安なのだろう。


そこで、私はあるSNSアプリを始めた。

アプリの名前は忘れたので、以後「TA(仮称)」とさせていただく。

TAは匿名性のもので、いろんな人とチャットできるものだった。中には体関係を求めてくる人もいれば、話の通じない人もいた。この世にはいろんな人がいるんだな、とほんの少しだけど面白かった。


ふと、あるメッセージが目に入った。


「本の話でもしませんか」


私の趣味は読書で毎日本を読むくらい、本が好きだった。

まさか、TAで本の話ができるとは思っていなかったので、うれしかった。

そのアカウントがYだった。彼は穏やかで誠実な性格をしているんだろうなというのが、文章から伝わってきた。


もちろん、警戒心が全くなかったわけではない。常に敬語を使い、できるだけ心許さないように接してきた。けれど、Yの穏やかな雰囲気に絆されている自分がいたことも事実だった。現に、いつの間にか敬語は取れていた。


Yとチャットしてからは他の人とは話さなくなった。

今だから言えるけど、Yと話すためにアプリを続けてきたようなものだ。他の人は中身のない会話をするのに、Yだけが中身のある会話を交わすことができた。


「今日はこういう本を読んだんだ。私の感想はこれなんだけど、Yはどう思う?」


「仕事でこういうことがあったんだ。僕はこういう風に対応したけど、(作者)だったらどうする?」


お互いに思ったことややったことを話し合い、意見を交換する。

自分の知見を深めていく。

自分の中にある世界が少しずつ広がっていく感覚が楽しかった。


彼は大人だった。社会人だからとか、私よりも年上だからというのが理由ではない。考え方が大人なのだ。余裕のある大人とはこういう感じなんだ、と思った。私の周りにはいないタイプの大人だった。


言い方は悪いかもしれないが、私の周りにいる友達は同い年が多く、考え方も振る舞いもどこか幼かった。

初めてだったのだ。知り合い以外の人と話していて「楽だ」と思ったのは。


Yと話すと、私まで大人になれるような気がした。

彼からいろんな話を聞くたび、学びになった。気づかせてくれたこともある。

彼は中学校の教員をやっていると言った。そこで私は納得した。おそらく、結Yは私と同じ目線に立ち、話してくれたから私は「楽だ」と思ったのかもしれない。

Yとの会話は私にとっても学びとなり、成長にもつながり、何より楽しかった。今日は何を話そうか。何を議論しようか。好奇心と探求心を刺激してくれた。簡単に言うと、毎日がワクワクするのだ。そのような相手がいること自体、奇跡ではないのだろうか。









実は、私、耳が聞こえないんだ。



Yにそう告げたのはTAをやめて、連絡手段をTwitter(現X)に変えてすぐのころだった。

Twitter(現X)で私は趣味のアカウントで読書感想をひたすら呟いていた。

ある日、私は有川浩さんの『レインツリーの国』を読んだ。聴覚障害者と健聴者との恋愛小説だ。この本を読んで、私は自分の体験と結び付けた感想を投稿した。


聴覚障害を持つ人が社会に出ることの大変さ。


耳が聞えないだけで差別されたり、偏見の眼差しを向けられたりする。


コミュニケーションもスムーズに取れない。健聴者と話すたびに、音のない世界にただ、一人だけ取り残されているような感覚に陥る。


もちろん、私は生まれつき耳が聞えないので、周りが思っているほど生きづらくはない。ただ、時々どうしょうもない怒りや焦燥に駆られる時があった。(今は全然ないけど)それは、私自身が「耳が聞えていたら…」と願っていたから。


なぜ、私は耳が聞えないのだろう。

なぜ、みんなと普通に話せないのだろう。

恋愛さえも憶病になってしまう。


そんな自分の思いを込めて、投稿した。

当然、反響はあった。フォロワーさんから驚きの連絡が次から次へと入ってきた。私自身も耳が聞えないことを公表するのに、勇気がかなり必要だった。怖かったけれど、フォロワーさんたちにわかってほしくて投稿した。


聞えないことを告げると、急に連絡が取れなくなったり、口では「全然気にしないよ」と言いながらも一線を引いたり…。要するに、態度を変える人がほとんどだ。

それが現実だ。人は誰もが、自分と少し違うだけで無意識に態度を変えるものだ。中には「大変だったね。偉いね」と同情の言葉をかけてくる人もいた。


私は同情などしてほしくて耳が聞えないと話したわけじゃない。褒めてほしいわけでもない。そもそも「かわいそうじゃねえわ!こちとら生まれた時からこの状態が”普通”なんだわ。普通に生きていけるわ!」と思わず悪態をついたけど。



まあ、”普通”の定義は案外あいまいなものである。

人によってその”普通”の定義が変わるからだ。

だが、その人にとっての”普通”が必ずしも相手も同じだとは限らない。それ故に、自分の”普通”を相手に押し付けようとする。その行為自体が実は傲慢なのではないだろうか。

最近、そう考えるようになった。自分の”普通”を押し付けることが相手を傷つくこともある。それがわからない人たちがまだこの世には大勢いる。私も含め、誰かを傷つけているかもしれない。それを自覚しないといけない。


SNSを通して、人と少し違う部分があるだけでこうもわかりやすく態度を変えられることもあるのだと学びにはなったので、悲しんではいない。

むしろ、仲良くならなくてよかったと見切りをつけることができる。ある一種の社会勉強にもなる。人を見極める力を身につけることもできる。SNSにはそういう使い方もあるのだ。



でも、Yは違った。

いつも通りの態度で、いつも通りの文章で、


「そうなんだ」


彼はそう言った。


そう言ったのだ。


それがどれほどうれしかったか。

ただ、「かわいそう」でも「気にしないよ」でもなく、「そうなんだ」という言葉がうれしかった。どんなにうれしかったか、言葉にすることができなかった。ごく当たり前のような態度で接してくれた彼には感謝しかなかった。

当たり前のような態度で接することは簡単そうで、実は難しい。そんな難しいことを飄々とやってのけたYに私はスマホを見ながら思わず笑ってしまった。


――なんだよ、最高じゃんか。


これからも私はきっとこの人ともっと仲良くなる。


そう確信した日でもあった。





SNSあるあるだと思うのだが、気の合う人ほど遠距離である。

まさにそれで、私は関東在住、Yは関西在住だった。会ってみたかったけど、気軽に会える距離じゃないなと笑いあった。


「いつか会えたらいいな」


そんな話を今も時々している。

実はYが在住している地域へ一人旅をする計画を立てていたのだが、いろいろ予定や経済的な問題で、計画は挫折したが。


今は顔を知らないからこそ、こんなに仲良くなれたし、友達になったのだと思う。

もし、いつか…

Yと会うことになったら…私はどう思うのだろうか。

いや、愚問だったな。

会ったとしても、きっとそこには私の知るYがいる。そして、いつものようにくだらない話をして笑いあっているのだろう。私はマシンガントークをして、彼はうんうんと相槌を打ちながら、聞いてくれるのだろう。「手話を教えて」とお願いされて、私は喜んで手話を教えるだろう。

不思議だけど、そんな未来が見えた気がした。…私だけなのかもしれないが。





ここから先は、私たちの関係について述べていこうと思う。

まず、大前提として私とY恋愛関係ではない。友達だ。


「男女の友情は成立するのか?」


よく議論されるテーマだろう。


「成立する」派もいれば、「成立しない」派もいるだろう。

正解はない。人それぞれの考えがある。否定も肯定もしない。

私は「成立する」派だ。

なぜなら、私は相手を友達だと認定すると恋愛には発展しないことが多いからだ。現に今までも友達から恋愛関係に発展したことがない。これからもきっとそうだろう。

もっとも、異性として見ていない、食指が働かないといってもいいだろう。

それ故に、私はYを友達として見ている。心許せる友達だと思っている。


Yを本当に恋愛対象としてみたことがないのか、って?


答えはYESだ。

先ほども述べたが、私は人に恋愛感情を抱くこと自体少ない。人に恋愛感情を抱くのは非常に珍しい。

今は恋愛感情自体持てないような気がする。もう恋などしないかもしれない。不思議だが、確信めいた予感でもいえた。


もちろん、Yのことは人間的に好きだし、尊敬している。

だからって恋愛感情と結びつかない。そういうことだ。

けれど、Yのような人と生きていけたら、絶対楽しいんだろうなと考えたことはある。恋愛関係や婚姻関係じゃないが、よき相棒?パートナーにななれるような気はした。

程よい距離感を保ちながら、助けが必要な時は助け合い、背中を押してほしい時は押してあげる。つらい時は何も言わないで、ただ、そばにいてあげる。

そんな関係になれたんじゃないか、と考えたことはある。

考えるだけは自由だしね。


そもそも、Yは既婚者だ。

知り合った当時は独身だったが、最近結婚したという。

とてもおめでたい。友達が結婚したという報告を聞くのはこんなにも嬉しいもの何だと思った。既婚者と毎日やりとりするのはおかしくないかと思う方もいるかもしれない。少なくとも、Yの奥さんはそう思うだろう。少し申し訳ない気持ちはあるが…。


だが、私とYは友達だ。それ以上もそれ以下もない。それは断言できる。だから、安心して欲しいとも思う。

けど、こんなに私のことを分かってくれる友達はそうはいない。

ありのままの私を受け入れてくれる人はそうはいない。

Yはそんなかけがえのない大切な友達だ。

それと同時にYにとっても、私は良き友達でいたい。何かあった時に相談に乗ってあげられる。そんな友達でありたいと私は思う。

心の底から、知り合えてよかったと思っている。むしろ、誇りに思っている。







Yと仲良くなってから5年目を迎えようとしている今、私はこれを書いている。キーボードを力強く叩きながら、頭の中で文章を紡いでいく。

思いのまま、文字を打っていく。

キーボードを叩く音がただ、響いている。


元々、小説や文章を書くのは好きなので、書くこと自体は全然苦じゃないのだが、なぜこれを書いているかというと、私の中で大切な思い出にしたいからである。宝物にしたいのだ。


今、彼とのやりとりは続いているが、いつこの関係が終わるかも分からない。

ある日、突然関係が終わるかもしれない。ある日、突然連絡が取れなくなるかもしれない。人間関係とはそういうものだ。一瞬で終わる関係だからこそ、ご縁というものは儚く、美しい。


Yとのやりとりを文字という一つの形に残すことで、私はこれからも生きていける。私はもう少しでアラサーになるが、まだまだこれからも人生は続く。人生は長いのだから、今よりもつらいことが起こるかもしれない。壁にぶつかる日が来るかもしれない。そんな時、私を支えてくれるものが欲しいと思ったのだ。


それが、Yとのやりとりだ。


改めて言うが、私とYは友達だ。

友達だけど、確かに私の中での存在感は大きい。自分のことを分かってくれる人はなかなか出会えないし、知り合えない。

SNSを通して繋がれたこと自体が奇跡そのものだ。

私はそんな奇跡を大事にしたい。何らかの形で残したい。

そう思ったから、これを書くことにしたのだ。


こういう風に一つの形として、残しておけばいつか訪れるであろう困難や高い壁にぶつかった時、Yとのやりとりを読むことで、



『頑張れよ』

『大丈夫、うまくいく』


そんな風に私を鼓舞してくれる。いつか支えてくれる。

そして、自分の人生をより豊かにしてくれるはずだと信じている。


今よりも数十年後、これを読み返す日が来るのだろう。これを読んで、きっと私は笑っていることだろう。


「懐かしい。そんなことあったな」


と。

そんな風に思える人生をこれから送りたい。









そろそろ、書きたいことは全部書けたかな。

私はキーボードを叩く手を止めた。ふと、窓から空を見上げた。白く融けた太陽の日差しがそっと私の部屋を照らした。あまりのまぶしさに目を細めていると、タイトルが降りてきた。


そうだ。


この話のタイトルは…




「顔も知らぬ親愛なる友へ」



そして、私は今日も嬉々として、顔も知らぬ友へ連絡を取った。


「聞いてくれ。あのさ、今日こんな話思いついたんだ――――――…」













評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。