第三十六話
「やめろ!」
王子が赤髪の手を掴んだ。
その手は思いのほか強く握られ、赤髪の少女は顔を僅かにしかめた。
「女性の髪をむやみにさわるものではない。たとえ同性であってもだ」
「……すみませんでした」
少女はそう言うと、王子にペコリとお辞儀をして部屋から出ていく。
王子の荒々しい呼吸の尻尾だけが空気を揺らす。
やがて、静寂が訪れると、王子が口を開いた。
「お騒がせしてすみません、ええと……」
「まだ、名乗っておりませんでしたわ。失礼しました。私、ビレーヌと申します」
その名は故郷の町で亡くなった修道女の名前だ。
今のフィレンと同じ金髪ロングで、聡明な年上の女性だった。
密かに憧れていたフィレンは、脱衣所の鏡で自分の姿を見たときにふと、思い出したのだった。
サリトールは名前を確認するように口の中で「ビレーヌ」と呟くと、
「良い名ですね。家の名前は何と言うのでしょう」と訊いた。
「家の名はありません。今はただのビレーヌです」
「ああ、そうでしたね。舞踏会でお父上にお許しを頂ければ、良いのですが……」
目を伏せるサリトール。
「何か不安でも?」
「……実は、私、ダンスは不得手でして……。私のせいでお許しが貰えないかもしれません。もし、よければ別の者を――」
「サリトール様が良いですわ」
フィレンは王子の目を真っすぐに見つめた。
「しかし……」
「練習をいたしましょう。私を、舞踏会の日までダンス教師として雇っていただけませんか」
「教師としてですか」
「ええ。舞踏会は紳士、淑女の嗜み。でしたら、あなたを名実とも紳士にして差し上げましょう」
聞く者によっては、上から目線に思える発言だったが、王子は小考して言った。
「……分かりました。ただ、一つ条件があります」
「条件?」
「私を年下だと思ってください」
「え?」
突拍子もない王子の発言に、フィレンは呼吸を忘れるほどフリーズした。




