09 愛
残酷な描写がありますので苦手な方はご注意下さい。
クレアは純白のウエディングドレスに身を包む。着付けを手伝った侍女も護衛も誰もがみな、クレアこそ真の聖女だと褒め称える。
もうすぐ神殿の門を開き新婦入場する時間だ。クレアの願いが叶う――。
はやる気持ちを抑えつつクレアは上品にその時を待っていた。
だが時間が過ぎても呼ばれなかった。
(なにかあったのかしら?)
クレアは今日という日を完璧な1日にしたかった。遅れを生じさせた愚か者に、後ほどきつい罰を与えなければと思った。
「クレア様!」
様子を見に行かせた侍女が慌てて戻ってきた。顔色が悪く何があったのか言いにくそうにしていたが、発言を急かす。
「何があったか報告してくれる?」
「それが……その……」
侍女はクレアの威圧に耐えきれなかったのか泣き出してしまった。
「クレア!」
「アレン様!」
「結婚式は中止だ!」
「えっ!? どうして?」
「それが……ゲストが来ていない」
「……結婚式を中止にするほど重要なゲストですか?」
クレアには王族の結婚式を中止させるようなゲストは思い浮かばなかった。
「……だから! ゲストが誰も来ていないんだ!」
「はぁ!? 誰も来てないって……そんなことあるわけないじゃない! 昨日も一昨日も挨拶に来てたでしょ?」
クレアとアレンの元へは他国の王族も含めて連日多くの者たちが、貴重で高価な結婚祝いを持って祝福の言葉を述べに来ていた。
クレアはあまりに驚いたために、いつもの淑女の仮面を脱ぎ捨て、アレンに無礼な口の聞き方をしてしまっていることに気がついていない。
「とにかく中止だ。今後のことはまだ不明……クレア!」
クレアは控え室を飛び出して神殿へと走り、アレンが後に続いた。
控え室の外では誰もが忙しなく動いており、クレアとアレンを止める者はいなかった。
神殿の門をクレアは自らの手で押し開けて入ると、すぐに硬い扉がバタンと閉じた。
中では王や王妃、クレアの家族や神殿の関係者がお互い罵り合っている。ほとんどが身内で、本当にゲストは来ていなかった。
クレアは自分の身に起きたことが信じられなかった。
(どうして?)
クレアが哀しみに暮れていると、硬く閉ざされた扉が再びキーっと音を立てて開いた。
(誰?)
クレアがその人の顔を見ようと振り返ろうとした途端に、甲高い女性の悲鳴が聞こえてきた。
「キャー!!」
その声に気を取られていた瞬間、クレアは背中がえぐられるような衝撃を受けた。
(痛いっ! なに!?)
純白のドレスが赤く染まる。
「血……」
クレアが背中に回した手も血だらけになり、その血が自分から流れていることを認める。
「魔物……!!」
大型の魔物だった。しかも1体だけではない。複数いる。2〜3メートルはあるだろう。その鋭い牙と爪だけで簡単に人間に致命傷を与えられるだろうと予想できる。
クレアは生まれて初めて魔物と遭遇し、死の恐怖を感じた。
(怖い……)
魔物たちは今はクレアと反対方向へ向かい、神官長らを攻撃している。クレアは叫びたくなるのを必死で我慢した。大声を出せば魔物が再びクレアを狙ってくるかもしれない。
クレアは魔物への恐怖で腰が抜けたが、立たなければ死んでしまう。手を床につき必死に這い上がった。魔物に殺されなくても、治療してもらわなければ出血多量でどのみち死ぬ運命にある。
クレアはフラフラと立ち上がり、神殿の者を捕まえてキツく命令した。
「早く聖女を連れて来なさい! 私が怪我してるのよ!」
「聖女様、お助けください! 友人が怪我をして……」
「知らないわよ! 早く聖女を……!」
「他の聖女は見当たらないのです! クレア様だけが頼りです!」
(聖女がいない!?)
それはクレアにとって死の宣告に等しかった。
「聖女は貴方様だけです! 我々をお救いください! 聖女様!」
「はぁ!? 私は……」
クレアはもう言葉を発するのも辛かった。血を失いすぎて目眩がし、冷たい床に倒れた。
(私は……わたしは聖女……)
クレアはなんとか頭を持ち上げて辺りを見渡すが、神殿は地獄絵図と化していた。
(お父様、お母様……)
聖女は見つからない。アレンは魔物と闘う魔法使いの後ろで喚いているようだ。
(どうしてこうなったの? 何か悪いことした?)
クレアの目から涙が溢れる。
クレアは神を呪った。なぜ自分がこんな目に遭わなければならないのか、こんな目に遭うほどの罪を犯したのかと。
(このまま死ぬの? 幸せになれないの?)
クレアには今聖女が必要だった。本物の聖女であれば、クレアの傷を癒してもらえただろう。
しかし聖女として思い浮かべたのは、なぜか治癒魔法も使えない落ちこぼれの偽聖女だった。
(ただ愛されたかっただけなのに……。 あの女のように、無条件で――!)
クレアの目に最期に映った物は、神殿の天井に描かれた女神だった――。
神殿内に生き残った者はほとんどいなかった。人も魔物も重なりながら床に倒れている。
後日遺体の確認がされたが、王族で唯一アレンの遺体だけがなぜか見つからなかった。アレンの消息は不明である。
今まで長い歴史上なかったスロアニア国王都への魔物襲撃と王族の死は、瞬く間に市民にも伝えられた。
エマとエドワードのいる辺境にも、その知らせは1日経たずに届いた。
魔物の襲撃にあったのは、主に神殿とクルス領にあるコリンズ家の屋敷周辺だけだった。魔物への恐怖と王族がいなくなったことで、人々の間で不安が広がった。
しかし幸いなことに偶然結婚式の参列者として王都に居合わせて生還した他国の王族たちと国内の領主たちが話し合い、今後の方針を決めた。
国はエヴァンス国に属することになった。
元々王の圧政に疑問を抱いていた者が多く、反対する者はほとんどいなかった。反対派は魔物の脅威がある中、優れた魔法使いが多いエヴァンス国の力を頼るしか選択肢がなかった。
クルス領についてはコリンズ家一族が亡くなったことで、エヴァンス国から新たな領主が派遣されることになった。
市民へは黒輝石が魔物を惹き寄せるという性質についても説明がされた。王族の死以上に、今回の魔物襲撃の発端となった黒輝石と王家、神殿、コリンズ家の繋がりは、より強い衝撃を市民に与えた。
3者は黒輝石が魔物を惹き寄せることを知りながら黙認していた。他国のことはお構いなしで、自分たちの安全を優先し、黒輝石を売ることで得られる利益を享受していたのだ。
その罪のせいで今回祟りにあい殺されたという筋書になった。
黒輝石については闇魔法との関係はもちろんのこと、製造方法も明かされなかった。
中断された王家の結婚式から約1週間後、マーカスが後処理を終えて王都から屋敷に戻った。マーカスはどこにも怪我などしていなかった。エマは事前に手紙でマーカスの無事を早々に伝えられていたものの、直接姿を見るまで心配していた。
また、エマの家族の元気な様子もマーカスから伝えられ、エマもエドワードも安堵した。
ホークウッド領もフローレス家の領地レイトンも、この騒動の前からエヴァンス国に鞍替えすることを計画していたそうだ。騒動のおかげでむしろスムーズに事が運んでいるらしい。
エマの大きな心配事も取り敢えず解消されたと思ったが、マーカスから1ヶ月後にエマとエドワードの結婚式を行うと伝えられ焦った。
「エドワード、エマちゃん、待たせてごめんね。」
「1ヶ月ですか……。もっと早くできなかったのですか?」
エドワードはマーカスに小言を言っている。
「ごめんねー! もう少し待ってて! その後は1週間くらい休んで新婚旅行に行ってもいいから!」
「新婚旅行……!」
エドワードがエマとの新婚旅行に思いを巡らせている一方で、エマは重要なことを聞き逃しエドワードと正反対のことを思っていた。
(1ヶ月!? 早すぎるわ! ……ウエディングドレス間に合うかしら?)
エマはデザイナーがショックでまた倒れませんようにと願った。