第39話 ケイの都を目指して
更新再開です。
監獄勇者のやり直し2巻、今月20日、富士見書房より発売です。
よろしければ是非。
森の一角に、テントがふたつ。
男女別で一張りずつだ。
数歩の距離では、焚火が燃え盛っていた。
ぱちぱちと乾いた木の枝が弾ける音が響く。
おれは木陰に座り、愛剣を研ぎながら周囲を見渡す。
背の高い青髪の女性が、火の魔術で焚火の炎を調節しながら、串に刺した肉の焼き加減を睨んでいる。
その姿は真剣そのものだ。
料理をするときの彼女にはおれも迂闊に声をかけられない。
「はい、アルネー。ここにスープ、置いておくね」
金髪碧眼の少女が、背の高い女性のそばの荷台に陶器の碗を置く。
アルネーと呼ばれた背の高い女は肉から垂れる汁の具合をみつめながらうなずいた。
「ありがとうよ、ミル。もうすぐ焼けるからね」
「うん、お腹を空かせた子たちがよだれを垂らして待ってるから」
おれたち男性陣がぶーぶーと抗議した。
「みんなのぶんのスープは、あっちのテーブルにあるから勝手にとっていってね」
ミルが即席の木造りのテーブルを指さす。
おれと大柄な男が、われ先にとテーブルへ駆け寄り、スープを手にした。
木片でつくったスプーンで、アツアツのスープの具をすくい、がつがつ食べ始める。
「コガネ、ヘリウロス、きみたちときたら……」
「いいんだよ、ネハン。おいしく食べてくれたら、わたしはそれだけで嬉しいんだから」
焚火のそばの切り株に座り、火の明かりで本を読んでいた少年が、ミルの言葉に苦笑いする。
いつもながら、眼鏡をかけたローブ姿が似合っていた。
少年は本をぱたんと閉じる。
「ナズニアを呼んでくる」
といってその場を離れた。
「あいつ、えらいよな」
昼に退治した猪の魔物の肉を口いっぱいに詰め込みながら、おれは呟く。
「ついさっきナズニアと喧嘩したばかりなのに、わだかまりとか、ないのかね」
「きみは、そんなだから……」
なぜかヘリウロスが額に手を当てて呻いた。
ミルが、あははと笑っている。
あれ、おれ、なんかへんなこといったか?
「いいんだよ、コガネは、それで」
肉の刺さった串を裏返しながら、アルネーがいう。
「まあ、ミルは苦労するだろうけどね」
「ちょっ、アルネー! そういうこと!」
「なんだよ」
「なんでもない!」
ミルが頬をふくらませてアルネーを睨む。
ヘリウロスが心からおかしそうに笑う。
いつもの光景だった。
昔々の、涙が出るほど懐かしい光景だった。
ああ、つまり、これは……。
夢だ。
おれは気づく。
これは、夢だ。
だってこのとき、ヘリウロスは事情があって一時戦線離脱していた。
ネハンはすぐナズニアと戻ってきて、ミルをからかったのはあいつらで……。
でも。
おれは祈った。
醒めないでくれ。
この夢にもっと浸っていたかった。
強く、願った。
ああ、しかしだんだん皆の姿がぼやけてくる。
涙がにじむように、焚火の光景が消えていく。
そして、おれは……。
目を、醒ます。
*
町の数が十以上に増えたボウサは、ホウライ西方における最大の国となった。
この結果をもって、おれは王に即位した。
コガネ王の誕生だ。
王だろうが皇帝だろうが領主だろうが、やるべきことに変わりはない。
おれが政においてイマイチ役に立たないことも同じである。
そういうことは、宰相に就任したアイシャと、なんかいろいろ大臣を兼任することになったミルがやってくれる。
それでも王となったのは、この地の民にヘリウロスの子孫が多く生きづいていると知ったからだ。
ことに、兵士となった者たちには多数、彼の子孫がいた。
彼らに対して、真摯になろうと思った。
そんなおれのけじめが、王への即位である。
幸いにして、ボウサの民はコガネ王の誕生を、歓喜を持って迎えた。
彼らは強い王を待っていたのだ。
*
ゲンザン市からボウサの町に戻って、しばし身体を休めていたころ。
領主の屋敷からふらりと町に出たところ、市場で変わったもの発見した。
おれ、コガネを模したと思われる木の人形だ。
おれの顔が精工な堀りで描かれ、剣を高く掲げている。
やたらに人気で、ばかすかと売れていた。
みんな、大事そうに人形を抱えて家に帰っていた。
フードをかぶって顔を隠し、店主に聞いてみた。
「魔除けだよ。戦神さまのご加護たっぷりさ。兄さんもひとつ、どうだい」
「戦神……?」
「おうともよ。戦神コガネさまだ」
衝撃的な単語が飛び出てきた。
戦神コガネ。
山すら砕く剣士、天から神々が遣わした王の中の王。
いまやおれは、そんな風に吟遊詩人に謡われているのだとか。
おれの人形は家の一番奥に飾られる。
で、一年の末日、その年の厄を吸った人形は、広場で焚火をして燃やし、天に還す。
これまでは別の神を模した人形が使われていたんだけど、今後はずっとコガネ人形を使うことになったとのこと。
え……なにそれ、怖い。
燃やすの?
おれの人形、これから毎年、燃やされちゃうの?
っていうか「使うようになった」ってどういうこと?
「宰相のアイシャ様がお決めになったことだぞ。もちろん王さまもお認めになったことだ」
おれは聞いてないです。
王っておれだったはずだよな……?
アイシャのやつ、何を考えている。
「ちなみにその人形、みんなが勝手につくっているのか」
「いや、許可制だな。うちの店が仕入れている工房は……」
おれは、人形売りから聞いた工房へ赴いた。
工房の職人は、顔を隠した怪しいおれを気にすることもなく、アイシャへの多額の献金によって許可を得たと教えてくれた。
あんちくしょう!
*
「ちっ、気づきおったか」
屋敷に戻り、コガネ人形と献金の件について執務中のアイシャに問いただしたところ。
邪竜の生まれ変わりの少女は舌打ちして事実を認めた。
「あ、自分、用事を思い出しました」
「自分もちょっと報告を……」
まわりの役人が慌てて逃げていく。
こいつらも共犯か。
コガネ王を前にしていい度胸だ。
「余禄よ、余禄。宰相の立場を利用して多少の懐を肥やすくらい、可愛いものと思うがよい」
「汚職はともかく、おれの人形を使って金儲けしているのが気に喰わん!」
「そちらについては、必要なことよ。おぬしの王としての格を上げる。東の国の支配者たちには、せいぜい怯えてもらわねばならぬ」
「王の格、ねえ」
勢いで王を名乗ることになったけれど、やっぱりおれのガラじゃないよなあ。
もちろん、アイシャもミルも、それからカサイも、王を名乗ったほうがいいと口を揃えてはいたのだけれど。
そのあたりの戦略については、以前も聞いていた。
先日、攻め落としたゲンザンよりさらに東方には、いまのボウサよりさらに大きな国がふたつある。
ゲンザンと同じくらいの規模を誇る国も五か六は存在する。
いずれも、西方とは比べものにならない規模と歴史の国々だ。
東方の国々がボウサを、そして大陸人であるおれを快く思っていないことは外交のために送った者をすげなく追い返したことから明らかとなっていた。
これらの国がボウサの拡張を警戒している限り、こちらから手を出すわけにはいかない。
よって、相手からのアクションを待つ。
このアクションとは、ただ軍を向けるだけではない、口を出してくるかもしれないし政治的に何かしてくるかもしれない。
とにかく何らかの接触を持ってきたところで、いなしてぶん投げる。
五林で言うと、柔術を基礎とする水林に近い考え方だ。
ヘリウロスの得意技でもある。
あいつの寝技が非常に厄介であることを、日々の修練につきあっていたおれはとてもよく知っている。
そのための、コガネ王の名乗りだ。
相手を誘う餌である。
けっして、ヘリウロスに対するけじめだけで名乗ったわけではないのだ。
「おれが強いことを喧伝するのはわかる。兵士の間じゃ、強さこそ正義、信仰だ。でもご家庭の守り神扱いって、いったい何なんだよ」
そういうのはミルとかの役目じゃないのか。
おれは戦うしか能がない男だぞ。
「戦で連戦連勝、はるか格上の国をいくつも食って、いまやボウサを大国のひとつにまでしてみせた手腕、そのすべてはおぬしの功績、ということになった」
「なった、ってなんだよ! きみやミルのおかげでもあるだろう!」
特に、肥大化する官僚組織を効率化させ、自前の魔術でもって兵站についての諸問題をざっくり軽くしてくれたミルの功績は多大だ。
アイシャだって宰相の地位で辣腕を振るい、腹に一物もっておれに近づいてくる輩をふるい分けたりもしてくれたうえ、このホウライの各地に封じられた魔物やそれに類する災厄について助言してくれた。
「われらには、わかりやすい象徴が必要なのだ。それはシンプルなほどいい。厄を払うのも戦で勝つのも同じと理解せよ」
「全然違うだろ……。まあいいや、おれの人形で手に入ったあぶく銭、少しはおれによこせ」
「放蕩するか。よいぞ、むしろ国庫から持っていくがよい。ゲンザンの領主たちを締め上げて、だいぶ潤っておる。多少、羽目を外しても大目に見よう」
いや、とりあえずいってみただけで、別に金で買いたいものなんてないんだけど……。
武器はもう、愛剣のクリアがあるしなあ。
あまりガッチガチに鎧を着こむ方じゃないし。
そもそもおれ、趣味といえるものがない。
これはミルも同じで……だからついつい、休日ができても、ぼうっとしたりだらだらしたり、ミルに至っては休日も嬉しそうに仕事をしたり……。
おれたち真面目かよ!
「なあ、アイシャ。きみは趣味とか、持っているのか。休日にやること、みたいな」
「最近はこの国の遊び、盤戯に凝っているぞ」
「盤戯? ああ、机の上に駒を並べて競うやつか」
盤戯。
文官も武官もわりと遊んでいる、十マス×十のマス目に並べられた駒の取り合いゲームだ。
東の国では、その熟達者を集めた大会なんかもあるらしい。
「そういえば、五百年前もネハンは似たようなゲームをやっていたな。それくらい昔からあったのかもしれない」
「あった、であろうな。記録によれば、もっと昔に行われたゲームの記録、戯譜が残っている。譜の通りに並べているだけでも一日がつぶれるぞ」
「何でそんなマメなのに、魔物を封印した記録は消えてるんだよ、この島! おかしいだろ!」
*
「ところで、霊脈の異常について話がある」
しばしののち、アイシャは急に声をひそめた。
役人が戻ってきて仕事を再開している。
こいつら、アイシャに似たのかいい性格してやがるな……。
「この地の霊脈がおかしいって話、まだ続いているのか。ゲンザンの一件で、いろいろ封印されてるのはわかったが」
「どうも原因は、さらに東方であるな。地図と照らし合わせた感じでは、ケイの都だ」
「東で一番の大国じゃねえか!」
ケイはホウライの東方諸国でも最大、つまりホウライ最強国家、トウの国の都だ。
おれたちが最初、海からホウライに上陸しようとしたとき、船でケイの都に近づいて追い散らされたという因縁もある。
ゲンザンの地下に封じられていた邪竜の遺骸のことも考えると……ケイの地下には、はたして何があるのやら。
どっちにしろ、やるべきことはひとつなのだけれど。
ゲンザンを獲ったことでボウサの領地はトウの国との間に小国をひとつ挟むだけとなった。
とはいえ、この両国、総人口では十倍くらいの差があったりする。
この島、東方の繁栄っぷりはほんとにヤバい。
「やったのは、きっとヘリウロスかバハッダだ。あいつらが封じたものに異常が起きているなら、なんとかするのがおれとミルの役目だ」
「その点について異論はない」
ゲンザンの地下に封じられた邪竜アイシャザックの死骸について調べた結果、いくつかわかったことがある。
封印が解けた場合、邪竜の死骸がこの地に災厄をもたらすであろうこと。
現在のアイシャでは邪竜の死骸を活用することも、抑えることもできないということも。
「以前もいったが、わが身とわが心は邪竜そのものではない。おぬしらに散った霊気を取り込むことはできるが、そもそもあの死骸にとりついたモノの霊気は、前世のわれとまったく別の何かである」
「待て、つまりそれって、邪竜の死骸に、何かが乗り移って動かしている、あるいは動かそうとした、ってことか」
アイシャは腕を組んで瞑目した。
熟考しているようだが……。
なんとなく、彼女はおれに話している以上のことを知っているように思えた。
以前、ミルから霊気を奪ったあとのこと。
取り戻した記憶がある、とアイシャはいっていた。
ただ、その内容について吟味したいとも。
あとで必ず話す、とも誓っていた。
「それを、なんと呼べばよいのか」
はたしてアイシャは、言葉を選ぶようにひとことひとこと告げる。
「ただ『意志』と呼ぶべきかもしれぬ。どす黒い憎悪のようなものを感じた。正直、ぞっとした」
「それは……ゲンザンの地下に封印されているモノから感じた、ってことでいいのか」
「前世、われがアイシャザックと呼ばれ宙を舞っていたころ、われの内側から時折感じたもののことでもある」
ちょっと待って、いまアイシャ、重要なこといった。
重要なこといったよ。
「きみのなかに、その……『意志』があったと?」
「いつごろからか、な。われが生きている間は、われのちからでそれを抑えつけていた。われの死後、それはわれから自由になった」
「で、いま邪竜の死骸にいるが、その『意志』だってことか? 邪竜の死骸をゲンザンに運んだやつらは、その『意志』を利用しようとしていたと」
「うむ。死骸を好き勝手され、この地に災禍を振りまくよう差配した輩がいるということ、業腹ではある」
ずっと昔、このホウライの地で、誰かが邪竜の死骸を、そのなかにいる『意志』を操ろうとした。
ヘリウロスたちが、そのたくらみを阻止した。
でも完全に、とはいかず、わが身を犠牲にして死骸を封印することが精一杯だった。
その誰か、とは誰なのか。
その者の目的とは、何なのか。
それを知るためにも、ケイの都を目指す必要があるだろう。
ケイの都付近の霊脈が乱れているともなれば、なおさらだ。
かの地にも何かが眠っている疑いが濃厚なのだから。
「カサイが集めてくれる情報待ちであるな」
カサイとその一党には資金を投入しまくっている。
でも東方に放った密偵たちは、なかなか苦戦を強いられているようだった。
古い国々の諜報組織は手ごわい。
「彼らの大陸人たちに対する敵意も気になるのだ。盤戯の古い戯譜を調べているうちに五百年より前の文献をみつけてな。われには読めぬゆえ、暇な官僚を使って現代の言葉に翻訳させてみた。当時のこの地は大陸との交流が盛んであったらしい。大陸人より王を頂くこともあった、とある」
「いまとは全然違うな」
ネハンは何といっていただろうか。
あんまりホウライの話はしなかったけど、彼自身には大陸人に対する偏見なんて最初からなかったように思う。
やっぱり、この地に根付いた大陸人に対する敵意は、ここ数百年のものなのかな。
「何かがあったにせよ、その何かは忘れ去られておる。なのに敵意だけが残った」
「記憶、記録より感情の方が根強く残るなんてこと、あるのか」
「ミルに聞いてみたところ、前例を教えてくれたぞ。とはいえ国の上層部すら忘れてしまうのは奇異であるともいっていた。過去の記録とは、それだけ大切なものであると」
もっとも、とアイシャは続ける。
「それらはすべて、われらが大陸西方から来たがゆえの偏見かもしれぬ。この地においては記録が重視されなかった、という可能性もある。過去のいずれかの時点で、為政者にとって都合の悪い記録を掃除したのかもしれぬ」
「そういうことも、あるのか」
「現におぬしは五百年間、あの城に囚われていたが、おぬしの仲間たちは誰も探し出せなかったであろう」
記録なんて、あっという間に散逸するものだ。
特に強大な国が倒れたときの混乱とは、想像を絶するものなのだ。
おれはそのことを、この身でもってよく理解していたはずだ。
ミルも、アルネーたちも、その余波を受けた。
帝国の崩壊から続く騒乱。
それは、あのミルが国家組織のちからをもってしても幽閉されたおれをみつけられなくなってしまうほどの、大混乱の時代だった。
この国においても似たようなことが起こっていた可能性はある。
「実際、二百年五十前と百年前に、このホウライ西方は動乱の時代を迎えておる。ゲンザンの古い城壁は、百年前の動乱で完全に崩壊した。現在の城壁はそのあとに建てられたものであるな」
「ゲンザンの町も、いちど破壊されていたのか。けっこう古い建物もあった気がするけど」
「百年という年月は、おぬしが思うよりよほど長い。ことに大陸と違い、島国特有の塩を含んだ海風は、建物をひどく痛めつけるのだ」
ああ、海風か……。
そういえば、昔、そんなことをネハンがいっていた気がする。
だからホウライでは、木造建築にしても百年に一度は大改修しなきゃいけないって。
「ケイの都なら、その辺の資料も残っているかな」
「そう期待したいところであるな」
「どっちみち、行ってみないとわからないってことか」
本当におれたちが必要な資料はトウの国の支配者層が隠しているのだろう。
これまでの反応からして、彼らがおれたちに対して素直にそれらをみせてくれるとは思えない。
正面から会いに行っても無駄なら、やれることは隠れていくか、力づくでいくか、のふたつにひとつだ。
「まともにやったら、いまのボウサがトウの国と戦争できるようになるまで、どれくらいかかるんだ」
「さて、数年では無理であろうな。十年、二十年……数十年はかかろうか。ひょっとすると百年、二百年かもしれん」
「気が長すぎる」




