第26話 安らかなとき
それが、聖女の最期だった。
シルダリ教国は、この日、戦力の中核である浮遊機動要塞と、信仰の精神的支柱である聖女を、同時に失ったのである。
崩壊する要塞から脱出する際、生き残りの兵士や使用人を全員逃がしたおれたちだったが……。
そのなかに、クロウの姿は無かった。
どこかの国の間者とおぼしき男は、いつの間にか消えていた。
ほかに数名、浮遊機動要塞のどこを探しても姿がみあたらない人員がいたようなので、その者たちといっしょに逃走したのだろう。
間者、いっぱいいたんだなあ。
国家間の陰謀とか、本当に怖い。
ああ、嫌だ嫌だ……。
できれば、今後いっさい、国とか軍隊とか、そういうものとは関わり合いになりたくない。
……なりたくない、けど。
難しいだろうな、とは気づいていた。
なにせおれは、この国の精鋭が束になってかかっても勝てなかったシャドウロード・タイタンを屠るような戦力である。
それに加えて、ミルの光の霊気を奪ったアイシャまでいっしょなのだ。
五百年前、帝国がおれたちの存在に危機感を抱いたのも、無理はないのかもしれない。
だからといって……。
卑屈に生きる気など、もうさらさらなかった。
*
「なあ、ミル」
「んー?」
「おれは旅に出るよ。いっしょに来るか」
シルダリ教国でも有数の名家であるというテリサの実家、アルフェッサ家の別荘の一室にて。
おれは、寝込んでいるミルの看病をしながら、そう問いかけた。
墜落する浮遊機動要塞から脱出したあと、ミルは倒れてしまい……。
それから七日に渡って、意識不明の状態だったのである。
アイシャによると、身体が闇の霊気に適応するまでの辛抱で、命に別状はない、とのことだった。
すでに不老不死の身体ではない以上、過度の衰弱は命に危険が及ぶ。
代々、聖女の侍女を輩出しているというこのアルフェッサ家で厄介になることとなったのは、そういうわけである。
ミルが目を醒ましてから、すでに三日が経過していた。
公式には、浮遊機動要塞を用いて魔物の軍勢と戦い、これを退けるも要塞は破棄、聖女は疲労により静養、ということになっていた。
十日前の、あの事件の真相など、当事者の誰もが口を閉ざさざるを得ない。
聖女の光の霊気がすっかり消えてしまったことなど、なおさらだ。
そう、聖女ミルは、もういない。
いまここで、ベッドに寝転がっている少女は、ただの娘にすぎない。
限りある命を持ち、事故や病気でコロリと死ぬことができる存在にすぎない。
「ついていくよ。どこまでも、コガネについていくから」
「おっし。じゃあ、そのつもりで準備しな。あと数日は待ってやるから」
「数日、かあ」
ミルは天井をみつめ、ため息をつく。
この国に、この国の人々に、相応の思い入れがあるのだろう。
当然だ、彼女はこの地で五百年もの間、統治者としての、象徴としての役割を果たし続けたのだから。
少女は、自分の髪を撫でる。
かつて金色だった髪は、完全に銀へと変化していた。
光属性の霊気が抜け、闇属性の霊気だけとなったがゆえの変化なのだろうか。
「さっさと、ほかのやつらをみつけないとな」
「みんなの行方……。えっと。手がかりは、あるの?」
「さっぱりだ」
ミルは、やっぱりねえ、とふんにゃり笑う。
わたしはなにもかもお見通しだよ、といわんばかりの顔だ。
不思議と、腹は立たない。
「うちの諜報部がね。ちょっとがんばってくれたみたいなんだ。コガネに迷惑をかけた、申し訳ない、ってさ」
「ま、向こうも仕事だからな。ちょっと頭の堅いところはあったが」
「とっても反省してたよう」
彼らも真面目に職務を果たしただけなのだろうが、なにせ間が悪かった。
あまりにも、間が悪すぎた。
彼らとしては、平謝りするしかないというところだろう。
「でね、アルネーから接触があった、って教えてくれたよ」
唐突に、五百年前の仲間の名前が飛び出てきた。
おれは目を大きく見開く。
「アルネーから接触? しかも向こうから? おい、それっていつだ」
「十日前、だって。教都に連絡が入ったのは、数日前」
ということは、シルダリ教国の外で起こった出来事、ということか。
ちなみにこの別荘は、教都から徒歩で半日ほどのところにある。
光の魔術を使った通信装置も設置されている。
ちなみに光の魔術を使った通信とは、この五百年でミルが広めたものらしい。
「アルネーのやつ、いまさら、なんだって」
「自分は無事だから、探すな、ってさ」
「あいつらしい」
万能、というふたつ名を持つアルネーは、広い交友関係を持っていた。
帝国の要人にもコネがあって、おれたちの旅をさまざまなかたちで助けてくれていた。
彼女が、ことを為したあとすぐ帝都に戻ることに対して、最後まで反対していたことを思い出す。
五百年前、あのとき、いやな予感がする、とアルネーはいった。
少し待ってくれれば、自分が情報を集めるからと。
だが。
おれが、いっこくも早く凱旋することにこだわってしまった。
いまとなっては、なんと愚かなと、後悔しかない。
しかし、あのときは、それが最善だと……気が、はやっていた。
ひょっとして、と思う。
アルネーは、あのときのおれとの口論を、いまだに恨んでいるのだろうか。
そうかも、しれない。
おれとしては、彼女に心からの謝罪をしたい。
きみが正しかったのだと、頭を下げたい。
とはいえ、向こうが会う気がないとしたら、どうしようもないのだが。
「んじゃ、まあ。あとまわしにするしかないな」
「いいの? アイシャは、納得するかな」
ミルには、すでにアイシャのことをあらかた伝えてある。
ふたりきりで話し合った、という話だ。
仲良くやれそうな雰囲気なのは、幸いなことだった。
「納得させるさ。それに、いつかはアルネーに会う必要がある。アイシャのやりかたは、きみも知っての通りだ」
「うん。まず、その身体のままでいいか尋ねて……強引にちからを奪うことは、しない」
「おれが、そう頼んだ。あいつは納得した。でも、全員に直接会って、その意思を問うことだけは譲らなかった」
ミルから霊気を奪ったことで、アイシャは光属性の魔術を行使できるようになったという。
風属性の魔術も、第四階梯までは安定するようになったとのことで……。
おれたち七人、邪竜退治の勇者たちから己のちからを取り戻すたびに、彼女は強くなっていく。
彼女がちからを求めることを、否定することはできない。
むしろ、アイシャには助けられてばかりだ。
彼女がいなければ、ミルを助けるどころかあの要塞の内部にたどり着くことすら難しかっただろう。
「それとね。五百年前、ネハンはいちど、故郷に帰ったんだって。でも、そこからがわからない。東の島は遠すぎるよね」
「大陸横断して、さらにその先か。ほかに手がかりがないなら……行ってみるか?」
「コガネがそうしたいなら、いいよ。どのみち、わたしはイチから魔術の勉強、しなおしだし」
ミルは、あれほど極めた光属性の魔術をいっさい使えなくなってしまったという。
安定しないどころか、霊気を込めることすらできなくなったと。
すべては、彼女の身体を流れる闇属性の霊気が原因だ。
そもそも、闇属性の霊気を持つ者など、本来ヒトには存在しない。
ゆえに闇属性の魔術は、ヒトの間でいっさい伝わっていない。
アイシャが、己の知る限りの知識を彼女に伝えるというが……それをアレンジして、ミルなりの魔術体系を確立しなければ、使いものにはならないだろうとのことだった。
長い道のりになりそうだ。
もっとも、ミルという少女は五百年前、たったの数年で光属性の魔術を極めてみせた天才だ。
闇属性についても、同じ天才性を発揮してくれることを祈りたい。
「足手まといになる気は、ないからね。がんばるよ」
「期待しているよ。アイシャが光の魔術を使えるようになったといっても、おまえほど頼りになるわけじゃない」
「うん。それは、仕方ないね」
ミルは、誇らしげに笑ってみせる。
気負いでも傲慢でもなく、それはただの事実だ。
おれとミルの連携は完璧で、浮遊機動要塞での戦いによって、それは互いに再確認してしまった。
ミルから光の霊気が失われてしまった以上、あのような戦いは、もう二度とできないだろう。
それが、少し寂しい。
「いつか」
とミルはベッドに横になったまま、天井をみあげて、呟く。
「いつかまた、あんな戦いができたら、いいね」
「そうだな」
「わたし、がんばるよ」
おれは、期待している、と少女の頭を撫でた。
ミルは気持ちよさそうに目を細める。
「もうちょっと、こうしてて」
「寝ないのか」
「わたしが寝るまで、頭を撫でて」
それくらいなら、お安い御用だ。
おれは、目をつぶるミルの頭を、そっと撫で続けた。
彼女が安眠できるように。
五百年間、この国で戦い続けてきた彼女に、おだやかな日々を。
ほんの少しの、安らかな休息を。
おれは、心の底から、そう祈った。




