第23話 闇の暴走
おれは、ミルの身体が浮かぶカプセルに駆け寄る。
闇の魔術による竜巻が、暴風となって襲ってきた。
吹き飛ばされそうになる。
身体だけはなく、心まで冷たく切り刻むような霊気の渦だ。
おれは自身の霊気で障壁をつくりながら、じりじりと前進する。
思わず、うめき声が漏れる。
暴風の向こうにあるミルをみた。
少女は、目を大きく見開き、おれをみつめている。
「すぐだ!」
おれは、叫ぶ。
「すぐ、そこまで行くから!」
一歩、また一歩、カプセルに近づく。
くそっ、金属の床のせいで踏ん張れない。
あまりにも、闇の突風の圧力が強すぎる。
「必ず、行く……からっ」
一歩ごとに、圧力が倍になっていくような感覚すら覚える。
あと半歩、それが……限界か。
そう、思ったときだった。
「《猛き大気の精よ、暴風となれ》」
背中に、強い衝撃を受ける。
本来なら相手を容赦なく吹き飛ばす、風の魔術。
それが、おれの背中に炸裂する。
アイシャの魔術、第二階梯ウィンド・ブラストだ。
彼女の、精一杯の援護だった。
背骨が折れるかと思うほどの強い衝撃を受けて、おれは次の一歩を踏み込む。
床が、激しく揺れた。
背後で老人たちの悲鳴があがる。
おれは必死でバランスをとりながら、もう一歩、前へ出る。
「ええい、転ぶな! そこ、すがりつくな! ああもう、おぬしら全員守ってやるから邪魔をするなぁっ」
背後で、アイシャが叫んでいる。
あいつめ、なんだかんだで面倒見がいいじゃないか。
おれの後ろを、安心して任せられる。
五百年前は、そこにミルがいた。
彼女の守りがあれば、おれは安心して前を向けた。
その献身に、なんども命を助けられた。
「おまえは、自分の身が危ないときでも、おれが怪我すると飛び出してきてくれたな」
黒い嵐の中心、カプセルのなかで、少女が身をよじったような気がした。
よくみえなかったけれど、きっとこの声は彼女に届いていると信じた。
「おれが無謀で怪我をすると、泣きそうな顔で治してくれた。無茶をするなと叱ったな。おれが傷ついていると、自分の心まで痛くなると。そういったの、覚えているか」
嵐が、強くなる。
広い部屋のなかを吹き荒れる黒い旋風が、いっそう激しさを増す。
それが、おれにはまるで……。
少女の心のなかを荒れ狂う感情そのもののように思えた。
ミルが、いま激しく心を乱されているのだと、そう信じた。
なら。
「おれだって、同じだ。おまえが辛気臭い顔していると、おれの心が痛いんだよ!」
おれは霊剣を構える。
間合いまでは、あと数歩。
だが、もういい、ここでケリをつける。
「だから! さっさと笑えよ、こんちくしょうっ!」
一閃する。
霊気の刃が、暴風を切り裂き、カプセルに直撃した。
透明なカプセルにヒビが入る。
ほんのわずかな、傷だった。
だが次の瞬間、それは蜘蛛の巣のような激しいヒビ割れになる。
カプセルのなかで、ミルがおれをみて……。
目を、おおきく見開く。
その口を、わななかせている。
「だ、ダメ。わたしがいないと、この要塞が。制御、できなくなる」
「知ったことか」
「だって! だって、わたしが守らなきゃ! みんなが、この国のひとたちが、わたしの大切なひとたちが……っ」
カプセルの割れ目から、水が漏れだす。
それは最初、ほんのわずかな漏水だったが、あっという間に穴が広がり、溢れた水が床を水浸しにする。
「おれにとって、ミルはおまえひとりなんだよ! 大切な仲間だろうが!」
黒い霧のようなものが、また暴れ出そうとした。
おれに向かって、闇の霊気が集まってくる。
おれを包み込むように、四方八方から迫る。
おれは、剣を床に突き刺した。
雄叫びをあげ、あらん限りの霊気を込める。
黒い霧が一瞬で吹き飛んだ。
「さっさと出てこい、バカ野郎! おまえひとり、おれが守ってやる!」
カプセルが、粉々に砕け散る。
水が、四方に弾ける。
そして。
「コガネ……っ」
金色の髪の少女が、そこにいた。
カプセルが設置された台の上に、立っていた。
少女はおれをみて……。
「やっと、会えたね」
ふわふわ雲のように、笑った。
五百年前の、あの日のように。
*
要塞の振動が激しくなる。
床面の一部にひび割れが走った。
おれは裸で濡れた金髪の少女に駆け寄って、自分のマントをかけてやる。
ミルが上気した顔でおれをみあげ、ふんにゃりと笑う。
五百年前と同じ笑顔だった。
なのに、なぜか寂しそうで、悲しそうにみえて……。
「コガネ、あのね」
「なんだ、いまは急がないと」
「ありがとう。最期に、ここから出してくれて」
待て。
なんだ、その言葉は。
最期って、なんだよ。
「コガネが会いに来てくれて、本当に嬉しいよ。でも、ちょっと遅かった、かな」
「なにをいってる、おい」
「わたし、旧人になっちゃったみたいだから」
そのときおれは、ミルの身体から溢れる霊気に気づく。
さきほどまで暴れ狂っていたものと同じ、闇の霊気だった。
それも、驚くほど濃厚で、もはやヒトが発するものではないほどの……。
「コガネよ、気をつけろ! その女、精霊になりかけているぞ!」
アイシャが叫ぶ。
ええい、どういうことだよ! おれにもわかるように……。
「旧人が滅びたのは、この星の大気が変化したからだ。彼らの一部はその変化に対応して、星に溶け込んだ。これを精霊化という。あのカプセルは、本来、旧人を精霊化するための装置だったのかもしれん」
「だから、どういうことだよ!」
「カプセルはその女を守る壁でもあった。そこから出たいま、こやつは間もなく、ヒトとしてのかたちを保てなくなる。いまのこやつの身体に、この星の大気は毒なのだ」
おれは慌てて、ミルの顔をみた。
濃い闇の霊気をまとった少女は、柔らかい笑みを浮かべたまま、こくんとうなずく。
「いいの。あとは、わたしが責任をとるだけ。コガネ、手伝って」
「手伝うって……なにを、だ」
「この要塞を、壊す。わたしひとりじゃ、できなかった。でも、コガネといっしょなら。……できる、よね」
おれはためらいがちに首肯した。
おれとミルがいれば、たいていのヤツはなんとでもなるのだ。
お互いに、そう理解していた。
例外は、そう。
あの邪竜くらいだった。
あいつだけは本当にけた違いで、だから七人全員が揃う必要があった。
「おれは、どこを壊せばいい」
「あそこ」
とミルが指さすのは、部屋の奥に設置された正八面体のクリスタルだ。
さきほどまでは青白い輝きを放っていたのだが、いまは赤黒く、禍々しい光に変化している。
その周囲には、未だ青白い輝きを放つクリスタルが並んでいるが……あれらは、関係ないということか。
「防衛機構が、あるの。攻撃するか近づくとガーディアンが出てくる。でも、わたしがバックアップするから」
「わかった」
ミルの身体を包んでいた闇の霊気が、ふっと消える。
無理矢理に、抑え込んだのだ。
かわりに、光の霊気が満ち溢れる。
ミルが、ふにゃりと笑う。
かなり無理をしているな、と気づいてしまう。
わかるに決まっている。
こいつはおれのパートナーなのだから。
それでも。
いや、だからこそ。
おれは、ミルの肩を軽く叩いて、赤黒いクリスタルに一歩、近づく。
「背中は、任せた」
「うん。いつもみたいに」
「ああ、いつもみたいに」
細かい打ち合わせは、必要なかった。
おれとミルは、まさに「いつもみたいに」やるべきことをやるだけだった。




