第21話 聖女ミル
わたしの部屋に、十二教会長のうち三人が、護衛の兵士を連れてやってきた。
侍女のテリサがいない以上、彼らを遮る者はいない。
兵士たちは、わたしを直視しないよう目を背けているが……。
「聖女さま」
十二教会長の最古老、ヴァハス翁が鋭い目でわたしを睨む。
七十歳を超える老人の彼は、腰が曲がり杖をつく身となっても息子に家督を譲らず、今回の侵攻の指揮を執っていた。
わたしがなんど、やめるように進言しても、彼は頑として承諾しない。
「どういうおつもりですかな」
彼に嫌われているわけではない。
逆だ、いまに至るまで崇拝されている。
ヴァハス翁は、純粋に、それがわたしのためだと信じているのである。
隣国の領土を切り取り、同じ宗教を信じる民を守って教会の権威を広げることこそが、このわたし、聖女ミルのためになると……。
そう、確信している。
原因は、五百年前にあった。
帝国は、邪竜退治から帰還した七人の勇者を疎み、排除しようと試みた。
教会はそのとき、わたしを守るため死力を尽くそうとする派閥と、わたしを見捨てて帝国への生贄に捧げるべきだという派閥で激しく争ったのだ。
結果、わたしのために献身する派閥が生き残り、反対派閥は苛烈に粛清された。
わたしは教会内の争いも、粛清も、止められなかった。
安全を確保するために、と辺境の地で足止めされていたからだ。
それらを知ったのは、すべてが終わったあとだった。
わたしの前に跪き、許しを請いながらことの経緯を語ったのが、ヴァハス翁の祖先である。
すべて、自分の判断であったと。
今代のヴァハス翁は、教会の権益を広げること、聖女ミルを守護すること、それはイコールなのだと教えられて育ったという。
教会のちからなくして、聖女ミルは守れない。
たとえ帝国が崩壊しても、不老不死で強大なちからを持つ聖女を狙う者は、無数に存在する。
だからこそ、教会はより強大なちからを手に入れなければならない。
十二教会長の多数派は、この一点で団結していた。
そう、彼らは皆、わたしの狂信者なのだ。
わたしの意見に耳を貸さないほどに、彼らはわたしを盲信している。
だから、いまも……。
「コガネを名乗る者は、真っ赤な偽物です。調査により、他国の工作員による悪意ある扇動であると、すでに判明しております」
「そう、ですか」
わたしは、困り顔で首を傾ける。
こんな顔が上手くなったのは、いつからだろう。
昔は、もっと普通に笑えていたはずなのだけれど。
かつて、仲間たちに「ふわふわ雲のような笑顔」と呼ばれた顔ができていたはずなのに。
少なくとも、最初の二百年くらいは、がんばったのだ。
二度と、仲間たちをあんな目に合わせたくなかったから。
五百年前は、帝国が盤石すぎた。
辺境の地からでは、帝都でなにが起こっているのかすら掴めなかった。
それから、あまりにも早く帝国が崩壊したせいで、そのあとの混乱があまりにもひどすぎたせいで、目の前の事態に対処するだけで精一杯になってしまった。
みんながどうなったのか、どこにいったのか、はやく調査したかったのに。
それができるようになったころには、当時の関係者は全員が墓に入っていた。
わたしたちをバラバラにしたあの陰謀を、誰が企てたのかすら、わからなくなっていた。
あとから思い返してみると、もっとやりようがあったことに気づく。
ギリギリまで自分のための安全措置を削って、教会のちからをそちらに振り向けていれば。
信徒の、民のために使ったお金を、ひとを、もっと仲間のために投資していれば。
すべてを切り捨てて、仲間たちだけを求めていれば。
ひょっとしたら、いまごろわたしは、コガネたちと共に呑気な暮らしを……。
ダメだ。
ダメだ、ダメだ、ダメだ、ダメだ。
そんなの、絶対にダメだ。
わたしは、そんなことを考えてしまった自分に絶望する。
帝国の手がわたしに迫ったとき、シルダリ教の人々だけがわたしを助けてくれた。
なのに、あの混乱のなか、わたしが信徒を見捨てて仲間のために動くことなんて、どうしてできるだろうか。
だいいち。
もし、そんなことをしたら。
きっとあのひとは、コガネは、わたしをひどく、叱りつけるだろう。
三百年が過ぎて、四百年が過ぎた。
わたしは、なにかから逃げるように、シルダリ教国の繁栄に心を砕き続けた。
四百五十年が過ぎたころ、不意に、気づく。
自分はいったい、なにをやっているのか。
わたしはいつまで、こうしているのか。
不老不死のこの身とは、いったいなんなのか。
急に、動けなくなってしまった。
なにも考えられなくなった。
それまではわたしの補佐に徹していた十二教会長が会議を開き、聖女の表舞台からの引退を発表したのは、わたしが茫然自失としていた期間をとりつくろうためであった。
精神が凍りついた、ともいうべき状態だったらしい。
気づくと、わたしはこの要塞で軟禁されていた。
一部の兵士しか立ち入らない場所だから、都合がよかったとのことだ。
この要塞は、シルダリが掘り当てた旧人文明の遺産である。
闇という特殊な属性を持つ魔導炉心が心臓部にあって、だから要塞を起動することすら困難で、研究要員を含めて少数の者たちだけがここに常駐していた。
対外的には、ずっと要塞を建造中ということになっていて……。
いま、わたしはこの要塞から外に出られない。
それどころか、この部屋から出ることすらできない。
わたしは、ひとりぼっちだった。
かつての仲間はいない。
皆、どこかへ消えてしまった。
もし大陸のどこかにいるなら、誰かひとりくらいは会いに来てくれるはずなのに。
誰ひとり、声すらあげない。
わたしに会いにきてくれない。
そんな、ある日。
兵士の噂話を聞いてしまった。
コガネと名乗る、おそろしく強い男が、教都で暴れる魔物たちをたったひとりで打ち倒したという話を。
彼は、五百年前の勇者本人だと名乗ったらしい。
我慢の限界だった。
わたしは、深く考えず、懐刀のテリサを動かした。
その結果、どんなことが起こるか考えもせずに……。
テリサには追っ手がかかったという。
彼らはいう。
すぐに捕まるだろう、連れ戻されるだろう、と。
「ですが」
わたしは、男たちの視線をまっすぐに受け止める。
胸を張って、宣言する。
「それでも、わたしはコガネを信じたいのです」
ヴァハス翁が、ぽかんと口を開ける。
目をぱちくりさせている。
そうか、と不意に気づく。
彼はこんな風にわがままをいうわたしを知らないのかと。
最初の百年、二百年くらいは、わがままで十二教会長たちをさんざんに困らせていたものだけど……。
彼が初めてわたしと出会ったのは、ここ四十年足らずの間だ。
そのころのわたしは、もうとっくに、活力がなくなっていたように思う。
わたしにとって、五百年はあまりにも長すぎた。
耳を澄ます。
要塞のどこか、遠くのほうで、戦いの音が聞こえている。
きっと、彼だ。
「戦いをやめなさい。コガネを、わたしのもとへ通しなさい」
「ダメです! あなたを狙う刺客かもしれないのですぞ!」
「わたしを殺す? わたしは不老にして不死の身なのですよ?」
十二教会長たちも、兵士たちも、慌て、うろたえていた。
無理もない。
彼らも、こんなわたしをみるのは初めてだろうから。
少し、おかしくなる。
思わず、くすりとしてしまう。
「わかりました。わたしのほうから、挨拶にいきましょう」
その言葉に、兵士たちが、慌てて身体を張り、出入口を塞ぐ。
あはは、わたしが乱心したとでも思ったのだろうか。
いや……本当に乱心しているのかもしれない。
わたしは長い歳月に心をすり減らし、正気を失っているのかもしれない。
でも。
だとしても。
それでも、わたしは……。
そのときだった。
すぐ近くで、爆発が起こる。
廊下を爆風が駆け抜ける。
「おい、本当にこっちでいいんだろうな!」
男の、声がする。
心臓が飛び出しそうなほどの、胸の高鳴りを覚えた。
この声を、わたしは知っている。
ずっとずっと、期待していた。
五百年、待っていた。
涙が溢れるような感覚がある。
「コガネ!」
思わず、叫んでいた。
「わたしは、ここだよ! こっちだよ!」
「おう!」
即座に、返事がきた。
騒々しい足音が響く。
兵士たちが、狼狽するように下がった。
そこに、割り込んでくる者がいる。
ひとりの男が、部屋に駆け込んでくる。
「そこにいたか、ミル!」
なによりも待ちかねていたひとが。
わたしの救世主が、現れる。
「ミル……? おまえ……おまえが、ミル、なのか?」
わたしの姿をみたコガネが、戸惑う。
「そのでかい容器は、なんだ? おまえ、どうして透明の樽のなかに浮かんでいるんだ」




